桜花爛漫

 翌日のことであった。

 その前振りとして、征士が遼に話を聞いて貰ったという事がある。
 西鬼があんまりにも鈍いのか鋭いのか訳の分からない質問をしてきたため(単純に言えば子どもらしいだけなのだが)、征士が自分の「子どもがすることではない! 見るのもダメ!!」な倫理観に、疑問がわいてしまったのだ。珍しい事もあるものだ。
 それを、当麻と共有するのが何とも言えずに気恥ずかしく、征士はトルーパーのリーダーである遼に、
「私の倫理観が間違っているんだろうか?」
 などと、LINE上で質問したのだった。
 子どものなぜなに相談室が征士と遼の間で共有された。

 そして、当然ながら、遼も、子どもがいるわけではないので、深夜に帰宅した伸に、そういうことを尋ねた。
 その結果、この家ではこの家でのルール内の夫婦生活がおっぱじまったのだが、それは割愛する。
 深夜に帰ろうが明け方に帰ろうが、そういうことはあるだろう。

 そんなふうに一周回って、翌日、伸は、残業返上で午後七時前に、帰宅した。
 買い物袋いっぱいに食料品を買い込んで。

 遼は遼で、この日はダブルワークはなく、古本屋が閉まった時点ですぐに帰ってきていた。

 当麻と征士に至っては、相変わらず自宅で「仕事の待機」である。
 そこに、伸が、ごちそうの匂いをさせながら、八時前にやってきた。

「伸? 珍しいな、こんな時間に」
 インターホンごしに、夕飯に西鬼を貸してくれないかと言い出した伸に、びっくりしたのは当麻だった。

「うん。毎日、西鬼の世話で君ら、疲れてるだろ?」
「え……?」
「今日は、子どもが好きそうなもの色々作ったんだよ。西鬼、連れてきて。今夜はうちが預かるから」

(ネ申か! いや違う。 伸だった!!)

 当麻も西鬼が嫌いな訳ではない。だが、彼は非常に自己中な性格でもあるため、色々たまりきっているものもあった。それこそ、そうでなくては、昨日のような暴発はない。

「征士、伸が、西鬼を貸してくれって」
 当麻は早速、征士の部屋に行って、征士に直接そんなふうに声をかけて説明をした。
「伸が?」
 征士はそれなりに違和感を覚えたが、彼も、部屋をずっと西鬼と共有していた。たまには落ち着いて一人の時間が欲しかったため、西鬼に尋ねた。

「伸がご飯を食べさせてくれるそうだ。西鬼、行くか?」
「……」
 西鬼は相変わらず、桜の盆栽の方を見ている。

「桜が気になるのか?」
 ここでも自分の盆栽を気にする西鬼に、征士は本当に不思議になってきてしまう。何かよっぽどのコンプレックスがあるのだろうか。

「それなら、桜の盆栽持って、伸のところでご飯食べてこいよ」
 そこで当麻がそう言い出した。
「いいだろう、征士。伸なら、華道やってるんだから、花の扱いは得意だろうし、危険な事もしないだろう。西鬼、盆栽を絶対に乱暴に扱うなよ。征士が泣くからな」
「征士が……?」
 西鬼は餅で恩義を感じているらしい。征士を泣かすのはよくないと思ったようだった。

 素直にそっと、盆栽を両手に取って、立ち上がる西鬼。
 とことこと玄関の方に回り込み、伸の前に出た。

「……どうしたの、その盆栽」
「これはとても大切なもの」
 西鬼はそう言った。伸は、西鬼が桜に依存していることは知っているため、深くは突っ込まず、西鬼を隣の自分の家に連れて行く事にした。

「じゃ、西鬼借りるね。明日にはかえすから」
「は!?」
 ひっくり返るような声を立てる当麻。

「え、いつ返すって?」
「明日には。……バカだな、当麻。じゃなきゃ意味がないだろ、君の場合」
 伸はまろやかな毒舌を放って、勝ち誇るように笑って見せる。

「そのかわり、今度、うちの社で出す科学アンソロジーに一口乗ってね」
「はいはい、お安いご用です……ありがとう!」
 今にも感涙にむせびそうな当麻だった。

 そういうやりとりの後、当麻はおもむろに玄関を閉め、丁寧にカギをしめ、更に丁重にチェーンをかけたのだった。西鬼の事は可愛いし、辛い思いをしていそうなので、力になってやりたいとは思っていたが、こちとら大人の事情があるのだ。



「ただいま、遼。西鬼を連れてきたよ」
 程なく伸は、盆栽を大事に抱くようにして持ってきた西鬼とともに、遼とのマンションに戻ってきた。
 伸から話を聞いていた遼は、笑顔で玄関まで出てきた。

「お帰り、伸。西鬼、今日は伸がごちそう作ってくれたぞ。しっかり食べて行けよ」
 遼は伸と話し合って決めた事なので、全く驚きはしなかった。
「……うん」
 西鬼は相変わらず反応が鈍い。
「ご飯の後は一緒に遊ぼう。泊まって行けよ」
 やや緊張した様子の西鬼に遼は人なつっこい、全く彼らしい笑みを見せた。

 すると西鬼は俯くのをやめて顔をあげ、遼にはっきりした声で言った。
「こんばんは」
 人の家に泊まりに来た時はそうするものだと思ったらしい。
 勿論、礼儀上ではそれだけではないのだが--だが、伸も遼も、笑って西鬼を許した。

 そのとき伸が作ったのは、カルボナーラや鶏肉のミートボールなどの、実際に、子どもに好かれる定番料理で、何も奇をてらったようなものはなかった。

 西鬼はまずまず行儀良く、美味しそうに食事をした。
「西鬼は肉と魚とどっちが好き?」
「……魚」
 実際に、西鬼は桜鯛のグリル焼きに一番、旺盛な食欲を示していた。伸の見た所では、西鬼は他の子ども達と同じように、食べる事は好きであるし、味覚にも異常は認められない。

「この漬物、美味しい」
 胡瓜や人参のピクルスをぽりぽりかじりながら西鬼が言った。
「子供用に甘めにしたからね。……って、もしかしてこういう言い方嫌い?」
 伸が気を回してそう尋ねた。
「?」
 西鬼はピクルスをリスのようにかじる口を止め、半分セロリを口に突っ込んだまま、黙って伸の方を見た。
 子どもだ。うまい野菜は口から離したくないらしい。

「子ども扱いをされるの苦手かと思って。大丈夫?」
 西鬼はピクルスを噛んで飲み込みながら頷いた。
 まだよくわかっていないような表情だ。

「俺、セロリのピクルス苦手なんだよ。西鬼は好き嫌いなく食べられて偉いな」
 遼は西鬼の旺盛な食欲を誉めた。
 西鬼は黙々と食事をしているが、大分リラックスしているようだった。食べているところを、よく知らない大人達に見られても、遠慮している様子はない。
「遼はセロリでも何でも食べなきゃだめだよ。もう子どもじゃないんだから」
「苦手なものは苦手なんだよ。……でも伸の飯はうまいから、セロリでも食えるけど」
「ありがとう。じゃ、残さないで食べてね」

 そんな会話をしている間も、西鬼は幸せそうにミートボールを頬張り、暖かいポタージュをすすり、忙しなく食べ続けていた。
「本当に気持ちいいぐらい食べるね! 今は体も細いし小さいけれど、すぐに大きくなるだろうね。征士みたいに」
「……征士みたいに?」
 そこでようやく食べる事以外に、西鬼は口を動かした。

「そうだね。僕たちの中の誰かに似てるとしたら、西鬼は征士に似てるから」
 何の他意もなく、征士はそう言った。
 征士の話をされて、西鬼はびっくりしたように目を見開いた。

 遼はのんびりと、食後のコーヒーを啜りながら、西鬼の顔と伸の顔を見比べている。

「そうだなあ、西鬼は、俺たち四人の中で誰に似ているって言ったら、征士だろうな。当麻にもちょっと、似てるけど……」
「西鬼が、当麻に?」
 西鬼は自分の事を西鬼と発音するらしい。
 征士に似ているとは何回か言われているが、当麻に似てると言われるのは初めてだった。大きな紫色の瞳を何度も瞬かせている。

「……似てる?」
 少し困っているようでもあるが、喜んでるようにも見えるそぶりで、西鬼は遼の方を見て、伸の方を振り返った。

「そうだね。ねぼすけなところと、食いしん坊のところがね。何とも言えずに、当麻に似てるよ」
 くすくすと笑いながら伸がそう返した。

 西鬼はしばらく、遼の顔と伸の顔を見比べていたが、やがて、思いついたように口を開いた。

「伸」
 まず、西鬼は伸の方に顔を寄せた。
 ちょうど、隣の椅子に座っていた伸は、西鬼の方に身を乗り出した。
 西鬼は伸の耳に、そっと手を当てながら、それでもはっきり--聞こえるので意味がない--はっきり聞こえる声でこう言った。

「伸は、遼に、キスをするのか?」

 そう西鬼が尋ねた瞬間、気持ちよくコーヒーを飲んでいた遼は、液体を喉の気管に詰まらせて、大きく激しく咳き込んだ。

「だ、大丈夫、遼!?」
 慌てて立ち上がり、遼の席までいって、背中を撫でる伸であった。

 西鬼は何が起こったのかと、遼の方をまじまじと見ている。

「遼。遼は、伸とキスをするのか?」
 西鬼の方は珍しいぐらいに、そのことにこだわりを見せた。
 昨日、征士がしっかり教えようとした事など、全て忘れてしまっているらしい。
 もしかして、征士との講義中に寝ていたのかもしれない。

「……」
 伸に背中を撫でて貰いながら、遼はコーヒーに濡れた顔やテーブルを布巾で拭った。

「西鬼。そういうことは、子どもが大人に聞いちゃいけないことなんだ」
 重々しく、遼は言った。
「--何故」
 とぼけている様子もなく、西鬼は小首を傾げて遼を見上げる。

「キスとか、そういうのは、大人同士ですることであって、子どもがしてはいけないからだ。だから、そういう話をするのもよくない」
 遼は、なんとか言い聞かせようとした。だが、西鬼は不思議そうな顔をするばかりで、どうも遼たち大人の言い分を理解してない様子だ。

「どうして子どもはキスしちゃいけないんだ?」
 鬼の子と、征士に言われている西鬼は、記憶がないせいか、どうもこういうことに鈍いらしい。鈍いのに、積極的だ。

「どうしてと言われても……」
 遼は困ってしまう。教条的にダメなものはダメと教えるのも、反感を招きそうで躊躇われる。
 かといって、西鬼が表であちこちに、大人に向かってキスとかそのほかのことを、聞いて回るようになってはいけないと思った。
「あのね、西鬼」
 伸が西鬼の方に身を乗り出した。
「西鬼は子ども同士がキスしたり、ハグしたりしていたらどう思うの?」
 伸に真顔で尋ねられ、西鬼は虚を突かれたようだった。
「……見た事がない」
 しばらくの間のあと、西鬼はそう言った。
「だろう? キスとか、子ども同士でしないんだよ。大人のやること」
 やや得意そうに遼がそう言った。
「大人になったら、キスやハグや、いろいろ、するようになるのか?」
 西鬼はぱちくりと瞬きを繰り返しながら、伸と遼の両方にそう尋ねた。

「大人になったら。うん、そうだね」
 伸は余裕の微笑みを見せながら西鬼に頷いて見せた。
 遼も一段落したと思って、もう一度コーヒーカップに口を当てた。
「だから、当麻と征士はキスをするのか?」
 突然、西鬼はそう言った。伸と遼に、負けないような真顔でそう尋ねた。
 またしても咳き込みそうになり、すんでのところでこらえる遼。

「いや……それは……?」
 伸は西鬼の言っている事を一瞬つかみかねて、少年の顔をまじまじと見た。
 西鬼は、何とも言えない顔で黙っている。

「見たの?」
 伸が肝心の事を尋ねると、西鬼は即座に頷いた。
「……見たんだ」
「当麻が征士を廊下に連れて行って、ぎゅーってしていた」
 具体的にそんなことまで言い出す。その結果、伸と遼の事にまで興味を持ったということらしい。

(当麻……)
 伸は熱を測るように額に手を当てた。伸達が気を利かせて、一晩、西鬼を預かる事にしたが、どうやら一足遅かったらしい。征士が大好きな当麻は、子どもがいる家で我慢出来ずに何をやっているのだ。

「伸と遼も、ぎゅーってやるのか?」
 西鬼は本人達の前でそんなことをいっている。
「あのね、そういうことを、聞いちゃダメ」
 伸もやっぱり言って聞かせようとするのだった。

「しないのか?」
 すると西鬼はそんなことを言い出す。
「…………」
「…………」
 伸と遼は互いに目をそらしあいながら沈黙した。
 している、していないで言うのなら、勿論している。
 最近、伸が忙しいので、不定期になっているが、前は定期的に、しょっちゅう、していた。
 そのことを、鬼の子の西鬼に聞かれたのだから、返事のしようがないのは当たり前だ。

「……したくないの?」
 その異様な沈黙をどう思ったのか、西鬼はそういうふうにまとめようとした。
「いや違う違う、それは違う」
「そんなことないよ?」
 すると伸と遼は即座にそれを否定する。身振り手振りを交えてまで否定する。変なところで正直な二人。

「……?」
 きょとんとする西鬼。
 やっぱり、色々、分かっていないようだった。それをどう説明すればいいのかと、伸まで微妙にうわずってくる。遼の方は完全に目が泳いでいる。

「したいのか?」
「うんまあそれはなんだろうね色々あるから」
 伸はそういう大人の曖昧な言葉を発していた。もしも征士だったら、それは具体的にどういうことかと鋭く突っ込んでいた事だろう。

「どうしてそんなに聞きたいんだ?」
 たまりかねて遼が西鬼にそう聞いた。西鬼は、伸の作った美味しいピクルスをコリコリと食べながら、言った。

「見たいから」
「見たい!?」
 遼が声を裏返らせる。

(見たいのか……)
 伸は、しげしげと西鬼の顔を見ていた。そんなものを見てどうするのだろうと思うが、12歳ぐらいの少年の常識が、鬼の子にも通用するのかもしれないと思えば、それほど不思議ではないかもしれない。

「……一応聞いておくけど、見てどうするんだ?」
 遼はそこが不思議でそう尋ねた。西鬼はしばらく考え込む顔をした。
 そして素直にこう答えた。

「見てるだけ」

 伸と遼は、そこは微かに安心した。見たとしても、何か悪い事に使う訳ではないらしい。だが、見てるだけと言われても、見たいからと言って見せる訳にはいかない。子ども相手というだけではなく、大人にだって普通は見せないのだ。

「違和感はないの?」
 ふと気になって、伸がそういうことを聞いた。
「違和感?」
「僕たちは男同士だけど、気にはならない? 当麻と征士もだけどね」
「男同士……」
 西鬼はその言葉を繰り返した。伸と遼、当麻と征士は、同性同士だ。一昔前だったら、罪悪感が酷かった事だろう。
 渋谷にパートナーシップ条例が施行されるしばらく前の話で、周囲の同性を見る目にはきついものがまだあった。

「にしきは、そういうことはよくわからない。だけど、愛し合っている同士が、仲睦まじいのは見ていて嬉しい。あったかくなる」
 そういう拙い言葉で、西鬼は自分の気持ちを説明した。少なくとも西鬼は、伸や遼達の事を奇異な目では見ていないし、同性愛に対する見世物に対するような好奇心で聞きたがった訳ではないらしい。

「そうなの?」
 伸が再び尋ねると、西鬼はまた頷いた。
「当麻と征士がとても仲がいいとわかったら、なんだか嬉しくて、あったかくなった……だから、伸と遼も仲が良いと、あったかくなるかもしれないと思った」

 この場合のあったかいというのは、邪推するような必要はなく、なんだか嬉しくなる、ほのぼのする、という意味だろう。
 その感覚が単純に好きならしい。

「それは悪い事じゃないんだけど、相手の事を考えなきゃだめだよ。いきなりそんなことを言ったらみんなびっくりするよ」
「……うん」
 伸と遼の反応を見て、気がついた事もあるらしく、西鬼は大人しくそう返事をしたのだった。

「そう。自分がされたら嫌なことを、したらダメだ。西鬼はいい子だから、分かるだろう?」
 遼にそんなふうにダメ押しされて、西鬼は口答えもせず、こっくりと素直に頷いたのだった。



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