はじまりの絆

  慰霊の日の朝は、いつもより少しだけ、森の色が沈んで見えた。

 森の区のあちこちに、黒いリボンを結んだ旗や布が揺れている。
 いつもはけばけばしい色の服を着ているタルタルも、今日は淡い色合いで、足取りもどこか静かだ。

「……やっぱり、今日かニャ」

 家の戸を開けたフィグは、ひとつ息を吐いた。

 腕には、くすんだ朱色の布が巻かれている。
 旅立つ前、サラがつけていた装備の、一片だ。

 朝、家を出るとき、カムが手探りでそれを触り、器用な指でしっかり結び直してくれた。

「ほどけたらもったいないからね。今日は特に、ちゃんと付けておくんだよ」

「わかってるニャ。母様、迷子にならないようにニャ」

 そんなやり取りを思い出して、フィグは腕の布を軽く指で押さえた。

 家の前では、子タルや小さなミスラたちが、抱えきれないほどの花を持って走り回っている。

「こぼれるニャ、こぼれるニャ!」

 あわてて近寄ると、案の定、一番小さなタルタルの抱えていた花束が、ばさっと地面に散らばった。

「わーん! せっかくママが作ってくれたのにぃ……!」

「ちょっと待つニャ、泣いたら前が見えなくなるニャ」

 フィグはしゃがみ込み、散らばった花を手早く拾い集める。
 長すぎる茎をその場でぱきんと折り、色のバランスを整えながら束ね直す。

「ほら。こっちを短くして、真ん中に明るいの置くと、きれいニャ。
 ぎゅっと握りすぎると潰れるから、その手前で止めるニャよ」

「……わぁ、前よりきれいなのだ!」

 子タルはぱっと笑顔になり、抱え直した花束を胸にぎゅっと抱きしめた。

「フィグお姉ちゃん、ありがとなのだ!」

「うんニャ。ちゃんと届けるニャよ」

 小さな背中が走り去っていくのを見送ってから、フィグは立ち上がった。

(殴るためだけに、この腕がある訳じゃないニャ)

 そう思うと、少しだけ胸の奥が暖かくなった。

 道場へ向かう道すがら、道端の石碑や木札がいつもより目につく。
 そこには、見知らぬ名前がびっしりと刻まれている。

(ここにある名前の中に、母様の仲間もいるのかニャ)

 指先で布を確かめながら、フィグは歩みを速めた。

 ゾルドフ・モンク道場の前に着くと、いつもとは違う気配がした。

 入り口の前に、同じくらいの年頃のミスラが数人、集まっていた。
 真ん中で腕を組んでいるのは、サーモンピンクのショートカットで強気そうなミスラ――ツィム・ノマンゴだ。

「……ツィム!?」
 同期のツィム・ノマンゴを中心に、気の強そうな顔立ちのミスラ達が、殺気だった顔でフィグの方を睨んでいる。
 フィグはスピードを落として、ゆっくりとツィムの方に、というよりも道場の門の方に歩いた。門をくぐらなければ、道場で朝練が出来ないではないか。

「ちょっと」
 強気な口調で、ツィムが通り過ぎようとするフィグを呼び止めた。
「何」

「フィグ・ラーヴ。あんた、昨日、泥棒ミスラのナナー・ミーゴといちゃついていたんですって?」
「い、いちゃ……?」
「フィグが、泥棒ミスラの子分になったって、専らの噂よ。泥棒ミスラの子分が、神聖な道場に何の用なのよ!」

 そう来たか、とフィグは内心、妙な納得の仕方をした。
 サーモンピンクのおかっぱが可愛らしい、ツィム・ノマンゴは、同い年で、フィグと同じ時期からゾルドフ道場に通っている。明るくて強気で意外に面倒見のよいところもあり、女の子の友達が多い。
 だが、フィグとはどうしてもそりが合わなかった。
 理由は、ツィムは、セミ・ラフィーナの崇拝者の一人で、親の関係でセミ・ラフィーナと親しくしているフィグは「ずるい」のだそうだ。子どもの時からずっと喰ってかかられて、今ではちょっと嫌みを言われたぐらいでは何とも思わないのだが、なんといっても、泥棒ミスラの子分と言いがかりをつけられたのは、こたえた。

「あたし、ナナー・ミーゴといちゃついてなんかいなニャ。子分でもない」
 フィグははっきりした口調で言い返した。
「でも、仲間が、森の区の門のところで泥棒ミスラと一緒にいたって言っているわよ」
「一人じゃないわ。二人も三人も、見かけた子がいるんだから!」
 ツィムが言うと、ツィムの取り巻きの一人がそう援護射撃を開始した。

 一緒にいたのは本当なので、フィグは黙ってしまった。どう言ったら誤解がとけるのだろう。

「あんた、ナナー・ミーゴと何をしていたのよ!」
 苛々した様子でツィムがフィグにいつものように喰ってかかった。

「ナナー・ミーゴのグループに入るの?」
 もう一人のミスラも不安そうな顔でフィグの方をうかがっている。それはそれでいやなのだろう。

 森の区に大勢いる若いミスラは、いくつかのグループに分かれるが、特に、族長ペリイ・ヴァシャイと彼女にほど近いセミ・ラフィーナを崇めるグループが最大勢力だった。その次に大きなグループが、実際に、泥棒の子分の若いミスラを召し抱える、ナナー・ミーゴ。そのほかにも小さいグループはいくつかあるが、フィグはそのどこにも属していない。

 本当は、セミ・ラフィーナを崇拝する、族長信奉グループに入りたいのだが、何しろ、その中心人物のツィムが、フィグの事をずるいと思って攻撃してくるため、入るに入れない。かといって、ナナー・ミーゴの子分になるのも、ペリイ・ヴァシャイの代からの縁を持っている彼女には出来ない。
 それで、何ともいえずに、宙ぶらりんの位置づけで、冒険者生活をスタートしているのである。そういうわけで、彼女はどこのリンクパールも貰った事がなかった。

「あたしは、ナナー・ミーゴとは何の関係もないわ。ただ、1000ギル取られそうになっただけニャ」
 フィグは正直にそういうしかなかった。カムに間抜けと言われた事を思い出して、落ち込んだ。

「1000ギル取られそうになった?」
 それを聞いて、ツィムは身を乗り出してきた。
「どういうことよ」
 せかされたので、フィグは仕方なく、昨日あったことを正しくツィムに話すことにした。

「……何それ。もしかして、カツアゲってやつ??」
 ツィムは、全く想定外の話を聞かされて、不思議そうな顔をしている。
「ナナー・ミーゴは、ギルを取ろうとして、フィグの体を触ったのね」
「体を触った??」
 ナナー・ミーゴが懐に触れようとしたのは本当の事なので、フィグはびっくりした。ツィムの仲間達は、そこまで観察して見ていたらしい。
 なるほど、それで、いちゃついてる! と騒いだのか。

「あんた鈍くさいから、そんな目に合うのよ。泥棒ミスラのナナー・ミーゴなんかにカツアゲされそうになるなんて、不憫なやつ。ださいわ!」
「フィグってダサ~い!」
 ツィムのとりまきがそう声をあげ、彼女達は全員、弾けるように笑い出した。

「なーんだ、ナナー・ミーゴの子分になったわけじゃないのね。それなら、よかった。ぼーっとしてないで、さっさと道場に入りなさいよ。今日も、朝練は厳しいわよ」
 笑ってすっきりしたツィムはずけずけした口調でそう言って、さっさととりまきを率いて、道場の中に入っていった。先ほどまで、自分が立ち塞がっていたくせに……。

「ちょっと待つニャ! フィグはださくなんかないニャ!!」
 フィグは尻尾を逆立てていきり立った。
「それ以上いうなら、拳で勝負ニャ!!」


「あら、フィグ。私に勝つ気? 今日も勝負?」

 いつものように棘のある声。
 けれど、その耳や尻尾には、黒い紐が巻かれている。
 周りのミスラたちも、皆同じように黒を身につけていた。

 神聖なる祈りと慰霊の日なのだが……。

「殴りに来たし、祈りにも来たニャ」

 フィグは胸を張って言い返した。

「殴るのも祈るのも、どっちもちゃんとやるニャ。誰かが守った世界で、あたしたちが拳振って生きてるんだから」

「……ふうん?」

 ツィムが片眉を上げる。

 横にいた別のミスラが、じろっとフィグを見た。

「あんたも誰か、オズトロヤで落としてるの?」

 真正面からぶつけられた問いに、フィグは一瞬言葉に詰まり――それから、ゆっくりと答えた。

「……母様は、オズトロヤで戦って、それから海の向こうに行ったニャ。どこでどうなったかは、まだ知らない」

 視線を逸らさずに言う。

「だから――少なくとも“帰って来られる場所”くらい、守れるようになりたいニャ。
 ここが、戻って来る人にも、戻って来られなかった人にも、恥ずかしくない場所であるように」

 言いながら、自分で自分に驚いた。
 こんなふうに言葉が出てくるとは思わなかった。

 沈黙が、ほんの一瞬、場を支配する。

 先ほどフィグに問いかけたミスラが、目を丸くした。

「……意外と、まともなこと言うじゃない」

「“意外と”は余計ニャ」

 フィグが頬を膨らませると、ツィムがふっと笑ったように見えた。

「吠える前に、中に入れ」

 そのとき、道場の中から、ずしん、と床板を震わせる足音が聞こえた。

 姿を現したのは、巨大なガルカ――ゾルドフだ。

「ここでくっちゃべる元気があるなら、柱の一本くらい殴ってこい。……と言いたいところだが、今日は拳の稽古はなしだ」

「え?」

 フィグが目を丸くすると、ゾルドフは入口の脇に置かれた木箱をどん、と足で叩いた。
 中には、古びた木札がぎっしり詰まっている。

「今日は“記憶の稽古”だ。殴り方を教えた奴らが、どこで死んで、何を残したか。それを忘れた拳なんざ、ただの鈍器だ」

 ツィムたちが、自然と背筋を伸ばす。

「……どこに行くの?」

 フィグが尋ねると、ゾルドフは森の区の外れの方角を顎でしゃくった。

「オズトロヤの慰霊碑だ。ついて来い」

 皆がぞろぞろと動き出したそのとき、小さな影が足元を横切った。

「ひゃっ!」

 子タルが供え物の水瓶を抱えたまま、つまずいて前のめりになる。

「あ」

 水瓶が空中に浮かんだ瞬間、フィグの身体が勝手に動いた。
 地面を強く蹴り、一歩で距離を詰める。

「っとニャ!」

 伸ばした片手で、水瓶の底をしっかりと受け止めた。
 冷たい水が少しだけ跳ねて、顔にぴしゃっとかかる。

「ご、ごめんなさいなのだ……!」

 子タルが今にも泣きそうになってフィグを見上げる。

「だいじょうぶニャ。水こぼしたくらいじゃ、誰も怒らないニャ」

 フィグは笑って、そっと水瓶を持ち直してやった。

「でも、自分で持てる分だけ持つニャよ? これ、けっこう重いニャ」

「……うん!」

 子タルは小さく頷き、両手で水瓶を抱えてとことこ歩き出した。

 その様子を見ていたツィムが、ぽつりと呟く。

「ほんと、あんたは動きだけはいいわね」

「“だけ”は余計ニャ!」

 そんな掛け合いをしながら、一行は森の区の外れへと足を進めた。

 サルタバルタへの門の少し手前に、小さな広場がある。ボミンゴ広場だ。
 そこに、簡素な石碑が一つ。
 その周りには、砕かれたヤグードの仮面が積まれ、花や小さな骨飾り、折れた矢羽根が供えられていた。

 広場には、すでに何人ものミスラが集まっていた。
 年老いた者、若者、小さな子ども――皆、それぞれのやり方で石碑に手を合わせている。

「あそこ」

 ツィムが顎で示した先に、小さな木札が並べて置かれている一角があった。
 札には、細い字で名前が刻まれている。

「ここ、全部……」

「うちの親戚」

 ツィムはあっさりと言った。

「姉ちゃんと、その友だちと、いとこが二人。皆、オズトロヤから戻らなかった」

 その声には、妙な軽さがあった。
 けれど、握りしめられた木札を持つ手は、わずかに震えている。

 フィグは、何も言えずにその横顔を見つめた。

 ゾルドフが前に出て、石碑の前に立った。
 大きな手に、古い木札を一枚ずつ持ち替えながら、ゆっくりと口を開く。

「ここに名前のある奴らは、みんな殴り方を知ってた」

 低い声が広場に響く。

「だが、それだけじゃ守れなかったものがある。だから今、残ったお前らに殴り方を教えてる」

 木札をぎゅっと握りしめる若いミスラたち。
 フィグも、道場の箱から一枚渡された古い木札を見下ろした。

 そこに刻まれた名前には覚えがなかった。
 けれど、古びた木肌から伝わる体温のようなものに、胸が締めつけられる。

「拳は、忘れたら軽くなる」

 ゾルドフは続けた。

「軽くなった拳で殴られるくらいなら、敵は笑って立ち上がる。今日、ここで名前を見て、声を出さずとも、心に刻め。お前らの拳が誰の分まで突き出されているのか――忘れないようにな」

 静寂が訪れる。





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