桜花爛漫

 そういうわけで、当麻と征士、伸と遼の生活に、突如、記憶喪失の子ども、それも鬼の子が紛れ込んできたのであった。
 西鬼という、鬼の子が。

 実際に鬼の子なのかどうかは、わからない。だが、頭に角が生えていることや、異常な登場の仕方から、恐らく鬼の子だろうと、トルーパー達は判断していた。

「征士は鬼の子に見えるけど、実際はなんなのかわからないって言ってる。まあそういうわけで、今ちょっと面倒くさい事になってるわけよ」
 ケータイを握りしめながら当麻は秀にそう説明した。
「へえ、鬼の子。でも、悪さしたりはしないんだろう? 話を聞いてると、なんだか困ってる感じだ」
「そうだな。悪い事は何もしていない……と思う」
「日頃、何してるんだ? そのニシキ、って鬼」
「寝てる。そうじゃなきゃ、食べている」
「……子ども!?」
 秀は思わずそう突っ込んでいた。だが、実際にそうなので、当麻はそう説明するしかなかった。
「征士の盆栽の足下で寝ているか、俺たちの誰かにくっついて何か喰ってるか、そうでなきゃぼーっと窓の外を見ているか、どれかだな。確かに悪さもしないし暴れもしない、金に手をつけたりそういう様子もない、ただひたすら寝て起きて喰ってるだけ」
「……鬼の子って、言葉の印象からは、スゴイ暴れん坊のはずだけど……」
「俺もそう思ったんだけどさ、えらい大人しいのよ。こっちから話しかけなきゃ、喋らないし」
「へえ~……あ、悪い、中姫が呼んでる、いったん切るわっ」
 秀は慌ててそう言い出した。当麻は思わず相づちを打った。
「悪いな。そういうことなら、今すぐ俺が駆けつける必要はなさそうだな? ごめん、力になりたいんだけど……」
「いいって、いいって。それより、お前の嫁さんの面倒見てやれ。鬼っ子のことは、俺たちの方で、なんとかすっから」
 当麻は自分の方から秀をせかして電話を切った。仲間である秀に、西鬼の事を報連相していたのである。
 当麻は、秀がすぐに「子ども!」と反応したことと、中姫に呼ばれるとすぐに電話を切ろうとしたことで、妙な安心感を覚えた。自分の妹と、やがて生まれてくる赤ん坊は、秀にしっかり守られる事だろう。親友を選んでくれる、男を見る目のある妹でよかった。

「秀は何か言っていたか?」

 リビングで一緒にコーヒーを飲んでいた征士は、すぐに当麻の方に身を乗り出してきた。
「ん、中姫と順調のようだな」
「そういうことではなくて。……まあ、中姫と幸せであるかは、大事なことだが」
 征士はそう付け加えた。
 当麻は、嬉しかった。当麻と中姫は羽柴の古い因習に縛られて、二十歳までお互いの存在も知らず、会う事も出来なかった。当然、征士も、中姫とは二十歳を過ぎてから初めて知り合った。
 中姫は自分の兄の思い人が男であることに少なからず衝撃を受けたようだし、まあこじらせない程度に色々あったわけだが、今では征士と中姫の間にも、ほのぼのとした交流はあるようだ。

「しかし西鬼はよく喰うし、よく寝るな」
 この三日ほどの事を振り返って、当麻はそう言った。
 当麻は在宅ワーカーを兼ねた文筆業である。パソコンで出来る仕事は一通り、自宅でこなす個人事業主だ。小説家・エッセイストとしてもそこそこ名が知れている。だが自分の研究で特許を取ったり、新しいプログラムを開発したりと日々忙しなく、気の向くままに仕事をしては財をなしているが、基本的には自由業の何でも屋。たまたま、今立て込んだ仕事がないため、家にいて西鬼の事をよく見ていた。
 同じく、征士は退魔師である。妖邪や妖魔を討伐するのが専らの仕事だ。よっぽど仕事がなくて煮詰まれば、占術鑑定などをして人生相談に乗ったりしている。まあ浮き沈みの激しい仕事である。基本的には退魔師協会の方から、妖邪討伐の仕事が舞い込んできて、華麗に倒し、報酬を得る。そうでなければ自分の方から退魔師協会に、仕事はないかと尋ねるのだが、今はそれどころではないと、征士は判断していた。理由は、西鬼である。

 西鬼が妖邪なのか妖魔なのかはわからないが、恐らく妖魔ではないかと征士は直感で睨んでいた。
 そして、自分の足下に文字通り西鬼が寝転がっているのに、退魔師協会を煩わせてまで新しい案件を取る必要はないと思っていた。
 まずは、西鬼の謎を解いて、事態を解決してからだ。
 そういうわけで、ここ三日ほど、当麻と征士は自宅で仕事らしい仕事もせず、西鬼をかまってばかりいたのである。

 西鬼は桜の盆栽の足下にまるまるようにして座り込み、ぼんやりと桜を見ているか、そうでなければ食べているかのどちらかで、滅多に口をきかなかったが、当麻がしつこく色々尋ねると、わかってきたこともあった。
 記憶がない。
 本当に、三日前以前の記憶がほぼない。
 覚えているのは「西鬼」という名前と、--桜がたくさんあるところにいた。ということだけである。

 何故角が生えているのか、と尋ねても、かぶりをふるばかりで、自分でもよくわからないらしい。
 IQ250が引っかけ問題を作って、嘘ならばらさせようとしてみたが、どうやら嘘をついている様子はない。

「西鬼のこと、これ以上手がかりが掴めないなら、私の方から、退魔師協会に連絡してみようか。害はなさそうだとはいえ……人ならぬものが、ここで問題を起こしている訳だから」
「ああ、そうだな……だけど、征士に変な疑いが持たれたりしないかな」
「変な疑いとは、なんだ。私は西鬼に何もしてないぞ」
「いや、そりゃそうだけど」
 だが、ものが、征士レベルの美少年、しかも12歳ぐらいの子どもが、すっぽんぽんで征士の部屋に出たということから始まっている。征士が妙な目で見られなければいいと思う。それで、当麻も、征士本人も退魔師協会への通報はためらっていたのだった。

 西鬼が食べて寝て、意識がしっかりしてきて、元いた居場所に自分から帰ってくれたら、自分たちも手を引こうと思っていたのだ。

「桜がたくさんあるところって、どこだろうな……?」
「さあ……日本は桜の国だ。桜が咲いている場所といったら、そこら中にある」
「また、西鬼を連れて、一緒に花見に行ってみるか? 何か思い出すかもしれない」
「それもいいが……西鬼に、帽子をかぶらせて、取らないように言いつけなければならないな。角があるのがばれたら大変だ」
「この暑いのに可哀相だな」
 当麻は頷いた。
 そして、西鬼の事を二人ともやたらに心配して気を遣っているこの状況に吹き出した。

「なあ、征士」
「なんだ?」
「俺等に、20代前半で子どもが出来ていたらさ、こんな感じだったのかな?」
 怒るかと思ったら、征士は真顔で考え込んだ。
 確かに自分たちは35歳。男同士でほぼ結婚したような状態である。同性ゆえに子どもは望めないが、もし自分が結婚して出産出来るとしたら--それこそ、西鬼のような子どもが出来ていたかもしれないのだ。

「……どうだろうか。考えた事がない」
「本当に考えた事ないのか? 子どもがいたらとか」
「……ない」
 征士はやはり真顔で答えた。
「考えても仕方ない事は考えない」
「そっか、武士らしい」
 なるほど。最初から結果が分かっていることを、いちいちグダグダ悩んだりしないのが、征士のいいところである。

「だが、西鬼は可愛いと思うし、可愛い子どもが家にいるのは、いいことだ」
 征士はそう付け加えた。
 当麻はなんだか、また嬉しくなった。
「なあ、やっぱり、今度、西鬼連れて、みんなで花見に行こうぜ。楽しく過ごせば、西鬼もきっと、いいことをたくさん思い出すよ」
「そうか、そうだといいな」
 陽気に笑って身を乗り出してくる当麻に釣られたように、征士も嬉しくなってきてそう言った。

「よし、そうしよう」
 当麻は早速、善は急げと立ち上がった。
「俺、ちょっと遼の様子を見てくるよ、ついでに花見のこと、話してくる」
「ああ--気をつけろよ」

 そういうわけで、当麻は二日ぶりに家の外に出た。在宅自由業の辛いところで、意識しないと外に出ないのである。それもあって、当麻は、遼の職場にこまめに顔を出して、外に出て歩くことにしていた。

 遼の仕事は、「冒険家」と通称されている。
 正確にはカメラマンなのだが、遼の撮影するものは、アマゾンの奥地の渓流とか、グランドキャニオンに登ってくる朝日とか、グリーンランドの村に出たギンギツネとか、そういうものばっかりである。普通撮らないというよりも、撮れないものを絶妙なタイミングで美しく撮影し、写真集にして売るという商売をしている。
 今目指しているのは南極点で、極点から見た世界はどんなものか、見てみたいし、人に伝えたいそうだ。
 そして南極に行くための資金繰りに、今、日雇いの派遣バイトをしているのだが、今のところは、近所の個人経営の古本屋と、一つ離れたコンビニチェーン店の掛け持ちであった。当麻は古本屋のヘビーユーザーであるため、遼の職場にはしょっちゅう遊びに行くのである。
 遼は、業務に差し支えのない範囲内で、当麻と話してくれる。妙なものだが、古本屋に入ってきた新刊や、当麻が好きそうな本の話など。

 ちなみに、伸は、大手出版社の編集者。
 当麻、征士、遼、秀、全員がお世話になっている、頭の上がらない存在である。
 当麻は、文筆業として年がら年中世話になっている。
 征士は、退魔師としてのスピリチュアル的な視点から、妖魔や妖邪についての常識などを出版している。
 遼は、先ほど書いたように、写真集が売れなければ生命線が消える。
 秀は、中華飯店の支配人として、グルメ本とレシピ本を出している。
 一人だけ雇われで、常識的かつ妥当に稼げる仕事をしているのが伸だった。良くも悪くもお兄ちゃんだ。弟分達を生かすも殺すも彼次第。

 そういうわけで、家に引きこもっていた当麻と征士に対し、伸と遼は表で元気に働いていたのだった。



 バイクを飛ばす事も出来るが、当麻は健康的にあえて30分ほど歩いて、遼のいる古本屋まで行った。
 大きめの建物に古い屋号の看板がついている、良い意味で昭和を思わせる古本屋だった。だが品揃えは現代的で悪くない。
 近付いていくと、屋外のワゴンの前で、バイトが本を出し入れしているのがわかった。古くて売れ筋ではない本を跳ねているところらしい。

「遼!」
 そのバイトが遼であることに気づき、当麻は足早に近付いていった。
「当麻! あれ? 西鬼の事はもういいのか?」
「いや、良くないけど……良くないってほどでもない」
 当麻は彼としてはかなり正確な事を言った。
「なんだよ、それは」
 遼はおかしそうに笑った。

「遼、古本屋とコンビニ掛け持ちしているけど、今度、全部オフになる日っていつ?」
「休み? 四日後だけど……何かあったのか?」
「また、全員で花見に行こうぜ。桜も散り際かもしれないけど、西鬼連れて」
「花見? いいけど……どうしたんだ?」
 当麻は征士と話しあったことを、遼に伝えた。西鬼が記憶が戻る可能性があるのだ。
「そういうことか! 確かに、西鬼は桜のことばっかり気にしているようだし、桜のたくさん咲いているところに連れて行ったら、何か手がかりを思い出すかもしれないな。俺ならいいよ、ただ、伸が……」
「伸?」
「その日、月曜だろう? 伸は、土日休みの仕事だから、平日は空いてないよ」
「あ、そうか……」
「勿論、急遽休みを取ることも出来るだろうけど」
 自由業の当麻は曜日感覚が薄い。それで、伸の休みの事は考えていなかった。

「夜ならどうだ?」
 当麻はそう遼にきいた。
「ああ、それなら出来るかも」
 遼は頷いた。それから、顔を曇らせた。
「だけど伸、忙しくて、夜も凄く遅くなる事あるから……どうだろうな」
「会社員の辛いところだよな」
 激務になりがちな編集者、遼は、伸の体調はかなり気にしているらしい。
 勿論、伸の方も、バイトでダブルワークをしている遼の体調を、気にしていない訳がないだろうが。
 当麻は遼と、四日後の平日の夜にまた花見をする約束をして、マンションに戻ることにした。行きはまっすぐ古本屋に来て30分だったが、帰りは他の書店も巡り歩いたので一時間以上はかかった。





wavebox


↑よろしければ一言どうぞ! 励みになります(*'-'*)