そんなこんなで道場の朝稽古が終わり、フィグはタオルで汗を拭きながら、思わず自分の体格を確認していた。
「太った……かなぁ」
フィグはミスラらしいしなやかな筋肉のついた自分の手や足をいちいちよく見てみた。
やはり年頃の娘で、ライバルにそんなことを言われてはどうしても気にしてしまう。
よく食べて体を動かすのが商売の冒険者にとって体重の問題はどうしたってつきまとう、そこを狙いすましてそういうことを言うツィムは相変わらずの強敵だ。
「腹減った奴は食べて行けよ~」
ちなみに、ゾルドフの道場では、年齢の幼い子ミスラや子タルタルを中心に、朝稽古の後には必ずおにぎりや味噌汁を振る舞ってくれる。時には簡単なおかずも出た。
その経費は、親から貰う月賦の中に含まれていた。だから、二時間たっぷりの朝稽古で腹を減らした門弟の多くは調理の高級職人であるゾルドフの出す朝飯を遠慮なく食べていくのだった。
「お、フィグ。食べていくか?」
ゾルドフは、道場の隣の食堂から顔を出して、自分の手足や腰回りを気にしているフィグに声をかけた。
ゾルドフは白髪のガルカだ。髪の毛は前から後ろに流れており、目の隈が左右に広がっている。
ガルカの中で大柄で頑健な体つき。そのイメージに漏れず、屈強な拳と豪快で愛嬌のある性格で知られている。
フィグは6歳の時からこの道場に通っているため、その上、ゾルドフは料理の腕前も良く面倒見も良いことをよく知っていた。
乳母のカム・ラーヴが母親代わりなら、ゾルドフはフィグの父親代わりのようなものだった。
「ん……今日は遠慮しとく」
自分では太っているつもりはないが、ツィムから見ると太いのかもしれない。もしかしたらツィム以外から見ても少し太ったように見えているのかもしれない。そういう自意識過剰で、フィグは思わず朝食を拒否していた。
「なんで? 腹減ってないのか?」
いつもはしっかりおかずまでおかわりして食べていくフィグだけに、ゾルドフは意外そうに茶色の目を見開いた。
「おなかすいてない」
棒読みでフィグはそう答えていた。嘘が苦手なフィグは、演技も相当に下手である。
「嘘つけ、あれだけ動いて、ツィムと組み手までやって。腹減ってないわけないだろう。食べていけ、悪い事言わないから」
「おなかすいてないってば」
本当はハラペコのため、やはり棒読みになるフィグ。
だがゾルドフに強引に引きずられて、フィグは食堂の中に入ってしまった。
香ばしいパムタム海苔の匂いのする鮭おにぎり、あたたかい味噌汁、水の区から直接買いいれたララブの尻尾漬け。
全くの定番だが、だからこそ誘惑してくる飽きない味。
気がつくとフィグは、いただきますの挨拶をするなり、鮭おにぎりを口いっぱいに頬張っていたのだった。
流石にゾルドフは調理の高級職人。その腕前がいかされた味付けには文句のつけようがない。
(ああ、食べちゃった……でも美味しいよ~……)
そのまま悔いのない食べっぷりを披露するフィグであった。他の門弟達も口々にゾルドフの鮭おにぎりや味噌汁の味を褒めながら食べていた。
その後、フィグは食器の後片付けを手伝いに厨房の奥に引っ込んだ。道場で朝食をご馳走になった後、他の門弟と入り混じって後片付けをするのはいつものことだった。
だが、今日は違った。門弟ではなくゾルドフが、流し台のところで片付けものをしている。
「師匠?」
「ん? ああ、たまにはいいだろう」
ゾルドフが気にしない様子で茶碗を洗い始めたので、フィグはその隣で、彼の洗い流した食器をテキパキと清潔な布巾で拭き始めた。
「朝から飯を抜くのは良くないぞ。一日のエネルギーの源なんだから」
軽い口調でゾルドフはそんなことを言っている。
「そ、そうですけど。でもやっぱり色々気になって……」
やっと敬語を取り戻してフィグはそう答えた。先ほどは緊張して変な口調になっていたのだ。
「気にするって、何をだ?」
ゾルドフがざっくりと聞いてくる。フィグは、何とも言えない顔になって、ただ無言で皿を丁寧に布巾で拭った。
「フィグ?」
「あ……えーと……」
前衛の冒険者で食べ盛りで、まして朝稽古を本気でやりこんだ後なのだから、ちょっとした誘惑に勝てないのは、無理のないことなのであるが。
それでも自分の意志が弱いような気がしてしまい、フィグは口ごもる。
「お前、俺の料理好きだろう。何かあったのか?」
自信を持ってそんなことを言う父親代わりゾルドフ。
6歳の頃からずっと、フィグのことを見守ってきた大人であることにはかわりがない。
「……」
フィグは黙っていようかと思ったが、とてもゾルドフにはかなわなかった。
三分後、ゾルドフは厨房で大爆笑していた。
「ツィムに言われたか! なるほどなぁ」
本当におかしそうに笑いながらフィグの方を見て目に涙まで浮かべている。
「そ、そんなに笑わなくたっていいじゃないですか」
フィグの方は別の意味で涙目だった。
16歳の女の子で、ミスラのモンク。どうしたって日に日に筋肉はつくのだし。ウェイトコントロールには気を遣うところである。体脂肪は、問題ないだろうけど。
「いや、お前ら、本当のところよくやるな。同世代の女子に太ったとか言う女子も凄いがそれを真に受けて絶食しようとか考える方も考える方だ」
ゾルドフは何歳なのか分からないが、ミドルティーンの女子が体重を気にしたりそれを攻撃のタネにしたりすることの意味が分かっているらしい。
それを言ったらおしまいだと言う事承知の上で言う方が普通は悪いのだが……。
「いいじゃないか、組み手では勝っているんだし、筋肉つくまで修行した結果だって言ってやれ」
「言いましたよ……鍛えてるだけって。でも、やっぱり言われたら悔しいんです!」
顔を真っ赤にしてフィグが抗弁すると、ゾルドフは余計に笑い出した。
「そんなの気にすることないのに」
ということらしいが、フィグにしてみれば、「太った」の一言は本当に胸に刺さって抜けない棘のように感じられていたのだ。
それを、ゾルドフがそんなふうに笑い飛ばしたために、フィグは段々、体重を気にしている自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。
「ぶっちゃけ、そんな気にするような外見じゃないだろう。俺からしてみれば、もっと筋肉をつけて欲しいところだ。女の子なんだから仕方ないが、そんな細っこい腕で、ビクトリースマイト打ったって、モンスターには蚊ほどのダメージも与えられてないってことになりかねない。足も人形みたいに細いし、旋風脚なんてやったら、両脚折れちまうんじゃないか」
ゾルドフは思っている事をそのまま言っているようだった。
思いがけない言葉に、フィグは丸い目をさらにまんまるにしてしまった。
「私、もっと筋肉つけなきゃダメですか?」
「そりゃそうよ。今は食って動いて食って動いて、筋トレしての時期だ。お前、モンクとして大成したいんだろう?」
「それはもう。モンク、好きですから」
フィグはそう即答した。
「そりゃ嬉しい。それで、いい」
ゾルドフは目を細めてまた笑った。
「でも、ツィムが……」
同年代の幼なじみの女の子のチェックって、本当に厳しいのだ。何を言われるかわからない。その悲しさをフィグは無関係のゾルドフに訴えそうになっていた。
「ツィムの言う事なら気にすることはない。ツィムは、そうして、フィグの気を引きたいだけだ。ああ見えて、あいつ、フィグのこと好きなんだと思うぞ」
「す、好き!?」
「好きだから気にして、ちょっかい出すんだ。勿論、本人の言う通り、ツィムもセミ・ラフィーナ様のことが大好きだからというのもあるんだろうけどな。まあ、お前らは、ミスラらしいミスラの娘っ子だ。娘なら娘同士、お互いのことを思いやってやればいい。それだけよ」
考えてもみなかったことなので、フィグはぽかんとしてしまった。
小さい頃には取っ組み合いのケンカをして、その後も何かあると嫌味を言ったり言われたり、ああしたこうしたと四六時中トラブルを起こしているツィム。自分ではすっかりこじらせてしまったと思っていたが、端から見るとそういうことでもないらしい……。
「はい。気にしないようにします」
それが一番前向きだろうと思って、フィグはそうゾルドフに答え、歯を見せて笑った。
(いくら刺さること言われたって、気にしないで好きなことやってれば、こっちの勝ちだもんね!)
……そういうことである。