そんなふうに、遼、伸、秀が人間界で、当麻の安否を危惧していた頃。
当麻は、妖邪界の闇神殿にいた。
「……え?」
闇神殿の受付にいた、地霊衆のような装いの神官に、思わず問い直す。
「俺は……それじゃ、納税しなくていいってことになるんですか?」
「そうなります。そのかわり、闇神殿からの保護も受けられなくなりますね」
神官は無表情にそう答えた。
「妖邪じゃないと、そういうことになるのか……」
征士の方も呆気に取られた様子であった。
征士は、当麻にも妖邪帝国の戸籍とそれにまつわる保護が必要だと思って、転生後の魂の世話を司る闇神殿に連れてきたのだが、当麻はまだ死んではいなかった。人間だった。妖邪じゃなかった。
妖邪じゃないのに、妖邪帝国の仲間入りは出来ないということらしい。
「すると俺の扱いはどうなるんだ……妖邪じゃないのに妖邪帝国にいると……もしかして……追放?」
「普通に考えれば、強制送還だろうな」
残酷な事を、征士は神官の前でさらっと言った。
「俺は帰らないぞ! 今更、征士も連れずに帰られる訳があるか!」
その場で当麻は駄々っ子のように言い出した。
「いえ、そこは、長から話を聞いておりますので、我々も譲歩します。強制送還や追放といったことはしませんし、稼いでも税金を取り立てはしません。そのかわり、闇神殿は、何もかも関わらないということにします」
長というのは悪奴弥守の事である。
「でも、征士は?」
「光輪殿に関しましては、れっきとした妖邪ですので、衣食住の安全と当座の金子、それに法の加護を与えますが、転生の後、三ヶ月目からは毎月の分の税金を払っていただきます」
転生してきた妖邪は、三ヶ月間の間、妖邪帝国になれるように訓練を受けて職を得る。その後は、働け、税を納めろ、妖邪兵として戦え、ということになるらしい。
「また滅茶苦茶中途半端な事になったな、俺……」
当麻はようやく理解した。悪奴弥守はそれなりに頑張ろうとしたのだろうが、妖邪帝国はそれなりに法とかルールとかたくさん、あったらしい。そのため、妖邪じゃないのに、妖邪帝国にいる当麻の身分の確保が難しく、不法滞在者と同じ扱いになるのだろうが、強制送還してくれるな、「見て見ぬ振りをしてくれ」が精一杯だったと思われる。
天下の闇魔将であったとしても、我が儘が通るとは限らない訳だ。
「まあ、働いた分、全部俺のになるのはいいよな……って、どこで働こう?」
などと、無敵の楽天家である当麻は早速そんなことを言い出した。
征士は、無駄足になったため、意気消沈している。
「……ん?」
そこで、当麻は転生システムの事についてようやく気がついた。
「ちょっと待て? 神官さん、もしかして……」
「はい、なんでしょう」
地霊衆のような格好をした神官は、無表情にまた答えた。
「30年ぐらいまえ、妖邪帝国って、人間界を侵略したじゃないですか。戦争で」
「……はい」
「その際に、生贄としてガッポリ人類とっていったけど、その人達はどうしているんです?」
「……」
しばらく躊躇った後、神官は無表情に言い切った。
「帝国の立派な納税者として稼いでいます、現在も。全員」
「やっぱりかぁあああああああッツ!!」
当麻は思わず叫んでいた。
征士が慌ててその口を塞ごうとする。この場合、当麻が闇神殿の受付で何を言い出すかわからないからだ。
実は征士も、自分が転生してみて、うっすらとそのことは気にしていたのだった。
子どもの時は悪の権化の妖邪帝国が、異世界から侵略してきた!
生贄を捧げるなんて何事だ!
囚われたパパママ人類を助けなくては!!
と、それしか見えていなかったのだが、何故、妖邪帝国が侵略戦争を仕掛けてきたのかとか、そんなことはよくわかっていなかったのだ。
その後、長ずるにつれて、気にはしていたが、魔将達があんまり語りたがらないため、聞いていなかったのである。
(征士、もしかして、これって強制連行か!?)
(それを言うな!)
もしかしなくても……。
人間界の暦において、1989年頃、妖邪界随一の帝国に、何らかの弱体があったのだと思われる。国力が弱る深刻な理由があったため、無理矢理、戦争を起こして、人間界からガッポリと新鮮な納税者をしょっ引いたと……。
受付でまだ騒ぎたそうな当麻を連れて、征士は慌てて闇神殿から抜け出した。当麻が空気を読まずに何を言い出すかわからない、何しろ征士の方は既に妖邪で、礼を失する発言があった場合、いたたまれないのは彼なのだから。
「あの戦いの意味って、阿羅醐の事だけじゃなくって……妖邪帝国が、こう、何か、あったんだろうな。国が沈みそうな危険とかなにかそういうの。それ、すっごく知りたい!」
好奇心に目をキラキラさせる当麻であった。
「不謹慎だぞ、当麻」
そこですかさず強制連行などというナーバスな言葉が出てくる当麻であるのだから。
「殺害された人達は、今でも、人間界に帰りたいんじゃないかな……」
当麻はそう言って、何気ないふうを装って征士の方を見た。
征士は、妖邪帝国に殺された訳ではないのだが。
すると、征士は、無言で深く何か考えているようだった。
やがて、彼は言った。
「中学生だった私には、全員を助ける事は出来なかった。助け出せた生贄もいれば、助けられなかった人がいた。妖邪界で、安心して暮らしているのならいいのだが……そうではないのなら、自分の力が足りなかった事が、ただ口惜しい」
「……なんだよ、真面目な奴」
自分と一緒に人間界に帰りたいと言って欲しかった当麻は、そう言って口を尖らせたのだった。
どっちにしろ、当麻に、「当座の金子」、即ち転生給付金とでもいうべきものは入らなかったので、彼と征士は一緒に、征士の自宅に戻る事になった。
IQ250という天才児である当麻は、現代日本ではパソコン一台で、それこそガッポガッポと様々な稼ぎ方をしていた。今、その相棒のパソコンがない。
それでどうやって稼ぐ気なのかと、征士の方が気になったが、本人は鼻歌交じりで煩悩京の通りをあちこち見て回っている。
まるで元気のいい観光客のようだ。
(心配する私がバカなのだろうか……)
大通りに出店している屋台で、妖術を使った奇妙なオモチャを見て、キャッキャと騒いでいる当麻。その背後から征士は、軽いため息をついていたのだった。
そのとき、煩悩京の通り全体に、寺の鐘が聞こえ始めた。
--正午である。
煩悩京では、一刻(二時間)ごとに、人間界のコンビニのごとく存在する全ての寺が一斉に鐘を叩く。そのため、時計がなくてもある程度、暮らしていく事が出来るのだ。
征士からそう説明を受け、当麻は、大きく頷いた。
「それじゃ、昼飯にするか! 妖邪界ってどんなものが食えるんだろう。それなりにグルメとか出来るのか?」
「グルメかどうかはわからんが、大体、昭和の日本のようなものは食べられるようだな。私はまだ自宅で食べただけだが」
「それじゃ、どっかの店に入ろうぜ! なんか、江戸村に来たみたいで楽しいじゃん!」
確かに、征士は転生給付金を貰ったばかりなので、今は金に困っている事はない。
それで、闇神殿の南通りのあたりを探検し、何か美味しそうなものを食べようという話になった。
征士としては、悪奴弥守のいる闇神殿の妖邪兵になるつもりだったし、闇神殿以外に就職口を選ぶつもりはなかったので、そのあたりの調査をしておく必要があったのである。
当麻の気持ちは知ってしまったが、彼は彼で悪奴弥守への想いを揺らがせる事はなかった。
悪奴弥守の支配する闇神殿は、煩悩京の真北を守護する形を取っている。北に行くほど寒くて高い山が増えるが、南に行くほど、京の繁栄に近いため、人通りも多くなるし道も整備されている。
その賑やかなあたりで、当麻と征士は昭和の時代劇映画に出てきそうな小綺麗な蕎麦屋を見つけ、そこに入る事に決めた。