桜花爛漫

 少年は、10~12歳ぐらいに見えた。小柄で華奢ではあるが、150㎝ぐらいはあるだろう。不思議そうに首を傾けて、遼の方を見ている。

「どうして、服を着ていないんだ? どこから入って……」
「桜があるから、ここにきた」
 そこで、突然、少年が口を開いた。

「桜?」
 遼が問い直すと、少年は黙って頷いた。

 全員の視線が、少年の真後ろにある、征士の盆栽の方に集まった。征士が日々、時間さえあれば世話をしているその桜の盆栽--旭山桜の盆栽は、征士の低い茶箪笥の上に大きく場所を取っておかれている。
 征士は子どもの時は前衛の盆栽を好んでいたが、現在では、伝統的な盆栽の方も愛するようになり、シンプルな形でまっすぐに桜を育てていた。手入れをされている旭山桜は大変に美しく、匂うような桃色の花を咲かせている。

「?」
 その盆栽、征士が丹念に心をこめて手入れしている盆栽は、当然ながらマンションの部屋の中にあるわけだが、この少年はどうやって、盆栽の位置を確かめたのだろう。勿論、征士はしっかりしているわけだから、部屋の窓を閉め、戸締まりはしっかりしているままである……。

 不思議そうにこちらを見ている少年を、当麻と征士、伸と遼が不思議そうに見つめ返す。妙な間が落ちた。

「どうしてここにいるのか、分からないのか、もしかして?」
 困っている様子に見えたのか、遼が優しくそう尋ねた。彼も35歳だが、身近に子どもがいるわけではないので、こんなときにどんな接し方をしていいかなど、わからない。

 子どもは一つ、頷いた。遼の方を見た後に、伸、当麻、征士の顔を見ながらまた頷いた。
 本当に、どうして征士の部屋にいるのか、分からないのかもしれない。
 そう気づいた四人の大人達に緊張が走る。お互いに視線をかわしながら、素っ裸の少年の様子を窺った。

「えーと……君、名前、なんて言うんだ?」
 遼が、その場にいた全員の疑問を口にした。
「なまえ」
 少年は、また、頭を右に傾けた。少し考え込んだようだった。
 一度、大きく目を瞬いた後、少年はこう答えた。

「にしき」
「にしき?」
「……西の鬼と書いて、にしき」

「変わった名前だな」
 当麻が思わず、声に出してそう言った。彼の目は、征士によく似た金髪の頭の上を見ていた。
「当麻」
 当麻の傍らの征士が、当麻の見ているものを見つめながら、頷いた。

 伸も遼も気づいていない訳がないだろう。少年の頭の上には、小さなとんがった桃色の角が二本、ちょこんと立っているのだ。一見すると萌えキャラのように可愛い角が。
 そして、西鬼という名前。

(まさか、子どもの妖邪……?)
 退魔師をしている征士に、当麻は耳打ちした。征士は静かに首を横に振った。
(わからない。今の段階では。しばらく、様子を見る)
 征士は低く重々しい声でそう答えた。
 何しろ彼も35歳。12歳前後の美少年を素っ裸で部屋の中に拉致していたと、世間にバレたら、どんな目に合わされるか分かったものじゃない。当麻の勘違いも素晴らしいが、他にもいろいろ勘違いをする人間が出てくるかもしれない。ここは、慎重に動きたい。

 そのとき伸が、遼と同様に前に進み出た。
「どうして服を着ていないの? どこに置いてきたんだ?」
「服?」
 西鬼はまた目を瞬いた。大きな紫色の瞳にかげりが生まれる。伸の言っている意味がよくわからないらしい。
「うん、服。寒いでしょ? 心細くない? 今、服を用意してあげるから、着てみて」
 どうやら室内に、子供服はないらしいと気がついた伸は、そう言った。
「おい、どうするんだよ」
 やはり子どもの扱いには自信がない当麻が伸に後ろから尋ねる。
「何って、服を着せるんだよ。当麻、君の服で綺麗に洗っていて、着ていないの、出して」
「お、俺!?」
「他にどうするんだよ。ま、征士でもいいけど。でも当麻。君、征士の服を君以外の誰かが着るの、許せるの?」
 伸にさらっとそう言われて、当麻は絶句した。
「ちょっと待て伸。何故、私の服を当麻が着る事が前提なのだ」
「それは征士、君は理解出来なくてもいいよ」
 伸がにっこり笑ってそう言って、征士の事を煙に巻いた。

「……分かったよ。今、服を持ってくる。着せるのは伸達がやってくれよな?」
 当麻はそう言って、よろよろと、自分の新品の着ていない服を探しに、自分の部屋に戻っていった。

 すったもんだの騒ぎの後に、伸はどうにか西鬼に当麻の服を着せ終えた。どっちにしろ、子どもが裸で大人達の真ん中に立っているのは絵としても美しくない。ちゃんと、西鬼に当麻の誰でも着そうなシャツとデニムを着せ込むと、何故か、西鬼本人よりも周りの方に落ち着いた空気が流れた。西鬼の方は相変わらず反応が鈍く、よく見ると酷く眠そうだった。ぐったりしているのが、分かってきた。

「西鬼、君はどこの子なの?」
 服を着せ終わった後、伸が改めてそう尋ねると、西鬼は悲しそうに俯くだけだ。
「……どこの子?」
 遼も重ねてそう聞いて見た。

「わからない」
 西鬼はそうとだけ答えた。

 どうやらその様子から言って、本当にわからないのではないか、と征士達ですらが考えた。
「わからない? もしかしてお前は……」
 躊躇うことなく、征士は自分によく似た少年に向かって言った。
「妖邪なのか?」

 西鬼はきょとんとして、征士の方を見上げた。
「ようじゃ? ようじゃって、何?」
「……」
 征士は真剣な様子で西鬼を見つめた。西鬼もまっすぐに征士を見返した。
 そのまま、何とも言えない沈黙が過ぎた。

「妖邪ではない……ようだな」
 数秒の後、征士はそう言って、西鬼の事を認めた。
 専門職の征士が、妖邪ではないと断言したため、当麻達は安心した。だが、それならこの異常現象はなんだ。何故、戸締まりを完璧にしていたマンションの、征士の部屋に、素っ裸の少年がいる? しかも彼の頭には、角が生えているのだ。有名なアニメの鬼っ娘のような。

「ねえ、西鬼君。君の事、色々聞かせてもらっていいかな?」
 伸が優しい口調でそう尋ねると、西鬼は酷く眠そうな顔だったが、一応は頷いてくれた。
「そう? それじゃね、君はここに来る前どこに……」

ぐぅうう~っ……

 そのとき、何とも言えない切ない腹の音がした。全員の耳に聞こえる腹の減った音だった。
 瞬間的に、視線が、当麻に集まった。伸、征士、遼の全員が、一斉に、当麻の事を振り返った。

「俺じゃない!」
 顔を真っ赤にして当麻が叫ぶ。
「じゃ、誰……」

ぐぅ~っ

 また、腹が鳴った。それは、眠そうで、今にも立ったまま寝そうな顔をしている少年の方からだった。
「腹が減ってるのか?」
 それまで、妙に鈍い子どもの様子を不審がっていた遼だったが、異常なぐらい腹が減っている事にやっと気がついた。

「うん」
 そこは素直に、西鬼は遼に向かって頷いた。
「おなか、すいてる」

「伸!」
 遼は咄嗟に伸の方を振り返った。
「ああ、分かったよ。遼。今何か作るから、ちょっと、この子の事見ていてもらえる?」
 遼の声を聞いただけで、伸は何をすればいいか分かったらしい。
「俺たちも子どもの事を見ているぐらいなら出来るけど……どうすりゃいいんだ。警察に届けるのも、ちょっと……」
 当麻は何か考え込んでいる。状況が状況だけに、征士が変な疑われ方をするのがいやなのだ。
 伸や、征士本人も、それはわかっているようだ。

「まあそれは、西鬼君が何か食べて、ゆっくり話せるようになってからでいいじゃない」
 伸がそう言って、夜食を作りに、マンションの隣の部屋に戻っていった。



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