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花散らすケダモノ 花散らすケダモノ


 初夏の山奥の夜は心地よい冷気に満ちていた。
 征士と悪奴弥守は同じタオルケットを腹からかけながら、枕に頭を寄せ合っている。互いの汗の匂いが分かる距離。
「螺呪羅から、悪奴弥守は恐山に捨てられていたと聞いた。本当なのか?」
 聞きづらい事を率直に聞く。すると、悪奴弥守は意外にもあっさりと頷いた。
「そうだ。それが、十二月の四日に見つかったので、三日生まれだろうとイタコの姐様たちが決めた。」
「……………」
 姐様、という古風な呼び方と、悪奴弥守のてらいのなさに征士は次の言葉を見失う。螺呪羅の言い方だと、悪奴弥守は自分を拾ったイタコ達にも捨てられたはずなのだ。だが、悪奴弥守本人の”姐様”という呼び方には懐かしさが混じっていた。
「何だ。姐様達の話が聞きたいのか?」
「ああ、聞きたいが……悪奴弥守は、イタコ達に拾われて、幸せだったのか?」
「幸せ……?」
 悪奴弥守は小首をかしげ、それからゆっくりと記憶の淵に沈んでいった。
「幸せだったかどうかは、俺は元々こういう体質だったし、周りに同い年ぐらいの奴もいなかったんで、何とも言えない。」
「イタコ達はお前の面倒をよく見てくれたのか?」
「……姐様達は皆、忙しかった。だけど誰か彼かは俺の側についていたな。特に、片目の姐様……名前はもう忘れちまったけれど、客がいないと俺の隣に座って、繕い物や細かい仕事をしていた。片方の目は見えるから、そういう仕事は進んでやっていたんだな、今思えば。俺は忙しそうにしていると思って、そこらの犬や猫と遊んでいた。たまに、姐様が話しかけてくる事もあったな。」
 全盲ではなく、片目でも巫女になるのかと征士は驚いた。
「片目でもイタコの力をもてるのか?それに、その片目のイタコが親代わりだったのか?」
「……親といえば、全員、親だったような気がする。その姐様は、片目だからではなく、顔の傷のせいで、イタコになるしかなかったんだ。」
「何?」
「つまり……」
 悪奴弥守は言いよどんだが、ここまで言ったのをごまかすわけにもいかないと思ったらしかった。
「その姐様は、あの戦国の時代に、まだ小さい時に混乱の中で、片目も含めて顔半分、焼けただれていたんだよ。それで、親がもう、嫁にやることはあきらめて、イタコに押しつけるように弟子入りさせたんだ。女だからな、やっぱり自分の顔立ちの事は気にしていたみたいだ。そこに、赤子の俺が来ただろう。俺は何の思い入れも持たずに姐様の顔の事を醜いとも、醜いからといたわることもしない。それで、俺の隣が一番、居心地がよかったんだよ。」
「……ずいぶんと詳しく覚えているのだな。」
 四百何十年も昔の女の事をはっきりと覚えている悪奴弥守に、征士はそういうしかなかった。
「ああ、これはな……俺が、五歳のお祝いの時に、姐様達が言い争っていたから、やけにはっきり覚えているんだ。」
「お祝いに言い争っていた?」
「うん、普段は別々に、忙しなく働いている姐様達なんだが、俺が五歳になったってお祝いで一緒になったんだな。それで、両目が見えない姐様が、親の事で片目の姐様に言いたい事があったんだよ。」
「親……?」
 悪奴弥守は深く頷いた。
「片目の姐様ははっきりと口に出す事は少なかったけれど、自分が顔の火傷のせいで親に捨てられたと思っていた。だけど、その親は、両目が見えない姐様のところに何かの折にはかけつけて、あの時代に米や高価な着物なんかもってきちゃ、根掘り葉掘り片目の姐様、つまり自分の娘の事だな、その事を聞き出そうとするんだそうだ。そして、両目が見えないっていっても巫女だからな。何か両目の姐様が言う度に何度も何度も深々と頭を下げるのが分かったんだそうだ。それで、両目が見えない姐様は親に同情したんだな。」
 征士は黙って悪奴弥守の話を聞き続けた。
「両目が見えない姐様は、親は負い目と片目の姐様に恨まれているという思いこみで、こんなことするんだって。片目の姐様は片方の目が見えるんだから、親のところへ行って、許してやればいいのにって言うんだ。そうしたら、片目の姐様はつらそうな顔になって”親にそんなことをさせて私は本当に情けない”って……そのとき、初めて俺は、親って何だろうって思ったんだ。何しろ俺は、それまで、大勢の姐様達に入れ替わり立ち替わり世話されていたもんだから、それが当たり前だと思っていて何も考えた事なんかなかったんだよ。」
「……お祝い。十分に世話をされていたのか?」
「ん……?よく覚えていない事もあるし、子供の世話ってどこまでやれば十分なのか、俺は分からないぞ。子供を持った事がないからな。」
 言われてみれば当たり前の話で、同じく子供を持った事はない征士は何も言えない。
「だが、お前はイタコ達から幼い時に引き離されたのだろう。お前の意志はどうだったのだ。」
「ああ、それは、その……」
 悪奴弥守はもぞもぞと体を動かすとうつむいた。
「何だ。言いづらいのか。……何か酷い事をされたのか。」
「いや、違う。それは違う。」
 悪奴弥守は慌てて頭を左右に振った。
「酷かったのは、俺だ。」
「何?」
「ええと……光輪が、前に、”てすと”の話をしていたとき、言っただろう。小さい子供の……だいち、だい……?ハンコウ……ええと……」
「第一次反抗期か!」
 悪奴弥守は無言で、枕に顔を埋めるようにして頷いた。
「俺は、今でもこの気性だろう。もう、”伝説”になるような暴れぶりで、しかも、あの頃は自分の力の使い方もよく分からなかったもんだから……その、何の自慢にもならんことに、ウソリの山から白神の山までとどろくような悪戯やわけのわからんことをやりまくってしまったんだ。」
 言いづらかったのは、虐待された訳ではなく、自分の幼い時の恐い物知らずの暴れ方が恥ずかしかったためらしい。
「……………」
 悪奴弥守は四百何十年もたっても血気盛んで直情的な性格である。それが第一次反抗期の時期で、自分のもってうまれた力や恐山の霊力も使いこなせず、暴れた……征士は心から納得した。
 恐山から白神山地まで、伝説としてとどろくような悪童ぶりだったことは想像しただけでよく分かる。
「それで、マタギに引き渡されたのか。」
「うん……?まあな。俺は、五歳ぐらいでも分かっていたからな。俺は男だからイタコにはなれない。だけど、いつも姐様達に無理難題をふっかけてくるいやったらしい坊主になんかなりたくなかったし、威張るだけ威張り散らして、たまに姐様達に妙な悪戯しかけてくる侍にもなりたくなかった。だから、マタギのシカリが来た時は、俺もこれはいいと思ってついていったんだ。引き渡されたというのは少し違うぞ。」
 螺呪羅の言った悲劇とは随分と話が違っている事に征士は戸惑う。悪奴弥守本人は、捨て子だった事を悲劇だとも何とも思っていないらしいのだ。
 考えてみれば、現代ではなく戦国時代である。捨て子やもらい子はそれほど珍しくなかったのかもしれない。
「それで…、そのマタギは、お前に親切だったのか?」
「………まあな。」
 不意に、暗い口調になって、悪奴弥守は視線を征士からそらした。
「俺に、マタギのあらゆる技をガキの頃から仕込んでくれたのはありがたいと思っている。だけど、シカリは……自分の女房に酷かった。」
「女房?」
「あれだけは、俺は子供ながらに我慢出来なかった。シカリは確かに一番の力を認められたもんだが、だからって自分の意に沿わなければ何してもいいってもんじゃねえ。俺はそう思っていた。自分の女房は、箪笥やちゃぶ台じゃねえんだよ。」
 吐き捨てるような悪奴弥守の口調。
 そこで征士は思う。自分の妻をちゃぶ台のように扱う男が、もらい子の悪奴弥守に親切であり丁寧であったとは思えない。
「シカリというのは、名前か?」
「違う。マタギの長の名前だ。レッチュウ…つまり部隊だな。その一番の力と頭を持つ奴の事で、山の中では”絶対”だ。里に帰っても、シカリの言葉は何より尊重される。」
「その男が、お前に様々な事を教えるだけは教えたのだな。」
 獣の力を持つ悪奴弥守に、獣を撃たせる事を教えた男。
 征士はどうしても好感を持つ事が出来ない。
「うん。狩りの事は全てな。霊力に関しては、山神の社のギョウトクに教えてもらった。ギョウトクは変な奴だが、面白かったぞ。」
「神主か?」
「いや、元は山伏で、あの時代にあちこち旅をして修行していたらしいんだが、知らないうちに山の捨てられていた神社に住み着いて、村の連中に世話したり、世話されたりしていたんだ。俺はギョウトクにすぐに気に入られて、字や神の掟を教わった。」
 懐かしそうな顔になって悪奴弥守は昔語りをする。
 螺呪羅の話とは全く違う真実で、征士は頭が混乱してきた。
「お前は、そのマタギの村ではどんな扱いを受けていたんだ?」
「……まあ、山神の力を持っているんで、特別扱いする連中も多かったけれど、キリカの家とかは……俺をまだ子供なんだって甘く見てくれたり、色々な奴がいたぞ。」
「キリカ?」
 懐かしい思い出に耽っていた悪奴弥守は、その瞬間、明らかに動揺した。
 顔に見えない文字でくっきりと、”しまった”と書いてある。
「誰だ、キリカとは。」
「……俺の許嫁だ。」
「いいなづけ?!」
 声を荒くする征士に、悪奴弥守は小さく頷く。
「隣の家の、一つ年上の女でな。気だてがよくて、顔もいいんだが、とにかく怒るとどうしようもないんだ。普段は人一倍大人しいのに、怒る時は人十倍なんだよ。何が悪い訳じゃないことでもいきなり怒り出して、女とは思えないような事までしやがる。それでまあ、どんなに顔がよくて普段はいい娘だって言っても、これは嫁のもらい手がないから、隣の家の俺が貰うって事に話が決まったんだ。仕方ないだろう。」
「正直に答えろ、悪奴弥守。」
 征士は真っ直ぐな気質そのものの声で問いかけた。
「本当に仕方ないと思って、その娘を許嫁にしたのか。その娘はどうだった。」
 呼吸一つ、間をおいて、悪奴弥守は返事をした。
「めちゃくちゃ可愛かった。」
 征士は全人類の当然の義務として枕を取り上げ、悪奴弥守の頭を気が済むだけ打った。
 征士が四百二十三歳年下で、悪奴弥守にいくら惚れきっているとはいえ、これは人としてその場にいた者の責任なのだから、それこそ仕方ないだろう。
「それが、河原での女か。」
「うん、まあ……」
「その女は、お前を特別扱いしなかったんだな。」
「うん、まあ。キリカも、キリカの家族も、俺の事は俺の事って見てくれた。キリカの親父もマタギなんだが、生まれつき無口で優しい気だてでな、お袋の方が豪快なぐらいなんだ。よく笑ってよく働く母ちゃんで、キリカの事も俺の事もよく面倒見てくれたもんだ。俺はキリカだけじゃなく、キリカの家族全員、好きだった。」
 どうやら、悪奴弥守にとっての「家族像」はそこで築かれたらしい。征士はそう思う。
 親とは何だろう、と思った恐山の時代から権力ばかり笠に着るシカリの家に来た後、たまたま隣の家が母親を中心に笑いの絶えない家で、悪奴弥守はごく自然にその家の年の近い娘に惹かれたのだ。
「そして十三歳の時、婚約したのか。……それなのに、何故、妖邪に……その娘は可愛かったのだろう。」
 螺呪羅の話との食い違いを噛みしめながら征士が聞く。
「まあ、焦ったからだな。」
「焦った?」
「うん……螺呪羅からどこまで聞いたか知らないが、南部晴政に追われた宗家の連中が白神に落ち延びて来たんだよ。山の暮らしの事なんか何にも分かってない連中で、冬が越せるかどうか怪しい状態だった。それで、俺たちは取引として一冬は越せる準備をしてやって、それ相応の金を貰ったんだ。それで、晴政の怒りを買うきっかけになった。」
 冬を越せるか越せないか分からないほど危なっかしい一族に、冬の知識を持つ者が力を貸す。そして報酬を貰った。征士にはそれほどおかしな話に思えなかった。
「それぐらいで……」
「光輪、俺は闇魔将になってから分かった事だが、後に禍根を残すぐらいなら、こうした目は早くつぶしておくことだ。山の、未知の武力を持つ集団が、自分に遺恨を持つ古い権威と金で結びついたんだ。俺が晴政でも、自分に従うか従わないか、早急に白黒つけさせる。そして黒となったら、つぶす。」
「………」
 その時、悪奴弥守が見せた闇魔将の表情に、征士は何も言えなくなる。
「俺は早く独立したかったからな……キリカを連れて。」
「それと、金が?」
「光輪、男が、女を連れて独立するのに、金と縁はいくらあっても足りるという事はない。俺は、他のマタギの連中のやり方を見ていて、つくづくそう思っていた。特に俺の場合はシカリがシカリだ。……それでキリカを結局、不幸にしちまったんだから、馬鹿としか言えないけどな。」
 悪奴弥守は重いため息をつく。
 征士は妖邪に落ちるだけの、悪奴弥守の末路を、そのまま聞いていった。
 淡い初恋、そして訪れた破局。
 そのどれもが、螺呪羅の言っていたような話とは違った。
 悪奴弥守の過去の事実は、悪奴弥守だけが知っている。そしてそれこそが、暗闇の中にあるたった一つの尊い真実に思えた。

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