ハーピィ型の妖邪……征士は簡単にハーピィと呼んでいる。
仲間を失ったハーピィは、逆恨みをして、依頼人の一戸建てに襲いかかった。
依頼人の子供は長男だけではない。まだ幼い年の離れた長女もいる。まだ小学校にも上がっていない幼女だ。幼女と、母親が一緒に眠っている寝室を、ハーピィは逆恨みして襲撃した。
鋭い爪で窓を叩き割り、息子を失い悲嘆にくれて、娘の部屋で眠る母親を、まずは切り裂こうとした。母親は騒音で目を覚まし、娘を抱いて悲鳴をあげ、逃げようとした。
だが、暗闇と、慌てふためいているために、寝室のドアを上手に開ける事が出来なかったようだ。
何がどうなっているのか、依頼人である父親にも分からない。
窓の割れる音と悲鳴を聞きつけて、隣室で寝ていた父親は母親のところに駆けつけようとしたが、ドアを開ける前に……。
母親は爪に引き裂かれて床に倒れ伏し、娘の姿はなかった。
窓に飛びつくと、娘を爪に吊り下げたハーピィが、泣き叫ぶ幼女をせせら笑いながら悠々と空を飛び去っている光景が見えた。
父親は征士に連絡する前に、警察に通報した。
警察は即座に動いてくれているらしい。
出来たら征士は警察と連携を取って、娘を取り戻して欲しい--。
依頼人は母親と一緒に救急車に乗り、病院に急行しながら征士に事情を説明しているようだった。
「踏んだり蹴ったりだな!」
腐ってもIQ250。
当麻は、征士の依頼人に対する受け答えだけで事態を把握しているらしい。
「それで!? ハーピィはどっちに向かっているんだ。何が目的だ」
「目的はわからんが、最後の目撃情報が、首都高の上を飛んで晴海の方に向かっているらしい。東雲ジャンクションで目撃情報があったようだ」
「どこ情報!?」
「今、警察から流れてきた」
スマホを巧みに操作しながら征士がそう答えた。
「じゃあ、晴海だな! 何しにいくんだ妖邪め。とりあえず、娘さんを海に落っことしたりしたらただじゃおかないぞ!!」
当麻は勢いよく車のアクセルを踏み込んだ。
(……妖邪は怨念を高まらせて、それを食べてエネルギー源に変えるのが好きだ……私も冷静でいなくては。憎悪や怨念にとりつかれては、ミイラ取りがミイラになるようなものだ)
冷静に、冷静に……と一定の呼吸を腹で繰り返す征士であった。
今まで、こんな不手際をしでかした事はない。
……否。駆け出しの頃は、新人がやりそうな失敗はいくつかやったが、ここまで酷い失敗をした事はなかった。
だからこそ、依頼人の娘だけは無事に親元に帰したいし、ハーピィは全て討ち取らなくてはならない。
醜い感情がこみあがってきそうになるのを打ち消して、複式呼吸を繰り返し、征士はマインドフルネスの状態に自分を持っていった。
当麻の運転で自動車は首都高に乗った。当麻は、ろくに地図も見ずにバンバンと車を飛ばしていく。話を聞いていて、彼も冷静でいようと勤めてはいるのだろうが、依頼人の娘の事が気になり急ぐ気持ちは抑えられないようだ。
幼女の安否を心配して急ぐ二人は、やがて、警官隊が包囲網を広げようとする首都高の上、ハーピィに追いついた。
征士がハーピィと呼ぶのは、チェリーピンクの羽毛に覆われた下半身と、やはりピンクの髪をした女性の上半身を持つ巨体の妖邪だ。
警官隊は大きな盾を持っている者が前に出て、何人かは発砲しようとしているようだ。だが、頭上では爪に吊り下げられた幼女が泣き叫んでいる。
万が一、幼女に当たったり、ハーピィが幼女を地べたに落としたりしたらたまったものではない。
当麻が警官隊のすぐ後ろに自動車を乗りつけ、征士とともに車から飛び降りた。
「どうなっています!?」
征士の顔を見て、警官隊は顔を歪めて冷や汗を拭った。
「あなたは高名な退魔師の……! いや、どうもこうも、見ての通りで……!」
20年真面目に東京で退魔師をしていただけあり、征士はこういう場所では顔パスだった。征士に伴われる当麻も。
早速、征士は盾を構える警官達の方に駆け寄っていった。当麻は陣頭指揮を取っている警官の側に行き、状況をもう一度問いただした。
「妖邪! 悪事を働くのはやめろ。子どもには何の罪もないんだ。人を傷つけ恨みと怨念を育て、なぶり殺しにするお前らは正しく救いがたい! 私が引導を渡してやる、大人しく子どもを返して妖邪界へ逝け!!」
言霊に光の力をのせて叫ぶ征士。
妖邪が悪口を大好物とするように、呪詛や妖気をおさえる効果が退魔師の使う言霊にはある。
ハーピィそっくりの妖邪は、人語を解するらしく、征士の方を振り返った。
それまではこれ見よがしに、幼女を空中で虐めていたのだ。幼女は震えながら泣いている。
(征士が言霊で、妖邪の妖気を固めて封じた。それなら俺でも……)
当麻はまだ、武装することに躊躇いがあった。若い頃はそうでもなかったが、今年で42歳ともなると、天空の鎧を周囲にひけらかすような行動を取るのは恥ずかしい。
だが、彼も今は、生身のまま真空波を撃つ事は出来る。
征士の光の言霊に対して、不快な妖気を飛ばし、気分を悪くさせ--ゲームで言うならデバフをかけようとするハーピィ。相手は征士しか敵として認識していない。そのうちに、当麻は不意打ちで真空波を使った。
鋭く研ぎ澄まされたかまいたちの刃が、幼女をいたぶるバケモノの爪を直撃する。
「ギエッ!!」
悲鳴を上げて、ハーピィは思わず子どもを爪先から手放した。
上空から忽ち落下する幼女。
すかさず征士が前に飛び出た。征士は遮二無二かまわず、幼女の落下地点に滑り込み、その両腕に子どもを無事にかき抱いた。
幼女はしゃくり上げて泣いている。
「ナイスキャッチ!」
警官隊が征士の驚くべき運動神経に喝采をあげる。
征士は臆する事なく、幼女を抱いて警官隊の位置に駆け戻ると、幼女を一人の警官に手渡した。
「安全確保してください」
「はい!」
呆気に取られたのも一瞬、ピンク色の阿呆鳥は、聞き苦しい音声をでかい口から発して、桃色の羽根をはためかせ、その場に暴風を起こし始めた。
強烈な風が警官隊や征士達の方に襲いかかってくる。
「俺にそんなものが効くかよ」
そこで当麻は自分も風を呼んだ。
邪悪な風を全てなぎ倒す勢いの、天空の鎧が作り上げる清らかな風。
刃を含んだ風と風が首都高の上でぶつかり合う。
「……凄いな」
思わず征士がそう呟くほどの勢いだった。
征士は、あまりの強風に金髪に覆われた目を庇いながら、ピンク頭の妖邪のしていることを確認する。
幼女こそ奪い返したが、まだまだ戦意は高く、周りに被害を及ぼして怨念を育てる気でいるようだ。
「武装!!」
征士はそこで武装をした。
緑色に輝く光輪の鎧を纏い、光輪剣を高く掲げる。
「雷光--斬!」
近距離に近付けないので、遠距離から雷の攻撃を放つ征士。
「ギャッ!」
雷撃に骨の髄まで響くような衝撃を受けたハーピィは、当麻を蹴散らそうとするのをいったんやめ、凄い目つきで征士を睨み付けた。
そしてそのまま、空中高くまで飛び上がっていった。
「何だーー」
当麻は、思わず顔を上げてハーピィの動きを見ようとした。
「気をつけろ当麻! 来るぞ!」
え、何が?
そう答える暇もない。
曇り空だった。夜中だが、天気が悪い。淀んだ雲が暗さを増している。
空高く飛び上がった妖邪は重力や反動を全て利用し、物凄い勢いで子どもと警官とパトカーのいる方角に突っ込んで来た。
征士が怒声をあげた。警官隊の盾が吹っ飛んだ。並んでいたパトカーが半分ひしゃげた。それほどの破壊力を持つ、妖邪の空中からのダイブ。
風の障壁を作り上げ、何とか自分の身は自分で守ったものの、当麻はピンク妖邪のけたたましい笑い声に、激怒を感じる。
ピンク妖邪は、破壊と殺戮を楽しんでいる。怨念を育てるために。