初夏の柔らかな緑、木々の合間から漏れる陽光、静けさを際だたせる鳥の声---
その全てに瞑目し、祈るような無私の心で五感をとぎすませる。
やがて緩やかに自然の呼吸は己の呼吸と一つとなり、うねるような山林の気に全てを委ねて、悪奴弥守は夢とうつつの狭間で疲れと傷を癒していく。
山の奥深く、梢を渡る風の匂いは戦国の昔とは違うけれど、近代化された家の中にいるよりも遙かに悪奴弥守は安らいで、自分の生命力が少しずつ回復していくのを感じていた。
六月の蔵王の山に森の精をかいま見、悪奴弥守は静かに笑むと雑草と苔の上に身を横たえる。全身から力を抜いて森の濃緑の闇の中、瞑想の無意識の淵へと落ちていく。
それこそが悪奴弥守にとって最大の癒しだった。
昨日、那唖挫との快楽で何もかもを忘れ、交合のうちに慰めを見いだして、格段に精神的に落ち着いてはいた。だから、身近にある自然の中で深呼吸を繰り返し、己の生命の息吹を取り戻そうと思いついたのだ。
巨大な自然の生命力は常に悪奴弥守の味方であり、それに抱かれる事で彼は心身を回復することが出来る。妖邪界のそれとは自ずから違う娑婆世界の自然の闇の中で、ゆっくりと悪奴弥守は自分の心音と呼吸の音に耳を澄ませていた。
(光輪……)
ここ数日でズタズタに引き裂かれた体と心。
それが那唖挫の薬とこの山の中でようやく癒されていく。
だが、こうしていても、人間により汚された自然を体感しない訳にはいかない。
どんなに征士が悪奴弥守を娑婆世界にとどめようとしても、それは無茶な話だった。この蔵王の山奥の自然にあっても、悪奴弥守の体は確実にそこに<毒素>を感じ取っていた。
山を汚す人間。そんなものは、四百年の昔には、いなかった。
いたとして、山の狩人である悪奴弥守が<掟>に基づき厳罰を下していた。
もうそんな人間はいないのかもしれない。
(人と、自然……)
こうしている間も、阿羅醐の睦言の中で交わされた約束のいくつかを思い出す。
だが、瞑想の呼吸を繰り返すうちに意識は薄れて、悪奴弥守は山神の腕に深く抱かれるような眠りに落ちていった。
漆黒の闇に鮮やかな紫の花が咲き乱れている。
桐の花を見上げ、智将天空の呟いていた事を征士は漫然と思い出す。
桐にしか帝王の鳥は止まらない。
不死鳥はこの桐の樹木にしか立ち寄らず、食するのも桐の実だけだと。
故に、桐は皇室の紋となり、その禁色の紫にも寄せられたか、花言葉は高尚。
(こうしょう……)
礼将である征士は自然と思った。
(孝将)
螺呪羅の感情も、那唖挫の心も、共感は出来ないが理解はした。
そして自分の心も二十歳という若さなりに分かっているつもりだ。
だが、悪奴弥守がかたくなに求めるのは親と認めた阿羅醐の慈しみのみ。
それも、螺呪羅の植え付けた嘘と幻想の世界でのみ慈愛を注がれている。
(孝の心に殉じた将軍……)
自刃した悪奴弥守の姿を初めて見た那唖挫は、それを「後追い」だと思ったという。つまり、殉死だ。
阿羅醐の滅した世界に何の希望も見いだせず、彼の帝王の後を追って命まで閉ざした。だが、そこまで悪奴弥守を追い込んだのは「小童」であるトルーパー達であるという側面は確かにある。
(どうすれば、正解だったのだろうか。)
桐の花を見上げながら征士は思いを巡らす。
帝王の樹に止まる紫の花。
物言わぬ花に問いかけたところで意味はない。だから征士は黙想のままに、夕闇も過ぎた時刻、桐の庭に立ちつくしていた。
「光輪?」
やがて何の気配も感じさせぬままに、漆黒の中から魔将が声をかけてくる。
「夏とはいえ、ここは山の中だ。夜は冷え込むぞ、光輪---」
自分をいたわる悪奴弥守の声。征士は目頭が熱くなるのをこらえきれない。
螺呪羅の言った事も、那唖挫の言った事も、何一つ忘れる事は出来ず、ただ胸のうちで噛みしめながら、それでも彼を待っていた。悪奴弥守を、待っていた。
「どうしたのだ?」
征士の様子を見たのか、悪奴弥守はその金髪に手をのばし、彼を支えようとした。征士はそのまま、悪奴弥守の肩に自分の額を押しつける。こみあがってくる様々な感情。悪奴弥守が呼び起こす絶え間ない欲望。
初夏の夜、無明の闇の中、桐の花だけが匂い立ち、紫色の揺れている。
---孝将。
ほんの一瞬の間だったが、征士は今にも崩れ落ちそうだった。
体も、心も。
即座に礼の戦士の表情と態度に変わったが、悪奴弥守は何も言わずに征士の腕をそっと掴んで家の中に向かう。
リビングでは那唖挫と螺呪羅が酒を飲んでいたが、軽く頷くように会釈して、そのまま征士と一緒に寝室に入った。
夏至の近い季節なのにやはり東北の山里は夜となれば空気はひんやりと冷たい。
冷房もいらない寝室は豆電球だけがついていた。
薄暗い闇の中、悪奴弥守が征士の顔をよく見るためにうつむいた顔を両手で挟み込む。
「俺がいない間に、何かあったか、光輪。」
「……悪奴弥守こそ。」
かすれた声で征士は聞いた。
「悪奴弥守こそ、もう、体は大事ないのか?」
「俺なら大丈夫だ。もう体は戦に備えられるぐらいだ。」
その自然に近い体は四百年の昔に作られたもので、現代の文明にはなじむ事が出来ない。だから山里の更に奥深く、森の中で癒しを終えてきたのだ。
胸が苦しく、息がいまにも切れそうだった。
だが、征士は悪奴弥守の顔を両手で挟む。
「私はお前が好きだ。恋人への想いでお前を愛している。」
誰にでも容易に分かる、だからこそ、滅多には口に出来ない言葉を真正面から解き放つ。
「だから、今、お前を抱きたい。」
「……………」
永遠にも思える無言だったが、それは地球の自転に合わせて一分と満たなかった。
「最初にそれを言うべきだった、光輪。」
ため息とともに悪奴弥守はそう答える。
「何故、黙っていた。そんなに俺が信用ならなかったのか?」
「……すまない。」
征士は非を認め、視線を落とした。涙がこぼれ落ちた。
「大丈夫だ、光輪。泣くな。」
慰撫の言葉をかけて、悪奴弥守は征士の同い年の体を両腕に抱きしめた。
「俺もお前を失う事は出来ない。好きだ。」
その好きと、征士の好きとの間には、一体、何百万光年の差があるのだろうか。
心の距離の遠さに目がくらみそうになりながらも、征士は必死に、悪奴弥守の体を抱き返した。
「離れないでくれ。」
いつも、いつも、短い時間で帰ってしまう悪奴弥守。闇魔将。
その責務と、その、妖邪界に縛られた体で、阿羅醐に縛られた心のままで、彼は征士から手を離し、ゆっくりと自分の身に纏っていた衣服を脱ぎはじめた。
指先がワイシャツのボタンを外していく。薄い暗闇の中で露わになっていく褐色の皮膚。
征士はこらえきれずにそのハリのある肌に手を伸ばす。
がむしゃらに、ベッドの上に悪奴弥守を押し倒した。
何度も悪奴弥守を抱いたベッドの上で、もう何回目か数え切れないくちづけを交わす。
悪奴弥守は抵抗しない。今までの通り、征士の拙い愛撫をさせるがままだ。
震えながら征士は悪奴弥守の唇を貪り、舌を激しく吸う。
「……ンっ…」
その長い接吻の時間に、悪奴弥守が苦しそうな息を漏らした。
ゆっくりと征士は唇を放す。二人の唇をつなぐ、銀の糸。
征士の体の下で、闇魔将は深い呼吸を何度も繰り返しながら、褐色の裸体を晒していた。豆電球の薄明かり、それでもはっきりと分かる征士と同い年の溌剌とした体。
征士はその甘く誘うような首筋に顔を埋め、口で強く吸っては舐め上げる。
次第に悪奴弥守の体が汗ばみ、呼吸が荒くなってくるのが分かった。
「悪奴弥守……?」
驚愕。しかし、不安と疑いを隠せない声で征士がその名を呼ぶ。
悪奴弥守は濃紺の眼を潤ませながら、征士を振り返る。その眼の奥に情欲の炎を認め、征士は自分の体がますます熱く火照るのを感じた。
自分の性は悪奴弥守にとってあまりに若すぎて、幼いとすら言えるだろう。現に、征士は何百年もの間、逢瀬を重ねてきた螺呪羅や那唖挫には過敏なほど反応し、自分には全く何も感じられない悪奴弥守の事を知っている。
それなのに今、悪奴弥守は自分の方から征士を求めるかのように、腕を征士の背中に回し、脚を自ら絡めてきていた。
「………ッ。」
言葉にはならないその思い。
自分が率直に、その性分のまま真実を明かせば、闇魔将は自然に応える事が出来るのだ。自分の中のわだかまりと、独りよがりの苦しみが、悪奴弥守を戸惑わせ、萎縮させていたのだと、今の今になって征士は悟る。
目をつぶってしまった征士の唇に、あたたかいものが触れてきた。
悪奴弥守の指が征士の暴言を吐いた口をゆっくりとたどり、そして唇を重ね合わせてくる。
甘く切ない水音が寝室の中に響き渡る。
微かな、微かな音なのに、全てに対して敏感に研ぎ澄まされた五感がはっきりと聞き取ってしまうのだ。
悪奴弥守の両腕が今度こそ、征士の背中を抱きしめ、征士は悪奴弥守の体を抱き返す。
そのまま首筋、鎖骨、胸へと征士の唇は悪奴弥守の弾けるようにつややかな皮膚をたどり、やがて胸の突起を軽く噛んだ。
「あっ……」
こぼれる甘い吐息。
ずっとかたくなに閉ざされていた悪奴弥守の体が征士に感応している。
その事実に、征士は戸惑いながらも今までにない熱い興奮を感じる。だが、手荒に悪奴弥守を扱う事はもう出来なくて。
自分が最初に暴行を働いた事を自分で許す事が出来ずに。
ただ出来るのはありのままの---嘘と虚偽の世界で阿羅醐に縛られたままの---悪奴弥守を優しく愛撫し、受け入れる事だった。
悪奴弥守が征士の事を許し、出来る限り側にいようとしたこと。そして何とか、征士を受け入れようとし続けた事。
それに対して、征士は感謝と畏敬の念をこめながら、悪奴弥守の胸に顔を埋めるようにしながら唇に力をこめた。
征士の舌が動くたびに悪奴弥守は激しく呼吸を繰り返し、腕と脚がシーツの上をもがくように踊り続ける。
征士はその一つ一つを認めながら、悪奴弥守に告げる言葉を探す。
「……好きだ。愛している。」
だが、出てきたのはそんな陳腐きわまりない言葉。
螺呪羅のようにいたぶる事も、那唖挫のように癒す事も出来ない。
「……光輪……」
悪奴弥守はその征士の健気な心情の吐露に対して否定することはしなかった。だが、肯定もしなかった。
ただ征士を受容し、体に体を応えさせている。心は、征士のあまりに直情にすぎる言葉にこそ反応している。
獣の瞳が征士をとらえ、ゆっくりと悪奴弥守は自分の口を舌で舐め上げた。
「悪奴弥守……」
彼の名を呼ぶと、悪奴弥守は征士の肩を軽く押した。
戸惑う征士をベッドの上に膝立ちにさせるように身振りで誘導していく。悪奴弥守に促されながら、征士は自分の白い体を彼の前に晒した。
立ち上がった欲望を、悪奴弥守は逡巡するように人差し指で何度かなでた。
羞恥に征士は消え入りそうになる。悪奴弥守も同じ欲望を持っている。その上で、征士は自分の技量の拙さを分かっているのだ。
しかし悪奴弥守は、そのまま、いつもの夜のように征士に自分の指を絡めていった、最初に左手、それから右手の指を全部使って、慈しむ仕草で征士の雄に奉仕していく。
「はっ……」
くらくらするような快感に、征士の呼吸が荒くなる。それでも悪奴弥守は構わない。
「……悪奴弥守っ……」
「光輪……」
何度も互いの名を呼び合いながら、体と顔が近くなっていく。心は離れていくのか近づいてくるのか分からないのに。
悪奴弥守は顔を落として、征士の欲をためらいながらもくわえ込んでいった。
その獣の口に。
闇魔将が自らそんな振る舞いをしたのは初めてで、征士は驚く。
だが驚愕も束の間、激しい情動が征士の心身に渦巻いた。
悪奴弥守は顎を限界まで使いながら、たっぷりと自分の唾液で征士をくるんでいった。
征士は膝で立っているのも辛いほどの甘く苦しい快楽に耐え、悪奴弥守の黒い髪に指を絡める。
「ふっ……くぅっ……」
自分で始めた行為なのに、悪奴弥守は苦しそうな声を鼻から立てる。それでも自分の唾液を征士の欲全体にまぶして濡らし、同時に、征士からほとばしる先走りでその部分は鋭く立ち上がりながらも濡れに濡れきってしまった。
「ぁっ……はっ……」
どちらからとも分からない息切れの声。
悪奴弥守はようやく顔を上げると、征士の欲望に火照った顔を凝視した。
かつては見上げていた巨大な敵が、自分の股間のあたりからその顔を見上げている。
その倒錯的な光景と事実に、征士は痛みすら帯びた情動を覚えた。
「悪奴弥守……もう……」
その少ない言葉に対して、悪奴弥守は無言で頷いた。
だがこのままでは悪奴弥守を満足させる事が出来るとは征士には思えない。
そして、悪奴弥守は、征士に奉仕する事によって自分の欲を高まらせている状態だった。
征士は性急に悪奴弥守を押し倒すと、彼の半ば立ち上がった雄に舌を絡めた。
「……光輪っ?!」
予測外の征士の行動に、悪奴弥守の声が跳ね上がる。
それすらも愛しくて、征士はただ上下に舌を動かしながら口を限界まで開けて悪奴弥守を含んでいった。
「……光輪、よせっ……汚い……っ!」
慌てて悪奴弥守がそう言うが、構わない。征士は思う存分、悪奴弥守の「汚い」部分を舐め上げると、熱く堅くなった事を指先で確かめながら、悪奴弥守の両足を広げさせた。
「……うっ……くぅ……」
悪奴弥守は指を噛んで、痛みで快楽を相殺している。征士の口の中に放つのが嫌なのだろう。
それを察知し、征士は無理強いを避けたくて口からぎりぎりの悪奴弥守の欲望をはき出すと、悪奴弥守の足と腰を持ち上げ、更に汚い部分に舌を這わせていった。
「やっ!」
更に跳ね上がる声。だが、本気で嫌がっているようには聞こえなかった。
舌で濡らし、指でほぐすごとに、征士の欲望と情動は激しく心と体をかきまわし熱く熱く火照らせていく。
そして悪奴弥守は、何百歳も年下の征士の愛撫に感じているのが恥ずかしいのか、ついに両腕で顔を隠してしまった。
征士はいい知れない満足感を覚えて、悪奴弥守の体を最大限に割り広げていく。
男に慣れきったその体の内へと、征士は己を突き立てた。
「はぁああっ……!」
その深すぎる呼吸は、痛みのためではなかった。
征士を全身で受け入れる事に対して、悪奴弥守の欲望は濡れて震え、堅く立ち上がった。
熱く強く悪奴弥守を抱擁するようにしながら、征士は耐えに耐えてきたその律動を何度か鋭く繰り返す。
その度に、悪奴弥守は顔を隠したまま甲高い嬌声を上げて、征士の行為を容認した。
悪奴弥守が征士に感じている。
それが何故なのか、征士には分からない。わかりきる事が出来ない。
それでも、愛しい存在が自分の愛撫を全て許容してくれる事が、体と体だけでもつなぎとめておくことが出来るという事が、ただ嬉しく、次から次へと快感を生んでいった。
征士の若い律動を体内に感じながら、悪奴弥守は全身を小刻みに震わせ、自由にならない呼吸で喘ぎ、快楽の声を立て続ける。
「光輪っ……こうり、ん……」
何度も征士の名を呼んで悪奴弥守は脚を自ら開いていく。
その顔を隠している腕を、征士はそっと両手で掴んで、放そうとした。
「ぅ……」
涙声に近い音を立てて、悪奴弥守は腕をふるわせる。
征士は乱暴にならないように気をつけながら悪奴弥守の腕を引く。
開かれた脚のように、両腕も開かれ、征士は自分の愛撫と律動に反応し、愛欲を覚えた悪奴弥守の顔を初めて見る事が出来た。
ただ、愛しかった。
身を切られるような愛しさだった。
だが征士はただほほえんで、悪奴弥守の瞼と頬に一つずつくちづけを落とした。
「光輪……」
今は螺呪羅でもなく、那唖挫でもなく、悪奴弥守は征士だけを感じ、征士の名だけを呼んでいる。
それだけではとうてい、満足出来ない。
我慢が出来ない。
それでも征士は、恨み言は何も言わずに優しい愛撫を胸に、脇腹に、繰り返しながら、強く自分の腰を悪奴弥守にうちつけた。
「あっ……あぁ……っ!」
悪奴弥守が体を反らせ、肘が枕を叩く。
小童に征されていきながら、悪奴弥守は薄明かりの中で、悦楽に耽っている。
「悪奴弥守……私は、お前を愛している……」
そう言いながら、また、そう告げる事によって、征士の若く激しい欲望は限界まで高まっていった。
それを悪奴弥守は外側の声と、内側の穿たれた欲望によって感じ取り、征士の腕に腕を絡めて頷いた。
強く、強く、深く、征士が楔を打ち付ける。
その度に、悪奴弥守は征士を内部まで受け止めて、それにより自分の快楽も高めていく。
「悪奴弥守---」
絡み合う吐息と吐息、声と声、名前と名前。
同時に破裂した暗闇の欲望。薄明かりに跳ね上がる白濁。
そのまま征士の白い体は悪奴弥守の褐色の皮膚の上に倒れた。
飛び散った汗と白い飛沫にシーツが汚れていく。
悪奴弥守もまた呼吸を荒く繰り返し、絶頂の直後の放心で、何も出来ずにいた。
征士は初めて、悪奴弥守を満足させる事が出来た。
「ん……」
引き抜かれていく雄の感覚に、悪奴弥守が困ったような声を立てる。
感じやすい悪奴弥守は、それにすら弱いのだ。
「どうした。」
後始末を始めた征士の様子に、悪奴弥守は物言いたげな視線を向けている。
「……言いそびれてしまったのだが、光輪。」
「?」
「俺は、欲を中に残されるのは嫌いだ。」
怪訝そうな顔をしてしまう征士に、悪奴弥守は可哀相なほど赤面する。
「だからっ……お前のがっ……」
「あ、あぁ……」
だがこの数日、知識の足りない征士は、全て悪奴弥守の中に放出していた。
それを今になって言ったということは、征士の心に少しずつ悪奴弥守が答え始めたということなのだろう。体と心は、やはり不可分な物なのだ。
「すまない。これから、気をつける。悪奴弥守。」
「……そうしてくれ。」
それだけ言ってしまうと、悪奴弥守は枕に顔を埋めてしまった。よほど、恥ずかしいらしい。
「悪奴弥守。」
その体に体を寄り添わせて、征士は決意していた事を口に出す。
「……聞きたい事がある。」
「何だ?」
悪奴弥守はすぐに枕から顔を上げた。
「お前の昔の事を、お前から知りたいのだ。」
「………」
愛するものの真実を知りたい。征士はそういうふうに、出来ていた。
それがどんな現実を自分に呼び起こすか分からない。だから、その言葉には勇気がいった。
だが確実に、悪奴弥守はそれに応えた。
「いいだろう。何でも聞け。」
ぞんざいな言い方。
だが、征士は深く深く息をつく。
拒まれるのがこんなにも恐ろしかったのは、初めてだった。
だが、悪奴弥守は、”自分の中の真実”を征士に暴き立てられる事を、拒まなかった。悪奴弥守もまた、融通のきかない直情な性分であることは、征士と変わりない。
外側を回り続けてきた征士の心は、今、ようやく、悪奴弥守の内側へと入り込んでいった。