桜がまた、降り落ちた。
冷え切った夜気の中、暗闇に吸い込まれる吹雪のように、散り落ちる花。
見上げれば女の爪先のように細い三日月が中天にかかる以外、叢雲が闇の空に広がっている。春の靄の中に浮かぶ細い月。それ以外、光と見えるものはない。
頼りない明るさの中、ただ、風に吹かれるままに花は散っていく。
その桜のひとひらが消える時、西鬼も消える--。
征士は強く歯を噛み、フクロウに向かった。福禄寿の精霊もまた、子どもの事で悩む、心の闇に満ちた親の顔で、征士達の方を見ていた。
西鬼は双方を見比べながら、やっとの思いでフクロウの腕から滑り落ちた。自分がどうなるのか分からずに、不安で仕方なかった。
「お父さん、……」
ただ父の名を呼んで、声が途絶える。
「西鬼、人間のところに行くのは許さない。それぐらいなら、……」
そこで、福禄寿の精霊の声も途絶えた。
本当に、西鬼を食べ尽くしてしまいそうな、思い詰めた、闇に沈んだ表情でいた。能面のようなのに、その感情の波が伝わるのだ。
「待った」
当麻が声を張った。
彼は、手荷物に持ってきた鞄の中から何かを取りだした。
それは大きな和紙と筆だった。
そこには漢字が3文字、既に記入されていた。
羽柴 錦
そうあった。
「昼間に、西鬼が謡曲を口ずさんだんで、俺も思い出した。西行桜を、何故記憶のない西鬼が知っているのか。もしかしたら、そのひとふしにある”春の錦”……それが、この子の本当の名前じゃないかと」
--都は春の錦 燦爛たり……
東京都に咲く桜。桜に彩られる都会。現代においても、桜の魔性に満ちた魅力はかわりなく、御苑の桜は淡くほの白く光を帯びながら咲き誇っている。
「勿論、これはただの仮定だ。だが俺は、本来、桜の精霊である西鬼が、鬼のような姿で生きていくのは忍びない。西鬼が俺たちといたいというならそうさせてやりたい。さっきも言ったが、俺は西鬼が自分のいたいと思う場所で、それが悪い事じゃない限り、自分のやりたいと思う事に全力で取り組めるようにしてやりたいんだ。何故って言われても理由はない。だけど、子ども相手に大人がそれを望んで何が悪いんだよ」
フクロウはびっくりしたようだった。むしろ怯えたように当麻を見た。当麻は不敵に笑った。
「どっちにしろ、西鬼の鬼に歪められた姿は何とかしてやらないとな。西鬼の本名は”錦”だろう。違うか?」
「……」
フクロウは何も言わなかった。言えなかっただけなのかもしれない。
フクロウは、実際に、西鬼がこの世に誕生した瞬間を思い出していた。凄まじい雷撃を受けて枝が折れた、そのとき。……西鬼は、精霊として、フクロウの分身としてそこに誕生した。
嬉しかった。名前はなんとしようと思った。
傷ついた太い枝を見た時に、そんなに見てくれはよくはない、だが元気な精霊の子がそこにいるのが分かった。
--日本の桜の精霊の子。日本人の心は錦という。それでは錦と名付けよう。例えどんな苦難にみち、なりふりかまわないようなことがあったとしても、心の錦を忘れないで、守って欲しい……
ところがそれから僅か数日で、新宿御苑の係員達は、雷撃の衝撃で焼け焦げたにしきの枝を、粉砕してしまった。大人の事情というほどのこともなかった。にしきの枝は、植え付けをしたとしても、大木になるとは限らない、それだけの損傷を受けていたのだ。
御苑の人々はそう思った。だが、実際には、精霊の子が生まれるほどに、枝は太く元気だったのだと、フクロウは思い込んでいる。
いずれ、生まれたばかりのにしきの枝は何も出来ないフクロウの前で粉々に破砕されてしまった。そのときの辛さ、悲しみ。
--日本人の心は錦というのに、何故、国の花をそのようにいじめるのか、粉砕してまで……日本人の心は錦ではなかったのか、花を愛で、生まれた命を大事にすることは出来ないのか、……にしき、にしき……
正しく自分の身が砕かれるような苦痛と衝撃の中、桜の精の言葉はゆがんだ。言霊が歪んでしまったのだ。その名前が、錦から西鬼になるほどに。
フクロウと精霊の子の姿も歪んでしまった。桜の根の深いところから生まれた悲哀と悲嘆のため、二人の頭上には鬼の角が生えたのである。
つまり、当麻の推理はあっている。
「にしきの名前を錦に戻せば、すがたかたちも整うはずだ」
「何を言うか」
フクロウは強ばった声で突っぱねた。
「今更……私は、お前達人間を、信じる事は出来ない。この子は私の子だ」
「それは……簡単に信じて貰えるとは思っていない。俺だって、勝手な言い分に聞こえるとは思う。だから俺は、あなたと約束をしたい。あなたのことも、錦のことも守ってあげられるような約束を考えてきた」
「約束!」
フクロウは更に突っ張った声を立てた。
「約束だと?」
その声音だけで、どれだけフクロウは痛みに耐え、心を強ばらせているか分かるようなものだった。
「お父さん、当麻の言う事を、少しは聞いてあげて」
そこでやっと西鬼が口を挟んだ。
「当麻は……にしきのことも、お父さんの事も、大切に考えてくれている」
「西鬼は黙っていなさい」
福禄寿の精霊はすげなくそう言って、西鬼は悲しそうに俯いた。
「まあそうなるわな」
当麻は大して悔しがりもしなかった。
そして、また何枚かの書類を鞄から取り出した。夜っぴてPCで作ったものだ。
「ここに、御苑だけじゃなく、東京の桜全てを雷や災害から守る対策のプランがある。俺はこれを計画倒れさせるつもりはない。……花を守るための避雷針だけじゃなく、土壌改良、後継苗の寄贈、考えられるだけの事は詰め込んだ。俺は、にしきだけじゃなく、東京都の桜全てを守りたい、それをここであなたに誓約しようと思ってる」
「都の桜……すべて……?」
フクロウは目を大きく見開いた。悲しみで能面のように強ばっていた顔に表情が出来た。さすがにフクロウも、そんなことは考えていなかったらしい。
「錦のことばかり考えてたんじゃ、逆に信用なんかしてもらえないだろ。これぐらい、やんなきゃ、信用ってのは稼げない」
「そ、そうだが……」
にしきねらいで、少年のことばかり騒がれていたら、フクロウにしてみれば鬱陶しいだけだ。だが、西鬼以外のこと……フクロウも含めて、全体の事を考えてくれれば、周りと適正な距離が出来るし問題点がよく見えてくる。
逆にフクロウは、親の心の闇に迷い、西鬼のことばかり取り越し苦労してきた自分に気がついたのかもしれなかった。
「そのかわり、あんたにもやってもらいたいことがある」
「私に?」
思わずフクロウは聞いてしまった。
「そう。あんたには、新宿御苑に住む桜の精霊達の束ねになってもらいたい。いざとなったら彼等の意見をまとめ、人間達へ伝える橋渡しになってほしい。花を守る司になってほしいんだ。なんかの災害が今後起こった時は、俺も頑張るが、あんたらも頑張って欲しいんだ。--そして人を信じて、今まで通り、しょうもない俺たちを、見守って欲しい」
「…………」
フクロウは、期待と不安と、まだ腹の中で突っ張ってしまっている気持ちとがないまぜになった、何とも言えない複雑な表情で、当麻達を見ていた。征士も、伸も、遼も、フクロウに対して頷いていた。
彼が、福禄寿の太い枝を失い、悲しんでいることを、分かっているのだ。
「誓約しよう。俺は約束を守る。あんたのことも、錦のことも裏切らない」
そう言い切って、当麻は懐の中から小型の印鑑を取り出した。印鑑には朱肉がついているタイプだ。
そしてその場で、書類に捺印を行った。羽柴の印。
「俺はあんたたちを裏切らない。都内の桜は、全て守ろう。だから、あんたの錦を俺にも守らせてくれ」
そういう言い方、やり方ならば、悲しみに凝り固まって鬼におちそうな存在にも、通じる事はあったらしい。
フクロウは前に進み出て、当麻の突きつけた「羽柴錦」の書面と、花守計画のプランの書類双方に一瞥し、ふっと息を吹きかけた。
途端、書面が燃え上がった……ように見えた。炎のように明るく輝き出す紙類。
「かくということは、火久に通じる。永遠の誓約だ。--羽柴当麻よ。お前とその仲間を、桜の精霊の守り刀に迎えよう。私達を守ってくれる存在を、私は裏切らない」
いいところどりと言えばそれまでだが、そこまで言って、フクロウは油断なく、西鬼の事には一言も触れなかった。
だが、当麻は西鬼の方に視線を移した。征士に本当によく似ている少年は、黙って身を強ばらせ、大人たちのやりとりを観察していた。
「錦」
当麻は彼の本当の名を呼んだ。
「その名を俺も呼ぼう。にしき、お前は”お前自身”だ。にしきは、自分の意志でどこにでも行ける、なんだって出来る。そのことを、決めるのは、にしきだけで、誰もお前の意志を妨げないし、混ざらない。そのことを信じて、自分を愛して自分を大事にして欲しい。それが、俺と錦の約束だ」
「……分かった」
錦はそう答え、元気よく、当麻に向かって、右手の小指を差し出した。
「俺は錦。当麻との約束を守る」
僕、でも、私、ではなく、俺、と言ったのは、当麻からの影響であるのだろう。
「指切りげんまん……」
二人は古くから伝わる、誓約の儀式を行った。
当麻のすすめ方は慎重だった。まず、フクロウに桜の木々を守ると約束し、錦に自由な選択権を与えて、信用をつもうとしたのである。人間不信になってしまった精霊に対して。
「私は花鎮めを行おう」
次に進み出たのは征士だった。
退魔師の彼を見ると、フクロウの表情が再び強ばる。緊張し、当麻の元にいた錦の手を掴んで自分の方にたぐり寄せた。
「お父さん?」
「警戒しないで欲しい。私は、あなたに危害を加えない。むしろ、安らいで欲しい」
「安らぐ?」
錦を手元に引き寄せて、フクロウは聞き直した。
「この子は……」
征士が持ってきたのは、旭山桜の盆栽だった。
「この桜が、錦を助けて錦を安心させ、今のかたちを作りました」
征士はフクロウの前に盆栽を差し出して見せた。フクロウは思わず一歩前に出て桜の盆栽を見つめた。
「この盆栽には、錦を安心して眠りにつかせ、”気”を養わせる力の作用があったようです。それと同じ力を持つ”安座の輪”をこれから作ります。あなたがこれから少しでも、”気”を安らがせ、息を整えて、幸せでいられるように」
征士は、盆栽を錦の足下に置いた。錦は旭山桜の慣れた気配に顔をほころばせた。旭山桜の花は七割咲きで、これから満開になる寸前だった。
「桜は錦を守ってくれる。錦は桜の子だ」
征士は戸惑いの表情を見せる錦を勇気づけた。そうであって欲しい。桜の花は、錦を決して裏切らない。そう信じたい。
征士は、清めの塩と線香を次に取り出した。塩を東西南北にまき、線香にライターで火を点ける。白檀の香りが周囲に満ちた。
線香立てに燃える閃光をいれ、盆栽の前に置く。
「どうする気だ。にしきを……」
フクロウが征士の所作を止めようとするが、征士は礼を失する事はないものの、頑としてその重々しい行動を変えなかった。
征士は錦と福禄寿の精霊に対して柏手を打った。
不思議な事に、その柔らかい動きの中には、まるで白刃が閃くような緊張感があった。
続いて征士は朗々と祝詞を唱え始めた。
「……四つの季(とき)めぐりめぐりて春さり来れば咲く花の散り乱れ、うつそみの人の心もさまよひ出(い)で、千早振(ちはやぶ)る神のあやしき業(わざ)、荒(すさ)びそむるを鎮むるとして、鎮花(はなしづめ)の御祭(みまつり)を大宝令に定めまつられしは、いともいとも畏(かしこ)ききはにて……」
大神神社に伝わる鎮花祭の祝詞だ。それが、夜の空間に淀んでいた気配を打ち消していく。
威厳に満ちた祝詞の言霊が響き渡るたびに、フクロウの顔が和らいでいった。次第に人間らしい表情を取り戻し、翁の能面そっくりだった顔に血色が戻ってきた。
祝詞の最後の頃には、フクロウは、悲しみに荒ぶる感情を鎮めて穏やかな笑みを取り戻し、そっと錦の両方の肩に手を置いて、静かに背後を守っていた。
祝詞を唱え終えると、征士は二人に対して鋭く九字の印を切った。
「……これであなた方のうちにすくう、病魔の気配は消えた。精霊よ、あなたもだが、錦も心配に思い煩う必要はない。これであなた方は、健康だ」
それを聞いた時に、フクロウは自然と大きな深呼吸をしていた。そのときに気がついた。いつから、腹の底から落ち着いた呼吸をしていなかったことだろう。今は、丹田から全身に、自分の”気”がゆっくりと自分の全身を循環している事が分かる。
フクロウの”気”が自然体のゆったりしたものに緩むと、錦も自然と微笑んで、ゆっくりと長い息を繰り返した。
それを感じ取って、征士は彼も美しく微笑んだ。
「我は祓わず、奪わず。ただ花の息を鎮め、子が選べる一拍を与える」
錦の事を、征士は”精霊の子”と表現はしなかった。
「フクロウさん、錦、こちらへ……」
そのとき、伸が、桜の根元に敷かれたレジャーシートの方へ二人を呼んだ。
伸は、今このときのために、夜中のうちに花鎮めの膳を作っており、それを全員分持ってきたのだ。
伸が優しく謙虚な手でひたむきに作った膳は、塩、白飯、甘酒、桜餅、春野菜のおひたしだった。
フクロウは遼の案内でレジャーシートの上座に座らされ、錦は中座に座った。自然と本物の人間達が下座に集まる。
フクロウは自分が安全な地位で敬意を払われている事を感じ取った。
そのことで、フクロウは更に角の下の目を和らげ、膳の中を見てみた。美しく整えられた膳は、伸と、手伝った遼の細やかな気遣いを感じさせた。
(人の手は壊す。破壊する。だが……癒すため、作り出すためにも動く。そうだった……)
今更のようにフクロウはそのことを思い出した。
「食べて下さい。人が作ったものを、拒まずに食べるのは、あなたがこの世界をまだ信じている証明です」
「……分かった。いただこう」
フクロウは能で言う安座の姿勢を取り、ゆっくりと落ち着いた仕草で自分の膳の桜餅を一つ取り上げた。
一口食べた。
そして甘酒で流し込んだ。
「……ありがたい」
フクロウはそうとだけ言った。
父親がそうしたので、錦も同じように桜餅を食べて、甘酒を飲んだ。
それが和解と和平の証となった。
全員がどっと歓喜の声を上げて笑った。
錦の事はどうなるか分からないものの、悲しみと怒りに凝り固まっていたフクロウが、人間達を信じないと怒り続ける事をやめたのだ。
錦は影響を受けそうだったが、もう、そんなこともないだろう。
「……フクロウさん」
当麻が再び、口を開いた。
「錦の行き先、居場所は錦が決める。錦のやりたいことも、好きなことも、錦が決める。それでいいだろう。悪い事をしたら、叱ってやればいいだけだ」
「……子どもは悪さから覚える」
樹齢百年の福禄寿の精霊は切なそうにそう言った。
それは実際その通りなのだ。
「だが、お前の言う通りだ。錦の事は、錦に任せようと思う」
そう言って、フクロウは苦々しげに甘酒をまた一口飲んだのだった。
「錦はどうしたい?」
遼が、中座にちょこんと座って当麻と父親のやりとりをじっと見ていた錦に話しかけた。
それが肝心なことなのだ。
錦は遼の方を見て、それから征士の方を見た。
「行く。でも、子として。……お父さん、合わないで」
合わないで。
その不思議な一言には、重みがあった。
父と仲良くしたい、楽しく過ごしたい。だが、一つにはなりたくない、飲み込まれたくないという言葉だった。
「そうか」
征士は残念そうだった。だが、それも仕方ない事だと分かっていた。
桜の季節が過ぎれば、錦はこの世界では形を保っていられず、花が散った時に雲散霧消してしまうのかもしれないのだ。
勿論、IQ250の当麻が頭脳を振り絞れば、今からでも間に合うかもしれない。だが、間に合わないかも知れないのだ。
そういう後悔はしたくない。
それに、子が、親と一緒にいて、仲間のいる里で楽しく過ごすということは、全くまともでよいことなのだった。
それを聞き届けて、遼が動いた。
遼は持ってきたカメラから電池を抜いた。
「フクロウさん。今は、撮影をしません」
フクロウは驚いた。花見と言えば記念撮影である。無遠慮な人間に、あらゆる角度からフクロウは写真を撮影されてきた。楽しかった事もあるが、気分が悪い事も多くあった。
撮影のために、花の枝をゆすったり、もたれかかったり……必ずしも人間は、マナーを守るとは限らない。
次に遼は、プリントされた写真を無言でフクロウにさし出した。
人々が花を掃除する姿、親子が花見で笑っている顔、折れた枝を手向ける手……。そんな数々の写真。
それを見ているうちに、フクロウは、遼が何を言いたいのかわかってきた。
「これは……いい写真だ」
フクロウは遼に向かってそう言った。花の下、小さい子を膝に抱き取って笑っている親の写真だ。
それから遼は、フクロウに自分の大切にしているカメラを手渡した。
「どうぞ、お二人で、写真を撮影してみて下さい。やり方は、簡単です」
「……何」
「錦や、ご自分の姿を、撮影してもいいし、桜を撮影してもいい。自由に、自分の撮影したいものを撮ってみて下さい」
「……」
「分かるはずです。写真の主人公は、撮影される側にあるんです。あなたは、100年の間に、様々な花見客に出会った事でしょう。だけど、あなたを傷つけたような客がいたとしても、それは、あなたの方が美しく大きかったからなのですよ」
遼は気づいていたのだった。福禄寿は、子どもの錦の事だけで傷ついていた訳ではないことを。
百年間、ろくに言葉の通じない、人間達のために--。
「俺は父親もカメラマンで、父から様々なカメラに関する出来事を聞いてきました。生やさしい仕事じゃないという事も教わってきた。そのときによく考えなければいけないのは、撮影は、主人公は自分ではなく被写体の方にあるんだということです。だから、俺たちが出来るのは、精一杯生きようとする瞬間を、サポートすることなんですよ。俺は、父に認められたくて、そのことをいつも意識してきました」
差し出されたカメラ。
それを、樹齢百年の福禄寿の精霊が受け取った。
それから、フクロウは聞いた。
「そなたの父親は、どこへいるのだ」
「今は、シベリアのどこかで、写真を撮っています」
「離れているのか?」
「年に1回会えるか会えないかです。……でも親子です」
「そうか」
フクロウは微かに笑うと、最初に、遼の顔を一枚、写真に撮影した。
それから、錦に向かい合うと、錦の座って食べている様子をカメラにおさめた。
そして遼にカメラの使い方を教わって、時間差を使い、自分と錦の手を繋いでいるところを、写真に撮影した。あと、何枚か。
「まさか、私が人間をうつす時が来ると思わなかったぞ」
当たり前だが、今までは撮影されるばっかりだったのだ。
夜桜はしんしんと降り積もっていった。その中で、桜の精霊達は、写真を撮りながら声を立てて笑った。
「錦。私と桜の里へ行く前に、よく見ておきなさい。人間の笑顔を。錦、私達は、共存出来るかもしれない」
フクロウはやっとそう言ってくれた。
そのときだった。
錦の桜色の角に、光が集まった。じわじわと温もりを含んだ光が、凝縮したかと思うと、ころりと二本の角が錦の頭からこぼれ落ちた。
同じ時、フクロウの二本の角も、その白髪の上からコロコロと落ちた。
二人とも愕然とした。
「角が……落ちた!」
当麻が驚きの声を上げた。
驚愕の数秒の後、フクロウは涙を流した。泣いて喜んだ。自分の、悲しみの深さゆえに、子どもを異形の怪物にしてしまっていたのである。
それが、ようやく、鬼のような角が子どもの頭から痛みもなく取れたというのだから、嬉しくない訳がない。
「錦、錦、ああ……良かった」
フクロウはいつの間にか、自分の子どもの事を、春の錦の名で呼んでいた。
愛しさに我が子を抱き寄せた。錦も喜んで、父親の胸に抱きついた。角のない、桜の精霊らしい柔和な父の顔は好きだった。
「お父さん、良かった。これで錦は、鬼や妖邪になってしまうことはないんだね」