桜花爛漫

 錦の言葉を聞いて、フクロウだけではなく当麻達も感激した。
 子どもの錦は、その悩みをあえて口に出す事はしなかったが、ずっと気にはしていたのだろう。
 言わなかっただけだ。
 自分は鬼の子かもしれない。
 鬼になってしまうのかもしれない。
 征士の嫌いな妖邪になってしまうのかもしれない。

 そんな悩みがあるから、滅多に笑わず、無表情だったのだろう。
 そのことに気づけば良かったが、本人が言わない事をどうする事も出来ないのは本当だった。

「錦、もう悩む事はないな。……良かった」
「本当に嬉しい時に、悲しみは癒されるのだな」
 当麻と征士は、同時にそんなことを言って、お互いの顔を見て笑った。

「遼。良かったね。君のカメラ、こんな形でも喜んで貰えて」
「ああ。これで、カメラの楽しみを知ってくれる人が増えてくれたのは嬉しいよ」
 伸が遼に声をかけ、遼はほっとした息をついている。

 抱き合い、喜び合っていた精霊の親子達は、やがて、手に手を取って、舞い踊り始めた。

 ひっそりと闇の潜む暗黒の夜の中、吹雪のように降る桜の中を。

--西行桜だ。
 西鬼の名は、そこからも来たのだろう。
 名前は言霊。言霊は名前。

 良い声でフクロウは歌い、彼の仕草を真似るようにして錦は踊った。
 当麻、征士、伸、遼が拍子を取った。
 夢、幻のように美しい桜の花の散る中で、桜の精霊の親子が歌い舞う。

「夫れ朝に落花を踏んで相伴なつて出づ。夕には飛鳥に随つて一時に帰る。
「九重に咲けども花の八重桜。
「幾世の春を重ぬらん。
「然るに花の名高きは。
「まづ初花を急ぐなる。近衛殿の糸桜。
「見渡せば柳桜をこき交ぜて。都は春の錦燦爛たり。千本の桜を植ゑ置き。其色を所の名に見する。千本の花盛。雲路や雪に残るらん。毘沙門堂の花盛。四王天の栄花も。是にはいかで勝るべき。上なる黒谷下河原。むかし遍昭僧正の。
「浮世を厭ひし花頂山。
「鷲の御山の花の色。枯れにし鶴の林まで。思ひ知られてあはれなり。清水寺の地主の花。松吹く風の音羽山。こゝは又嵐山。戸無瀬に落つる滝つ波までも。花は大井河。井関に雪やかゝるらん。
「すはや数添ふ時の鼓。
「後夜の鐘の音響きぞ添ふ。
「あら名残惜しの夜遊やな。惜しむべし〳〵得難きは時。逢ひ難きは友なるべし。春宵一剋価千金。花に清香月に陰。春の夜の。(序の舞)
「花の陰より明け初めて。
「鐘をも待たぬ別れこそあれ。別れこそあれ。〳〵。
「待てしばし待てしばし。夜はまだ深きぞ。
「白むは花の陰なりけり。よそはまだ小倉の山陰に。残る夜桜の花の枕の。
「夢は覚めにけり。
「夢は覚めにけり。嵐も雪も散り敷くや。花を踏んでは同じく惜しむ少年の。春の夜は明けにけりや。翁さびて跡もなし。
   
 翁さびて
  跡もなし……

 そして気がついた時、精霊の親子は、桜にさらわれたように跡形もなくいなくなっていた。

 驚いた当麻が声をあげようとしたとき、桜の花びらの間から声が届いた。

「驚かないで、当麻、征士。桜が咲いたら、また来るから。にしきは、征士から”気”をもらった羽柴錦でもあるんだよ」

 そして夜の密やかな夜気の間に、フクロウとの楽しそうな笑い声が聞こえ……あとはただ桜闇だけが残った。



 その日の昼過ぎ。

 当麻と征士は、やっとのことでベッドから起きだして、リビングでお茶を飲んでいた。昨日は深夜まで働いていたため、まだ頭がぼんやりしている。

 ここ数日、精霊とはいえ子どものいた生活だったのだが、それがすっかり元通りになったことがまだ信じられない感じだ。
 錦は、ろくに挨拶もせず、踊りながらあっという間に、いずこかにある亜空間の、桜の里に行ってしまったらしい。

「……なんだったんだろうな」
 思わず、当麻はそう呟いた。
 それだけで、征士は当麻の言いたい意味を察した。

「錦とその父が、元気で、楽しそうだったらそれに越した事はない。錦は桜の咲く時期にはまた来ると言った。また会えるだろう」
 征士は簡潔にそう答えた。

「だな。それを待つか」
 そう言って、当麻は黙って茶を啜った。
 錦がいてもやりづらかったが、いなくてもどうにもやりづらい。
 子どものいる生活とは、どういうことなのだろうか。

「そういえば、秀に報告をしていないな。錦は一回も秀に合わなかった。今度、来た時は合わせてやろう」
 征士は今気がついたようにそう言った。
「ああ~、そうだな。秀にも中姫にも……。今度来た時は、今度こそ勢揃いで花見に行くか!」
 当麻は大きく伸びをしながらそう答えた。体が、だるい。
「カメラは錦が持つんだろうな」
 くすくすと征士が笑った。
 遼の持つ最新型のカメラを持って興奮して笑っている親子は本当に可愛かった。

「ああ、もしかして、フクロウさんが来て、フクロウさんが撮影してくれるのかもしれないぞ。そこはわからないぞ」
「そうかもしれないな……だが、楽しみなことだ」

 笑っている征士を見て、当麻は複雑な気持ちになっていた。
 自分たちの間に、子どもは出来ない。そのことを、今回の事で、征士がなんとも思っていなかった事を初めて知った。征士は思い煩っても仕方ない事を、思い煩う事に意味はないと断言し、遠い昔にその悩みは捨ててしまっていたらしい。
 今回の事で、悩みをまた抱いたりはしなかっただろうかと、当麻はそっと征士の美しい顔を盗み見た。
 征士は平然としていた。不思議そうに当麻を見返している。

「なあ、征士」
「なんだ」

「俺、今すっごく寂しい。錦がいなくて。明日からは仕事の山で。すさみそう」
「自分の機嫌は自分で取れ。大人なのだから」
 征士はすげなくそう答えた。

「そう言うなよ。征士。--仲良くしようぜ」
 当麻はそう言って、ソファの隣に座る征士に迫った。
「こら!」
 お茶をいれた湯飲みを手に持っていた征士は慌てて当麻を制止しようとした。当麻は湯飲みを取り上げて、隣のガラステーブルの上に置くと、征士をソファの上に横に押し倒した。
 征士は身をもがくようなそぶりを見せたが、当麻の腰が腰に当たると、真っ赤になって抵抗をやめた。

「何。期待してるのか?」
「ば、バカ……」

 既にその身に何度も知っている当麻の欲望の硬さを知り、征士は別の意味で硬直している。

「征士。昨日の征士は凄く綺麗だった。征士はいつだって綺麗だけど、それは、お前の内面や態度が全部全部俺好みで綺麗だからだと思う。俺は、いつだってお前と楽しくしたいし楽しみたい。征士がそばにいるだけで、こうなっちゃうんだよ。だから征士……俺といて、俺とシて?」
「……好きにしろ」
 征士はやや乱暴にそう言った後、当麻の鼻先に自分から口づけた。

「私だって、お前の事は大好きだ」
「--愛してる」
 征士の言葉にそう返して、当麻は、彼の事を組み敷いた。そして、同じ部屋に子どもがいたら絶対出来ない事を二人で仲良くはじめたのであった。



 当麻は、征士の金髪をたくみに手ですいて愛撫しながら、考えた。桜の花の降るごとに、思い出すのは、初めて征士と出会った時代の事。その頃からずっと、降り積もってきた想いは変わらない。きっと、二人の間に子どものような存在が出来たとしても変わらないだろう。
 彼の体熱を、彼の吐息を、間近に感じながら、当麻は、二人だけの時間を心ゆくまで楽しんだ。
 そして、来年、錦が現れた時、教える事を教えたいと思った。
 どんな時代であっても、本当の愛というものに、違反はないのだということを。年齢も性別も、地位も、立場も、何もかも乗り越える事が出来るのは愛なのだ。
 もしも、愛に違反があるのだとしたら、それは、「相手の自由を認めない」ということだけなのだということを。
 錦に自由を与える事が出来た事を、当麻は誇りに思ったのだった。






wavebox


↑よろしければ一言どうぞ! 励みになります(*'-'*)