今、ここに生きる星

 部屋から出られなくなったのは、言い過ぎだったかもしれない。
 だが、姉は、私にスマホを突きつけられた日から、大学を休むようになった。体の調子が悪いようだった。次第に部屋から出なくなり、家事も前ほどこまめにはしなくなった。

 そこから、家庭崩壊が始まった。

 父と一心同体で戦うように働いてきた母は、このときも、父の秘書として、常に朝から晩まで家にいなかった。
 同業他社で仕事を「教えて貰っている」兄も同様。

 母が言った事は何も大げさでも何でもなかったのだ。
 友原家は、「姉」という留め金で動いていたのだ。姉が、家事を回し、私の面倒を見て、兄や両親を立てながらうまく回している家だったのだ。
 その姉が、私からこれ以上ないダメージを受けて、動けなくなった。

 単位はぎりぎり取っているようだったが、それだっていつまで続くかわからない。ここで大学で隙を見せちゃいけないことは、姉が一番分かっている事だろう。それでも、大学に行く気力も体力も続かない。そういう状態だったらしい。

 それは、私も同じだった。高校受験という、生まれて初めての洗礼を受けている最中に、こういう騒ぎが起きてしまって。だけど、私は炎上のせいにしたくなかった。何とかして志望校、姉と同じ高校に入ろうとして、ランクを落としたりはしなかった。
 焼け付くような視線やガン無視の冷たい扱いを浮けながら、私は中学に通った。授業中は授業を聞く事にだけ専念しようと頑張った。
 勿論、針の筵だった。先生でさえが、私を見かけると顔を背けた。

 その中で、私は、「ここでは性的な話題は禁止」と>>1に書いている、「友原製薬を見守るスレッド」という新しいスレッドを見つけた。>>1の言い分は、友原製薬を叩く人達は、公正や中立と名乗っていても、過剰な叩きをすることがある、無論、友原製薬が偽薬を販売したのはよくないが……と言う論調を簡潔に>>2以降にまとめていた。子どもは出て行けとも書いていなかった。

 父や母に確認したし、まとめサイトも冷静なところは回ってみたが、友原製薬は偽薬は販売していない。たまたま、ダイエットサプリを飲んだ客が痩せないと言ってクレームをつけただけだ。
 私は初めて、そのスレッドにそのことを書き込む事ができた。書いた時は、スマホの上で何度も指がつったように動かなくなったが、何とかレスを送信した。

 そのレスにはレスがついた。いくつか。
 偽薬だろうと切れている人もいれば、その話も聞いた事があると受け止めてくれる人もいた。

 >>1は見ているか見ていないか分からなかったけど、常駐と呼ばれる人がいて、その人がスレの中でトラブルが起こるとうまくまとめてくれていた。それで、私は、少しずつ知っている事を書く事ができた。両親は汚い事なんかしていない、姉は裏口入学なんかしていない。証拠でもあるの? と。みんな、証言を聞いたとか言っているけれど、一次情報に触った人が何人いるの? 想像しただけじゃないの?

 恐くて、一気に書く事はできなかった。だけど、毎日1レスぐらい、ちょっとずつ書いて行った。書きためとかの知識は、まだなかった。
 それで怒られた事もあったけど、私は、声を一生懸命出せば、「聞いてくれる大人はいる」ということを知った。祭と言われる炎上の中で、私が知ったかぶりできることがあるとしたら、世の中捨てたものじゃないと言える事があるとしたら、あのスレッドだけだと思う。

 何度も、何度も、友原製薬はネットに叩かれ、テレビに叩かれ、ズタボロになっていった。その中で起こった戦いの事は、私も覚えている。中学生に戦える事なんてあるかよ、って言われるだろうけど。私は「友原製薬を見守るスレッド vol13」になるまでは、そこにいた。そこで中学生なりに情報を集めて、考えた事ではなく知ってる事を書き続けた。
 両親も、兄姉も、普通の日本人だということを、訴えた。

 その状態で、私は、姉と同じ高校を受験した。
 手応えはあったけど、私立高校は勿論落ちた。
 そして、滑り止めの公立高校に合格した。
 公立高校は一番近所の通いやすいところで、普通科だ。

 そのときも、ネット上で戦いがあった。私の実名は既にバレていた。変なあだ名もつけられていた。それなのに、公立高校は合格者の表に貼りだしたのだった。それで、バレた。公立高校は私を合格させたことで、当然のように、「裏口入学だ!」「献金だ!」そうでなければ私が女の子なので性的な話題で叩かれた。
 勿論全てが、想像のでっち上げである。

 ただでさえ、私のネット上のイメージは大変なことになっていた。
 私が陸上部で真面目に走ってランキングに入っている事など、あっという間にもみ消され、私は、言うなれば救いようのない”レディース”のようなキャラにされて、そのキャラだけが一人歩きしていた。そして炎上の民は、その架空の私と戦っていた。

 だけどいずれ、それは”友原のゆり”という名前を持っているんだけど……。

 私は、公立高校を辞退しようかと考えた。
 それほどに、叩きは酷かった。公立高校は”空気読めない”と言って、連日叩きに叩かれた。私は、公立高校に迷惑はかけられないと思い、色々調べて準備して、親にも、姉にも黙って電話をかけた。
 隣の部屋の姉に気を遣い、居間に降りていってそこで小声で電話した。
「すみません、友原です……」
 そんなふうにスマホを噛むような声を立てた後、声が続かなかった。
 高校入学、辞退したいんですけど。
 そう言おうと思ったけれど、喉が凍り付いたように痛い。

「友原さんね、友原……のゆりさん?」
「はい、あの、私……」
 妙な間がまた訪れた。辞退したいんです。そういおうとした、だけどその瞬間に先回りをされた。
「馬鹿なことを考えるんじゃないよ!」
 その大人が、誰なのか、わからないけど。名前も知らないけど、私はいきなり怒鳴られていた。どうやら、私の気配で、入学を辞退しようとした事に勘づかれたらしい。

「いいから、高校に来なさい。高校は、出なさい! ここにあなたの居場所があります。戦う方法だって、ある。戦う方法を教えてあげる、だから高校に来なさい!」

 誰だったんだろう。あの大人は。
 私は、スマホを切っていた。そして、居間で泣いた。大声を立てて、それこそ小さい子どものように泣いた。姉が部屋から出てきた。久々に会う姉だった。凄くやつれていた。その姉に飛びついて、今あった出来事を話した。
 姉も泣いた。二人で泣いた。優しいこと、優しくされたことがこんなに辛いなんて、どういうことだろう。訳がわからなくて泣いた。
 恐いのだ。それでも、高校に行くのは恐いのだ。
 みいちゃんのいる中学校だって、あんなに恐いのに……。

 すすり泣きながら二人で話していると、兄が帰宅した。兄にも、公立高校の話をした。兄は黙って自分の部屋に入っていった。後で、姉から聞いたら、兄は部屋でお酒を飲みながら、泣いていたんだそうだ。兄が泣いたなんて、初めて聞いた。

 それから、あっという間に月日は流れていった。

 その次の日曜の昼だったと思う。
 何故か客間で、父と兄が話していた。
「もしも、裏切られたら……」
「誰だって、裏切りたくなんてないんだ。本当は……」

 そんな会話が、通りすがった私に聞こえた。
 何の話かは分からない。だが、父が熱をこめて、兄に話している様子は分かった。

 それが何の話だったか分かったのは、その日の夜の事だった。
 父が、決定した事があった。

 世間に、潔白の遺書をしたためて、家族でこの世からおいとまする--。

 そういう理由で、私達は、その翌週の土日にかけて、父と母の指示に従い、ガス自殺を行った。ガス自殺の仕方は、ネットを調べればいくらでも、書いてあるし。

 土曜の夜に、久しぶりに家族全員でご飯を食べた。
 父も母も最後まで私の事を気遣ってくれて、私の好物のお寿司を取ってくれた。
 そして皆で陽気に楽しく過ごした。
 私はスレッドに、最後の書き込みを行おうとした。涙があふれてできなかった。色々な事があったけれど、みんな優しい人達だった。

「お姉ちゃん、ご飯」
「ほら、のゆり。お寿司のお皿を並べて」
 お姉ちゃん。姉。のばらお姉ちゃんは、最後まで私にお母さんみたいに接していた。
 私はお寿司パーティが終わった後、お姉ちゃんと手を繋いで横になった。

 お父さんがネットで調べた手順に従って、ガス栓を開けた。

 苦しかった。死ぬほど苦しかった。
 私は苦しんで、死んだのだ。死にかけながら、やっぱりちょっとは思った。

(高校、行ってみたかったな……)


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