桜花爛漫

 伸は編集部に対して午後も休みを取っていた。遼は元々休みの日であったこともあり、四人はしばらく話し込んだ。
「まあ、俺も色々言ったけど、全ては憶測に過ぎない。桜の精霊と話し合って確認を取った訳でもないし、西鬼は寝たまんまだ。これから確かめて、確実に動いていこうと思うが……」
「そうだな。俺も、新宿御苑にコネがちょっとだけあるから、係員に何があったか聞いて見るよ。出来たら、焼け落ちた枝の写真があったらいいんだけど」
 当麻の言葉に遼がそう言って頷いた。
 そのほかに、当麻達は、西鬼を守ってやるにはどんな方法があるか様々なことを話し合い、夕方になってから、その準備のために、伸と遼は自分の部屋に戻っていった。

 征士は、西鬼の事が気になり、自分の部屋に入った。
 西鬼は征士のベッドでよく眠っていた。よっぽど疲れているらしい。
(私の盆栽に固執するから何事かと思ったら、……死にかけてエネルギーをなくしていたのだな、可哀相に……旭山桜にとっては驚きの連続だったろうが……)
 それで、今年、盆栽に花が咲くのが遅いのかと、征士は思い至った。
 西鬼が規則正しい寝息を立てていることに安心して、征士はしばらく、盆栽の手入れをした。旭山桜は、西鬼のために頑張った事を誇りに思っているかのように、桜のつぼみをいくつもつけている枝を、征士の方に向けているように感じられる。
 植物はいい。趣味でしていることだが、生き物はやはり、いい。
「お前も良く頑張ってくれたな。嬉しいぞ、ありがとう」
 征士はつぼみを持つ旭山桜の枝をそっと撫でてやった。
 世話を受けて、礼を言われ--桜の盆栽は喜んでいるようだった。



 夜も更けた。

 福禄寿のフクロウは、闇に包まれた桜の里にいた。この現実の世界には、人間の繁栄する人間界だけではなく、様々な精霊が棲まう里、妖魔のはびこる隠れ里などが、異界という空間として密接に絡まっている。元は、完全に分離していたのだが、1988年の妖邪との戦いで、空間の境が緩んでしまったのだ。

 悲しみに疲れた桜の精霊、フクロウは、同じ仲間の大勢いる桜の里で、暫く憩いの時間を過ごしていた。
 仲間の精霊達は、フクロウに悲しみの余り角が生えているのを見て驚いた。彼の話をよく聞いて、いたわり、慰めてくれた。人間のならず者どもが、彼の分身の枝を粉々に粉砕し、ゴミとして捨てたと聞いたのだから当然である。そして、仲間の桜の精霊達はことごとく、「子ども」を取り返してくるように促した。
「たとえ人の形を取っていたにしてもそれは一時的なものに違いない」
「いっとき、憎たらしい人の姿をしていても、可愛い我が子なのだろう」
「人間達にそそのかされてついていったにしても、また虐められていたらどうする」

「人間に虐められていたら……」

 フクロウは震え上がった。同時に、仲間達に子どもは可愛いと繰り返されているうちに、西鬼への愛しさを思い出した。雷により分解された時は驚いたが、自分の分身が子どもとして生まれた時の衝撃と嬉しさ、愛情を思い出したのだった。

--とんでもない。西鬼は私の子どもだ。すぐに、取り返さなくては。確かに、人間の男が何人も一緒にいた。ひとりぼっちの西鬼が、今頃、辛い目に合わされているかもしれない……。
 フクロウは焦った。
 当麻達は西鬼を虐めるどころか保護して、欲しいと言った餅まで好きなだけ食わせてやったり、花見に連れて行ったりと可愛がっているのだが、そんなことはフクロウには分からない。
 大人の男達が、小さな可愛い西鬼をよってたかって虐めていたらどうしようという妄想に駆られ、すぐに行動を起こしたのであった。
 仲間の桜の精霊達も賛成した。彼等も人間達の事を嫌いな訳ではなかったが、人間が花見の際に騒動を起こして見せつける本性については、ケダモノじみていると思っていたのだ。--桜を愛してくれるのは、いいのだが。



 深夜、当麻も征士も寝静まった頃。
 桜の精霊、フクロウは、そっと闇に紛れて、異空間から夜の寝室に忍び寄った。
 征士の自室であった。
 そこでは、西鬼が床に子供用の布団を敷かれて、枕元に盆栽を置きながら、健やかな眠りに落ちていた。
(良かった。西鬼は無事なようだ。だが、人間の大人がいつまでも安全とは限らない……私のそばに連れて帰らなくては)
 昼間は西鬼が、征士そっくりの子どもになっていることに衝撃を受けて、拒んだフクロウだったが、今は、我が子をそばにおきたい、ずっと一緒にいたいという気持ち、願いが強くなり、その気持ちのままに行動した。

 桜の霊力を高めていく。
 そして霊力によって作り上げた見えない腕を、素早く西鬼の方へと伸ばしていった。
 見えない、長い、しっかりとした腕が、西鬼をとらえる。両腕に優しく強く西鬼を抱きかかえ、フクロウは眠っている子どもとともに、闇の中にかき消えた。



 征士が気がついたのはその直後だった。

「西鬼!?」
 桜の霊力の気配で目が覚めたのだった。
 征士が飛び起きて、確認したときには、西鬼は既に部屋の中にはいなかった。窓もドアも閉まったまま、何者かが乱入した気配は全くない。
 ただ、自分のものではない、強すぎる霊力が部屋の中に漂っている事だけがわかった。それは、昼間に見た、桜の結界の霊力と同じモノだった。

「西鬼……まさかっ」
 そうなると、考えられる事はただ一つ。新宿御苑に手がかりがあるということだけである。
 征士はすぐに着替えると、取るものも取りあえず、当麻の部屋に走って行った。
「当麻! 当麻っ……西鬼がっ……!!」
 焦燥を感じさせる征士の声を聞いて、寝るのが大好きのはずの当麻も飛び起きた。征士に蹴りを入れられる前にベッドから跳ね起きて、着替えを始める。
「何があった、征士っ!?」
 征士は手短に状況を話した。



 新宿御苑の桜の結界に、フクロウは西鬼を連れてきた。
 ここでしばらく霊力を貯めて、回復する算段である。闇の中を霊力を振り絞って、西鬼を連れて移動するのは疲労を感じた。
 だが、フクロウは満足していた。西鬼の事でずっと胸を痛めてきたが、やっとふたりきりで暮らしていけると思ったからだ。

(西鬼……角が生えている……可哀相に……)
 フクロウの頭にも、悲嘆にくれたあまりの角が二本生えている。桜色の角だ。
 慈愛に満ちた花の精霊であっても、あまりに悲しみ、あるいは悲憤に心を痛め続ければ、鬼になる場合がある。
 だが、彼等は、精霊と鬼の狭間のような状態だった。完全な鬼となってしまえば、妖魔の同類であるから、この聖なる結界の中にいることは出来ないだろう。

(私の悲しみが西鬼にも伝わっていたのだろう……私達は根っこは同じ、私の心はこの子に流れ込んでいるのだ……それで、角が出来てしまった。可哀相に……何とかこの角を取ってやれないものか。そうした方が、桜の里ではみんなが愛してくれるだろう……)
 などと子どもの事を考えて、フクロウは西鬼の桜色の角を何度も撫でた。
 そのたびに、ほろほろと涙がこぼれ出た。この子には、本体になる桜の太い太い枝があったのだ。福禄寿の立派な枝。それを基にして、植え付けさえしてくれれば、こんな痛ましい角が生える事もなかったし、生まれたてで迷子になって苦労することもなかっただろう。
 そう思うと、悲しいやら口惜しいやらで、フクロウは泣けてきて仕方ないのだった。
 そんなふうに悲嘆にくれているから、いつまでたっても角が取れないのだが……。


 夜の深い闇の中、フクロウと西鬼の周りに桜の花が舞い落ちる。
「見渡せば柳桜のこきまぜて 都は春の錦 燦爛たり 都は春の錦 燦爛たり……」
 思わず、百年の間、ずっと口ずさんできた西行桜の一節を繰り返すフクロウであった。 昔、新宿御苑で、西行桜を興行してくれた一座があったのだ。そのときの華やぎ、楽しさ嬉しさ、あの頃は……人間は本当に良いものだと思っていた……。ここは東京であって京の都ではないけれど、東京の人々も、どの人々も愛しかった。



「待て! 西鬼をどうする気だ!」
 どうにかして西鬼の角を取る方法はないものかと、考えあぐねていたフクロウ。
 桜の精霊達に無事に仲間入りするためには、鬼の子のような角はない方がいいに決まっている。
 それで立ち止まっていたのだが、そこに、恐ろしい勢いで四人の男達が突っ込んで来た。
 遼、征士、当麻、伸の四人である。皆、何かしら手に手にモノを持っている事に気づき、フクロウは身構えた。
「お前達こそ……私の子に何をしたのだ!」


 征士は、退魔師として、桜の精霊であるフクロウの声が震えている事に気がついた。
 傷ついた桜の精霊は、我が子を守ろうと威嚇のようにこちらを睨み付けてくる。
 老いた桜といえども、霊力は極めて高い。ヘタに刺激すれば危険だった。まして眠っている子どもを抱えているのだから、何をするかわからない。
 征士が立ち止まって、両手を下ろし、敵意のない事を現した。
 それを見て、当麻達も走るのをやめて立ち止まった。
 殺気立つ桜の精霊を前に、冷静な表情を向ける。

「待ってくれ、俺たちは何もしない……ただ、西鬼をかえして欲しいだけなんだ」
 当麻が、口火を切った。すると桜の精霊は、白髪を逆立てんばかりに怒り出した。

「西鬼は私の子だ。勝手な事を言うな! お前達にはもうこの子を会わせたりしない!」

 完全に気が立っている。
 そのことに気づいた征士達は、それぞれ息を殺してフクロウを見つめた。半ば予測していたが、桜の精霊は、西鬼を自分たちに取られたと思っているのだ。

「おとうさん……?」
 そのとき、フクロウの胸に抱かれていた西鬼が目を覚ました。
 フクロウの怒りに満ちた感情の波に気がついたのだろう。
「お父さん、どうしたの? ……なんで、当麻達と戦おうとしているんだ?」

 西鬼は目を見開いて、辺りを見回した。

「征士! 当麻! にしきはどうしてここにいるんだ!?」
 西鬼は敵意を見せないようにしている、トルーパー達に向けて叫んだ。
 そして、桜の精霊の腕から逃れようと身をもがいた。西鬼にしてみれば、自分は「安全な」征士の部屋で眠っているはずの時間だったのである。

「にしき……」
 フクロウは戸惑った。自分は危険な家から子どもを奪い返したのだと思い込んでいたのだから。子どもにとって、この人間達は危険な害悪であるはずだった。

「どうして……」
 悲しみの心がフクロウの身のうちから膨れ上がっていく。
 角が、少しずつ、少しずつ、大きくなる。

「西鬼、それは……」
 征士が苦渋に満ちた表情を見せる。フクロウの前で、フクロウが西鬼を征士の部屋から拉致したのだとは礼の戦士として言いづらかった。

「西鬼、落ち着いて! 君のお父さんから離れないで。僕たちが、君たちの味方だって事を忘れないで!」
 代わりに伸がそう叫び返した。
 それを聞いて西鬼は身をもがくのをやめ、大人しくなった。

「味方?」
 フクロウの表情が仮面のように強ばった。それこそ、老人の能面のような表情となり、自分たちを味方だと言った伸の方を凝視する。

「味方だと? 人間が……」
 乾いた声だった。乾いた声、そして先ほどまでは泣き濡れていたのにすっかり乾いた瞳でフクロウは当麻達を見た。

「そうだ。俺たちはあなたの味方だ。あなたの力になりたいと思ってる……そう頑なにならないで欲しい」
 当麻はそう言って、一歩、フクロウに歩み寄った。

「そんなことを誰が信じられるものか」
 老いた能面をかぶったような顔で……元々老人ではあったが……フクロウは、しわがれた声でそう答えた。
「人間は、所詮、獣だ。花を見て浮かれ、酒を飲んで騒ぐ、人間どもの浅はかさを見るがいい。野山を裸で走り回り、言葉を解さず、自分よりも弱いとみれば襲いかかっては貪る獣と何が違う。人間が、心だとか、理性だとか言っている縛りはそもそもないも同然だ。人間には、他者の立場を考える事が出来ない、ただ自分がこうしたいと思えば欲しいままに奪い取り、害し、迷惑をかけ、そして思い通りにならないと思えば壊し、殺し、泥を塗る」
 話している間に次第に早口になりながらフクロウは告げた。

「西鬼は本来なら、立派な福禄寿の花を咲かせる、桜の大木になるはずだったのだ。それがお前達人間のせいで、勝手な言い分で、生まれた途端に破砕された。あげくにゴミと言われて燃やし尽くされた。この子の体は、今はない。だから私はこの子を、現世の人間界ではなく、桜の精霊だけが棲まう世界に連れて行く。そうでなければ、この子は……」
 そこで不意に老桜は、口をつぐみ、視線だけをわずかに震わせた。
 とても悲しそうだった。辛そうだった。それで、四人は、桜の精霊の言おうとしていることをくみ取った。
 それは、西鬼も理解したほどのことだった。

「お父さん、西鬼は、花の盛りの時期を過ぎたら……消えてしまうの?」

 そういうことだった。桜の花が咲いている時期だけは、西鬼は西鬼の実体を持って、存在していられる。だが、その時期を過ぎれば--それこそ、征士の広大で寛容な”気”があったとしても……西鬼は西鬼でいられないのだろう。人間界の大気中に雲散霧消してしまうような、儚い存在であるに違いない。

「お前を桜の精霊の里に連れて行く……そこでなら、年中、桜の花が咲いているから安心して暮らせるのだよ。お前は桜の花の中で、いつまでもその姿で生きていけるのだ。そうしなさい」
「……でも」
 西鬼は二本の足で桜のじゅうたんを踏みしめて立ち、征士達の方を振り返った。

「でも……」
 伸や遼でさえが、西鬼に情が移っていた。一緒に起居をともにした、当麻や征士ならなおさらである。

「西鬼!」
 フクロウは怒ったようだった。
「どうしても、穢土である人間界にとどまるというのなら……私はお前と根を同じくするように、お前を私の中に戻すよ」
「お父さん?」
 一瞬、西鬼は意味が分からなかったが、当麻が顔面蒼白になるのを見て、何かを悟ったようだった。

「やっぱりか。飛んだ赤ずきんのおばあさんだ……あんた、思い通りにならないのなら、西鬼を食っちまうつもりだろう!」
「なんだと!」
 当麻の言葉に征士が驚いた。伸と遼も息をのんだ。

「そういうわけではない。西鬼があんまりわがままを言うのなら、西鬼は私から分離した存在なのだから、元通りに戻すというだけだ。西鬼は私の中に永遠に存在する」
 西鬼は唖然として父親を見ていた。赤ずきんのおばあさんの意味は分からなかったが、自分の自我がなくなる事ぐらいは理解した。
「にしきは……ここにいちゃいけないのか?」

「そういうわけじゃない、お前は私の子だ」
「そういうわけじゃないんだよ」
 意外にも、フクロウと当麻が同時に同じ発言をした。そのあと、にらみ合った。

「人間よ、愚かしい事を言うな。西鬼が穢土にとどまり続ける方法はない。このままでは、桜の花の生命力が衰えた時、西鬼は儚く消えてしまう。お前にそれを止める方法があるとでもいうのか。我が儘勝手な事を言うな」

「俺が死なない限り、方法はいくらだってあるさ。調べて、考え抜いて、発見してやる。西鬼が俺たちといたいと望む限り、俺は希望を捨てない。そして、西鬼に、一番いたい場所にいさせて、本当にやりたい事を応援してやりたい。あんたはなんで、それを拒むんだ。西鬼が可愛いのは分かるが、無理矢理食べちゃいたいなんて……」
 当麻が次第に言いつのるのを、征士が肘で肘を突いて止めた。
 親の事を西鬼が聞いているからだ。
 しかしそもそも当麻は、本当に、「死ななきゃ平気」の楽天主義者であるらしい。

「その通りだ。子どもが自分の思い通りにならないからといって、自分と同じ存在にしなきゃ気がすまないなんて、狂気の沙汰だ。そんな考えの人なら、例え本当の親でも、西鬼を帰す訳にいかない!」
 遼も彼らしい情熱的な口調でそう言い切った。
 隣で伸も静かに頷いている。

「遼……」
 遼の激しいだけではなく、しっかりした物の言い方に、当麻は頼もしそうに彼を振り返った。
 遼は当麻に頷いて見せた。

「老桜、あなたは西鬼のお父さんなんだ。西鬼の事を認めてやって欲しい。そして、人間を奪って破壊するだけの存在だと決めつけないでくれ! 心ない人間だけがこの世に住んでいる訳じゃない。何かを、誰かを、愛して、理解して、生み出す事が出来るのも人間の世界なんだ!」

 仁の心 人の道……!

 そういう事を、幼い頃から叫んできた少年は、凛とした表情でフクロウに向かう。
 当麻と征士は思わず、視線を見交わして遼の方に微笑んだ。
 伸は頼もしげに……むしろ誇らしげに遼を見つめている。

「お前達は……」
 怯んだように一歩後ずさりをしながら、フクロウは言った。

「私にどうしろと……言うのだ……」



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