精霊祭のことをエリーゼは思い出した。現代日本で言う、盆のような祭だったはずだ。
デレリンの精霊祭とは、祖先や死んだ仲間が帰ってくる日の事である。
その迎え火のかわりに、デレリンでは、鳥や魚や、あるいは故人の好きだった動植物を模した、魔法の風船を夜中に空に飛ばす。魔法の風船は、様々な色の輝きを帯びて天空高く、星の海に向かって飛んでいく。魔法なので、雨が降っても輝きは失せない。
その光を頼りに、祖先や仲間達は自分の家に戻ってくるのだ。
送り火の時も同様に、鳥や魚の風船を飛ばす。祖先達はその風船に乗って、天空にあるという自分たちの楽園に帰って行く。
魔法で火を扱うので、参加者は専ら、大人に限られていた。
「俺の仲間は、日頃からクンレンして、色々な魔法を既に使える。風船の魔法だって楽勝だ。だけど、年が足りないからって精霊祭に参加出来ないのはオカシイ」
「ご家族の、誰かが……?」
クラウスが慎重に言葉を選んでアッシュに問いかけた。壁際では、ミラが泣きそうな顔になって俯いていた。
「ミラは、生まれた時から一緒だった猫が、春先に旅立ったんだ。家族の中で一番の仲良しだったのに。それなのに、8歳だからという理由で精霊祭で迎えに行けないのはオカシイ。オッサンが本当に偉い人なら、小学校にあがったら、精霊祭に出られるようにしてくれ!」
アッシュは本当だったらこの話を、”使者”と村長である自分の父にしたいのだった。だが、使者も村長である父も、子どもが大人の話に口を挟むなの一点張りで、ちっとも聞いてくれやしないのだった。だから大人はヒキョーなのだ。何にもわかっちゃいないのだった。
段々怒りがこみ上がってきて、口をへの字に引き結ぶアッシュであった。
それで、幽霊女を倒して手柄をあげて発言力を拡大し、村長の父に自分の意見を飲ませようとしたのだが、何故かこんな話の展開になってしまったのである。
「なるほど。その直訴に来て、部屋を間違えたということか」
クラウスは勝手にそういうふうに解釈した。
村の子どもが、仲間のために、頑張っているのだということは分かった。
「だが、君はいささか手順を間違えて居るぞ」
「テジュン?」
どういうことかとアッシュが聞き直そうとした途端、今度はクラウスのゲンコツが、アッシュの脳天に炸裂した。
「殴られたら痛いのは当たり前だ!」
かなり痛い方のゲンコツだったが、「泣かない」アッシュはかなり頑張った方だった。
彼は口をへの字にしたまま耐えた。クラウスにガンを飛ばして頑張った。
「要求の件はわかった。だがその前に、男なら、まず婦女子を泣かした事について恥じなさい!」
騎士であるハルデンブルグ伯爵は、そのへんの感覚は非常に研ぎ澄まされていたらしい。
「君はまるっきり田舎者のクソガキではないらしい。分かっているのだろう。男の強さとは弱いモノを守り助けるためにあるということを。それにも関わらず、我が娘を幽霊呼ばわりして、いきなり額を叩くとは何事か! それで泣いている女の子に謝罪もせず、名乗りもせず、自分の言い分ばかり述べる方こそオカシイだろう!」
「オッサン! 自分の娘だからって!!」
手助けのつもりで、クルトがそう怒鳴った。
「そうだ。幽霊みたいな女が、自分の娘だから庇ってるんだろう!!」
ヴァルターもそう叫んだ。
子ども達にしてみれば、リーダーであるアッシュが、仲間のミラのために大人と話をつけようとしてくれている大事な場面である。
それに、最年長がアッシュとクルトのこの子どもギャング団では、観光客もたくさん来る、精霊祭に参加出来るのが正しくアッシュとクルトだけという瀬戸際でもあった。
おおっぴらに魔法を使って風船を飛ばせる楽しい祭に、今年、自分たちが参加出来るかどうかという問題なのである。当然ながら、エマやミラまで抗議の声を上げて大ブーイングだ。
「お願いだよオッサン。俺たちも精霊祭に行きたいんだよ」
「ミラがどれだけ猫を可愛がっていたか知らないくせに!」
などなど、相手が偉いオッサンだと分かっているのに言いたい放題。
「アスラン。エリーゼに謝りなさい。話はそれからだ」
しかし、クラウスは頑として譲らなかった。
エリーゼは、困惑の表情をあらわにして父の方を見ている。部屋で泣いていたら突然殴られたので、びっくりして泣き出してしまったが、今ではアッシュの話も把握していた。
アッシュは、家族の猫が亡くなった仲間のために、ここまで来て「直訴」をしようとしていたのだ。貴族の令嬢である彼女は、直訴というものがどういうものかは知っていた。
(なんで私の頭を叩いたのか分からないけど……?)
そこだけが引っかかっている。なんで自分の書斎に乱入したのかというと、単純に屋敷で道に迷って間違えただけだろうし。
クルトはアッシュが謝らない事を知っていた。彼は謝る事をダサいと思っている。そしてどんな時も自分の正しさを貫くアッシュの事をスゲエと単純に思っていた。
「なんでだよ。自分の娘だからって……」
クルトが苛々とそう言ってゴネようとした。
「男なら筋を通しなさい!」
しかし、いつになく、クラウスは頑迷にそこにこだわった。クラウスはクラウスで、アッシュに対して何か感じるものがあったらしい。エリーゼもそれを感じ取った。
父は、何故に、田舎の農村の子どもにそんなにこだわっているのだろう。
「男とか女とかじゃなくてさあ!」
クルトがブチギレそうになる。
この場合のクラウスの言う「男」とは、本来なら「騎士」である。「騎士階級」のクラウスは、何故か、アッシュに「騎士」の礼儀を求めていた。
「お父様……どうしたの?」
エリーゼが思わず不思議そうに小首を傾げながら父に尋ねる。
「黙ってなさい」
クラウスは一刀両断で娘の疑問も斬り捨てた。
「なんなんだよ」
クルトが文句を言おうと、前に進み出た。だが、それよりも前に出たのが、アッシュだった。
「いい。クルト」
「アッシュ! お前……」
アスランは、クルトよりも前に出て、エリーゼの方に進んだ。
黒衣のドレス……自分なりに喪に服していたエリーゼ、のゆりは、息を飲んだ。アッシュは酷く真剣な顔でエリーゼの方を見つめた。
小柄なエリーゼは思わず一歩後ずさりをしたが、そのぶん、年齢のわりに大柄なアッシュが前に進み出る。
「エリーゼ」
「……は、はい」
「悪かった、ごめん」
アッシュは潔く頭を下げた。
クラウスの言ってる事は鉄板で正しかった上に、相手が悪いということをアッシュは悟っていた。クラウスの自分を見る視線に、大人が厄介者を相手をするときの例の目つきがなかったこともある。クラウスが、自分に何かを期待していることをアッシュは敏感に感じ取っていた。この大人は自分を悪くさせない大人だ。
いつだって、ガキ大将というものは、周囲の「期待」に人一倍敏感なものである。
謝る相手のエリーゼは、膝の辺りまで髪を伸ばして真っ黒な服装をして、幽霊みたいなイメージだったが、近付いて顔を見てみると、ひときわ可愛らしい、印象的なライムグリーンの瞳をしたお嬢様であることが分かった。
「許して、くれるか?」
「はい!」
エリーゼは即座にアッシュを許した。
彼女は初めて晴れやかに笑い、父の方を振り返った。
「お父様。私、アッシュを許します。だから、その……彼の言う事を聞いてあげてください。……仲間のために、一生懸命、村からここまで探し出してきたのだし……それに、猫ちゃんが可哀相です!」
「ああ、うん」
そこはクラウスは鷹揚に頷いた。
「オッサン、もしかして……」
「ヴィスター村の事なので、私の一存では返事は出来ないが、悪いようにはしない。確かに、猫の事は大変だったな。仲間思いなのはいいことだ、アスラン」
クラウスはそこでようやく一息ついて破顔した。
「娘によく謝ってくれた。アスランはいずれ、大した騎士になるだろう」
「やった!」
アッシュはガッツポーズを取った。クルト達も、まさかの展開に驚き、歓声をあげた。
今年の精霊祭は、子どもギャング団全員で参加出来るかも知れない……。
喜んだ子ども達は跳ね回った。ミラとエマは特に喜んだ。
女の子達は、思わず、エリーゼの側に駆け寄って、両手を取って、クラウスへのとりなしについて感謝してくれたのだった。