石の区から見上げる天の塔は、サンドリアの城とは、まるで別種の威厳をまとっていた。
石造りの尖塔ではなく、白い幹のように空へ伸びる塔。
根元を囲むのは、川と運河と、丸みを帯びた家々。
(なるほど……)
深紅のロングコートの裾を風に揺らしながら、シャナンディ・S・リシャールは静かに息を吸った。
「ここが、星の神子様のおわす“天の塔”なのだ」
隣を歩くタルタル役人――最初に港で出迎えた男が、誇らしげに顎を上げる。
「星の神子の神託で、この国は動いているのだ。
神子様・元老院・五つの院の合議制。これがウィンダスの心臓なのだ」
「王ではなく、神子と元老院、か」
シャナは小さく繰り返した。
(星の神の神託……。アルタナ教会抜きに“神”を口にする感覚は、やはり慣れないな)
サンドリアでは、王と教会と騎士団が縦に並び立つ。
ここでは、タルタルたちの小さな身体と、星の神子という見えない存在が、国を支えている。
塔の前には、白いローブのタルタルたちが忙しなく行き来していた。
肩には書類の束、腰には魔道具。
その間を、ミスラの警備兵がすり抜けるように歩いていく。
(タルタルが七に、ミスラが二か三。エルヴァーンは……俺ひとり、か)
視線が集まっていることは、肌でわかる。
しかし、ちらちらと見てはすぐに自分の仕事に戻るその様子は、サンドリアの「珍しもの見たさ」とはどこか違った。
天の塔の上階までは、この日、上がることは許されていない。
星の神子との謁見は、もっと後、元老院との正式な協議が整ってからだという。
代わりに、とタルタル役人は言った。
「今日はまず、元老院と五つの院の代表と、ご挨拶なのだ。それから、魔法学校と資料室の見学。赤魔道士殿には、きっと面白いのだ」
「それは楽しみだ」
それは、嘘ではなかった。
天の塔に隣接する建物――元老院の会議室での顔合わせは、簡素なものだった。
背の低い老人タルタルたちが、ずらりと並んでいる光景は、一瞬“学童の集会”のようにも見えたが、目の奥はどれも油断ならない。
(この瞳で、戦後のこの国をまとめてきたか)
尊大さよりも、計算高さと打たれ強さ。
シャナは、父レオンのことを思い出した。
戦場で生き残った者は、皆どこか似た目をしている。
元老院の挨拶が終わると、今度は五つの院――五院の代表が、それぞれ自己紹介をした。
軍事機関でもある“口の院”、天文施設と研究機関の“目の院”、カーディアン工房の“手の院”、生物化学の“鼻の院”、魔法学校の“耳の院”。
(研究機関が、そのまま行政の一部か)
ひとつひとつ、シャナは心の中で整理する。
サンドリアでは、魔法は補助的な力にすぎない。
騎士団と教会が、前線と後背を支える構造だ。
ここでは、魔法が前線であり、研究そのものが政治と直結している。
「決して、侮れない」
誰に聞かせる訳でもなく、シャナは小さく呟いた。
午前の挨拶が終わると、次は魔法学校――マナストリの視察だった。
校舎に足を踏み入れた瞬間、鼻腔を刺すのは、古い革表紙と薬品と、焦げた煙の匂い。
「こちらが、一年生用の講義室なのだ」
案内役のタルタル教師が扉を開けると、教室の中では小さなローブ姿の生徒たちが、杖を振る練習をしていた。
「ファイアの初歩なのだ。ここで炎を出しすぎると、講義室がまた黒こげになるのだ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、教壇の前で小さな爆発が起きた。
「みゃあっ!」
「のわーっ!」
火の玉が天井にぶつかって煙になり、教師のローブの裾が少し焦げる。
「だから言ったのだ!」
教室中がわたわたと騒がしくなるのを見て、シャナは思わず口元を押さえた。
(混沌だな)
だが、その混沌の中にも、妙な安定がある。
誰も取り乱しすぎず、手分けして火を消し、怪我人の手当てをし、メモを取っている。
(失敗を積み上げて、研究が前に進む。それを国の中枢が支えている、と……)
サンドリアでは、こんな光景は考えづらい。
“魔法の爆発”は、ある種の災厄であり、忌避されるものだ。
ここでは、それが日常だ。
視察の最後に、魔法学校に併設された資料室に案内された。
高い棚にぎっしりと並ぶ本や巻物。
中には、水晶大戦の戦史や、オズトロヤ城の戦いに関する詳しい報告書も含まれているという。
「こちらは、水晶大戦後の“戦後処理”に関する記録なのだ」
司書タルタルが、大きな本を一冊、机にどさりと置いた。
シャナは手袋を外し、ページをめくる。
戦争で半ば焼け落ちた首都。
乾ききった川。
水の区まで溢れてくる獣人とモンスター。
それらを、五院と連邦軍とミスラ傭兵団が協力して押し返し、街を“魔法研究都市”として復興させていく過程が、淡々と記録されていた。
(……焼け跡から、ここまで)
魔法学校の騒がしさを思い出す。
あの混沌は、ただの騒ぎではない。
あれを許容し、その失敗を積み重ねるだけの余裕を、この街は戦後のどさくさの中から掴み取ったのだ。
「ここの住民は、どのくらいがタルタルなのだ?」
ふと尋ねると、司書は即答した。
「七割以上なのだ。残りはミスラと、あとほんの少しヒュームやガルカなのだ」
(七割)
シャナは、自分の身長と周囲の差を改めて意識する。
サンドリアでは、エルヴァーンの背丈は“基準”だ。
ここでは、自分が「突出している側」にいる。
街を歩けば、視界の低い位置を、タルタルの帽子とミスラの耳が行き交う。
彼らの間に混じると、自分の赤い帽子と羽根が、ひどく浮いて見えた。
「言葉も、随分違うな」
資料室を出たあと、廊下を歩きながらシャナは呟く。
タルタルごとに少しずつ違う訛り。
森の区のミスラたちの、また別のリズム。
それでも、皆が同じ“共通語”でやり取りをしている。
(同じ言葉の中に、いくつもの拍子が混ざっている)
それは、どこか音楽のようでもあった。
午後、戦史の資料室に場所を移した。
「オズトロヤ城の戦いに関する記録は、こちらなのだ」
司書が出してきたのは、厚い報告書と、それとは別に綴じられた名簿だった。
シャナは慎重にページを繰る。
ヤグードの聖地、オズトロヤ城。
そこを巡る、三国と獣人軍との攻防。
ミスラ傭兵団と、連邦軍戦闘魔導団が前線に立ったこと。
そして――
「……ガ・ナボ大王国第三王女、サラ・ラーヴ」
その一行に、視線が止まる。
ガ・ナボ大王国。
サンドリアから見れば、“南方の異国”に分類される、かつての小王国。
その第三王女が、ミスラ傭兵団とともにオズトロヤ城攻略に参加し、戦後しばらくウィンダス首都に留まり、森の区に居を構えた――と、記録にはあった。
(王女が、森の区に……)
シャナは眉をひそめる。
サンドリアで、王族が戦後処理と称して庶民の区画に留まることなど、まずあり得ない。
それは、王の権威の問題であり、安全の問題でもある。
(ウィンダスだから許されたのか。それとも、戦後の混乱が、それを“例外”として飲み込んだのか)
ページの余白には、誰かの走り書きが残っていた。
――ラーヴ王女、その後の行方不明。
――森の区に“血筋”を残した可能性あり。詳細不明。
「血筋、ね……」
思わず小声で繰り返す。
森の区には、今も多くのミスラが暮らしている。
その中の誰かが、ガ・ナボの血を引いていても、おかしくはない。
(王女の子が、どこかの家の娘として育っているかもしれない、ということか)
それは、この国にとっても、ガ・ナボに残された者たちにとっても、大きな意味を持つはずだ。
そして、シャナにとっても。
戦利品と聖遺物に関する記録は、別の棚にまとめられていた。
ヤグードの聖具、南方系の祈祷具、魔力を帯びた石や装飾品。
そこには、こんな一文もあった。
――「ケアル系白魔法の効果を増幅する南方産宝石の首飾り」
――戦後、連邦軍経由で他国に分配。現在位置、記録欠損。
(……やはり、あるのか)
母が大切にしていたネックレス。
癒しの力を増幅する宝石。
それとよく似た物が、戦後、ウィンダスからどこかへ流れている。
(戦利品の一部は、政治取引や、個人の欲で行方を失う)
父レオンから聞かされた、苦い話が頭をよぎる。
書類の端を指でなぞっていると、別の紙片が差し込まれていることに気づいた。
引き抜いてみると、それは簡単なメモだった。
――“白き書”流出事件に伴い、一部の聖遺物の所在も不明に。
――禁書と宝具は同じ手で動かされること多し。注意。
「白き書……?」
聞き覚えのある単語だった。
目の院の説明の中で、“神の書”と呼ばれる禁書が、かつて大きな騒動を起こしたと聞いたばかりだ。
(禁書と宝具。癒しの宝石と、神の書の断片。どちらも“扱いを誤れば国を揺らす”力を持つ)
シャナは、メモを元の位置に戻した。
頭の中で、線と線が少しずつ結び付き始める。
ガ・ナボの王女サラ・ラーヴ。
森の区に残されたかもしれない血。
戦利品として流れた宝石。
白き書と呼ばれる禁書。
そして、三国を巻き込んだ水晶大戦の傷跡。
(ウィンダスは、ただの田舎の魔法都市ではないな)
戦後の焼け跡から立ち上がった、学術都市。
星の神子の神託と、五院の研究が、危うい均衡を保っている。
サンドリアとは、あまりに違いすぎる。
(だからこそ――ここでしか見つからない答えがある)
ネックレスの行方。
家の恥。
母の涙。
そのすべてが、今はひとつの霧のように見えている。
だが、その霧の向こうに、確かに何かがあると、シャナは感じていた。
「そろそろ時間なのだ」
司書が声をかける。
「次は森の区と、ミスラ自治区の視察なのだ。
ゾルドフの道場にも顔を出してもらう予定なのだよ」
「森の区、か」
シャナは本を閉じ、丁寧に元の場所へ戻した。
ガ・ナボの王女が、かつて身を寄せた場所。
今も、多くのミスラが暮らす場所。
そのどこかに、失われた宝石の手掛かりと、戦争の続きが残っているかもしれない。
「案内を頼む」
深紅のロングコートを翻し、シャナは歩き出した。
彼の視線の先には、まだ見ぬ森の区と――
双子石のピアスをつけた、騒がしいミスラの姿が、静かに待っていた。