桜花爛漫

 そうこうしているうちに、花見の当日が来た。
 午前中から、伸、遼、当麻、征士、それに西鬼で新宿御苑に移動し、桜の花を見て、西鬼に記憶が戻るかどうか、せめて手がかりでも掴めないか、試すのである。
 征士ではないが、朝の五時に起きて、伸は弁当を作り始めた。遼は、カメラマンとして機材の動作をチェックし、良い写真を撮る計画を立てていた。
 新宿御苑までは征士の自動車で移動する予定である。彼の自動車なら、余裕で五人は乗れるだろう。
 それに、征士の運転は一番安心出来ると定評があった。子どもの西鬼を乗せているならなおさら、運転の技術がある彼がやるべきだろう。
 当麻は、日頃は九時ぐらいまで寝ているのだが、七時前には起き出して、花見のためのレジャーシートや、そのほか小道具を準備していた。

 時間が来ると、西鬼は、初めてマンションの外に出て、自動車に乗り込む事になった。当麻に自動車のドアを開けて貰いながら、おっかなびっくり、西鬼は征士のクルマの乗り込んだ。
「西鬼は、クルマを見るのは初めてか?」
「……う、うん」
 西鬼は嘘をついている訳ではないらしい。

「今日は西鬼と当麻の胃袋を考えて、しっかりお弁当を作ったからね。お昼は楽しみにしていて」
「うん」
「西鬼はカメラに撮影されたこと……ないよな。今日はカメラになれてくれよ。色々と、思い出を撮るからな」
「うん」

 西鬼は概ね大人しく、大人達の話を聞いて、クルマの後部座席にちょこんと座り、後は周りに任せているようだった。今日のために靴も買って貰い、新しい動きやすい子供服の姿である。


 征士の運転で程なく、五人は新宿御苑に着いた。
 駐車場から歩いて、新宿御苑の中に入り、五人は予約で取った場所に行った。
 桜はもう散り際だった。今年の桜を見るのは最後になるかもしれない。

 晴天の下に真っ白な花雲が続いていた。薄く桃色に色づいた、夢のように柔らかく華やかな花の雲。その白い雲の波から粉雪のようにこぼれ落ちるのが桜の花弁だった。
 近付けば、桜の一枝一枝には重たげに花が咲いており、穏やかな風にも揺れて、花の花弁を降らせていた。桜の花が降り落ちるごとに、地面には白と薄桃色の絨毯が出来ていく。 花の雲、花の波。夢の中に迷い込んだような美しさであった。

「……綺麗だな」
 花より団子な性格である当麻でさえが、新宿御苑の散り際の桜には、圧倒されたらしく、ため息交じりに称賛の声を上げた。
「流石だ」
 征士も言葉少なに感想を示す。あまり大きな声でたくさんの言葉を発したら、桜の夢幻の美しさが損なわれないかと、心配しているようだった。
「そうだね。……西鬼、大丈夫?」
 口々に何か話し合いながらここまで来た四人に対し、西鬼はずっと大人しかった。伸が声をかけると、西鬼はふるふると頭を振った。
「人が多いと息が苦しい……でも、ここは楽」
 大きな桜の木の根元に腰掛けながら、西鬼はそう言った。 
楽なのは、そうらしく、顔色が随分いい。

 艶やかに咲き散る染井吉野の下で、伸がテキパキと弁当を広げ、遼がそれを手伝った。伸が作った弁当は、高級料亭から取り寄せたものと比べても遜色がないほどで、どれも色鮮やかに美しく盛り付けられていた。勿論、味もいいに決まっている。

「待ってました! 伸の弁当!」
「当麻、つまみ食いはやめて」
 早速手を出す当麻を伸は窘めた。
 遼が箸を用意して、西鬼の方に近付いていく。西鬼は桜の幹にもたれかかり、じっと花が舞い踊るのを見守っていた。

「ほら。箸。こっちに来て、一緒に食べよう」
「……うん」
 遼に促されて、西鬼はレジャーシートの上に座り、箸を受け取った。西鬼は箸の使い方がおかしいということはなかった。

「かんぱーいっ」
 遼の音頭で、当麻達は乾杯をした。西鬼がいるので、皆、ウーロン茶などのソフトドリンクだ。
 西鬼はこの数日で、人間の食べ物には慣れているので、ウーロン茶も伸の弁当も、楽しめるようだった。
 箸を器用に使って小さな口に、からあげや卵焼きなどの定番を頬張り、大人達の会話を聞くともなしに聞いている。

 最初のうち、当麻と遼は最近見たネットやテレビの話をしていた。征士は、伸に、弁当に入っていた料理のいくつかのコツを聞いている。意外に征士は料理に凝る方なのだ。

「うん、あれ、俺も好きなバラエティーだよ。面白いよな」
 遼の話に当麻は相づちを打つ。
「当麻もバラエティーとか見るんだ」
「疲れた時とか息抜きにな! いつもってほどじゃないけど。この間の番組は見たよ」
「そうなんだ。それじゃ当麻は、子どもの時好きだった大人って誰なんだ?」

 そういう、番組から出されたテーマにゲストが様々なトークをし、司会者が切り返して話を盛り上げるという形式の番組だったらしい。

「あれ? そんなテーマだったっけ?」
 当麻は不思議そうな顔をした。
「違ったっけ?」
 遼はクビを傾げた。
「”子どもの頃尊敬していた人物”、だったっけ? ”子どもの時好きだった大人”だったっけ?」
 そう言って、当麻は征士の方を振り返った。一緒にテレビを見ていたのだ。西鬼も。
 そう。子どもの前で、小難しい教養番組のようなものを見るのは、当麻も征士もかえって気が引けた。それで、お茶の間向けの番組を一緒に見ていたのだ。

「尊敬していた人物だったと思うが……? しかし、番組に出てきた話だと、本当に尊敬していたのかと問い詰めたくなる逸話がほとんどだった」
「そうだな」
 何しろお笑いバラエティー番組。そんな堅苦しい話にはならない。
「ちなみに征士は、尊敬している人物って?」
「伊達政宗だ」
「またベタな……」

「ベタってことないでしょ。地元の偉大なご先祖様だもの。征士が政宗公を敬愛するのはいいことだよ」
 伸がそういって、征士を庇った。
 征士は相当、政宗を誇りに思っているらしく、心なしか胸を張っている。

「当麻は?」
 征士が逆に当麻に尋ね、当麻は一瞬、狼狽えた。
「いっぱいいるけど、やっぱり湯川秀樹。大阪のノーベル賞だ!」
 おおー、とみんな、息をのむ。
「意外、ってそうでもないか。当麻だから、大阪の有名なお笑い芸人でも出てくるかと思ったけど、真面目なんだね」
 伸に言われて、当麻は笑った。
「そりゃ、お笑いでもなんでも大阪は俺にとって一番だからな。そっちにも、いいと思う人は大勢いるぜ。だけど、一番尊敬しているって言ってしっくりくるのは、湯川博士だ」

「なるほど」
「それじゃ、伸は?」
 当麻が伸に尊敬する人物を尋ねた。

「僕もたくさんいるんだよね。子どもの頃から尊敬していた人って……うん、聞かれると結構、迷うね」
 伸は苦笑した。
「地元の有名人にこだわるなら、林芙美子に金子みすず、かな」
「文学者か!」
 当麻はやや驚いた。
「なるほど、それも伸らしい」
 征士は逆に納得している。

「どちらも波乱の人生を送った女性っていう意味でも尊敬しているよ。簡単にめげたり投げ出したりしないんだよね」
 伸はそう付け加えた。

 そこで伸が隣に座って黙っていた遼に話しかけた。
「遼は子どもの時から尊敬している人とかいるの?」
「うん……俺は」
 そこで遼は躊躇ったが、結局言った。
「親父。お父さん」
 それを言われて、皆、少し驚いたようだった。遼は困ったように頬をかきながら、言った。
「尊敬する人っていうよりも、子どもの頃から好きな人、になるのかな。でも俺、親父の事尊敬もしているんだよ。色々な偉人の話も、凄いと思うのいっぱいいるけど、なんか、子どもの頃から、逆境でも働いてきた親父の背中って、好きで」
「いやそりゃ、言い訳するようなことじゃないだろ。立派なことだよ。それが尊敬する大人の原点なんだからな」
 慌てたように当麻が遼にフォローを入れた。
 三十五歳になって、仲間内で、尊敬してる人はお父さんと言える男はなかなかいない。そういう意味で、みんな黙ったのだが、遼が言っていると考えると、それほど強い違和感はなかった。

「……お父さん?」
 そのとき、黙々と伸の弁当を食べていた西鬼が顔を上げて、遼の方を見た。

「ん、なんだ、西鬼?」
 当麻が西鬼の方を向くと、西鬼は箸を止めてじっと遼の方を見ている。

「お父さん……?」
「え? えーと……俺の親父の話を聞きたいのか?」
 遼の方は西鬼のまっすぐな視線に戸惑っているようだった。
 西鬼はこっくりと一つ頷いた。
 他の、伊達政宗や湯川秀樹に関しては、よく分からないようだが、流石に、「お父さん」というものは理解出来ているらしい。それで反応したのだろう。

「征士……」
 当麻が征士を振り返った。
(ああ。鬼の子ではないらしいが、鬼の子でもそうでなくても、西鬼にも親がいるはずだ。うまくすれば、親の事を思い出すかもしれないな)
 当麻の耳打ちに征士はそう答えた。

「俺の親父は俺と同じカメラマンだよ。地方で、カメラを本業にしていたから、そりゃ苦しい時は苦しかったんだ。早くに奥さん……俺の母さんを亡くしていたから、男手一つで俺を育ててくれたこともあって、相当辛かった時もあると思う。子どもの時は結構、怒鳴られた事もあったよ」
 遼は西鬼のためにゆっくりと話し始めた。
「でも、俺は親父が好きだった。親父のカメラを磨くときの手つきとか、仕事に向き合う姿勢とかが、何だかとても男っぽくて大人っぽくて……それで好きだったんだよ。それで、俺もカメラの勉強を始めて、今こういうふうになっているんだけど。親父が俺を認めてくれているかどうかは、わからない」
 そして遼は照れたように笑った。
 西鬼は目をまんまるにして、黙って、遼の話を聞いていた。

「それは気高い目標だな、遼。実の父親と同じ道を進んで、父に認めて貰える仕事が出来るかどうか、そこが男の正念場だ」
 気難しげに大真面目な顔で征士が遼に向かった。
「け、気高い!?」
 遼は流石に狼狽えた。ここでその言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
「気高い……は言い過ぎかもしれないけど、そういうのって、プレッシャーにならないの? 遼。勿論、お父さんになんだって認めて貰いたい、っていうのは、誰にだってある感情でそこは素直だと思うよ」
 伸も遼の隣でやや考え込む顔をしている。

「そうかな、俺そんなにおかしなこと言った?」
 遼はしきりに頭をかいている。
「いや、おかしなことは全然ない。俺も伸に同意だ。親に認めて貰いたいのはいくつになったって同じだ。まして同じ仕事してるなら。……あえていうなら、西鬼にはまだちょっと難しい話だったかもな」
 きょとんとして黙っている西鬼の顔を見て、当麻は苦笑いをしている。
「俺も湯川秀樹をいつか超えられるかなあ……」
 そんなことを付け加える当麻であった。遼は、はっきりとは言わなかったが、実の父よりも凄いカメラの仕事をしてみたいと内心では思っているのだろう。全員、それをうっすらと感じ取っている。
 そういうのを、西鬼に気取らせていいかどうかは、子持ちではない彼等はよくわからなかった。

「湯川博士って! 当麻。本当にやる気?」
「なんだよ、変か?」
 伸のツッコミに当麻は不敵に笑って見せた。
「当麻なら出来るかもしれないが……やるなら本気でやるんだぞ」
 征士はそういうふうに勇気づけた。
 当麻はすると笑っていた顔を引き締めた。征士の前でかっこ悪い所は見せられないと思ったのだ。

 そのとき、西鬼が自分の頭の上の桃色の角を撫でた。
 辛そうな手つきで何回も。

「西鬼?」
 ちょうど隣に座っていた征士が、西鬼の頭を気にした。
「どうした。また、角が痛むのか?」
「うん……」

 西鬼はか細い声でそう答え、頭を抱えるようにして角を触る。
「痛むのか……どうすればいい?」
 征士は自分によく似ている小さな体を抱き寄せるようにして、そう尋ねた。

「お父さん……」
 小さな声で西鬼はそう言った。
「にしきの……お父さんが、近くにいる……」

「なんだって?」
「何!」
 当麻と伸が同時に反応した。西鬼にも親がいるだろうことは、先ほど征士が言っていた。四人の大人は驚いて、西鬼の様子をまじまじと見つめた。
 だが、元々、西鬼の正体や居場所を探す手がかりを見つけるための花見である。これで目的は半ば達成出来たと言えた。

「ドンピシャか……この近くに、西鬼の父親がいる……」
 当麻は思わず身震いした。角を持っている以上、西鬼は普通の子どもではありえない。その親となれば、何者か。最悪、武装する必要も出てくるかもしれなかった。

 痛みにぐったりとしていた西鬼だったが、征士が穏やかな”気”を背中から彼に送り込んだので、少しずつ呼吸もおさまり、ゆっくりと身を起こすことが出来た。
「西鬼、お前の父親がどこにいるか、分かるか?」
 征士が、まるで膝の上に子どもを抱きかかえるような仕草をしながら、西鬼に尋ねた。
 西鬼は角の痛みが和らいだので少し笑って征士を見上げた。
「分かる。近く……にいる」

「おーい、征士! 西鬼にばっかり構うな!」
 征士の膝を独占した西鬼に激しく嫉妬した当麻が、征士の肩に抱きつこうとした。酒が入っている訳でもないのに。これでも35歳である。

「当麻! 人前だぞ!」
「西鬼だって人前じゃないか!」
 どうやら当麻は本当に西鬼に嫉妬しているらしい。征士の肩に抱きついて離れる様子がない。
「当麻!」
 膝に西鬼を抱えたまま慌てる征士。

「うん。当麻は、男の子が出来たらライバルだと思うタイプだね」
「ライバル?」
 遼が伸の言葉に驚いている。
「そうだよ。征士を巡ってのライバル」
「伸! 余計な事言うなよ~!」
 華麗に遼に説明する伸に慌てる当麻であった。

「当麻。西鬼がまた頭痛がしたらどうするんだ。私は子どもが苦しがっているので介抱しているだけだ。何も他意はない!!」
 あまりにいたたまれない恥ずかしさに征士が赤くなって大声を立てる。

「征士。そんな声立てたら、西鬼が……」
 流石に遼が征士を制止しようとした。

「にしきは、大丈夫。頭も、痛くなくなった」
 そう言って西鬼は、わざとではないのだろうが、征士の膝の上に正しい位置をとって座り直した。

「あの……西鬼くん? なんでそこに座るかな?」
 征士の肩に抱きついたまま、当麻が西鬼の顔をのぞき込む。
「気持ちいいから」
 素直な西鬼はそう答えた。
「気持ちいい? そりゃ気持ちいいだろうけど! お前、なんだー!?」
 当麻は半ばぶち切れている。
 そして何とか西鬼を征士の膝の上からどかそうとするが、西鬼は絶対にどかなかった。

(当麻、それ……当麻が怒るから面白がって西鬼がどかないんだと思うよ……)
 伸は小声でそう呟いた。
(同意。伸、俺たちは子役が出来ても、仲良くやろうな)
 遼は小声の伸に自分でも小声でそう答えた。

 そんなこんなで10分少々、忙しないコントをやった後、当麻と征士で西鬼を連れて、新宿御苑を調査することになった。
 伸と遼はカメラなど、荷物が多いために留守番をすることになった。

「そんなに大変な事にはならないと思う。妖魔の親だとして、子どもを取られているのにこんなに大人しい事は珍しい。何か事情があるのだとは思うが、それをこれから調べてくる。恐らく、話し合いで解決出来るだろう」
 征士がそう言った。
「そうだといいけど。何かあったら、スマホですぐ呼んでくれよ?」
 遼が、仲間を気にしてそう答えた。伸も頷いている。

「大丈夫だ。それじゃ、さ、西鬼、行くぞ」
 当麻に促されて西鬼は立ち上がった。そして、彼は当麻と征士の真ん中に挟まって、一緒に御苑の桜並木の方に歩き出したのだった。
 その様子に、伸と遼は思わず笑顔をかわした。
「お父さんが見つかったんなら、そこに帰るんだろうけど……出来たら、時々は遊びに来て欲しいね」
 伸は西鬼の事をそう思いやった。



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