闇夜を、歩いている。
(ここは、どこだ……?)
一点の光も見えない闇の中、征士はあてもなく歩いている自分に気がついた。
何故、自分が、この真っ暗な闇の中にいるのかが、わからない。
直前まで、自分がどこにいて、何をしていたのか、思い出そうとした。
ぼやけてしまいそうな、眠ってしまいそうな意識を引っかき回し、征士はようやく思い出した。
自分は、ピンクの鳥妖邪と戦って、子どもを守ったのだった。
そして--。
(そうか、私は死んだのか)
ようやく征士はそのことに気がついた。
死ぬ前に、思い出したのだ。青山霊園での出来事を。
何故、あのときに限って、戦闘中に羽柴当麻の事を思い出したのだろう。そのことを、自分を見下ろしている当麻の顔を見ながら、気がついたのだった。
(私は、ここで死ぬ)
そのことに気づいた。
そして、青山霊園でやたらに当麻の事を思い出した事。
あれは、「死の予感」だったのだ。死ぬ前に、自分の人生に、誰が付き添ってくれていたのか知るために、無意識に本能が教えてくれたことなのだろう。
いつも傍らにいて、一緒に笑って一緒に泣いてくれたのは、当麻だった、そのことを、最後に教えてやらなければならないと、自分の本能が伝えてくれていたのだろう。
だが、最後まで、征士は当麻に何も言えなかった。
(当麻。一緒にいてくれて、ありがとう……)
そんなことを言ったら、当麻は余計に怒るような、そんな気がして言えなかったのだった。
最後に、彼の怒る顔を見て息を引き取るなど、最悪だ。
それで、何も言わず、何も言えず、自分は、黙って現世を辞した。
いくらかの後悔の念が、征士の中に生まれた。いくら潔く、武士として、礼の戦士として精一杯生きてきたとしても、どうしても、やり残したとか、悲しかったとか、そういうことは残るものであるらしい。
日頃、目の前の事で手一杯で生きてきたせいか、暫く征士は追憶に耽った。仲間達一人一人の顔が、まざまざとその暗闇の中に浮かぶようだった。
そして、彼の事。
闇魔将悪奴弥守。
悪奴弥守への尽きせぬ想いが、こみあがってきた。
死んだ以上、彼にはもう会えないかもしれない……。
子どもをやたらに庇ったのは、悪奴弥守の事を考えたからだった。
14歳で彼に会って以来、最も、征士の行動に影響を与えたのが悪奴弥守だった。
孝の戦士である悪奴弥守であったのなら、ここではどう振る舞うか、それを、征士は行動に移した。
その結果、今、暗闇の中を歩いている。
子どもを守り切って死んだのは、良い判断だったと考えたい。悪奴弥守も誉めてくれただろう。
征士が生き残ってくれたのならば。
だが彼も、考えても意味がない後悔だと気づくと、またゆっくりと闇の中を歩き始めた。
(ここは、どこだろう。死後の世界とは、こんなにも暗い場所なのか……? 歩いて行けば、どこか、光の当たる場所に出られるだろうか……?)
歩きながら、手探りで前に進む。
いつまでも続く暗闇。
闇の中で一人でいると、自分が、まるで悪奴弥守に触れているような、抱かれているような、奇妙な心地になってくる。ずっとここにいたいと、優しくまどろむような暗闇だった。
ふと征士は立ち止まり、闇の中に耳をすました。他に誰の気配もしないか確かめた。
誰もいない。
真っ暗闇。
それなのに--何かが違う。
「誰だ!」
ついに、征士は声を張り上げた。誰か、知っているような、知らないような、微かな息づかいがしたようだったのだ。
「誰だ。そこにいるのか?」
征士は何も見えない闇の中の一方向を見据えて声を鋭くした。
「光輪……」
相手は明らかに、光輪のセイジの名前を知っているようだった。
何十年ぶりだろう。その声を聞くのは。
最初は、征士ですらが、聞き違いかと思った。だが、そうでもないらしい。
「光輪よ……」
二度、そう呼ばれて、征士は確信した。
「迦雄須……!」
驚愕のあまり、声がうわずる。1989年の戦いで、命を落とした迦雄須が、自分の前に声だけでも現れたのだ。
考えて見ればここは死後の世界であるらしい。ならば、死んだ迦雄須がここにいるのは当たり前の話かもしれない。
「どこにいるのですか、迦雄須!」
征士はつい敬語になりながら迦雄須を探した。闇の中に、シャボン玉のような光がいくつか浮かび始めた。それが、錫杖のもたらす光であることに気がつくと、征士はそちらのほうに歩み寄った。
だが、かつての雲水の姿は見る事が出来なかった。
「今の私は、精神だけの存在だ……だが、光を表す事ぐらいは出来る……光輪の戦士であるお前と話すのに、光の輝きぐらいはあった方がいいだろう……」
「はい」
征士は、一度頷いた。
「迦雄須、私は死んだのですか? 死んだのだとしたら、ここはどこなのです? 私はこれから、どこへ向かい、何をなすべきなのでしょう?」
思わず矢継ぎ早に尋ねてしまってから、征士は口をつぐんだ。迦雄須は本来、彼の師ではあるが、突然聞かれても困るかも知れないと思ったのだ。
だが、違った。
「そうだ。光輪……お前はもう、人間界の光輪のセイジではない。その役割は一度終わった……お前はこれから違う人生を歩む」
「やはり……」
「そう。光輪のセイジよ……お前は、伊達征士としての生涯を一度終え……これから……」
極楽行きか、地獄行きか。
それまで征士は死後の事は深く考えた事はなかった。自分の人生、今、やるべきことを考え抜く事で精一杯で。
だから、本当に、気がつかなかったのだった。
迦雄須がそれを言い出すまで。
「妖邪になる」
「……はい?」
尊敬する師に対して話を聞いていた征士だったが、いきなり素っ頓狂な事を聞いたと思って素っ頓狂な声を立てた。
何の話だ。
ふざけているのか。
「光輪よ。お前はこれから、妖邪界に転生する。妖邪界で、次になすべき修行をなしとげて、より良き生を送るのだ。ここは、人間界から妖邪界へ転生する一本道だ。あと、一刻も経てば、お前は妖邪となる」
「わ、私が、妖邪……!?」
つい先ほどまで戦っていた、少年や幼女まで襲って、虐めて怨念を育てて殺して食べてしまうというような、とんでもないバケモノに、自分がなる!!
全く考えられない事態だった。
「妖邪として生まれ、妖邪として戦い、妖邪として生きるのだ、光輪よ……」
「なんでそうなるんですか!」
それでも礼節を持った方に入るのだろうか。征士は大きな声でそう尋ねた。
すると、迦雄須の精神体は、シャボン玉のような光を揺らめかせ、しばらく考えているようだった。
「人間界と妖邪界は表裏一体……それを説いた事はなかったかもしれないな……」
「表裏一体?」
「即ち、人間と妖邪も表裏一体。人間の裏は妖邪、妖邪の表は人間なのだ……そのため、妖邪との戦いはきりがない……だが、戦わない訳にはいかないのだ……」
人間と妖邪は表裏一体。
似たような話を聞いた事はある。
だが、妖邪とはなんなのか。征士にとって、妖邪は永遠に人間に害をなす、煩悩に満ちた怨念だった。
征士の目指す、正義と礼節の世界とは真正面から対立してくる。
その妖邪に、自分がこれからなる。
何でそうなるのかと思う。
それに、表裏一体といっても、妖邪界は現在……阿羅醐の沈んだ妖邪界は現在、人間界と交流はほとんど持たず、独自の社会形態を持つ独自の文化文明となっているはずだった。
少なくとも、妖邪帝国は、迦遊羅と四魔将の手によって統治され、人間界との交流は遮断されている。だから、征士も、滅多に思い人の悪奴弥守に会う事が出来ないのだ。
悪奴弥守と同じ妖邪になる--。
征士の本当の興味はそこに尽きた。