女系家族
こんにちは

しばらく更新が滞っていますが、カクヨムの方にAI小説を二つ投下してきました。

スズシロ

それというのも、1ヶ月前から分かっていた事なのですが
実家の母、妹、姪が今遊びに来ています。3泊4日で母は私の家にいますw

それで、昨日は名古屋城と熱田神宮を巡って、宮きしめん食べておみくじひいてきたんですね。

さらに名古屋駅前で買い物とか大須観音で買い物とか徳川園と徳川美術館とか
妹と姪はすっごく旅が充実して、名古屋が好きになった模様。

(私、名古屋近辺住まいです)

これがおみくじ~



吉だけど11だったので私的には大勝利!! 

で、後今日も含めて二日、母は私と行動する訳なのですが

何しろ私、典型的なソシャゲとかに課金する腐女子で……

部屋汚いんですね。

それで、朝から母が

「わーねー、わがね!!(ダメ、悪いの意)」で怒って大声になりながら部屋中片付けてくれています。

私は、前のサイトにも書いていますが
岩手県南の言葉だったら何となくヒアリング出来るんですが、

正確な発音は出来ないんですよ。
わね、わがねっちゃとか、~だじゃとか、さーれーさーれーとか、あんやよとかは
母とかに釣られると出るんですけど、

大体、発音が微妙らしいんですね。

それと、岩手県北、つまり完全南部藩の言葉もあやしいです。
てか、ほとんどわからない。

昔、「つるし上げる」の意味を「ふたつける」と言う女子がいて
(今で言うと囲むとかかな)
ふたつけるって、何? って聞いたら、本人もわからなくて「蓋、……じゃないの?」って言われて
蓋がどうして出てくるんだ? と二人でボーゼンとしたことがありました。

その後、盛岡弁入門という本に出て
「実にはんなりとした、上流階級のおばあさまの、怒りの意の表現」とあって、噴いた事があります。
「殴る」→「はたきつける」→「ふたつける」? のような変遷のようですが

それより以前に、私の上の上のそのまた上の世代では、はんなりした表現だったそうですが
現在では、ヤンキーの、つるし上げるのような意味の言葉なんですけど……。
ていうか、ふたつけるって、県北出身の子に面と向かって言われた私ってなんなんだw

(ヤンキーだった事は今までの人生一回もありませんが)

まあ、方言にも、さらに方言とか、流行言葉とか、普通にあるんですよね。
言語が完全に固定されて流れないってことは、あり得ない。

んで、

姪が、私に名古屋弁ってわかる? って聞いてきて
全然分からないのが恥ずかしくて、それでちょっとは現地の言葉を覚えたいんですが
何分世代故に、アラレちゃんしか分からないんですよ。

アラレちゃんのおはこんばんちはとかが、本当に名古屋弁なのかどうかもわからないし
こういうのって、どこで覚える事が出来るんでしょうね。

あとまあ、妹とは色々話し込んだり、姪の話したりと楽しい時間を
過ごす事が出来ました。
名古屋城も一緒に、二回目だけど見学して
姪がすっごく身を乗り出して、スマホかまえて一生懸命勉強して
熱田神宮にも二礼二拍したあと、立て看読んで、全部スマホに取って
「凄い! 歴史!」って感激しながら勉強してました。

名古屋近辺長いのに、全然名古屋弁も話せないので、姪をがっかりさせちゃったかなあ……。
しっかり勉強したいですね。

それで出てくるのが鳥山明なの? って言われたら
だがやー、って返せばいいのかな……。

一応、清水義範先生の蕎麦ときしめんは既読ですので、すっごく奥が深い言葉だということは知ってるのですが
どうしたらいいのでしょう。

いずれ、母、私、妹、姪に挟まれて男ひとりの私の旦那(秋田県北出身)は
笑っちゃ居るけど、引きつり気味。

これだったら、弟の援軍いた方が良かったかなあと思った次第です。

母は明日までこっちいます。掃除みっちり教えられそう……。

ちなみに北海道の「したっけ」はこちらでは、それでは、ぐらいでしか使いません。
嫌いな話
読まなくていい話ですのでsageながら。





























私がNARUTOのヒロイン? を好きじゃない事で、色々と言われたので簡単に書いておきます。

私が春野サクラを最初に嫌いになった理由は、この二つです。

・なんで忍者やってるのか分からない
・なんでサスケが好きなのか分からない

そこからしてキャラ立てが曖昧で、何がしたいのか分からないし方向性も読めないのに
ヒロインなので出番が多かったため、ヘイトを稼いだんですね。

NARUTOは初期段階で、忍者はやめてもいいことと出しています。

アカデミーを卒業したからといって、必ずしも忍者でいなきゃいけないでもないらしい。
さらに、サクラはその後、波の国編で自分より低年齢の子どもが死ぬところを見ているし
サスケの仮死も見ているんですよ。

自分が直接、殺されるかもしれないし、仲間も敵もどんどんリアルに死んでいく戦場に
赤い変な服着て、化粧して、ネイルして、突っ立っている意味は何?
(波の国~第一部の間、サクラに業績はありません)
(さらに言うなら、サスケに修行しろと言われた後も、修行しているコマは1つもありません)

恐らく、忍者の仕事が嫌いだから修行しないのでしょうし、
戦場でも命令違反ばかりしているんでしょうね。
細かいところになるかもしれませんが、直接の上司であるカカシの命令や指示に
しょっちゅう背いています。
それはナルトもサスケもだと言うかもしれませんが
この二人は結果を出していますが、サクラは結果を出さず命令違反。
忍者(軍隊、軍事力)でそれはないでしょうよ。
本当に何がしたくて忍者をしているのか……。

いのの場合は、山中家で、特殊な忍術を受け継いだため、逃げられなかったんでしょうね。
それは日向家の嫡子だったヒナタも同じです。
サクラの場合は親が中忍だったそうですが、それも映画で明らかになったことで
原作では曖昧。
なんのために忍者やってるのか全く不明なんですよ。
辛い修行や人殺しや破壊活動や泥棒をしたくないなら、十分逃げられる立ち位置なのに
なんでわざわざ命のやりとりする戦場に出しゃばってきてるの?



そこでサスケの存在が出てきますが、
サスケといつどこで知り合って、なんで好きになったのか
全然描かれていない。
カリンの方がまだわかる(命の恩人)。

まあそのへん、アニメで出てきたそうですが、
NARUTOのアニメは、特定のキャラのsage方がひどいし、私は声が合わないと思っているので、
ほとんど見ていません。
そもそも、そういう大事なところをアニメにぶん投げているのを見ると
作者はサスケとサクラに対して愛があるのかと思ってしまいます。
そういう、作者というか原作サイドのやる気のなさを見ると

サクラはなんでサスケを好きということにされているのか意味が不明。

サスケはサクラが好きなように最後まで見えなかったし、
サクラがサスケに執着する理由がさっぱり分からなくて

結局、顔と血統か?? と思っているのですが、
それってサスケにとってはふざけるなって話だよなあとも思う。
うちはの血筋に生まれて、サスケにとって良かったことってあったの?

しかも、初期段階で、サクラは日向一族の名門っぷりを知らなかった事が出ている。
日向の点穴も何も知らないが、うちはの血まみれも知らないが
エリート血統だから好き!!ってこと?

原作だけ見ていると、その可能性すら出てくるんですよね。

そういうことを見ていて、原作に深いサスサクの土台とかサスサク愛とかあるように見えないし、
それは放置が激しすぎるナルヒナもそうだったんだけどね。

いずれ、サクラがサスケを好きという感情に共感できるところはまるでなく、
ちっとも感動しませんでした。
どのへんに? っていつも思ってましたね。

でも、原作はなぜかサクラはサスケが好き、すべての動機は男ということで引っ張りたがるんですよ。

それで、
逆に、すっかりなえてしまったんですよね。

やっぱりヒロインは好きでいたほうが気を楽にして応援できるから
好きになりたかったんだけど
こんなキャラたてを1からなめ切っている、動悸も方向性も背景も不明で
ひっきりなしに男の事ばかり気にしているキャラを応援しろ、好きになれ、燃えろ、
共感しろ、感動しろ、これぞ女の中の女だろ!!というようにやられても

まず、なんで忍者やってるのかはっきりさせて、原作の中で。

って思ってました。

忍者漫画になんで忍者やっているのかわけがわらんヒロインがいたから
何それ、って思ったんですよ。

そうしたら、ヒロインたたきで嫉妬!!ってメールもらったんだけど…。


19:30追記

こう書いたところ、忍びの掟について、サクラは波の国編で泣きながら抵抗しているとか
カカシの父サクモの例などをあげられましたが、

戦場でギャン泣きするなとは言いませんが
ギャン泣きしているだけで棒立ちしてるか誰かと逃げてるかだけじゃ
君は何をしに波の国編に来たのか、
汗水垂らして働くクライアントの前で万歳しながらあくびしに?? 
波の国編に任務でいって、サクラが出した結果ってなんなんでしょう。

命令違反をしたり掟に背いたりする事によって、具体的な依頼や仲間への
実入りがあるんならいいんですけど、命令違反をしていて、任務がポシャったり
周りが大激怒するぐらいの奇行になっていたら、読む方としても苦痛なんですよ。
第二部でもサクラはサスケ暗殺に向かって任務をグチャグチャにしてネジに大激怒されていますよね。
一部の頃からそうだったんです。
一部のギャン泣きで、私情有線で私は行くわ!! と決意して
同期で決めた暗殺に自分から乗り込んでいって、自分のやりたい放題で、任務ポシャらせて
ネジに恥かかせただけじゃん。
(私が思うに、同期の独断専行にならないように、ネジが上忍衆に暗殺任務の件を取り付けたんだと
思います。それで帰ってきたところでネジがあれだけ怒っている、そこでいったサクラの台詞
「マダラもいたし!!!」←カカシにみんなに謝っとけといわれた後)

サクモの件は確かに不憫ですが
それは、どういう状況でどういうふうに仲間を救ったのか原作においてかかれていないので
どこまで判断していいのかわかりません。
ですが、仲間を救って中傷されて、命を救われた仲間までが怒ったというような救い方?
となると、よっぽど周りが納得いかない、変な救い方だったんじゃないかと思いますが、
そこがどういう事件だったかわからないため、何ともいいようがないです。

ルール先行といわれたようですが、
ルールよりも大切なもんがあるというのはわかりますが

そのルールより大切なものを、サクラはどうしたいのかどうしてるのか
どんな結果を出してるのかということですよ。
こしつ
今ちょっと、藤堂志津子先生の著作だったと思うんだけど
「個室」について書かれた小説について、探しています。

藤堂志津子先生のエッセーは、結構読んでいる方に入ると思うのですが、
その著作の中で、藤堂先生は離婚の理由を「私は徹底的に個室が欲しい人間だったから」と
述べているんですね。

自分の部屋にいないと落ち着けない人間だったため、
離婚したのだと。
嫁が自分の部屋を持っているぐらい、何でもない。余裕のある男だったら
それぐらい簡単に許すだろうと言ったところで
来る日も来る日も嫁は、必ず自分の部屋で寝る。
とか、他のどんな時も
自分の傍らにいないで自分の部屋にいる、というのを許せる男はなかなかいない、と
藤堂先生は話しておられるんですね。
しかも、自分はホテルの部屋は必ずダブルじゃなくツインだとか
そういう話も、エッセーでスラララ~っと書いてらっしゃいます。

その藤堂先生が
個室にこだわる女性について
そして、妻や妻の近辺ではなく個室に嫉妬し
嫉妬妄想を抱く男性について、90年代に小説を書き下ろしたんですよ。
それ、読売だったか何かの新聞の広告で読んで
早速読もうと思ったのですが

当時大学受験のまっただ中で余裕がなく。

受験を自力で合格した後、うっかり忘れて今まで読まないで来たのですが。

私が期待する話は、

夫は、嫁の行動を最初不可解に思う。
そして、嫁は、個室(自分の部屋)の中で何をしているんだろうと想像すると思うんですね。
そして次第にそれを妬ましく思う、その嫉妬妄想の中には
夫の様々なコンプレックスや来歴が反映する、女性観が反映されるに違いないと
思っていたんです。
そして、その生々しい男の女に対する優越感と劣等感に対して
嫁が個室にいたがるのは、単純に、「ひとりの方が落ち着くから」で
他になーんの理由もなかったりする。
嫁は、夫に対して優越感も劣等感も何も感じていない
ラストにそれがわかって女性観がゲシュタルト崩壊する夫。
その夫を見て、「私なんで結婚したんだっけ……?」になる嫁。

というようなストーリーを瞬間的に妄想し
今それを凄く読みたいのですが、

恐らくこれかな……? と思った本が

風の部屋
https://www.amazon.co.jp/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B-%E8%97%A4%E5%A0%82-%E5%BF%97%E6%B4%A5%E5%AD%90/dp/4048731386

これなんだけど、なんか違う……。
年も違う……。

何だろう。藤堂志津子先生の話なんじゃないんだったっけ?

で、なんでそれが必要なのかといいますとですね。

知り合いに、
「クオリアと心的現実って何が違うの?」と聞かれてしまい、
それぞれ検索してくれと言ったのですが
検索しても分からない、と言うので、説明しようとしたら
私も訳わからなくなってしまって。

何が言いたいかというと、

心的現実(AI)
→「心的現実」とは、客観的な事実とは異なっていても、個人が「それが本当に起きたことだ」と心から信じている主観的な現実のことです。これは、個人の内面的な経験、感情、思考によって形成される現実であり、たとえ客観的な証拠がなくても、本人にとっては物的現実と変わらないほど現実味を帯びたものとなります。
特徴
主観性: 心的現実は、個人の内面世界に深く根ざした主観的なもので、他者から見ると幻想や空想としか思えないこともあります。
体験の再構成: 過去の体験や記憶などが、個人的なプロセス(融合、排除、加工など)を経て再構成されたものであり、同じ出来事でも人によって異なる心的現実が形成されます。
治療的な価値: 心理療法などでは、本人が心的現実と向き合い、それによって引き起こされる問題に対処する際に、心的現実のほうを重視することがあります。これは、本人が「それは起こった」と信じている以上、その背景にある経験や感情を尊重することが重要だからです。
客観的現実との違い
客観的現実: 誰の目にも客観的に存在する、事実として確定できる現実です。
心的現実: 主観的な体験や感情に裏打ちされた現実です。
例: 裁判の証言では客観的事実が重視されますが、裁判で確定された事実と、本人が心の底から信じている心的現実が一致しない場合があるのは、両者の違いによるものです。

この場合は、
嫁の個室に何があるんだろうとずっと悩んでいるうちに
妙な妄想に囚われた夫の現実認識が歪んでいるとかそういうことを言いたかったらしいのですが

そもそもそんな本が存在したかどうか分からない状態の私にとっては
「その藤堂志津子先生の本は実在したのでしょうか。あなたの妄想(心的現実)が産んだものではないでしょうか」
という状態になってしまい、

それでは心的現実というものから離れて人は現実を認識出来るんだろうかとか
そういう変な考えが飛来して、今正直言って、

唯識論のおさらいでもしてーのかおめーはと、自分を罵っている状況です。

自分の考えとか探究心にこしつするのは、ほどほどにしたほうがいいでしょうね。

今月も今週も始まりましたね。
宜しくお願いします……。
養子モノが多い訳
こんばんは。

ちょっと親戚に、サイトまわりを見て貰ったところ
概ね嬉しい感想をいただきました。
そのときに「なんで、ぼっちだったり養子だったりする子が多いの?」と言われて
そういえば話した事がなかったなと思いました。

私のサイトを見に来る方々が、何歳ぐらいかというと
自分と同い年ぐらいもいるだろうけど
ライトノベルを読みたがる年齢を想定しています。

ライトノベルの主なターゲットが、今は何歳ぐらいなのかという問題もありますが
私は大体

・赤毛のアンやジェーンエアを読んで準備運動する年頃
(大体そういうタイプ)

を想定しているんですね。

で、そういう人達が
親とか、家族とか、仲間とかと一回距離が出来た後
その後の人間関係を構築する物語というのを考えながら書いています。

私自身、
赤毛のアンやジェーンエアやファウストや若草物語やその他諸々
そういう健康な名著に触れて、何とかやり過ごしてきた人生でしたので。

そういうことを、自己投影というかどうかはわかりませんけども。

そういう意味で、養子だったりぼっちだったりが多いんです。

いつも読んでいただきありがとうございます。

- CafeLog -