征士も悪奴弥守も朝は早い方だ。
征士は朝の五時起きが普通だったし、悪奴弥守も、六時前には起きる。
だがその日は珍しく、七時近くまで布団の中に入っていた。
昨夜、激しく攻め立てられた悪奴弥守が、腰に力が入らなくてなかなか起きられず、征士は同じく布団の中に入ったまま彼をかまっていたのである。
かといって、ずっとそうしている訳にもいかない。
人間界の時刻になおして七時前後、二人は意を決して起きる事にして、ようやく布団から這い出てきた。
征士も悪奴弥守も、服装の乱れを直して顔を洗い、台所にある食糧をチェックしようとした。
そのとき。
玄関の引き戸が鳴った。
何回も。
「?」
征士と悪奴弥守は顔を見合わせる。
征士は昨日、転生してきた身の上で、妖邪界に身内はいない。
悪奴弥守や、那唖挫のような魔将、もしくは迦遊羅ならともかく。
「……那唖挫か誰かに、私の住所を伝えたのか?」
征士は悪奴弥守にそう尋ねた。
そうでなければ、この朝に、人が訪れてくるはずがないのだ。
「待て。闇神殿から、俺に使いが来たのかもしれない。俺が出る」
ベタに考えればそうだろう。悪奴弥守を迎えに来た妖邪兵の誰かだ。
悪奴弥守はてっきりそう思い込んで玄関に向かった。そのとき、”気”を研ぎ澄ませて相手を誰何しようとしなかったのは、全く、気が緩んでいたとしか言えない。
そういうわけで、悪奴弥守は玄関の木造の引き戸を勢いよく開けた。
「誰だ、俺ならすぐかえ……」
「征士ーッ!!」
俺ならすぐ闇神殿に帰る、と言おうとした悪奴弥守は、「征士」と呼ばれて物凄い勢いでタックルを受けた。
否、タックルではない。両手を広げて飛びかかるあの技は、何と言ったのだったか。
何がなんだか分からないが、引き戸を開けた瞬間、いきなり飛びつかれたため、悪奴弥守は返事をすることも出来ず、そのまま後ろにひっくり返った。
出会い頭に悪奴弥守に飛びかかって両腕で押さえ込むようにして押し倒した相手は、「征士」と叫んだ以上、当然ながら天空のトウマだった。ちなみにアンダーギア姿だった。
咄嗟に受け身を取って脳に直撃は避けたものの、悪奴弥守はしばらく無言だった。
「当麻!?」
厨房から顔を出した征士は相棒の名を叫んだ。
征士の方は紺の着物姿である。
悪奴弥守は鉄黒色の着物。
一方、当麻は青いアンダーギア。
「せ、征士!? 何でそこにいる!?」
「なんでと言われても……」
「じゃ、こっちは……こっちは、えーと?」
征士と叫んで飛びかかって押し倒した相手は誰なのかと、至近距離から顔を確かめる当麻。
当然ながら悪奴弥守である。
悪奴弥守は、頭を軽く打ったため、痛そうな顔をしながら当麻を見上げている。
「悪奴弥守!? 何で悪奴弥守がここに!?」
……考えて見れば征士の長屋なんだから。
征士が出てくると思うのは普通のはずだが、何故、ここに当麻がいるのか?
「天空。俺は妖邪界の闇魔将で、ここは闇神殿管轄の長屋だ。俺がいてはおかしいか?」
微妙にオカシイが、押し倒されてカチンときている悪奴弥守はそう答えた。
「え、……だって、征士の気配がこっちからしたから、てっきり征士だと思って……」
「宝珠か?」
そこでかなりの天然色のある征士がそう口を挟んだ。
「鎧の宝珠、智の宝珠の力で、私を追いかけたのか? 当麻。まさか、お前まで死んだ訳ではあるまい」
征士は何故か、当麻は死なないと確信しているような口調でそう言った。
当麻は、大きく首を左右に振って起き上がった。
「その通り、俺は簡単に死にはしない。ついでにいうなら、諦めが悪いのが俺の長所だ」
自分でそう言い切った。
「俺は、征士、お前が死んだなんて納得しないし、諦めない。お前が死んだと仮定して、どこにいくかといったら、妖邪界。俺はそう推理した。そしてこの一週間、本気で手がかりを探して……」
「手がかりだと? 生身の人間が妖邪界に来る手がかり……」
「迦雄須と、朱天か!」
征士と悪奴弥守は顔を見合わせた。
かつての戦いで、迦雄須が妖邪界への架け橋を作り、朱天とナスティ、それに純が生身のまま妖邪界に来ている。
当麻は得意げに頷いた。
「そうだ。あのときの次元の亀裂は、自然修復されているが、わずかでも可能性があった。俺は新宿で、その亀裂を確認し、弾動力で強引に割って中央突破」
「ああ、わかった。お前のやりそうなことだ、当麻」
征士は頭が痛いというようにこめかみを抑えながらそう言った。
「わかってくれた!? 征士!」
ぱっと顔を明るくして、当麻は、悪奴弥守の上からどくと今度こそ征士の方に駆け寄っていき、その両手を掴んだ。
「征士、人間界に戻ろう!」
「……私は既に妖邪なのだが……」
「全然、外見も何もかも、人間とかわらないじゃないか。今なら大丈夫だ。葬式は何かの間違いだったという事にして、さっさと人間界に戻って、また二人で暮らそうぜ!」
「葬式?」
征士は流石に聞き逃さなかった。
「ああ。伊達の実家の方が、お前の葬式を……俺はもうちょっと待ってくれって言ったんだけど、こういうことはちゃんとしないとダメだっていうことで、凄い勢いで、立派な葬式を出してくれた。俺も、あんな豪勢な葬式を見たのは始めてだったんだけど」
「そんな盛大な葬式をあげてもらった後に、私が妖邪の体で人間界に戻るのか?」
征士は気が進まなそうだった。
悪奴弥守も唖然としている。葬式? ……考えて見ればそうである。妖邪界に転生してくるまでに、何日かのタイムラグがあったのだろう。
「そういえば、気にしていなかったが……今日は六月十日……つまり、私が死んだ後、十日は経っているということか?」
梅雨時で色々心配することもあって、葬式はテキパキすまされたということらしい。
当麻は突如、鼻をすすりあげた。
「お前の葬式なんて俺は考えられなかったけど、お前の家族が旧家のメンツとか何とかいって、凄い数の参列客呼んで、ハワイで結婚式あげるよりも派手な葬式やったんだよ! 号泣しながら! 俺だって泣いたさ、お前の葬式なんて嫌だったんだよ。だけど、泣きながら何が何でも仇を討つような葬式あげやがったんだ! 泣くぐらいならあんなド派手な葬式やるな!」
と征士につかみかからんばかりの形相で当麻は言った。
「私に言っても仕方ないだろう。私の葬式を私があげたわけじゃないんだから……しかし、そんな派手な……?」
微妙に頓珍漢な事を当麻も征士も言っているので、悪奴弥守は突っ込みたかったが、もう少し様子を見る事にした。
「そうだよ。それで、葬式あげられている間中悲しくて口惜しくて、絶対征士を取り戻すって俺誓ったんだ。何か手がかりがあるはずだって!」
「葬式の最中に……死んだら元も子もないのに……」
「いや、そう思うかもしれないけど、俺、征士がいない人生なんて考えられないし! 葬式なんて拒否したかったし、だから拒否した事にして、お前を探したんだって。そして見つかった。もう何も言う事はない、征士、人間界に戻って」
それから、当麻は、深呼吸をして、深い青の瞳で征士を真正面から凝視し、不敵な笑みに表情を変えるとはっきりとした声音で言った。
「今度こそ本当のパートナーになろうぜ。俺たち渋谷に住んでるんだし」
と、言う訳で、2015年5月31日に亡くなった伊達征士は、妖邪界において、6月10日に、死後、羽柴当麻からプロポーズを受けた。両手を握りしめられ、満面の笑みを浮かべられながら。
闇神殿の悪奴弥守の目の前で。
「前から考えていたんだよ。渋谷にパートナーシップ条例が来るんだったら、それを試さない手はないって。俺、征士と結婚式あげたいんだ」
「葬式をあげた後に言わないで欲しい」
とりあえず、征士は、そこだけ突っ込んだ。
葬式をあげられた後も、妖邪としてピンピンしていて、昨夜、悪奴弥守とやることやった征士である。
それで、翌日、人間界から追っかけてきた当麻にプロポーズされても、どうしろいうんだ。結婚しろと言うのだろうが。
「何故このタイミングで言う、当麻。……4/1に施行された法律だろう」
「そ、それはその……うづりんで……」
「うづりん?」
「いや、俺はりんうづでもいいんだけど、他に凛ちゃんが出てくれば何でもいいんだけどねッ!?」
「リン……何?」
当麻は他の二人には絶対通じない何かを呟き始め、視線を左右にさまよわせて慌てふためいた。
簡単に言うと、当麻は、ネット上と紙上でうづりんの結婚式をあげるのに忙しくて、征士へのプロポーズが遅れていたのである。
それを、どういうふうに、この融通が利かない現実主義者の二人に説明すればいいのか、当麻は激しく狼狽えた。