桜花爛漫

 それから20分後。
 伸はテキパキと食パンでパンのスープを作った。
 ちぎった食パンを濃いめのコンソメスープでやわらかく煮込み、溶いた卵黄をかけたものである。
 温かいスープはなんといっても消化にいいし、疲労回復になる。

「で、なんで君らも……?」
「いや、なんかいい匂いしたし……」
 当麻が言い訳がましく何か言おうとしたが、征士が窘めた。言い訳したって仕方ない。伸の料理はうまいのだ。
 結局、伸は全員分のパンのスープを作り、当麻や征士、それに遼のテーブルの前にも置いた。勿論、西鬼の前にも、綺麗な皿にスープを盛り付け、スプーンを置いてやっている。
 西鬼はまたきょとんとしたが、何とも言えない料理のいい匂いとあたたかさに気を良くしたらしく、皿の前で両手を合わせた。
「いただきます」
「うん」
 伸はにっこり笑い、征士も微笑んだ。その仕草からいって、躾はそんなに悪くない家の子どもらしい。そう思ったのだ。
 少なくとも、食べ物に対する感謝の事は知っている。

 危なげない手つきで西鬼はスプーンを使い、一口、スープを食べてみた。少し驚いた顔をした。味が気に入ったらしい。そのまま西鬼は、美味しそうにパクパクとパンのスープを食べ始めた。
「いただきます」
 それを見てから、当麻達も食事の挨拶をし、夜食のあたたかいスープを食べ始めた。

「伸、美味しい。やっぱり伸の料理はうまいな」
 遼が嬉しそうに笑って言う。
「そう? ありがとう。だけど遼、これで、全員分のパンを使い切っちゃったんだ」
 伸が苦笑いしながら答えた。
「そうなのか? 征士」
 ずっと黙っている征士に、当麻が聞いた。明日の家事当番は征士なのだ。
「ああ。--パンは明日の朝、私が買ってくる」
「そうだな」
「あ、それじゃ僕、買って来て欲しいものがあるんだけど……」
 自然と会話をしながら、四人は食事を続ける。
 ふと気がつくと、西鬼はすっかり綺麗にスープを食べ終わり、うつらうつらと眠そうに体を揺らしていた。

(どういうことなのだ? 鬼の子らしいが、子どもが素っ裸でこんなにぐったりしていて、腹を空かして、しかも疲れて眠そうだと……? 何があったのだ。妖邪ではないらしいが、妖邪に襲われかかったか何かしたのか……?)
 そう考えると、征士は気が気でない。
 それで先ほどから黙りがちなのだった。

「征士」
「……当麻?」
「あんまり根を詰めすぎるなよ」
「……」
「何かあったら、すぐ、俺に言うんだぞ」
 当麻が征士に向かって笑いながらそう言った。征士も自然と笑い返した。



 伸が食後にほうじ茶を入れて出した。そのとき、西鬼が、こてん、とテーブルに突っ伏して眠りに落ちてしまった。
 そのまますうすうと心地よさそうな寝息を立てている。
「……どうする?」
 遼が困惑して仲間の顔を見渡した。

「仕方ない、私が責任を持って、私の部屋に寝かそう」
「征士?」
「……恐らく、鬼の子だと思う」
 征士は重々しく、言葉を選びながら話し始めた。
「何故、裸で私の部屋に現れたのかも分からないが、こんなに腹を空かして疲れて眠いというのも異常事態だ。もしかして、妖邪か、妖魔から事情があって逃げてきたのかもしれない。万が一の危険に備えて、私の部屋に寝かせようと思う」

「……その方がいいだろうな」
 同居人の当麻が頷いた。当麻も、ほぼ、同じ考えなのだった。

「そうするんだね。それなら僕たちはいつもの通りこっちで寝るけど……?」
 伸がうかがうように遼を見ると、遼も首を縦に振った。
「西鬼の事で問題があったら、すぐ報告してくれ。俺たちみんなで、力になろう」
 遼がそういうと、当麻はにやりと笑った。
「分かってるさ、リーダー」

 そういうわけで、征士が起きる気配のない西鬼を抱き上げて伸と遼の部屋を後にし、自宅に帰った。当麻が客用の布団を征士の部屋のベッドの脇に敷いた。征士が西鬼をそこに横たえて掛け布団を掛けた。

「……よく寝ているな。よっぽど、疲れているのだろう」
 征士が、半ば呆れたようにそう言った。初めて来た人の家で、手作りのあたたかい食事をし、テーブルの上で寝てしまい、そのあと運ばれてきてちゃんと布団の中に入れられる、その神経の太さに感服する。良くも悪くも子どもに見えるからだろうか?
「朝ちゃんと起きられるといいな。ろくに返事が出来ないのは、凄く疲れているからに見える」
「そうだな……」
 征士は険しい顔で西鬼の事を見下ろした。子どもが酷い目にあっているのだとしたら、どうしようかと悪い想像をしてしまったのだ。

「征士」
 そのとき、後ろから当麻が征士の耳を撫でた。
「何……」
 振り返った瞬間、当麻は、征士の唇に唇を重ねた。
 驚く征士。
「当麻っ」
 警戒して自分の腕を自分で抱く征士に、当麻は声を立てて笑った。
「わかってるって、今日は何もなしだ。子どもがいるところで、妙な事はしないよ。そのかわり、西鬼が自分の家に帰ったら……」
 当麻の瞳に貪欲な光がともるのを見て、征士は更に身を引いた。
「皆まで言うなっ、そういうことを、声に出して言うんじゃない!」
「わかったってば。怒るなよ。……それじゃ、おやすみ、征士」
 そういうわけで、当麻と征士は久方ぶりに、別々の部屋で就寝したのであった。



 翌朝。
 征士は朝の五時に自然と目を覚ました。彼はいつだって朝が早い。
 ゆっくりと身を起こすと、西鬼が布団の中に入っていない事に気がついた。
「!」
 西鬼は、征士が丁寧に育ててきた桜の盆栽の飾られている、低い茶箪笥にもたれかかって気持ちよさそうにすやすやと寝ていた。

「……体が凝ったりしないのか?」
 思わず声に出して眠っている西鬼に聞いてしまう。
 西鬼の方は目を覚ます様子もなく、旭山桜の盆栽の方に頭を寄せながらぐっすりと眠り込んでいた。

(何故、そんな姿勢で眠っているのだろう……私の盆栽がそんなに気に入ったのだろうか?)
 征士はそんなことが気になった。だが、盆栽が気に入ったからといって、まさかそんな理由でそんな姿勢になって眠る事もないだろう。

 困惑しながらも征士は寝間着から普段着に着替え始めた。すると、微かな衣擦れの気配が気になったのか、西鬼がゆっくりと目を見開いて、頭を縦に持ち上げた。
「おはよう」
 征士が声をかけると、西鬼は相変わらず不思議そうに、小鳥のように首を傾げながら征士を見上げる。
 本当に、子どもの頃の征士によく似た顔立ちをしていた。

「何故そんなところで寝ているのだ。布団に入って体を伸ばせばいいだろう」
「……うん」
 西鬼は、桜の盆栽の方をじっと見つめている。
「西鬼?」
「この桜……なんだか癒される」
 そう言って、西鬼はまた顔を美しい桜の花の方に近付けていった。

「そうか……ありがとう」
 自分が丹精込めた盆栽を、そんなふうに誉められ、愛でられて、悪い気はしない。征士は思わず微笑んだ。

「私はこれから修行をしてくるが、西鬼はどうする?」
「修行?」
「ああ、マンションの周りをランニングして、近くの公園で筋トレをしてくる。西鬼も来るか?」
 それは征士の毎朝の日課だった。
 西鬼は何も言わずにふるふると首を左右に振った。
「そうか。……私がいない間、どうしているんだ?」
「桜……桜を見てる」
 どうやらよっぽど、桜の盆栽を気に入ったようだった。実際に、西鬼は桜の方を見つめて、ほんのりと笑っていた。



 何しろ記録的な暖かい春であったため、征士がランニングと筋トレを終えると、すっかり汗びっしょりになってしまった。春先の異常気象は、新宿にも及び、酷い雷や豪雨を伴った時もあった。征士もニュースでエルニーニョ現象のことなどは聞いていたが、妖邪などとは関係なしに、この世界はどうかしていると思う。

 帰宅して、シャワーを浴びようとすると、ようやく起きてきた当麻と出くわした。
「ああ征士、ちょうど帰ってきたところか」
「ただいま」
「ああおかえり。そういや、朝のパンがないんだったな。どうする? これから一緒に買いに行くか?」
「ああ。その前に、シャワーを浴びさせてくれ」
「外、そんなに暑いのか?」
「暑い」

 征士はざっと浴室でシャワーを浴びて汗を流し、新しいシャツとボトムに着替え直した。
当麻の方は、リビングで朝のニュースをテレビでチェックしている。
「落雷で新宿御苑の桜が……へえ~?」
 昨日、自分たちが新宿御苑で楽しんできたばかりなので気を引いたらしい。征士は特に気にせず、まず西鬼が部屋で何をしているか確かめた。

 西鬼は、桜の花に頭を埋めるようにして、またぐっすりと箪笥にもたれて眠り込んでいた。姿勢が体を痛めるのではないかと思って気になるが、寝顔を見ると、起こすのも可哀相だった。

「西鬼は?」
「よく寝ている」
「そうか、それじゃコンビニ、行くか」

 着替えて身だしなみを整えた二人は、近所のコンビニまで一緒に歩き始めた。実際に夏のような日射しで酷く暑かった。ちょっと間違うとゲリラ豪雨でも降り出しそうだ。

「……桜に頭突っ込んで寝てる? なんだそりゃ」
「私もよくわからない。だが、私の盆栽をとても気に入ってくれたらしい」
 コンビニに行きがてら、当麻は征士から西鬼の話を聞いていた。
「そりゃ、俺も桜は好きだし、征士の盆栽は見事だと思うが……なんでそんな寝方になるんだろう?」
「私もよくわからない。だが、西鬼が鬼の子なこととなにか……」
「しっ」
 コンビニの手前で人がいるのに、「鬼の子」と口走った征士を当麻はさえぎった。この世界では、妖魔(鬼を含む)は実在するが、そのぶん、妖魔や妖邪に関する事は禁句とされていた。
 鬼と発言すれば鬼がよってくると思われているのだ。

 だから、征士が職業柄、恐れずにそういう発言をすると、周囲の人間から不吉がられてヒかれる事はよくあった。

 当麻は今の征士の一言を、コンビニの前をうろついていた客に聞かれていないかと心配し、引きつり笑いを浮かべながら近付いていった。
「おはようございます~」
 緊張して過度に友好的になる当麻。征士は冷徹な無表情だったが、内心しまったと思っている。

「あ……」
 コンビニの前に立ち尽くしていた客は、今時珍しい事に和服だった。品のいい、薄花桜色の長着に灰桜色の羽織を羽織って、草履も足袋も相応しいものをそろえている。長い白髪を背中まで流し、皺のある顔を俯かせて立っていたが、当麻に突然話しかけられ、明らかに狼狽えた。

「ぅ……あ、あの……」
「はい?」
「……っ」
 白髪の老人は喉を押さえて、いきなり当麻と征士に背を向け、意外な敏捷さで走り去っていった。

「?」
「?」
 当麻と征士は顔を見合わせた。
「……私の鬼の子という言葉が聞こえたのだろうか?」
「……だろうな。気をつけろよ、征士。妖邪や妖魔がコワイのは、一般人だったら誰だって同じだ」
「すまないことをした……」

 征士の方が俯き加減になってしまう。当麻は慌ててフォローを入れ、二人でコンビニに入り、伸に言われたパンと他の買い物をさっさと終えた。




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