金の雨 銀の雨

(明日の予報は雷雨か……)
 自分の端末で天気予報を調べ、稲生澄琉イノウトオルはため息をついた。

 雷雨が来ると、モンスターが荒れる。場合によっては都市の中にまで侵入してきて、人を襲う。
 それは科学でも伝承でもなく、経験則である。一般人にはあまり知られていないが、シューターの間では常識だ。

 雨が降りしきる星、トラロック。
 生物はいないと思われがちだが、どっこい、知能のない原始生物がいくつか雨に濡れた原野にはびこっている。
 原始生物。単細胞。
 巨大なアメーバ型のそれらは、あらゆる他者の生物を飲み込み溶かし尽くす事がで大きくなる。ある程度大きくなると、子どもを産む代わりに分裂して繁殖する。
 単純にアメーバと呼ばれるそのモンスターの生態や行動原理はわかっていない事も多い。ただ、人に限らず他の生命体全てを襲撃する事は間違いなく、それがあるから、トラロックの人類は滅多に街の外には出ない。出るとして、仰々しい武装をした自動車に乗り、無生物(ロボット)の護衛を連れて迅速に移動するのが普通だ。

 アメーバはその気になれば飲み込んでしまえば鉄も溶かし尽くすと言われ、澄琉も、あるきっかけがなければアメーバを倒す職業、即ちシューターになろうとは思っていなかった。

 稲生澄琉は、数年前まで、ククルカンではどこにでもいる強化植物の研究者で、とある大学のスモークツリーのチームに入っていた。
 やはり雨に強い地球の植物、スモークツリーを何とか、トラロックの土壌に植え付け、自力で育つようにさせたい……それが目標である。
 スモークツリー……煙の木。
 雨に煙るスモークツリーの美しさに魅せられる人間は少なくはない。

 何度も失敗を繰り返しながら、澄琉の所属する研究チームは、三年前、やっとのことで農場から取り寄せたスモークツリーを、大学のビニールハウスの土に根付かせる事に成功した。
 地球の土壌ではなく、レイニウムを吸い込んだ惑星トラロックの土壌で、スモークツリーは枯れ散ることなく冬を越し、翌年の六月にまた美しい花序を見せた。
 同じ研究方法で、他の大学の土壌でもスモークツリーが栽培出来るかもしれない。
 そういうわけで、澄琉達の研究チームは、ククルカンの近所のもう一つの大学都市イシュチェルへ、自分たちでスモークツリーの株を携えて移動する事にした。
 研究チームの成功はイシュチェルの強化植物の研究者にとっても朗報以外の何でもなく、彼等は快く澄琉達を褒め称え、歓迎するつもりでいた。
何しろトラロックの土壌で栽培した全く最初の成功例なのである。
 研究チームの主立った人間全員を招いて、どうやって栽培に成功したか是非聞きたいと言っていた。
 それを喜んだ澄琉達は、大勢で武装した車に乗り込み、ロボット兵の護衛を連れてイシュチェルに向かい……そこで、アメーバに襲われた。

 前日が酷い雷雨だったと思う。
 せいぜい過激に繁殖していたアメーバの群れが、突如、荒れた道路の左右から現れ、信じられないスピードで襲いかかってきた。ロボット兵はたちまち鈍重なはずの攻撃になぎ倒され、武装自動車の砲撃はアメーバの数にはかなわず、咄嗟に通報した警察と軍隊が登場するまでの僅かな間に--澄琉以外の全員が、アメーバに喰われた。
 大事に育てた強化スモークツリーの株さえも、食い尽くされたのだった。

 澄琉が生き残ったのは全く運が良かったとしか言いようがない。
 彼自身も酷い怪我を負っていたが、命に別状はなく、イシュチェルの病院に半年ほど入院する事になった。最初のうちは、様々なPTSD反応に悩まされ、そういう意味での治療が必要なほどだった。
 退院後、澄琉は、自分の中に尽きせぬアメーバへの憎しみがあることに気がついた。
 それは理屈ではなかった。
 口惜しかったら研究者として大成し、スモークツリーにかけた夢をもう一度、大きな目標として成功すればいいという正論さえも聞こえなかった。それは今の澄琉には、まったく、あり得ないきれい事としか思えなかった。

 澄琉は、退院後、まもなく、シューターと呼ばれる、アメーバを駆逐する業者となった。
 元々運動神経もよく、金には困っていなかったし、知識もある。
 武器や防具をそろえる事も不可能ではなかった。
 アメーバがククルカンの中や近所に現れたと言う、報告が入るたびに、澄琉は勢いよく武装して飛び出していき、必ず悪夢のバケモノを実力で駆除した。
 悪夢のバケモノ……澄琉にとっては、そうとしか形容出来ないのが、この原始生物の単細胞なのである。

 やはり、大学の研究者で全く分野の違う人間が、シューターをやっているというのは珍しく、忽ち、狭い業界の中では評判になったが、澄琉はそれほど気にしなかった。
 シューターの同業者は、澄琉の遭遇した悲劇を知ると、からかったりはぶいたりしようとするのはやめて、それなりの同情や共感を見せた。当然である。彼等は、アメーバとの戦いの最前線にいる。自分の仲間をアメーバに食い尽くされた人間だって、いるのだ。
 そのトラウマから逃げられず、戦う事で悪夢に立ち向かおうとしていると解釈し、有益な情報を教えてくれたり、一緒に酒場でアメーバへの悪態をついたりした。
 澄琉はかわりに、大学近辺での面白いタメになる話をいくつか教えてやった。皆は喜んでいた。

 澄琉がシューターをやっていることに、両親はいい顔をしてはいない。
 だが、澄琉は18歳で大学進学と同時に、家庭から独立しており、27歳の現在まで、その後は自分の如才のなさで世渡りをしていた。
 そのため、いい大人が自分で決めた事を……という話になってしまい、親も、せっかく研究者に育った息子が危険な仕事を始めた事を、止める事が出来なかったのだった。

 三年前から、澄琉は副業をしている形で、スモークツリーの研究とシューターの双方を全力で頑張ってきた。
 仲間との夢をかなえるためにも、スモークツリーの研究栽培はやめたくなかった。
 シューターはもう怒りの世界である。自分でもどうしても止められないのだ。
 がむしゃらに頑張ってきて、三年。

(疲れた……)

 正直なところ、そう思う。二十代の元気の有り余る体があったから、何とか持ってきたのだということを、本人もあまり分かっていない。

 疲労のため、普段だったらしないうっかりミスがところどころ出てきていて、澄琉はそれについて悩んでいた。
 本人は、単純な疲れというよりも、いわゆるスランプという奴だと思っていたのだ。

 失敗に対して地道に対処して、頑張って頑張って頑張れば、疲労によるミスも消えると思っていた。
 それで、先日、アメーバと戦って敵は倒したものの軽い怪我を負い、眠気でフラフラしているのに、平然と大学に出てきて、通りすがりの紫雨とぶつかってしまったのであった。
(今朝の娘、とても綺麗な子だったな。足を怪我したみたいだったけど、大丈夫だろうか……)

 午前中は、ビニールハウスでスモークツリーの株の世話をしていた。
 昼食の時間になったので、澄琉は大学の食堂に行き、そこでランチセットを自動販売機から購入するとと、広いテーブルについて端末を眺めているのだった。

 ランチセットはそれこそ宅配弁当の形をしたパックである。
 縦横20㎝前後のビニールのパックの中に、ご飯と彩りの良いおかずが3品並んでいる。
 それと、自動販売機の方についているスープや飲料を好きに組み合わせて食べるのが、トラロックでは当たり前の光景だった。
 パックはトラロックと頻繁に交流しているフラカーンやジグラッドといった他惑星の工場で作られたものである。
 それらの惑星には植物も動物もあふれかえっており、食糧難に困る事はないという話に、澄琉はため息をついてしまう。
 鬱々とした雨の垂れ込める、剥き出しの岩や土の原野が広がるトラロックの原風景と、光と緑の溢れる他の惑星の原風景……。

(俺の代では無理でも、三代先までには、トラロックを緑の星にしてみせるさ。今に見てろ)

 レイニウムで美味しい取引をしているうちはいいが、いつ、食糧を輸出停止されて食っていけなくなるかがわからない、それがトラロックの最大の弱点なのであった。

wavebox


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