永遠に雨の降り続ける星。
惑星トラロック。
そこが、水上紫雨ミナガミシウの故郷であり、現在も研究者として暮らしている星である。
有史以来、ずっとずっと雨が降り続け、止む事のないこの星は、地球型惑星とはいえ、地球からの移民にふさわしいかどうか随分と論議されたものだった。
その時代……といっても、紫雨が誕生するより何百年も昔の事であるが、人類の母星地球は、人口爆発に耐えかね、銀河系のあらゆる場所に見つけられた地球型惑星に、移民船団で乗り付ける、大植民時代のことであった。
全く雨がやまないので、惑星開発と称して何らかの手段で大気の組成を変えるなり他の方法で、日照時間を作ってみようとか、そういう話もあったらしい。
その際に、詳細まで調べられたのが、トラロックの雨の成分だ。ただの金色や銀色に輝く雨水に見えたのだが、その金や銀に見えるものの正体が正体だった。
レイニウム。
単純にそう名付けられた微小な物質は、……本当にあまりにも小さすぎて微小と言う言い方であっているかさえわからないのだが……その物質は、この宇宙時代に、通信にかかせないあらゆる端末に不可欠なレアメタルの代用品だったのである。
端末。現代で言うならばスマートホンに相当する機械の通信部分に使われるレアメタルは、地球でしかとれないと言われていた。
そのため乱獲が進み、様々な問題が生まれていたのだが、このトラロックで降る雨の中に、同じ役割を果たす物質レイニウムが豊富に含まれている事がわかったのである。
そうなったら、移民するもしないもない。
雨水を資源にするために、惑星トラロックには大勢の人類が飛び込んできて、一気に開発が進められた。約300年ほど昔の話である。
惑星トラロックの各所に、ロボットにより、雨水を貯めるダムが作られ、ダムの隣には雨水からレイニウムを抽出する工場とシンクタンクが作られた。
その周りには人々が住む街が生まれ、街が生まれれば人が増えた。
何しろ、このトラロックでは、年がら年中雨が降り続けて、その不便さえ耐え忍ぶ事が出来るのならば、全く食べる事は困らなかった。
太陽の顔を見る日が年に一回もないことを我慢すれば、家の前のポリタンクに雨水を貯めておいて、それを工場に持っていけば、一生お金に困らなかった。
大体、雨水の入ったポリタンク一個で、夫婦が一週間食べていくだけの金額が手に入った。
なんだかんだで、降り続ける雨水を貯めて、ポリタンクを六個持っていけば、夫婦二人だったら一ヶ月分の衣食住がまかなえる。
そういう星だったのである。
一応、一つの世帯において一ヶ月に納品していいポリタンクは、12個までと決まっているが、そこまでは、お金を貰い放題なのであった。
--ただし、この星に住む限り、晴れ渡る空や爽やかな風とは、一生無縁になってしまうのだが。
そこは究極の選択であった。
しとしとと降る霧雨から、雷鳴高鳴る暴風雨まで、様々な雨の表情を楽しむ事が出来ると、価値観を切り替える事が出来た怠け者たちが、次々とトラロックの移住して、惑星の上に数々の村や町を作り、トラロックの人類史を紡ぎ始めた。
そうして300年後、トラロックには数々の大学や教育機関がくっついた学園都市がいくつも設立され、そこで惑星開発やそれに付随する学問、そしてレイニウムの研究が行われている。
水上紫雨の両親もそういう研究者で、専門は強化植物であった。紫雨と同じである。
紫雨も、惑星トラロックに地球の植物が最適化出来ないかどうか、あるいは、この星に最適化することによってより人類にとって好都合な植物にすることが出来ないか、ずっと研究し続けている。
太陽が見えない星であるから、植物の育ちも非常に悪く、惑星トラロックでは食糧は取れないとされている。そのため、食糧は全て、他の惑星からの輸入に頼る始末で、そこが常に社会問題となってきていた。それならば、トラロックで何とか育ってくれる植物が出来ればいい訳で……。
ちなみに、移民船団の時代は、巨大な宇宙船の中で動植物を養う事により、食糧は自給自足出来ていた。今でも、その宇宙船の機関は旧式ながら生きており、農場と呼ばれている。
だが、惑星移民の時代の何十倍も増えた人類に対して食糧を供給することは難しく、紫雨も、子どもの頃は、「パック」と呼ばれる宅配弁当でしかご飯を食べた事がなかった。
両親が、キッチンに立って料理をしている所を見た事がない。料理というのは、宅配弁当をレンジでチンすることであると思っていた。
その「パック」を惑星トラロックは近隣の惑星から何億トンも輸入しているのである。
それで、紫雨は、文学の中にやたらに出てくる「料理」とはなんだろうと、子どもの頃から想像していたのだった。それは、紫雨にとっては空中から素敵な食べ物がポンポン出てくるような魔法であった。だが、辛うじて、惑星移民の時代の伝承を覚えていた母が、「料理」の事を説明してくれたため、どうやら魔法ではないらしいことはわかった。
農場にだけいる植物や動物が、宅配弁当のパックの中身とはなかなか結びつきづらかった。だが、両親達はそもそも、その植物……動物以前に植物を、何とか惑星トラロックに根付かせ、雨の中でも役立つ農場を作りたいと言う壮大な夢を持っていて、その研究を生業にしているらしい。
紫雨がそのことを知ったのは、中学生の時であったが、両親の研究は何も金持ちの道楽とか趣味とかそういうことではなく、意味のある学問で、植物が惑星トラロックに根付いてくれれば、百年でも二百年でも繰り返されてきた食糧問題が、随分と解決の方向にいくということ、そのために、働かなくても生きていける身分なのだが、朝早起きして大学に行き、夜遅くまで書斎で勉強しているのだと理解した。
子どもの頃は、他の家庭に比べてやたらにハードスケジュールで、遊んでくれる事もあまりなかった両親に対して、子どもらしい恨みを抱いた事もあったが、それは食べていくためだけではなく、正しく、惑星トラロックの食糧問題、みんなが美味しく気兼ねなくごはんをたべられる社会を作るために必要な事だったとわかり、紫雨は大分気持ちが落ち着いた。
その後、特に母の勉強に近付いていき、母が、雨に強い植物ということで、紫陽花を強化しようと研究に力を入れている事を知った。
それまでも決して学校の成績は悪い方ではなく、真面目な娘だと言われていたが、より、自覚的に勉強をするようになった。
目的を持って勉強するようになると、自然と、両親との会話も増えて、気がついたら同じチャクの大学では他の強化植物の専門の教授の下につき、真面目に学び、卒業後は、結局彼女も強化紫陽花の研究者となった。
その後、親と話し合って、自分の生まれ育った学園都市チャクではなく、近所の学園都市ククルカンに勤務することにして、引っ越してきたのが二年前の事である。
親子仲が悪いわけではなく、むしろ順調だったからそうしたことであった。
母親と同じ強化紫陽花の研究者ということで、いらないことを詮索してくる人も出てくるかもしれないし、別々の都市で、若いうちに経済的にも精神的にも自立した方が良いという判断である。
実際、紫雨は今までのところはトラブルらしいトラブルもなく、学園都市ククルカンのアパートで一人暮らしをしながら、好きな研究に耽り、同じ目的と似たような研究をしている同僚と遊ぶ時は遊び、やりたいことをやって生きてきた。
それに何の文句もないが、現在24歳ということで、あれこれと……つまり、女の一人暮らしで、いつまで一人でいる気かと、聞かれるような事もある。そこだけが、面倒くさいなあと思う毎日であった。
惑星トラロックの結婚適齢期は男女ともに二十代前半なのである。
二十代後半から三十代前半にかけて2~3人子どもを産み、育てるのが普通だ。
正直、食べる事に困るはずがないので、一生一人でもいいと思っているのだが、それは間違っていると、同僚の楊芳ヤンファンでさえが言う。同い年で趣味の近い楊芳は、既に婚約者がいて、お互いに人生を分かち合える伴侶がいてこそ人間らしいという強固な立場なのであった。
親友の楊芳とも価値観を共有し合えないので、紫雨は、日頃からそのことをつまらなく、虚しく感じているのであった。