伸は、妻の芳子からのLINEを終了させて、ほっと息をついた。
妻は娘の沙耶を連れて自分の実家の墓参りに行っている。その墓の前で、親戚に自分と娘の写真を撮ってもらい、LINEで送信してきたのだ。
真っ黒に日焼けして笑っている、健康的な、中学二年生の我が娘。部活は水泳部。
その屈託のない笑顔に、救われたような気がした。
征士が死に、当麻が行方不明というこの事態の最中であっても……。
「うん。嫁が納得してくれた」
「芳子さん、いいって?」
秀が息子から顔をあげて問いかけた。
「まあね。あれでも吉川の血を引いているからね。こういうときは話が早いよ。……娘見ていてくれるって」
芳子の旧姓は吉川という。それこそ、毛利家から藤原南家に乗っ取りをしかけた吉川元春の血を引く女性だ。
そういうわけで、伸とは遠縁といえば遠縁の関係であり、学生時代から顔見知りであった。
「奥さんに任せられるのか。それなら大丈夫だな」
遼が頷いた。
「それじゃ、東京に移動しようか? 今からなら午後一の新幹線に間に合うだろう」
「そうだな」
伸が提案し、秀がそう言いかけて、子ども達の方を見た。
新幹線に乗って座っている間、大人しくじっとしていられるだろうか……?
「ナスティがいた頃は、何でも車で移動だったけど、今はすっかり交通機関に頼るようになっちゃったね」
遼が懐かしむようにそう言った。
「ナスティさん、向こうで元気でしょうか?」
中姫かなめは二十歳になってから、初めてナスティに出会った。
その時点で、ナスティは朱天と時空を挟んで遠距離恋愛状態であり、何度か相談に乗って事もあるらしい。
程なく、ナスティは、妖邪界の朱天のところに嫁入りし、もう十五年にもなる。
そのため、中姫とナスティが現代日本で交流を持っていたのは、六年程度だ。
--ナスティが安心して、朱天との事に没頭し、彼を追いかけて妖邪界に行けたのは、中姫の存在があったからかもしれない。
中姫が、トルーパーのフォローをする事が出来ると分かったから。
「ナスティなら元気でやっているよ、絶対」
秀が元気な声でそう言った。
「……」
「どうした、中姫?」
「ううん、なんでもない」
何かを思い出したような顔になった中姫に、秀がそう尋ねた。だが、中姫は何でもないように笑い、娘を自分の方に抱き寄せた。泣きぐずりをしていた娘は、疲れたのかうとうとしている。
「美麗メイリーたち、店においてくることになるよな」
秀の子ども達は、小学四年生の兄を志偉ジーウェイ、小学一年生の妹を美麗メイリーという。今日のところは、実家を取り仕切る淑芬の所に預けるしかない。
「そうね」
「淑芬シュフェンが何か言うかな」
「言わないと思うわ」
「淑芬がめんどかったら、ごめんな?」
「気にしないわよ」
淑芬とは、秀のすぐ下の妹で、彼の実家の中華飯店の経理を受け持っている。弟の克昌キーチャンと必武ビーウーは秀の片腕の料理人達、末っ子の石絹シージュアンがウエイトレスをしているのだ。
そういう家に嫁入りした中姫は、秀とともに別居して大学の仕事に打ち込む事にしているが、育児の事で秀の実家の手を借りる事はよくある。淑芬はさっぱりした気質でしっかりしているが、言いたい事は言う性格なので秀はそれを気にしたのだった。
それを小耳に挟んで、伸は、どこも大変だなぁというのが顔に出た。
すると遼が、伸の方をじっと見上げた。
「伸。結婚って、いいものか?」
「えっ……うん」
「……」
遼はそのあとも伸の方をじっと見ている。
当麻と征士は当然、独身だが、遼も独身だ。今日の集まりの中では、彼だけが結婚していなかった。
結婚して、子どもに恵まれ、恵まれたなりに苦労している仲間を見て、何か考える事でもできたらしい。
「結婚って、いいよ」
とりあえず、伸は、嫌みにならないように気を遣いながら必死に笑ってそう言った。
「うん」
すると、遼は何故か自分も嬉しそうに、安心したように笑ったのだった。
彼も、数日後には42歳の厄年だ。結婚については自分なりの価値観があるだろう。
うまくやりおおせた伸は、内心、胸をなで下ろしていた。遼の方からそんなことを聞かれたら、言葉に詰まってしまう。思春期以来、当麻ほどあけすけにすることは出来なかったものの、伸はずっと遼の事を思ってきた。それと、幼なじみで子どもを作ってくれた芳子はまるで別の問題だった。伸にとって遼は、ずっと、胸の中の一番尊い甘い感情の塊。最も大切な心そのものだった。
そのことを知らない遼は、何か一人で納得してにこやかに笑いながら、全員に対して顔をあげた。
「それじゃあ、全員で、一回東京に帰るけど……当麻の事は、俺たちで探し出す。征士の事で、当麻が傷ついている事は、みんな知っていたのに、どうすることも出来なかった。後手に回ってしまったのは、俺たちの責任だ」
中姫の腕の中で眠ってしまっている美麗に対して、志偉はきょとんとして遼達の方を見ている。わかっているのか、いないのか--将来、金剛の鎧を着るのは彼なのだ。
そのため、秀は周りの会話を聞かせているらしい。
「警察に任せるという手もあるが、当麻が、どんな研究をしてどういう結果を出しているか分からない。当麻は鎧戦士だ。警察とは常識がまるで違う。当麻の考える事を理解して、当麻のしたいことや、当麻が今何を求めているのかを、一番に受け止められるのは俺たちだと思う。だから--」
遼は、拳を握りしめた。
「当麻を探し出して、取り戻そう。当麻が何を考えているか、俺は知りたい。それに……」
遼にとって、最初の仲間、最初の友達--最初の居場所。
それが、サムライトルーパーだったことを、伸は知っている。今となっては、秀も。
遼の父は、世界的に認められたカメラマンで、その独特の作風は、誰にも真似出来ないものだった。だから、彼は、世界中、招かれればどこにでも、気が向けばどこにでも、カメラを持って写真を撮影しに行った。
結果として、遼は、年中、信濃の山奥の村に見捨てられていた。霊獣の白炎がいなければ、彼は到底、生き残る事も出来なかっただろう。彼にとって、白炎という白虎は母親だ。
放置されていた子どもだったために、十代までは精神的に不安定で、泣きやすく、切れやすかった。新宿の真ん中に、白虎を連れて出てきてしまう程度に非常識だった。
その彼を守ってあげたいと思ったのが、伸の、本当の恋心の始まりだったかもしれない。
伸は遼に居場所を作ってやりたかった。
そう。遼の最初の居場所。最初の仲間。サムライトルーパー。
その一人が、42歳にならずに亡くなって、もう一人は、何の連絡もなく行方知らずとなった。それならば--。
「あの当麻に限ってと思うが、何か事件が起こって、妖邪にでも捕らえられているのかもしれない。それならなおさら、俺たちが助け出さなきゃいけない。俺は、もう、仲間を失いたくない」
遼の声に潤むようなものは去り、ただ凜々しくきっぱりとしたものになった。
「何かあったっていうんなら、俺は仲間として、当麻を助け出して、救い出す」
それがありのままの本音だったのだろう。
征士を失った事を、遼は、思ったよりも早くに自覚して、受容することが出来た。それはとても手痛い事だった。伸はそれを知っている。
同じく、当麻を失う事など、遼には耐えきれない事なのかもしれないと、思った。
「そうだね。……遼」
遼。その名を、伸は舌の上で転がした。
自分は、当麻と征士のようにはいかなかった。
戦国の世から続く、毛利家の嫡男として、ちゃんと子をなして、常識に沿って生きていく事で、自分の心を守ろうとした。人と人の信頼の絆の中ででも、遼を守り、遼を想い続ける事は出来るはずだと、思っていた。
だが、当麻はそうはしなかった。征士もだ。--征士の本命は悪奴弥守であることを、伸は知っている。
だから、当麻が何かやったな、と予想出来たのだった。
「大人になったね、遼。なんだか僕、とても嬉しいよ」
伸は、こころの底からそう言った。子どもの頃は、泣きながら、がむしゃらに戦うしか、出来なかったくせに。