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花散らすケダモノ 負けたと思うまで
 螺呪羅に腕をつかまれたまま無理にソファから立たされ、悪奴弥守は戸惑っていた。

 顔には出してはいなかったが、態度には荒々しい怒りを感じる。征士との話し合いで何があったのか分からないために、悪奴弥守は不安だった。途中でいきなり寝てしまったのは、恐らく体に残された人間界の異物の発作なのだろう。

 だから、螺呪羅と征士の出方を窺うしかない。

「来い。」

 そう言って、螺呪羅は悪奴弥守の腕を強く引き、元来た寝室へと向かう。

「な、何だ……?」

 長髪の優男に見えるのは外見だけで、螺呪羅の中身は強引で怒ると自分以上に手がつけられない事を悪奴弥守は知っている。

 訳がわからないものの螺呪羅を無駄に刺激しないようにと寝室の中まで悪奴弥守はついていった。

「何のつもりだ、螺呪羅!」

 その後を征士が追いかける。

 螺呪羅は征士の問いを鼻で笑うと、悪奴弥守の背中に開いていた方の腕を回した。

「?」

 訳がわからないまま、悪奴弥守は螺呪羅に抱きすくめられて口づけられた。

 驚いて抵抗しようにも螺呪羅の腕は強く、その舌も容赦ない。抵抗する力を封じられたまま、悪奴弥守はいいように唇を貪られた。

 征士は呆気に取られて何も出来ない。

 やがて螺呪羅が悪奴弥守から離れた。しかしその唇は、濃い唾液の糸で繋がっていた。

「お前はその気になれば、相手を唇で眠らせる事が出来る。それをしなかったのはお前が今のくちづけも、この先の事も容認したということだ。」

「そ、そんなつもりじゃ……!」

 征士の前だという事から悪奴弥守は赤くなり、螺呪羅の胸を両手で突き飛ばそうとする。その後ろで征士が動く。

 殴りかかろうとした征士の目前に、螺呪羅の掌がつきつけられた。

「nigredo」

 聞きなれない発音が耳に入ると同時に、征士の全身は自由を失い、その場に直立した。棒立ちのまま全身に“気”をめぐらせるが、瞬き一つ出来ない・

「そのまま立って見ていろ。」

 何が始まるのか、征士と悪奴弥守は理解した。理解したが、信じられなかった。

「貴様、何考えてっ……!」

 悪奴弥守が手を振り上げる。

 しかし螺呪羅はそれよりも早く悪奴弥守の短い黒髪を掴み後ろに引っ張る。

「吠えるな、馬鹿犬。」

 鍛えようのない部分を攻撃されて、一瞬怯んだ悪奴弥守の体を螺呪羅は洗練された体さばきでベッドへと投げるようにして突き飛ばした。布団に脚をもつれさせながら悪奴弥守は何とか体を起こそうとする。

「人の話を聞け、馬鹿野郎! 何考えて、こんなことしやがる!目的を教えやがれ!」

「小僧がお前を満足させられるように抱きたいと言っている。だが四百年も男に抱かれていたお前の体を頭一つ体一つでどう出来る?ならば見せてやった方が早い。」

「ふざけた事を抜かすな、色魔!趣味が悪いのもいい加減にしやがれ!」

 そう怒鳴り、ベッドから降りようとする悪奴弥守の肩を掴んで螺呪羅が体重を乗せ押し倒した。

「や、めろ……!」

 悪奴弥守が激しく抵抗するたびに、ベッドのスプリングが弾んで軋む。あがくには安定が悪かった。それを螺呪羅は声も立てずに上から押さえ込む。

 同格の腕力しか持たない悪奴弥守は、下から自分より長身の螺呪羅を跳ね返す事は難しい。螺呪羅には重力という味方がついている。

「畜生……!」

 悪奴弥守の全身に“気”がめぐらされる。

 その途端に、螺呪羅は悪奴弥守の顎を掴んで押さえ、もう片方の手でその顔を張り倒した。唇が切れて血が飛ぶ。

 それでも悪奴弥守は霊力を使い、螺呪羅をその体の真下から“気”で叩き上げた。

 螺呪羅の衣服が乱れ、その頬に数本の裂傷が走る。並みの人間なら粉々に砕け散るのだろうが、同じ魔将ではこれが限界だった。

「相変わらず聞き分けのない。これからも光輪を許し続けるつもりならば、お前の体の事を覚えてもらって損はなかろう?」

「貴様にそんなことを言われる筋合いはねえッ!」

「俺の時とは随分違うな。お前は子供と寝る趣味だったのか。」

「……ッ!」

 悪奴弥守が屈辱に顔を歪める。言葉を叩きつけあう間にも、腕が、脚が、魔将としての力が交差し、ぶつかりあった。

 室内の空気が比喩的な意味ではなく緊張してわななく。

「何を今更恥らう。浅ましい姿を人に見られる事など、これが初めてではあるまいに?」

 その言葉に一瞬怯んだ悪奴弥守のシャツの襟を、螺呪羅は掴み上げて引き破る。

「阿羅醐様は、本当にいい趣味をしていらっしゃったからな……」

 冷笑する螺呪羅の顔を、目を見開いて悪奴弥守は見つめる。

「……螺呪羅、てめえ……」

 呆然としてそれ以上声も出ない悪奴弥守の破かれたシャツの隙間に螺呪羅の手が入る。悪奴弥守の体を知り尽くした指が、その瑞々しい肌をまさぐった。

「は、なせ……!」

「たったこれしきで、肌を粟立てておいてそれを言うか。お前は本当に体を触られるのが好きだな。」

「違う!……言うな、離しやがれ!」

 腕の部分を残して破かれた布地の下、ベルトの部分に螺呪羅の手が伸びる。それを防ごうと、悪奴弥守が身を捩る。しかし二人の間に、隙間がない。

「螺呪羅、嫌だ、俺は……」

 悪奴弥守が言い終わるよりも早く、螺呪羅の手がベルトを解いて彼の腰から抜く。

「嫌だって、言っているだろう!」

 何とか螺呪羅の行動を制止しようと、押さえ込まれたまま悪奴弥守が両腕で彼の胸を突き飛ばすように押す。辛うじて、二人の間に空間が開いた。

 螺呪羅は無言で悪奴弥守の鳩尾に拳を鋭く入れた。

「……ぐっ……」

 容赦のない攻撃に、悪奴弥守が体を二つに折ろうとする。それも、螺呪羅に止められた。

 咳き込む悪奴弥守の体から衣服が剥ぎ取られる。日に焼けた腿が男達の目の前に曝け出される。

「螺呪羅、何で……」

 痛みに目に涙を滲ませて悪奴弥守が聞いた。切れた唇からは、まだ血が流れている。

「何で……?」

 先刻の征士との会話を知らない悪奴弥守には、螺呪羅の行動の意味は全く分からない。

 螺呪羅は疑問を示す唇に、またしても吸い付いた。

「う……んんっ……」

 何とか逃げようとする悪奴弥守の顎と首を大きな掌で捕まえて、深くその舌を吸い上げ、口の中を犯す。

 “信じられない”と見開かれていた眼が、螺呪羅の口の愛撫によって何度も震え、最後には閉じられて行った。反動で、痛みの涙が頬を伝う。

 激しい抵抗を止めたのを確認し、螺呪羅は悪奴弥守から唇を離した。それは、悪奴弥守の血で汚れていた。

 血を拭いもせず彼は首を掴んでいた掌を彼の耳へと伝わせる。

 悪奴弥守は瞼を硬く閉じたまま、肩を跳ね上げた。

「こやつは耳が弱い。裏側からそっと撫で上げてやればいい。」

「やっ……」

 更なる螺呪羅の目的を知り、一旦は体から力が抜けた悪奴弥守が、また何事か叫ぼうとする。

「何だ。幻術を使われたいか、悪奴弥守?」

 それよりも先に螺呪羅は言った。

「お前のその乱れきった“気”の力で、今の俺の幻術を跳ね返せると思っているのか?度し難い阿呆だな。先ほど霊力を飛ばした時に気付かなかったか?」

「っ……」

 霊力を使うにも幻術を使うにも、“気”のコントロールは不可欠だ。そして、“気”はそのときの精神状態に左右される。そして征士の目前で裸のまま他の男に押し倒されている悪奴弥守に、平常心などあるわけがない。力を十分にコントロールできないのだ。

「幻術で思うままにされたくなかったらおとなしくしろ。いつものように獣となればいい。」

「正気でそんなことを言っているのか、貴様は!」

 言葉は強気でもその声には悲痛な涙が感じられた。

 螺呪羅はその怒りに朱に染めあがった顔に顔を近づける。自分で敏感だと言った耳の端を噛むと、悪奴弥守の背が弓なりに反り返った。

 喉の動きで、悪奴弥守が必死に声を噛み殺しているのが分かる。螺呪羅を殴ろうとする手が、震えて彼の肩を掴む。

「そうだな。お前はまだ、頭の先から探っていけばいい。光輪。」

 そう言って、螺呪羅は隻眼で凍りついた征士の方を見る。

「馬鹿野郎!!」

 悪奴弥守が怒鳴った。

 それは誰へ向けての言葉か本人も理解してはいない。

 征士の前で悪奴弥守を犯そうとする螺呪羅が馬鹿なのか。

 その螺呪羅に完全に抵抗できない悪奴弥守がなのか。

 そして螺呪羅の幻術に縛られ、見ているしか出来ない征士がなのか。

 そうしている間にも螺呪羅の手は動く。

 指が震える喉笛を辿り、誰もが目を奪う褐色の胸へと滑っていく。その舐めるような繊細な動きに、悪奴弥守の体は耐え切れない。四肢が、跳ねた。

 数百年の間、繰り返された情交の記憶は、その心身に染み付いている。

 その互いの心身に。

 螺呪羅が作った状況が、台詞が、心に刻まれた快楽を誘い、彼の体と指先が、知り尽くした皮膚を直に触れて刺激する。

 気が遠くなるほどに長い年月、淫楽のために調教を受けた者が抗えるはずがなかった。

 

 

 

 重なった体。身近にいる男の声が、恐ろしく遥か遠くにあるように聞こえた。

 自分の体の仕組みを事細かに解説しているのはわかるが、もう反論する気力がない。反論したところで、それは事実だと即座に証明されてしまう。

 何故、数百年、情を交わした相手がこんなことをする必要があるのか理解出来なかった。

 かわりにゆっくりと理解したのは、自分が征士に全く反応できなかった真の理由だった。

 征士が未熟すぎるという事もある。自分の征士に寄せる期待感もある。

 そして何よりも、四百年も年下の相手と寝る時、彼は自分が四百年、己の性をどのように扱ってきたか向き合う自信がなかったのだ。

 殊更に己を卑下するつもりはない。姦淫を罪と思うような性分では決してない。

 だがそれでも、性欲という生物の本能の根源を己がどのように利用してきたか直視するのは恐かった。

 世界一つを征服し支配していく過程において性技に長けた魔将であり帝王の愛人とされた者は多くの事を要求される。その要求に対し自分はどう応えて来ただろう。常に誠実だったとは決して思えない。

 そもそも彼が最初に関係を持った男は他ならぬ阿羅醐だった。

 記憶のない状態で、父親のように思っていた男と通じた時の苦しみと、それがやがて時をかけて喜びに変わっていった事実を、征士にどう伝えればいいか、口下手な彼には分からなかった。

 何しろ虚偽を嫌う征士は彼の体に関わった人間の事を全て知りたがる事は分かりきっていた。彼が肉欲に溺れた姿を見せれば、余計に知りたがるだろう。結果的に彼は己と阿羅醐の常人ならば理解に苦しむ関係から順番に、『教える』という形で直面しなければならないのだ。

 教えるならば当然、自分のしてきた事を全て認め頭の中でも心の中でも整理をつけなければならない。

 それが、彼―――悪奴弥守にはまだ、出来ていなかった。

 少なくとも進んでその事を考えようとはしてこなかった。

 故に無意識的に避けた。意識して避けていると思う事すら出来なかったのだ。

 己の過去と向き合えなかった脆弱さは螺呪羅のせいにも、無論征士のせいにもする事が出来ない。阿羅醐は既に死んでいる。呪うべき厭わしき弱さは、悪奴弥守の中にこそある。

 四百年の間に教え込まれた性の技と癖、そしてそれにまつわる記憶全てを思い出しながら、悪奴弥守は欲に淫し快楽にのたうった。

 それを遥か遠くにある声、螺呪羅が的確に説明していく。

 虚偽を頑なに否定する、征士へと。

 

 

 

 螺呪羅の指は悪奴弥守の首から胸、胸から二の腕をたどり、感じやすい部分をくまなく撫でる。撫で、いじり、時として爪弾くその繊細でありながら激しい動きは征士の知らないものだった。

「ひっ…あ、あぁっ……や、ぁ、……うっ……」

 その声は拒んでいるのか受け入れているのかさえも分からない。

 ひっきりなしに悪奴弥守は喘ぎ、螺呪羅の指が動くたびに手足の爪先を引きつらせる。

 匂い立つような褐色の肌には快楽の熱い汗が浮かび、性の香りを放っていた。

「脇腹のこの点が、弱い。」

 熱く喘ぐ悪奴弥守に対し冷ややかな声で螺呪羅は言い、指でその箇所をつまみひねるようにして刺激する。

 甲高く悪奴弥守は鳴き、また背を弓なりに反らせた。

 そして雄の本能を震わせた。

 征士とともに寝る際は何の反応も示していなかったその部分は、螺呪羅が何度か接吻した時から熱を持ち、今は滾りたって腹に触れそうなほど固くなっている。

 先端は充血して赤く濡れ、幹まで先走りをこぼしていた。

「無論、一番弱いのはここだ。」

 そう言って、螺呪羅は細長い指で雄の先をつついた。

 悲鳴のような声で喉を鳴らし、悪奴弥守が突き飛ばすようにして螺呪羅の肩を掴む。

 震える指先が乱れたシャツをかきむしった。

「焦らしてすまなんだな、悪奴弥守。すぐに達させてしまっては、光輪に何も教えられない故……」

 するりと指が動き、ほとばしりで濡れに濡れたものを更に濡らすために扱き始める。

 緩急をつけた動きに対して悪奴弥守は苦しげに鳴き、痙攣している腰を揺らした。

 螺呪羅の指が欲にまみれて濡れる。

「知っているとは思うが、こやつは男を受け入れる事に慣れきっている。だが痛みがない訳ではない。苦痛を快楽に変えさせるのは、お前にはまだ無理だろう。光輪。」

 つまり螺呪羅は悪奴弥守の体を準備させるために欲の液を指に擦りつけているらしい。

 その行為から鋭い快の刺激を受け、悪奴弥守の体は陸揚げされた魚のように全身を跳ねさせた。

「んっ……あぁっ……」

 もどかしげな声と、螺呪羅の肩を掴む指。

 その濃紺の眼には本能に忠実な欲の火が灯り、熱に潤んでいた。

 螺呪羅は肩の指を優しく外させ、悪奴弥守の背中に手を回した。

「え……?」

 悪奴弥守が目を瞬く。螺呪羅は無言のまま手で押し、悪奴弥守が直立している征士に向けて背を向け、体を横にするように仕向けた。

「嫌だ、螺呪羅っ……」

「何を今更。」

 羞恥に悪奴弥守の伸びやかな体が益々赤く染まる。

 だが螺呪羅は悪奴弥守から僅かに体を離して隙間を作り、背中を押すだけで行動を促した。そこに乱暴なものはない。つまり、暴力ではなかった。

「痛いのがいいのか。それとも体をそのまませき止められるのがいいのか?」

 欲情しきった体に投げかけられた言葉は重みがあった。結局、悪奴弥守は体を起こし、螺呪羅の指示どおりの姿勢を取った。

 濡れた指が悪奴弥守の奥を探る。

 征士の目前で、悪奴弥守の体の中に螺呪羅の指が侵入し、中をほぐしては抉って内部を見せる。

「……はぁっ……あ……」

 その指の動きに悪奴弥守は感じ、快楽を示す喘ぎをもらした。

 四肢がわななき、貪欲に震える。その場所は、指以外のものを欲している事が分かる。

 やがて十分に体を開く準備をした螺呪羅は悪奴弥守の肩を押し、元の仰臥の姿勢を取らせた。

「脚を開け。」

 その媚態に対しても螺呪羅は淡々とした態度を崩さない。軽くそう言うと悪奴弥守の太腿を叩いた。

「……く、ぅ……」

 唇から悔しげな吐息が漏れて、螺呪羅を見上げる視線が小刻みに震えた。

 彼の眼に映る誰もが見とれる美しい顔は感情に揺らぐ事はない。ただ指が嬲るように悪奴弥守の弾けるような瑞々しい脚をたどる。

 それに誘われるように彼は、自らの意志で受容の体勢を取ろうと脚を左右に開いた。

 そのゆっくりした動きに苛立ったのか、螺呪羅が膝を掴む。

「やっ……」

 螺呪羅の手により彼の両の膝は大きく割られ、ほとんど限界まで脚が開かされた。

「そのままじっとしていろ。」

 悠々としたベルトの外れる音が聞こえる。

 こらえきれない悪奴弥守の喘ぎがそれに混ざる。

 螺呪羅が腰を持ち上げて己を押し当てるまで、悪奴弥守は脚を開いて待っていた。

 ほぐれた部分に馴染ませるように固く太い猛ったモノが動く。

「……ぁ…」

 その小さな声には、恐怖や恥辱よりもはっきりと次なる快楽への期待があった。

 濃紺の眼を閉じて悪奴弥守は息を殺す。

 それを見計らったように螺呪羅は己の先端を悪奴弥守の中へと突き入れた。

「……っ……!」

 声にならない声を上げて悪奴弥守が喉をのけぞらせる。

 そして明らかに皮膚の色が変わった。見る者の目を確実に奪う欲の血の色が全身に走り、燃え立つ性の匂いを香らせる。

「ぁああああっ……!」

 その香に誘われ、螺呪羅が呼吸一つで悪奴弥守を貫いた。

 欲が、飛び散った。

 螺呪羅を許容したその重い衝撃と快の刺激に、燃え盛っていた体が耐え切れず、放たれた白濁が悪奴弥守の引き締まった腹を汚す。

「ここはもう女と同じでな、心の重みと体の痛みさえ取り除いてしまえば、入れられて鳴く部分だ。」

 不動のまま涙さえ出ない征士に螺呪羅はそしらぬ顔で話し掛けた。

 欲を内部に突き立てているにも関わらず、その顔は美しく整ったまま変わらない。

「……んっ……あぁ……ら、じゅらっ……」

 びくびくと全身を痙攣させながら悪奴弥守がその名を呼ぶ。

「螺呪羅っ……」

「何だ?」

 螺呪羅は悪奴弥守に蒼い隻眼を戻した。

 しかし悪奴弥守は言葉を発する事が最早出来ず、荒く忙しない呼吸を繰り返すのみ。

 その様子を見下ろして、螺呪羅は軽く吐息をついた。

「俺が欲しいか?」

 悪奴弥守が鳴いた。

 その声の甘さと切なさは、初めて征士が悪奴弥守の素顔を見た時と同じものだった。

 玉のような汗の雫、欲に舞い上がった顔と体。

 熱く潤んだ濃紺の眼と、その先にある白い手。

 白い手の男が悪奴弥守の眦に浮かぶ、かすかな涙を、拭き取った。

 淫欲に身を委ねきった悪奴弥守を己の下に敷く姿勢で、螺呪羅は男の律動を開始した。

「あぁ…んっ……はぁっ……嫌……」

 螺呪羅の動きに合わせて悪奴弥守は高い声で鳴く。時折、否の言葉が混じるがそれは本当に嫌がっている訳ではない。ただ、その拒否の声が男と自分の感度を上げる事をよく知っているだけだ。

 それは自分の経験で知ったのか、それとも誰かに仕込まれたのかは征士には分からなかった。分かったのは、自分が初めて抱いた時とは全く違う拒否の言葉だという事だった。

「たまには違う言葉で誘え、悪奴弥守。」

 そう告げて螺呪羅は悪奴弥守の唇に白い指先を触れる。

 反射的に悪奴弥守はそれを唇で咥えて舌で舐めた。

 その淫猥な表情は確かに誘うもので、相手に激しい情動を起こすだろう。しかし螺呪羅の動きはそれまでと変わらない。

 ゆっくりと確実に悪奴弥守の内部を抉り犯し続けている。

「言葉で誘え。」

 唇の間に犬歯が覗いた。

 牙を思わせるそれが鋭く白い指に突き立てられる。噛まれた指先から血が流れ、悪奴弥守の切れた唇にまた赤い色をつける。

 そしてまた開かれた。

「熱い……」

 その声は焦がれ、鳴き続けて掠れていた。

「もっと……熱く……」

「暑いのは嫌いなくせに。」

「くれ……」

 台詞は冷えていても行動は激しさを増した。

 悪奴弥守の鍛えられた腰を螺呪羅は掌で掴み上げて欲をそのまま叩きつける。

 本能の呼び起こす快楽の原則に従って、衝動的に激烈に悪奴弥守を突き上げ、揺さぶり、中を抉り出して嬲る。

 それにより悪奴弥守は体を火照らせ何度も四肢を踊らせて、快楽の鳴き声をほとばしらせた。一度、欲を吐き出した部分は男の苛烈な律動によりまた濡れて首をもたげ血の色を滾らせている。

 こうしたとき、男が演技をする事は出来ない。悪奴弥守は、螺呪羅の情欲を受容する事により明らかに性の快楽を得て、そのために激しく乱れ鳴いているのだ。それが、わかった。

「この中に快楽の一点がある事は聞いているだろう。そこを叩け。」

 さすがに、螺呪羅の冷えた声も心なしか掠れていた。

「……い、やぁ…ンッ……」

 ふるふると頭を左右に振りながら、悪奴弥守は螺呪羅のシャツの腕に爪を立てた。

 抵抗なのか誘惑なのか判別がつかない仕草で螺呪羅の体を引っかく。喘ぐ声の合間に小さな言葉が混じっていたが、それもまた征士の知らない言葉だった。

「山の言葉だ。」

 悪奴弥守の背中に手を回し、抱き寄せながら螺呪羅が征士の教える。

「マタギは狩りをするために自分達だけの山の言葉と里の言葉をもつ。快楽でも恐怖でも興奮で意識が飛ぶと、山の言葉を使い始めるのだ、こやつは。」

 そして螺呪羅はうわ言のように古代の言葉を繰り返す悪奴弥守に、同じ言葉で返した。

 螺呪羅も狩人というわけではない。単にこの男が、悪奴弥守のためだけに全く未知の言語を習得したのだろう。そこに深すぎる執着を感じる。

 螺呪羅の言葉に安心したように悪奴弥守は目を閉じて、彼の腕から胸へ爪を滑らせる。

 それに対して男は両腕に悪奴弥守の体を抱き寄せてそのまま自らの体を起こした。

 座位の深く男を受け入れる姿勢で、悪奴弥守が喉を反らせて喘ぐ。

 山神の言葉が、また繰り返された。

 何を言っているのか、征士には分からないのに。

 そのままゆっくりと、次第に激しく悪奴弥守は腰を揺らし始めた。

 聞き耳を立てればその粘膜の動く音と喘ぎの中に、微かに男の名が聞こえる。

 言葉も忘れて意識を手放すような快楽の中で、悪奴弥守は相手が誰なのかはっきりわかっていた。それはそうだろう。自分の体の中にあるものの正体ぐらい。

 そのまま悪奴弥守は五体を使って男の五感を刺激した。全てを淫猥に蕩けさせ溶かすその動きは浅ましく、獣の本性を知らしめる。

 不思議なもので、螺呪羅は表情も態度も変えていないのに、その心臓の鼓動の音が、征士には聞こえていた。

 悪奴弥守の引きつったような呼吸にあわせるように彼の心臓は高鳴っていく。

「―――螺呪羅。」

 その呼び声に触発されて螺呪羅は悪奴弥守の背中に手を回す。

 強く激しい突き上げを彼は数度繰り返し、最後に悪奴弥守が短く熱い悲鳴を上げた。

 その角度からは征士は悪奴弥守がどんな顔をしているのかは見えなかった。

 しかし、それはすぐにわかった。

 螺呪羅が、器用に悪奴弥守の体の向きを変えさせた。非常に場慣れしているらしい。

 それに対し、悪奴弥守が知らない言葉で何事か叫ぶ。

「その言葉では分からない。」

 現代の日本語でしっかりと伝えながら螺呪羅は己を悪奴弥守にくわえ込ませたまま征士の方へ全てを曝け出させる。

 悪奴弥守は限界まで下を向こうとした。

「馬鹿が。」

 吐き捨てると螺呪羅は悪奴弥守の顎を掴み無理矢理前を向かせた。

 悪奴弥守の眼の中に、呆然と立ち尽くしている、立ち尽くすしかない金髪の少年の姿が映る。

 それで螺呪羅の責めの全てが終わった訳ではなかった。

 まだ萎えてはいない悪奴弥守の性欲にその細長い指が伸びたのだ。

「いやだ。」

 ようやく悪奴弥守がその単語を思い出して告げる。

 構わずに螺呪羅は白い手で悪奴弥守の本能を嬲る。

「……いやだっ……」

「お前が何者なのか分かってもらえ、悪奴弥守。」

 四百年の性の記憶と向き合いながら悪奴弥守は征士と体をむき合わせる。

 体の奥に螺呪羅をくわえ込み、彼の手に己の本能を握られたまま。

 否定の言葉が繰り返されたが、果たして彼が何を否定していたのか、その場に分かる者は一人もいなかった。しかし悪奴弥守は彼の知っているだろう日本語の否定の言葉を全て使った。

 ただ変えがたい事実として螺呪羅の白い手によってその欲は悪奴弥守の意志に逆らって高まり続け、やがて白く汚れて飛び散った。

 何ともつかぬ涙がこぼれ落ちる。

 その心がどうあるのか理解しがたくてもその揺るぎがたい事実としての液体は、螺呪羅が自身を引き抜いた部分からもとめどなく落ち続けた。

 

 

 

 身だしなみを整えた螺呪羅が戸口の方、即ち征士に向かって歩いてくる。

 聞きなれない単語が征士の耳に触れた途端、その体を縛っていた幻術は解け、彼は自由を取り戻した。

 だが、どうすればいいのか分からなかった。

 螺呪羅を殴りたいとは思ったが、殴ったところで何が得られるだろう。

 恐らく自分が惨めになるだけだ。

「真実とは何かわかるつもりなら、悪奴弥守と話せばいい。」

 茶飲み話でもするような声でそう告げて、螺呪羅は寝室から去った。

 征士は何も言えず、ただ悪奴弥守の側へ近づいた。彼はまだベッドに無気力に横たわっていた。裸の腰の周りにだけ、螺呪羅のかけたタオルケットが纏わりついている。

「―――寝ている間に。」

 激しい情交のためか、それとも感情のもたらすものか、悪奴弥守がしゃがれた声でそう言った。

「何?」

「寝ている間に、光輪が螺呪羅と話したのか。俺の真実の事とか?」

「………」

 衝撃が打ち続いた頭で、征士は虚脱状態のまま頷いた。

 だがうつ伏せに倒れこんでいる悪奴弥守にはそれは分からない。恐らく征士の返事を待っているだろう沈黙に、彼は先ほどまで怒声を止められていた喉に声を送る。

「私が螺呪羅に悪奴弥守の全てを知りたいと言った。」

「そうか。」

 悪奴弥守はあっさりとそう言った。

 その様子から言って、悪奴弥守は納得しているらしい。

「こんなもんだ。俺の体はこう出来ている。」

 やはりあっさりと言う。恐らく征士の前で行われた事は、もう覆す事も隠す事もどうする事も出来ないから、そういうしかないのだろう。

「螺呪羅が好きなのか?」

 単刀直入に征士は聞いた。

「―――え?」

 悪奴弥守はよほど驚いたらしく、反射的にうつ伏せのまま顔だけ征士の方へ向けた。

「螺呪羅は、悪奴弥守のたった一人の男なのか?」

「よく分からない。」

 困りきった顔で悪奴弥守はそう言った。

「分からない? 私の質問が?」

「違う。俺はあいつの事はいつも、よく分からないんだ。」

「……四百年以上の付き合いなのに?」

 責めるように言った征士に対して、悪奴弥守は思う事があったのかうつむいて唇を噛む。必死に考え込んでいるようだった。

 はっきりした返答が欲しかった。この場で悪奴弥守が螺呪羅への感情を肯定するならば、取るべき行動は決まる。悪奴弥守が同じ世界で同じ時間を生きる者を愛するというのなら、最早征士に出る幕はないだろう。

「色々ありすぎたんだ。俺と螺呪羅は。だからあいつを見ると俺は色々な事が分からなくなるし、螺呪羅もそうなんだと思う。」

「……そんなに?」

「殺したいと思っていた事もあったし、逆に何があっても守りたいと思った事もあった。今もそうだ。殺してやりたかったけれど、あいつの気持ちを考えたら今は出来ない。」

 そう言って悪奴弥守は視線を落とし、耳を指で掻いた。

 やはり征士の前での先ほどの行為は、悪奴弥守にとっても殺意に満ちたものであったらしい。征士がそうであったように。

 だが、螺呪羅が征士の言葉に触発された上での行動と分かり、その気持ちは消えてしまった。その裏には幻魔将に対する本人にも不可解な信頼がある。

「私と逆なのか。」

「え?」

「多分、長い時間、一緒にいすぎたし、これからもそうだと分かっているから、そんな気持ちになるのではないか?」

「ああ。」

 悪奴弥守は耳を掻いていた手を止めて、征士を見上げた。

「そういえばそうだな。あいつは色々、光輪と逆だ。あんな嘘つきいないし……」

 そう言いかけて悪奴弥守は自嘲のような笑みを見せた。

「ごめんな、光輪。嫌だったろう。」

「いいや。」

 そこは固く征士は否定する。

「光輪?」

「私が螺呪羅に望んだ事の結果だ。悪奴弥守が謝る事ではない。」

「だが……」

「悪奴弥守の謝る事ではない。」

 頑固に謝罪を拒む征士に対し、悪奴弥守はまた困りきった顔を見せる。征士はその汗に塗れた頬に唇を近づけた。

「くちづけしてもいいか?」

「は? 何で?」

 征士の問いに仰天して悪奴弥守は逆に問い掛けてくる。

「悪奴弥守を愛しているからだ。」

 困った顔のまま悪奴弥守が何も言わなかったので征士はそれを実行した。悪奴弥守の口は塩っぽく、疲れているためその舌は活発ではなかった。かわりに征士が何度も角度を変えてその口を吸い、ゆっくりと離した。

「悪奴弥守は疲れているし、人間界では体が弱いのだから、ここでゆっくり眠っていてくれ。私は起こしたりしないから。」

「――――分かった。」

 征士の言動から何か感じ取るものがあったのか、悪奴弥守は静かにそう言った。その体をくるむように征士はタオルケットをかけなおした。

 

 

 

 居間に戻ると螺呪羅はCDコンポの隣のラックの前に立っていた。

 情報に鋭いと評判の彼はそうしたものにも興味はあるのかラベルを片目で眺めている。

「話は終わったのか?」

 そこから眼を離さずに彼の方から聞いてきた。

「終わった。」

「何かわかった事はあったか?」

 冷静そのものの彼の声に怒気を隠して征士は向かう。

「わかった。」

「何を?」

「貴様は私の最大の敵だ。」

 ゆっくりと螺呪羅はラックから征士の方へと整った顔を向きなおさせた。

「―――ここまで諦めの悪い餓鬼は久々に見たな。」

「学問も剣道も何もかも諦めずに真剣に当たれと、私は悪奴弥守に教わった。」

「そうかそうか。」

 激しい征士の敵意に対し、螺呪羅は何度も頷いた。

「それで俺が最大の敵か。―――知らんということはいっそあわれなものだ。」

「あわれだと?!」

 抑えていた怒りを露にした征士に対し、螺呪羅はにっこりと笑った。

「その順番で行くと、俺にとっての最大の敵はお前にとってなんになるのだろうな?」

「は?」

 征士は逡巡し、自分の後ろの寝室の戸口と螺呪羅を見比べる。

「私にとっての敵が螺呪羅なのだから、螺呪羅にとってもそうだろう?」

「却下。」

「きゃっ……」

 蝿でも叩くように素早く征士の健気な好敵手の名乗りを叩き落とすと、螺呪羅はにこやかに言葉を続ける。

「少なくとも殺気をそのまま感じさせる程度に子供の男を俺は敵とは認められん。」

「な、何で……」

「いいか光輪。そんなに簡単に敵意や殺意を見せたら、殺そうとする相手は警戒するだろう。それでは好機を逃してしまう。真に殺したい相手に対してこそ笑顔と親切を絶やすな。勿論それによって警戒する相手もいる。そこは相手を見て適宜調整しろ。成人した男なら、それぐらい身に付けておくものだ。まあ確かに悪奴弥守はあの性格だからこうした事は教えなかったのだろうが、悪奴弥守の教えた事だけ守っていては、奴がお前の中から大人を感じる事はないだろう。」

「……………」

「分かったかハナタレ。」

「はなっ……」

 敵に送る塩の中に一つまみの鼻クソを混ぜた後、螺呪羅は優雅に青灰色の長髪をかきあげる。

「貴様、まだ悪奴弥守をこの世界にとどめるつもりだな?」

「勿論だ。」

「それなら俺もここにいよう。悪奴弥守は、自力で体を浄化できない。仲間をそんな状態で放っておく事は出来ん。」

 追い返したいものの、征士では悪奴弥守の体を浄化できない。その悪奴弥守に無理を言って人間界にとどめておく以上、断る事は出来なかった。

「だからそんなに殺意を見せるなというに、光輪。安心しろ。お前の疑問の一つには、明日になったら明確に返答してやる。」

 いくらなんでも征士も理解した。

 先ほどから螺呪羅は笑顔も絶やさず、確かに親切だ。

 そこから感じる重圧は並大抵のものではない。そしてうっすらと感じるのは、こういう言動を取って征士が怒ったり戸惑ったりするのを螺呪羅は十分に余裕を持って楽しんでいるということだった。

(ま、負けるものかっ……)

 当時の流行歌に応援少女のものがある。やたらに負けないで負けないでと連呼していたが、その歌ではゴールは目の前に近づいていた。

 果たして征士とゴールの距離はどの程度なのだろうか……。
 そして、ゴールとの距離はいざ知らず、負けないで、『あと一人』はちゃんと追加された。




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