ほんの数分の行き違いだった。
那唖挫が目を覚ました。
「悪奴弥守!!」
そう叫んで、那唖挫は布団から跳ね起きた。
那唖挫はハシリバの言う通り、半分意識があったが、全神経が毒に封殺されていたため、斬られた瞬間で知覚が止まっていた。
螺呪羅の偽物は螺呪羅に似過ぎていた。自分がここで殺られてしまうなら、螺呪羅にも悪奴弥守にも無事で居て欲しい……。二人の事が気がかり過ぎる……。死ぬに死ねない……。
そんな気持ちが回転していたところに、いきなり生命力が全快してしまったため、叫びながら跳ね起きるということになったのである。
「あ……俺は……」
叫んだ後、息を切らして、那唖挫は我に返った。
那唖挫は、辺りを見回した後、自分の体を眺めた。清潔な寝間着に着替えさせられた那唖挫の体に、痛みはまるでない。逆にすっきりとした気分で体は爽やかに軽かった。まさに全回復というこの感覚--。
(蘇生の息、か)
那唖挫は、即座にそのことに気がついた。それで、すぐ隣に控えている一兵衛に向き直った。
その数分で、一兵衛達と悪奴弥守達はすれ違ってしまったのである。
「悪奴弥守は!?」
悪奴弥守は、どうしているか--必死の面持ちで那唖挫が問い詰めると、一兵衛は、ただ青い顔をしてうなずいた。
「フユさんに聞いたところ、ヤヅカさんとハシリバさんに付き添われて闇神殿に帰られたと……ハシリバさんたちが、何も心配しなくていいと仰っていたとのことです」
「……ッ」
那唖挫は、軽く歯ぎしりをして、自分の手で拳を作り、その先を打ち鳴らした。彼も、元を正せば将軍である。なんだかんだと気の荒い時はあった。
だが、今は、気を高ぶらせてばかりいる場面ではない。
「それで、一兵衛。二兵衛達と、捜査に向かったはずだが、偽物の手がかりは見つかったか」
「那唖挫殿……」
一兵衛は困惑の表情を見せる。
自分が花街を二兵衛達と手分けして探している間に、那唖挫は偽物本体に襲撃を受けて、もう少しのところで死の毒の床で永遠に転げ回る事になっていたのだ。それこそ、悪奴弥守の能力”蘇生の息”がなければ、どうにもならなかったかもしれない。
「確かに、最後に接触したのは俺だが、……俺でもあの螺呪羅の偽物は、見分けがつかないぐらいだった。だが、偽物とて生き物だ。……生きている限りは宿も必要だし、本拠地にしている場所があるだろう。そういう手がかりは、なかったか」
一兵衛は悲しそうな表情になった。
同じく二兵衛も無言だった。
「申し訳ありません」
三兵衛がそう言って、頭を下げた。
「まるっきり、何の手がかりもなかったのか」
那唖挫が再び尋ねると、一兵衛が、重い口を開けた。
「……夢幻の殿そのものに見えるため、皆、”本拠地”も宛先も蓮華殿と思い込み、そのように取り扱っていたため、蓮華殿の方々が皆、大混乱に陥ったとのことです。我々よりも優秀な、目と耳をお持ちでらっしゃいますので、既に色々な捜索をしているようで……」
「なるほど。そこまでは、わかった。それで、蓮華殿はなんといっていた」
「……」
一兵衛がまた黙ってしまったので、那唖挫は苛立った。
「いいから、言え。黙っていたらわからないだろう」
一兵衛と二兵衛は黙っている。
三兵衛がまた、かわりに言った。
「子供のお使いとは違うんだから、御殿に帰って、あったかくして寝ててくださいと言われました」
「何!?」
さすがに那唖挫はいきり立った。
「……それで、まさか言われた通りに御殿に帰る訳にもいかなくて、花街を、手がかり探して……」
三兵衛がぼそぼそと言う。一兵衛は面目次第もないという様子で、うつむいている。他の男薬師達も意気消沈の様子だ。
那唖挫は爪を噛みながら、苛立ちをこらえた。
今、蓮華殿で留守居を預かっているのが誰かはすぐには思い出せないが、そんな言われ方をしたら、こちらも一番~五番の薬師で引っ込みがつかなくなるではないか。それは確かに蛇の道は蛇、忍びの道は乱波なのだろうが。
それで引っ込みつかなかったから、少しでも情報源を探して、遅くまで出歩いて、その間に那唖挫が襲撃を受けたというわけか。なるほど……。
「それで、蓮華殿は、偽物の事を何かつかんでいるのか、何か言ってなかったか」
那唖挫はそこを一応、確認した。腹芸の塊の乱波達である。まさか本当の事を言ってくれるわけがないだろうが、万が一、ヒントでもあったら儲けものだ。
「何も」
一兵衛ははぐらされた時の事を思い出したのか、普通に悔しそうだった。
「今、蓮華殿の留守居を預かっているのは?」
「……弥助さんと、黒兵衛さんです」
一兵衛が低い声でそう答えた。
「弥助、ああ……」
那唖挫は微妙な顔色になった。那唖挫自身は、蓮華殿の内情をよく知っている訳ではない。確かに、螺呪羅本人と那唖挫はわりない仲だが、それとこれとは別である。螺呪羅は、悪奴弥守や那唖挫の事に細かく口を出したがるのだが、自分の御殿や軍の事に意見されるのは大嫌いという実に傲慢な性格であった。
何様だと思うが、螺呪羅の軍や御殿の仕切りについての指示は困った事に的確であることが殆どで、正論を言うなと言う訳にもいかないから、下の二人はいつも固まって愚痴を言っていた。まあ、それは今はいい。
問題は、その、留守居を預かる弥助だが、確か、那唖挫の知っている限りでは、戦闘系や現場持ち回り系の忍びじゃなかったはずなのである。黒兵衛も。考えてみればそれはそうだ。
戦にいくなら戦忍を連れて行く。
戦闘向きじゃない忍びはおいて行かれる。
「弥助は確か……暗号班? ……だったか……?」
何しろ地味で目立たない男であるため、那唖挫は首をかしげてそう聞いた。すると、一兵衛はうなずいた。
「頭の良い方のようで、暗号や毒のレシピの解読が得意だったはずです。いつも、蓮華殿にある自分の坊でそういう解読ばかりしています」
「……」
後は、肝心の黒兵衛だが、彼は確かに忍びらしい忍びである。
一言で言うと、「色子」だ。身も蓋もない事に、金髪のそよっとした美少年で、容姿は全く以て外国製の人形のように美しい。それでもって諜報活動をするのである。いざというとき自分の身を守れない訳ではないだろうから、多少の戦闘は出来るだろうが、専門はやはり--「色子」、ということらしい。
「……」
その二人と、螺呪羅本人と同じぐらい強い偽物が、追いかけっこして、勝てるのか?
那唖挫は非常に疑問だった。
「少し、考えよう」
那唖挫は深呼吸を二三回繰り返した後、そう言った。
武力や機動力といったらその象徴とも言える悪奴弥守が、昏倒していて、恐らく闇神殿の神聖結界の中で眠り続けているだろう。
それに対して、残されたのは、医薬専門の毒魔将軍と、蓮華殿の残留組で、留守居役は暗号解読と色子。
これを組み合わせて、うまいこと、螺呪羅の偽物を連れ出して仕留めなければならないのだ。
蓮華殿の方も、自分たちの不利は分かっているだろう。螺呪羅は妖邪界でも有数な戦忍だ。その彼相手に、暗号が解けるだけの男と色子が食ってかかったってどうにもならないだろう。
自分たちと合流した方が、効率がいいのは自明。
だが、何故に、こちらの申し出を拒んだのかと言ったら、恐らく……。
(螺呪羅の偽物の行状を知られて、みっともないところを見せたくなかったんだろうな……)
その気持ちは、螺呪羅大好きな那唖挫にはよくわかった。
とりあえず、部下同士で喧嘩させないように気を遣いながら、話を進める必要がある。事が非常にデリケートであるだけに、既に頭痛がしてきた。
だが、那唖挫はめげなかった。これぐらいで、魔将のメンツを失ってたまるか。
「フユ、茶を入れろ。一兵衛、皆、もう少しこちらに詰めろ。どうやって偽物を捕獲するか、決めるぞ」
女薬師達は急いで茶を入れに行き、男薬師達は那唖挫の周りに集まって話し合いを開始した。
「悪奴弥守が寝込んでいる以上、武力、戦闘力で螺呪羅と渡り合えるのは俺だけだ。だから、俺の前に油断させながらうまく誘い出す必要がある。確実、安全をとれば、魔道直撃で黒焦げにさせられるが、そう簡単にいくとも限らない。……剣での勝負になることも考慮に入れたいが……」
という、条件の確認から始まった。
正直なところを言って、毒魔将軍はこの期に及んで、百姓よりはちょっとマシかなという腕力しか持ってない。男でも。一兵衛でも。
そのかわり、敬田院で修法を行い、魔力を授かる事で、強力な攻撃魔法や回復魔法、妖邪界においては「魔道」と呼ばれる力を行使することが出来る。
鍛え抜いた忍びや戦士、侍である他の御殿の妖邪兵達とは趣が違うのだ。
修法とは、何も怪しまれるような事ではない。他の厳しい修行道場と同じように、清潔健康であり、それが行きすぎているぐらいである。戦時中に場合によっては邪法に手を出した事もあるが、それは本当に奥の手中の奥の手で、那唖挫はやるんじゃなかったと深い後悔をした覚えがある。
「フユさんぐらになれば、偽の夢幻の殿に、魔道を当てる事が出来るのでは」
「フユ? ……確かに、女連中の中では最強だろうな。火薬も爆薬もいけるだろう。だが、偽物が螺呪羅そのものだとしたら、回避する可能性がある」
「回避!? ……魔道をですか!?」
「俺は前に、奴に、最大級の火炎の魔道をぶち当てたら、寸前のところで”変わり身の術”とやらを使われて、回避された。一体どうやってかわしたのか、俺にもわからんのだが、どうやら、奴は忍術で依り代を作っていて、それが身代わりになってくれたらしい」
「身代わり」
「忍術は、民間の呪術が多いから、俺たちのような綺麗な魔道ではない……依り代が変化でかばってくれたのが、”変わり身の術”に見えたらしいな。そして、自分の命を救ってくれるほどの依り代を使う忍術を、使えるかどうかだ、偽物が」
そんなことを話しているうちに、フユ達がそろって茶と茶菓子を持ってきたので休憩を取った。
そういう訳で、那唖挫達は、気がかりや心配な点を箇条書きにして書き出し、それを一つずつ潰していって、大雑把とは言え作戦を立てた。
そして、夜明けと同時に、一兵衛が二兵衛を連れて、留守居の弥助に挨拶に行くということで話が決まった。
ちなみに二兵衛という男に関しては、誰も、口をきいている所を見た事がない。
口がきけない訳ではないのだが、身振り手振りや目配せで全てすまそうとする不思議な男である。口が動かない訳ではないのは、食事をするところはよく目撃されているので、確認済みである。大食漢である。なんで口をきかないのか、それでどうやって診療しているのか、多くは謎であるが、一つはっきりしているのは、黙々と手を動かして仕事し続ける男は、妙に好かれるらしいということだ。--女薬師達の評判は、概ね、”良い”。