こしつ
今ちょっと、藤堂志津子先生の著作だったと思うんだけど
「個室」について書かれた小説について、探しています。
藤堂志津子先生のエッセーは、結構読んでいる方に入ると思うのですが、
その著作の中で、藤堂先生は離婚の理由を「私は徹底的に個室が欲しい人間だったから」と
述べているんですね。
自分の部屋にいないと落ち着けない人間だったため、
離婚したのだと。
嫁が自分の部屋を持っているぐらい、何でもない。余裕のある男だったら
それぐらい簡単に許すだろうと言ったところで
来る日も来る日も嫁は、必ず自分の部屋で寝る。
とか、他のどんな時も
自分の傍らにいないで自分の部屋にいる、というのを許せる男はなかなかいない、と
藤堂先生は話しておられるんですね。
しかも、自分はホテルの部屋は必ずダブルじゃなくツインだとか
そういう話も、エッセーでスラララ~っと書いてらっしゃいます。
その藤堂先生が
個室にこだわる女性について
そして、妻や妻の近辺ではなく個室に嫉妬し
嫉妬妄想を抱く男性について、90年代に小説を書き下ろしたんですよ。
それ、読売だったか何かの新聞の広告で読んで
早速読もうと思ったのですが
当時大学受験のまっただ中で余裕がなく。
受験を自力で合格した後、うっかり忘れて今まで読まないで来たのですが。
私が期待する話は、
夫は、嫁の行動を最初不可解に思う。
そして、嫁は、個室(自分の部屋)の中で何をしているんだろうと想像すると思うんですね。
そして次第にそれを妬ましく思う、その嫉妬妄想の中には
夫の様々なコンプレックスや来歴が反映する、女性観が反映されるに違いないと
思っていたんです。
そして、その生々しい男の女に対する優越感と劣等感に対して
嫁が個室にいたがるのは、単純に、「ひとりの方が落ち着くから」で
他になーんの理由もなかったりする。
嫁は、夫に対して優越感も劣等感も何も感じていない
ラストにそれがわかって女性観がゲシュタルト崩壊する夫。
その夫を見て、「私なんで結婚したんだっけ……?」になる嫁。
というようなストーリーを瞬間的に妄想し
今それを凄く読みたいのですが、
恐らくこれかな……? と思った本が
風の部屋
https://www.amazon.co.jp/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B-%E8%97%A4%E5%A0%82-%E5%BF%97%E6%B4%A5%E5%AD%90/dp/4048731386
これなんだけど、なんか違う……。
年も違う……。
何だろう。藤堂志津子先生の話なんじゃないんだったっけ?
で、なんでそれが必要なのかといいますとですね。
知り合いに、
「クオリアと心的現実って何が違うの?」と聞かれてしまい、
それぞれ検索してくれと言ったのですが
検索しても分からない、と言うので、説明しようとしたら
私も訳わからなくなってしまって。
何が言いたいかというと、
心的現実(AI)
→「心的現実」とは、客観的な事実とは異なっていても、個人が「それが本当に起きたことだ」と心から信じている主観的な現実のことです。これは、個人の内面的な経験、感情、思考によって形成される現実であり、たとえ客観的な証拠がなくても、本人にとっては物的現実と変わらないほど現実味を帯びたものとなります。
特徴
主観性: 心的現実は、個人の内面世界に深く根ざした主観的なもので、他者から見ると幻想や空想としか思えないこともあります。
体験の再構成: 過去の体験や記憶などが、個人的なプロセス(融合、排除、加工など)を経て再構成されたものであり、同じ出来事でも人によって異なる心的現実が形成されます。
治療的な価値: 心理療法などでは、本人が心的現実と向き合い、それによって引き起こされる問題に対処する際に、心的現実のほうを重視することがあります。これは、本人が「それは起こった」と信じている以上、その背景にある経験や感情を尊重することが重要だからです。
客観的現実との違い
客観的現実: 誰の目にも客観的に存在する、事実として確定できる現実です。
心的現実: 主観的な体験や感情に裏打ちされた現実です。
例: 裁判の証言では客観的事実が重視されますが、裁判で確定された事実と、本人が心の底から信じている心的現実が一致しない場合があるのは、両者の違いによるものです。
この場合は、
嫁の個室に何があるんだろうとずっと悩んでいるうちに
妙な妄想に囚われた夫の現実認識が歪んでいるとかそういうことを言いたかったらしいのですが
そもそもそんな本が存在したかどうか分からない状態の私にとっては
「その藤堂志津子先生の本は実在したのでしょうか。あなたの妄想(心的現実)が産んだものではないでしょうか」
という状態になってしまい、
それでは心的現実というものから離れて人は現実を認識出来るんだろうかとか
そういう変な考えが飛来して、今正直言って、
唯識論のおさらいでもしてーのかおめーはと、自分を罵っている状況です。
自分の考えとか探究心にこしつするのは、ほどほどにしたほうがいいでしょうね。
今月も今週も始まりましたね。
宜しくお願いします……。
「個室」について書かれた小説について、探しています。
藤堂志津子先生のエッセーは、結構読んでいる方に入ると思うのですが、
その著作の中で、藤堂先生は離婚の理由を「私は徹底的に個室が欲しい人間だったから」と
述べているんですね。
自分の部屋にいないと落ち着けない人間だったため、
離婚したのだと。
嫁が自分の部屋を持っているぐらい、何でもない。余裕のある男だったら
それぐらい簡単に許すだろうと言ったところで
来る日も来る日も嫁は、必ず自分の部屋で寝る。
とか、他のどんな時も
自分の傍らにいないで自分の部屋にいる、というのを許せる男はなかなかいない、と
藤堂先生は話しておられるんですね。
しかも、自分はホテルの部屋は必ずダブルじゃなくツインだとか
そういう話も、エッセーでスラララ~っと書いてらっしゃいます。
その藤堂先生が
個室にこだわる女性について
そして、妻や妻の近辺ではなく個室に嫉妬し
嫉妬妄想を抱く男性について、90年代に小説を書き下ろしたんですよ。
それ、読売だったか何かの新聞の広告で読んで
早速読もうと思ったのですが
当時大学受験のまっただ中で余裕がなく。
受験を自力で合格した後、うっかり忘れて今まで読まないで来たのですが。
私が期待する話は、
夫は、嫁の行動を最初不可解に思う。
そして、嫁は、個室(自分の部屋)の中で何をしているんだろうと想像すると思うんですね。
そして次第にそれを妬ましく思う、その嫉妬妄想の中には
夫の様々なコンプレックスや来歴が反映する、女性観が反映されるに違いないと
思っていたんです。
そして、その生々しい男の女に対する優越感と劣等感に対して
嫁が個室にいたがるのは、単純に、「ひとりの方が落ち着くから」で
他になーんの理由もなかったりする。
嫁は、夫に対して優越感も劣等感も何も感じていない
ラストにそれがわかって女性観がゲシュタルト崩壊する夫。
その夫を見て、「私なんで結婚したんだっけ……?」になる嫁。
というようなストーリーを瞬間的に妄想し
今それを凄く読みたいのですが、
恐らくこれかな……? と思った本が
風の部屋
https://www.amazon.co.jp/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B-%E8%97%A4%E5%A0%82-%E5%BF%97%E6%B4%A5%E5%AD%90/dp/4048731386
これなんだけど、なんか違う……。
年も違う……。
何だろう。藤堂志津子先生の話なんじゃないんだったっけ?
で、なんでそれが必要なのかといいますとですね。
知り合いに、
「クオリアと心的現実って何が違うの?」と聞かれてしまい、
それぞれ検索してくれと言ったのですが
検索しても分からない、と言うので、説明しようとしたら
私も訳わからなくなってしまって。
何が言いたいかというと、
心的現実(AI)
→「心的現実」とは、客観的な事実とは異なっていても、個人が「それが本当に起きたことだ」と心から信じている主観的な現実のことです。これは、個人の内面的な経験、感情、思考によって形成される現実であり、たとえ客観的な証拠がなくても、本人にとっては物的現実と変わらないほど現実味を帯びたものとなります。
特徴
主観性: 心的現実は、個人の内面世界に深く根ざした主観的なもので、他者から見ると幻想や空想としか思えないこともあります。
体験の再構成: 過去の体験や記憶などが、個人的なプロセス(融合、排除、加工など)を経て再構成されたものであり、同じ出来事でも人によって異なる心的現実が形成されます。
治療的な価値: 心理療法などでは、本人が心的現実と向き合い、それによって引き起こされる問題に対処する際に、心的現実のほうを重視することがあります。これは、本人が「それは起こった」と信じている以上、その背景にある経験や感情を尊重することが重要だからです。
客観的現実との違い
客観的現実: 誰の目にも客観的に存在する、事実として確定できる現実です。
心的現実: 主観的な体験や感情に裏打ちされた現実です。
例: 裁判の証言では客観的事実が重視されますが、裁判で確定された事実と、本人が心の底から信じている心的現実が一致しない場合があるのは、両者の違いによるものです。
この場合は、
嫁の個室に何があるんだろうとずっと悩んでいるうちに
妙な妄想に囚われた夫の現実認識が歪んでいるとかそういうことを言いたかったらしいのですが
そもそもそんな本が存在したかどうか分からない状態の私にとっては
「その藤堂志津子先生の本は実在したのでしょうか。あなたの妄想(心的現実)が産んだものではないでしょうか」
という状態になってしまい、
それでは心的現実というものから離れて人は現実を認識出来るんだろうかとか
そういう変な考えが飛来して、今正直言って、
唯識論のおさらいでもしてーのかおめーはと、自分を罵っている状況です。
自分の考えとか探究心にこしつするのは、ほどほどにしたほうがいいでしょうね。
今月も今週も始まりましたね。
宜しくお願いします……。
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