金の雨 銀の雨


 澄琉は熱いコーヒーを飲みながら驚いていた。
 先ほど、紫雨が見慣れない不思議な危惧を用いて入れたコーヒーなのだが、今まで飲んできたインスタントとはまるで味わいが違った。
 深みのある芳醇な味。一体どういうことなんだろう、と思ってしまう。

 澄琉がマグカップの中をまじまじと見ていると、紫雨の方が待ちきれなかった様子で言い出した。
「あの--稲生さん」
「え」
 思わぬコーヒーの味に驚いていた澄琉は紫雨の声にまた驚いてカップから顔を上げた。

「稲生さんって、ククルカンでも有名な稲生さんで間違いないんですよね。スモークツリーの栽培に初めて成功した方」
「それは……そうだけど」
 澄琉は妙に歯切れの悪い口調だった。
 若い女性、特に研究者やその助手の女性に、スモークツリーの研究チームの生き残りである稲生澄琉だとバレて、面白い目にあった事などない。いや、逆に面白すぎる事になっているのかもしれないが。

 清楚可憐な顔をした紫雨も、自分に対してそうした下心丸出しで、ろくでもない手管を仕掛けてくるのかと思い、澄琉は身構えた。

「私、トラロックを緑の星にしたいんです」
「……?」
「今のトラロックは雨の降り注ぐ岩石の星だけど、遠い未来には、光と緑のあふれかえる、生命の星にしたいです。そして、他の惑星に依存しないで、みんなが好きなものを気兼ねなく食べていけるような、自由で楽しい星であって欲しくて」
「ああ、それは、いいね」
 身構えていた澄琉だったが、思わずそう返事をしていた。
 それは、澄琉の失われた研究チームが夢見ていた夢によく似ていた。

「それで私、紫陽花の研究をしているんですけど、それで……」
「ああ、うん、それは……」
 そこから先は言わなくても分かっている。
 澄琉の研究を狙っているのだ。あるいは”女”を武器にして、手伝ってくれと言いたいのだ。そうだと思い込んで、澄琉は身振りや手振りで紫雨を止めようとした。だが、紫雨は泊まらなかった。
「それで、紫陽花から甘味料を取りたいんです。砂糖のような甘みを」
「かん……何?」

 料理をしない惑星、トラロック。
 まして男性研究者の場合は、まずは雨に強い植物を、とにかくトラロックの土壌で栽培させることにばかり夢中である。スモークツリーならスモークツリーで成功したら、その基準を広げていって、穀物を育てられたらいいと思っている。
 小麦や米、五穀を。
 後はせいぜい野菜とか果物とか、そういうことが頭に入っている研究者も多い。
 だが、CGなどの画像でなら麦や野菜や果物を見た事があっても、身近に植物があふれかえっている訳ではない。
 だから、いきなり、「砂糖」とか「甘味料」とか「甘み」とか言われても、何の事だかわからなかった。
 ちなみに、澄琉は、農場から送られてきた小麦ぐらいなら見た事はある。だが、生の野菜など生まれてこの方見た事がないのだ。

「甘味料です。甘みの原因。食べ物に甘い味付けをする、砂糖とか……みりんとか……そういうのを、私、紫陽花で作りたいんですけど、やっぱり無茶でしょうか」
「無茶って言うか……それは、遺伝子組み換え技術や、現代のトラロックの科学や、そういうもので、出来ない訳じゃないだろうけど……甘み?」
 紫雨は勢い込んで何度も頷いた。

「親も含めて、みんな、もっと現実的に考えろって言うんです。緑の星トラロックなんて夢のまた夢だって……」
「ひどいこというね」
 そこは澄琉は嫌そうに頷いた。
「紫陽花を、トラロックの土壌に根付かせる事だってできないのに、まして紫陽花を改良して甘みだなんて、絶対無茶だって。でも、私、やってみなきゃわからないと思うんです。甘い紫陽花があったって、いいじゃないですか」
「……」

 何だか本当に傷ついたような顔で紫雨はそう言っている。澄琉は、少し可愛そうになったが、自分の研究を盗まれる訳にはいかないし、彼には彼の話したい用事があったので、また黙りこくった。
(俺たちだって、トラロックを緑の惑星にしたいという夢を持って、頑張ったから出来た事だ。甘い紫陽花というのがなんだかはよくわからないけれど、女性が夢を持って悪いということはない。むしろ、みんな夢を持って生きるべきだし、励ましたいんだけど……)
 内心はそう考えている。
 そのとき、窓の外で激しい轟音が聞こえた。
 雷鳴だ。
 ……何度も立て続けに、天をつんざくような騒音を立て、稲妻を閃かせている。

「……凄い音」
 話し込んでいた紫雨もそう言って窓のカーテンを振り返った。

「スライムが繁殖するんだ」
 澄琉はやっとそう話した。
「スライムが?」
「そう。そして、次にスライムが襲撃するのは…………君だ」
 重々しい表情で澄琉はそう言った。
 紫雨は意味がわからず、紫色の瞳を大きく一つ瞬いた。



 紫雨にその話をしなければならないと思い、部屋までついてきたのだ。だが、紫雨に重い話をしようとした途端、澄琉は自分でも異常なぐらい疲れている事に気がついた。
 当然だ。
 仲間との夢のために、二重生活を始めて、三年になる。三年間、仮眠ばかりで、ぐっすりと眠る事もなく、戦い続けてきたのだ。スライムというモンスターと、研究職という現実とともに。
 澄琉は、疲れていた。これ以上なく。
 だが、話すべき事は話さなくてはいけない。このまま、何の罪もない女性を放っておく事は出来ないのだ。

「それは俺が原因でもある。落ち着いて、話を聞いて欲しい」
「は、はい……?」
「俺はシューターだ。それはさっき見ていてもわかったと思うんだけど」
 澄琉は深呼吸をした。
 澄琉からただならぬ様子を感じ取ったらしく、紫雨は黙って聞いている。
「昨日の夜、ククルカンからの依頼で俺は、スライム討伐をしたんだけど。そのときに、スライムの”返り血”と呼ばれる臭気を浴びたんだ」
「返り血?? 臭気……?」
「実際には、無臭なんだが、匂いのようなものだろうと言われている。スライムが撃沈する時に、希に、特殊などす黒い液体を分泌することがある。それがスライムの返り血だ。これに触ったらどんな機械だって即効で溶かされてしまう代物なんだが、人間には感じ取れないマーキングを同時にすることが出来るんだ。触ったわけでもないのにな。そしてその匂いはどんな方法でも消えない。やり方次第では、返り血を出させないように戦う事が出来るんだが、夕べ俺はし損じて、スライムの返り血を出させてしまった」
「……もしかして」
 紫雨が恐る恐る訪ねると、澄琉は重々しく頷いた。

「スライムの返り血を浴びた俺に、24時間以内に体を接触させると、その無臭のマーキングは感染する。さっき、君が突然、スライムに襲われたのはそのせいだ」
「ど、どうして……」
「返り血の匂いは、同じスライムには、どれだけ距離が離れていても敏感に感じ取れるものらしい。返り血のマーキングを受けた人間をどこまでも追い詰めて、同じスライムの仲間の復讐を果たす性質がある。スライムの返り血は、別名、スライムの呪詛とか怨念とも呼ばれているんだ」
「……」
「本当に、すまなかった……不注意にぶつかったりして」

 そもそも、シューターをやるぐらい運動神経には自信があるのだ。澄琉は。本来だったら、あり得ないミスだった。同じシューターにぶつかることだってあり得ないのに、大学都市で学者をしているような、普通の女性にぶつかるなんて……。

「そんな……いきなり、言われても……」
 紫雨は戸惑い、狼狽える表情を浮かべた。
「方法はある。スライムの返り血が匂うのは、72時間だけだ。残り、48時間。逃げ切れば、君の勝ちだ」
 澄琉ははっきりとそう言った。
「48時間。襲われたとしても逃げ切って、生き残ればいい。その間、俺が君を守るから。責任を取るよ」
 澄琉は、そう言って、一度深く頭を下げた。謝意だった。
 それから頭を上げてこう言った。
「まずは君の名前を教えて欲しい。そして、48時間の間、君の護衛をするから、俺の指示に従ってくれ。君の命を守りたいんだ」
 今日出会ったばかりの異性にそんなことを言われた紫雨は、顔を真っ赤にさせながら、目を伏せてしまった。だが、シューターのまともな男が言っているのだ。担いでいるわけでも欺している訳でもないだろう。それなら……。

「私の名前は、水上紫雨です。……二日間、よろしくお願いします」
 紫雨はそう答えるしかなかったのだった。



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