向けられた背中

 蓮華殿--。
 初夏ならば、その名の通り、色とりどりの蓮の花や睡蓮が池に咲き乱れる、美しい御殿である。
 広大な敷地内にはあちこちに、蓮華殿に仕える忍びや人形師、役者、職人達の構える坊があり、そこを出入りする徒弟達によっていつも賑わっていた。

 その敷地の広さたるや、全体で400町と言われている。今後も、蓮華殿の所有する敷地は国の繁栄と強化に従い、増えていくだろうが、まだ世界統一もなしえていない段階ではこのぐらいだった。

 その敷地の中を、侍従の案内で、一兵衛と二兵衛は進んでいった。侍従は取り立てて何の印象にも残らない顔と背丈、そして、蓮華殿の妖邪兵だったら誰でも着るような清潔感と動きやすさ一辺倒の作務衣を着ていた。口調も声質も平均的としか言いようがなく、気に障るようなところもない。

(実に蓮華殿らしい、案内役ですねえ……)
 人の良い一兵衛は、逆に感心したぐらいである。名前を聞いてみたら小平次と答える。これまた、次に来た時に、「小平次さんは?」と言ったらどの小平次ですかと聞かれるような名前ではないか。そもそも、蓮華殿の忍びの名前は、この頃の妖邪界において、平均的で凡庸で、つかみどころのない名前ばかりなのだが。


 つまり、いつでもはぐらかせる従者で特定不能にしながら、一兵衛と二兵衛を用心深く、蓮華殿内の奥、正殿から離れた坊へと連れて行くつもりらしい。一兵衛は何回か、蓮華殿に使者として正殿に迎え入れられた事があるため、小平次がつれていく方角が違う事は分かっていた。

 だが、口出しはしない。恐らく螺呪羅の偽物大暴れで、さすがにピリピリ来ているプライド高い忍び達を、刺激する必要はないからだ。

 門から四半時ほど奥へ進んだろうか、そこに、蓮華殿にしては珍しい、平屋建てでがっしりした作りの坊が現れた。
 小平次と名乗る従者の案内で、一兵衛達はその建物の中に入っていった。

 入っていきなりびっくりしたのは、その建物の中の暗さだった。窓も雨戸も全部閉め切って、光の弱い燭台一つで、畳の上、男がひたすら何か作業に取り組んでいる。
 何かと思ったら、自分で削ったらしい黒い木切れのようなものを白い大きな紙の上で組み合わせたり、離したり、重ねておいたり、何やら儀式のような事をしているのだ。

(……易でもないでしょうし、なんでしょうね)
 一兵衛が二兵衛に耳打ちをするが、もとより返事はない。二兵衛は、闇神殿のスヤリの十倍は無口であるが、首をかしげて、鼻のあたりを触った。
(香の組み合わせ?? いや、違う……ような、香りが何もしませんし)
 二兵衛はそこは素直にうなずいた。

 ぎょっとするような痩身で青白い顔をしている、作務衣の男は、暗い畳部屋で、ひたすら木切れの組み合わせを続けている。

「弥助どの、薬師の使者の方が参りました。瑠璃光殿の一兵衛どのと、二兵衛どのでいらっしゃいます」
 従者が、髪を振り乱している弥助に向かってそう声をかけると、ようやく弥助は我に返った。
 我に返って、もの凄い勢いで一兵衛達を振り返った。

「見たな!」
「え……はい……」
 一兵衛はそう言うしかなかった。
 弥助は青白い顔の頬を赤くほてらせたが、すぐに正気に返ったようだった。平常心をむねとする忍びらしく、それ以上は荒っぽい行動をせず、小平次に向かって、もてなしの用意をするように告げて追い払った。そして、一兵衛たちに手招きをして、気兼ねする必要はないという事を言った。

「……」
 一兵衛と二兵衛は、なんにせよ、変な儀式には興味があったので、黙って近寄っていって、弥助の隣から大きな紙と木切れをのぞき込んだ。

 それはどうやら、自作の煩悩京の地図のようで、はっきり細かい建物や通りの図面があった。
 そして、その上に木切れ……?

「もしかして、夢幻の殿の偽物の……」
「そうだ、今まで出没した地点と時刻を……」
 弥助は、ざざっと木切れを動かした。黒い木切れには、何か文字が書いてあり、一兵衛はその場で読み方をざっくり教えてもらった。忍び文字というやつの一つらしい。

「何日頃にどこに現れたかなどを、おさらいしていらっしゃったんですね」
「まあ、そうなる。といっても、次にどこに現れるかまでは、俺にもわからんが、傾向はつかんでおきたくてな」
 暗号が読めるからといって、人間の行動パターンまで全部読める訳ではないだろう。しかし、気になって気になって仕方が無い暗号解読男は、そういうことを調べようとしていたらしい。
 それはそれで凄い玩具で、木切れの組み合わせで、何月何日に螺呪羅がどこに出てどんな事故を起こしたか、全て表せるようにしていた。

「凄い……帳面に書き込むよりも、立体的にどこで何があったかつかめますね……」
 人のいい一兵衛は、素直に感嘆の声をあげた。すると弥助は恥ずかしそうに頬をかいたが、とにかく、と仕切り直し、最近あった三件の事件を、木切れで表現した。

「瑠璃光殿で何があったか話は聞いている。もちろん、一番重要で直近の事件は、蛇神さんの御身だ。御頭が勝絶で怒り狂っているという話で、まあ、御頭は、わざと怒ったふりをすることもあるんだが、こればっかりは、本当のような気がしてな」
 弥助は、小声で言った。
「すまなかったな、うちの下っ端が……」
 乱波どもが、男薬師をからかうような事を言ったから、那唖挫の守りが弱くなったと、それも弥助達上忍は分かっているらしい。
 確かに、嫉妬深さに比例して、保護欲と情愛が厚い螺呪羅だ。自分の偽物が那唖挫を斬ったと知ったら激怒するのはあり得る話だ。

「勝絶の夢幻の殿には、お話は通っているんですね」
「まあな……」
 そこは口を濁す。勝絶で戦争真っ只中の螺呪羅に留守居を預かっているのに、このていたらく。気になって気になって、ということか。

「変な人ですけど、気のいいところあるでしょ?」
 そのとき、戸口から声がかかって、小平次ではなく黒兵衛が、もてなしの盆を持って入ってきた。黒兵衛という名前が全くそぐわないレベルの美少年である。
 金髪、碧眼、白い肌、紅い唇。そのどれをとっても自然のものなのだ。そこにあえて黒兵衛という名付けをするというのが、螺呪羅の性悪さなのだが、黒兵衛本人は、それを逆手にとって、自分と正反対の色黒のごつい男に変化して攪乱するなどの技を使う事もあるらしい。

「まあいろいろ、お話はありますよね。うちも今、人手不足ですな上に、腕力的な問題が残るんですよね」
「腕力……ですね」
 一兵衛は、黒兵衛がさくさく話を進めようとするのに対して、うなずきたかったがためらった。
「寝てますねえ」
 黒兵衛が、臆面もなくそう言った。
「寝てるな……」
 弥助も同意した。それでどうしたいんだ、と一兵衛が言いたくなるような妙な間が過ぎていった。
 腕力を担当する魔将、鬼魔将と闇魔将がそろって寝てる。そこを全員で確認し、さあこれから、どうやって、妖邪界最強の戦忍をつり出すかという事になった。
 弥助が、ついつい、偽物がどこに出没するかシミュレーションしたくなるのも無理はない。そこがわかったら、罠でも何でも仕掛けてとらえられるが、出来そうもなかった。

「瑠璃光殿さんの方からは、何か、意見とか」
 黒兵衛が振った。
「那唖挫殿からは、大神の殿がいつ復帰出来るかわからない以上、最後には俺が出て、蛇牙剣で偽物を仕留めるしかないと。むしろ、俺を斬ったからには三倍返しと言うお話をいただいております。それで、蓮華殿と連携したいわけですが、やはり夢幻の殿の偽物に関しては、細かいお話はこちらよりも……」
 弥助と黒兵衛は、黙って相づちを打ちながら聞いていた。二兵衛の方は、ただ立っている。
「黒、そういえばお前、何かあったんじゃなかったか」
 弥助が黒兵衛にふると、黒兵衛は困ったように頭を振った。
「花街の方で、花魁から話を聞き直したんですけどね、本当に、御頭と見分けつかなかったのかと、ちょっとまあ……花魁ってね」
「ああ、はい」
 花魁が本当に正直だったかどうかという問題だ。
 花魁が、螺呪羅だと保証したとして、その花魁が嘘をついていなかったと、どうして言い切れるんだろう。
「どうもこれが、幻術……なのかなと、俺は思ったんですけど」
「げ、幻術!?」

 一兵衛も二兵衛も、口をあんぐりあけてしまった。
 この上、幻術使いの螺呪羅と幻術まで似せているとは、さすがに思いつかなかった。

「え、それは、どうやって!?」
 唖然としたのも数秒、一兵衛は黒兵衛に食ってかかった。戦忍としての実力だけじゃなく、幻術まで、螺呪羅レベルだったら、那唖挫の剣術だけじゃなく、魔道や毒使いとしてのスキルまで出さなくてはならなくなる。そして、鬼魔将と闇魔将は--寝てる。

「どうやって、って、花魁と、俺が、……どうやってって、昼日中から言えと言うんですか」
 黒兵衛は、困惑を明らかにした。
「色責めでもやったのか」
「御頭の真似したよ」
 弥助と黒兵衛はそんな会話をした。
「御頭の真似……って、お前、市井の民にだな」
「幻術っていったって、軽いやつだよ。確かに、全部自白しちゃうけど、他に方法なかったんだから仕方ないじゃないか。それに、気持ちよくなってる時に幻術かけてしゃべらせたから、向こうは、気持ちよくなって寝ちゃっただけだと思ってるから大丈夫」

「それで花魁や、他の連中は、幻術の罠にはまっているらしいと……言うわけか。しかし、黒の技をおおっぴらに公表して、御頭じゃなかったと言うのも、別の混乱招くしなあ」
「うん。俺も、花魁やお姐さん方への評判落としたくないしね」
 ぬけぬけと黒兵衛はそう言い、弥助は肩をすくめた。要するに、花街だの他のいろいろな町で、諜報活動をする上で、黒兵衛は大変に役に立つのである。黒兵衛の評判がいいに越した事はない。


「幻術……」
 一兵衛は、深々と考え込んだ。他にも、那唖挫から色々と立案された事はあったのだが、偽物が幻術を使えるとなると話がまるで違ってくる。その戦闘力たるや一体どういうことになるのだ。

「ちなみに、俺らも詳しい事は知らないし、話せる範囲でいいんですけど。瑠璃光殿の皆さんで、幻術に耐性ある方って、どれぐらいですか?」
 黒兵衛がまた遠慮無く聞いてくる。一兵衛は思わずひいてしまった。
「俺は口は堅いよ」
 そこで弥助がそう言った。乱波の言う口が堅い--どこまで信じていいのだろう。

 一兵衛と二兵衛は顔を見合わせた。二兵衛が、ためらいがちにうなずいた。一兵衛は、思い切って、弥助達の方に向かった。
「恐らく、夢幻の殿の幻術でも、本気中の本気を出せば、那唖挫殿は見破りが出来るでしょう。我々の中でも、修法を鍛えている者で、何人かは耐えきれると思います。ですが、殆どの薬師は、夢幻の殿の幻術となると……すっかり騙されてしまうと……」

「それは、嘘じゃないだろうな」
 弥助は難しい顔になった。ここで、一兵衛が蓮華殿に偽の情報を渡したところで、いいことはない。
「偽物の幻術は、わりない仲の花魁でも見分けがつかないぐらい、御頭そっくりに化けられるんだよね。となると、少なくとも、どこかの国の上忍以上だと、俺は思うんだけど」
 黒兵衛は、かすかに溜息をついた。黒兵衛も、考える事はあるらしい。黒兵衛は当然ながら、弱い駒だ。だから残された。--当然、か弱い立場になりがちな、瑠璃光殿には心が近いのだ。

「それで、昨日の毒なんですけど、それが、平調の毒蜃で……」
 恐る恐る、一兵衛は切り出した。弥助が何度か質問をし、一兵衛はそのたびに丁寧な説明をした。もちろん、黙っているべきところは黙っている。

 話を聞き終わると、弥助と黒兵衛は目配せして、表情を読みあい、また一兵衛に向き直った。

「北方の毒が使われているからといって、北方の忍びとは限らない。そこは覚えておいた方がいい。だが、可能性はある。確かに、犬神さんと蛇神さんに滅ぼされた国の生き残りの上忍が、蛇神さんを自国の毒でぶっ殺そうとする、つじつまはあう。だが、そういう”幻”を追わせて、裏をかくのも、忍びの常套手段なんだよ」
「……!」

 てっきり、那唖挫が滅ぼした国の忍びと踏んでいた一兵衛と二兵衛は息をのんだ。

「十分あり得る話だが、そこにとらわれると、ろくでもないことになる」
 黒兵衛もそこに気がついていたので、一兵衛の話を注意深く聞いたらしい。

「しかし、御頭に性質が似てて嫌になるな」
 弥助は本当に嫌そうに顔をしかめていた。

「似せてるんだろうね。やりづらい……」
 さらっとした口調の黒兵衛も、それは感じているらしい。

「そんなに似てるんでしたら、もしや……」
「うん、だから、この暗号男が、偽御頭が出てきそうなところを、計算していたわけ。だけど、それって現実的じゃないと俺は思うんだ」
 黒兵衛が先取りしてそう言った。
「……」
 黙ってしまう一兵衛。そこで、二兵衛が、思いも寄らぬ行動をとった。
 それは、当然のことだった。忍び文字で、螺呪羅を表している木切れの駒を、すっと、闇神殿の前に置いた。

「……」

 それからもう一つの「放火」の駒を、鬼顔堂の前に置いた。

「……」

 黙ったまま、一兵衛の方を振り返る二兵衛。

「そ、そうですね……」
 一兵衛が肩を落としてそう言った。

 当たり前だ。

 魔将が寝てるところから、先に襲うに決まってるだろう。
 そこが一番弱みを持っているんだから。

「えーっと……」
 弥助は、頭痛をこらえる顔になった。煩悩京中の民が知っている、闇神殿と蓮華殿の不仲。蓮華殿はそれほどでもないのだが、闇神殿は螺呪羅の事が大嫌い、そして、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、蓮華殿の事も大嫌い。
 鬼顔堂の方は、知らない間にその能力の高さ故に一番目の魔将とあだなされる螺呪羅の事を、どう思ってるのか、たま~に、嫌な気を吐く事がある。

「それは分かってるんですけどね?」
 弥助は苦しそうな表情で、肩を回しながら、額の汗を手ぬぐいで拭った。
 いずれにせよ、那唖挫もそれは気にしていた所である。言いたいのは、蓮華殿の居残り組で、戦闘・探索能力の高いものを、闇神殿に配備して、連携をとれと言う事である。
 あと、鬼顔堂は、もとより、「朱天が寝てるから動けない」だけで、四魔将軍最強の軍事力を持っている事は嘘ではなかった。情報さえ渡せば、けろっとして朱天を守るだろう。


「--俺が、えーと、闇神殿の方に行って、色々と……細かい……ことを?」
 やって出来ない事はないだろう。弥助はなんだかんだで頭脳派らしい。問題は、ひょろっとしていて青白くて、どうしても、暗がりで訳のわからない儀式やっているのが実にピッタリな容姿をしているということで、恐らく、腕力はそんなにないだろう。
「え、俺が言う? 闇神殿に、容色系男子の俺が行って、協力しませんかってご挨拶するのか?」
 黒兵衛が、弥助の方にそれを聞いた。一兵衛は泣きたくなった。それだけはやめてくださいと言いたくなった。
 闇神殿はなんといっても長である悪奴弥守に螺呪羅がセクハラしたということでずっと腹を立てて犬のようにかみついてくるのである。そこに、「色子」が使者にたってどうするんだ。

「そうなると……他に誰か……」
 一兵衛は困り切ってしまった。ちなみに、瑠璃光殿と仲の悪い軍は特にない。一番仲のよい軍が、闇魔将軍である。だから、闇神殿に、瑠璃光殿が力を貸したっていいのだし、実際そうする気はあるのだが、蓮華殿の方に気を配る理由の一つは、かなり繊細だがバカらしい事だった。
 闇神殿が、蓮華殿の足を引っ張らないように、蓮華殿が気を遣わなきゃならないのである。
 闇神殿は基本的に気さくで気のいいタイプが多いが、自分の所の長におかしな振る舞いをした蓮華殿に対しては辛辣極まりなく、隙あらば背中から撃つ勢いなのはいつものこと。最近は悪奴弥守自身はやや落ち着いて来たのだが(那唖挫という可愛い弟分が出来たので気が晴れた)、ヤヅカやカラムシといった腹心の部下は、悪奴弥守が許しても自分たちは許さないという構えを崩していない。
 むしろ、悪奴弥守をあおって、螺呪羅を殺せと言い出しかねない空気である。

 その蓮華殿に空前絶後の「隙」が出来ているのだから、四魔将軍一、血気盛んで行動の早い軍の兵達が、何をやらかすか分かったもんじゃなかった。

 一兵衛が、そういうことを言わなければならぬ、と、決心して弥助の方に向き直ると、弥助がへらっと笑った。
 へらりと笑って、何度も顎を引いてうなずいた。黒兵衛の方も、具合悪そうな溜息をついているが、何も言わないでいいと言うように、一兵衛と二兵衛に手を振った。
 二人とも、というよりも、蓮華殿全体が、状況が分かっているようだった……。

「闇神殿の方には、俺がいくわ、黒、午後から蓮華殿のこと頼むな」
 青白い顔に”笑うしかない”という表情を浮かべて弥助が言うと、黒兵衛は、さらりとじゃなくてざらりと言った。
「昼日中だけど、誰か抱いていけば? 命つながるかもよ」



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