光の海 夢の影
第一部 海の花園
第一章 はじまり
第一話 雪の王宮(1)
寒い日の事だった。ドームの中にまで雪が降りしきり、王宮の庭も建物も真っ白に塗り替えていた。
それは、去年までの奪い合い、戦争の傷跡をかき消すかのようだった。無論、この島の王国カイ・マラプアの王宮にまで敵国の破壊と毒牙は及んでいない。だが、変わってしまった事はある。戦争は、それまで過ごした平和の日常の何もかもを変える。変わらないものは、何もない。
(ヒナノ……)
王宮の奥の私室で、マオリは窓の外の降りしきる雪を眺めながら、去年までの、大陸との戦争を考えていた。このカイ・マラプアは北極海にほど近い孤島、大小30近い島から出来た王国で、現在は鎖国することで保身に走っている。
だが、この女性が極端に少ない時代、いつまた他国に攻め入られるかはわからないのだ。
それこそ、自分の愛する妹ヒナノが奪われる日が現実に来るかもいれない、そんな悪い想念にかられ、マオリはため息をつくと、仕事のためにデスクの上の端末を開こうとした。
カイ・マラプアに整備された巨大なマザーコンピュータの端末を操作して、もう何回も見た、午後からの仕事に必要な資料に目を通そうとする。
そのとき、彼の私室のドアがノックされた。
「誰だ?」
「--私です」
「ハオか。……入ってくれ」
幼なじみのハオ・カハレの声に顔をほころばせ、マオリは黒髪に金の混じった頭を振ってドアの方を見た。
すぐに、藍色の、カイ・マラプア風に改造された着物を着た背の高い男が、瓜二つの弟も伴って部屋の中に入ってきた。
「イオもいたのか。どうした?」
マオリは王族にのみ遺伝する、琥珀色の瞳を瞬かせ、それとなく首を傾げた。
そうすると、角度によってはマオリはとんでもない美少女に見えるのだった。それこそ、双子の妹ヒナノとそれほど変わらない愛らしさとそこはかとない色気を感じさせる。
「--王子」
そのマオリに向かって、ハオは、悲しみと苛立ちの双方を感じさせる声をかけた。
王子。
マオリは、この北限の島の王国、カイ・マラプアの王位継承者である。
少なくともこの時点ではそうだったのだ。
去年、戦争で死んだ国王の喪に服している現在。
来月、喪が明けると、彼は自動的に十七歳にして国王になる存在だ。無論、自分で出来る事など限られているが、大勢の大臣や将軍に手助けされて……。
「王子、姫宮とは、最近、お会いになりましたか?」
いきなりハオは本題に切り込んだ。姫宮、とは、マオリの双子の妹であるヒナノのことである。
マオリにとっては最愛の存在だ。
「ん? ああ……」
ヒナノのことを思い出し、マオリは曖昧に言葉を濁した。
ヒナノは自分と同じ琥珀の双眸を持つ神秘の力を宿す姫である。双子は別々に分けて育てられる慣例にのっとり、14歳になるまで会う事はなかった。
そのため、マオリの中では、妹という認識はあるが、この三年で知り合った美しくたおやかな娘ということになる。
「はっきり、お答え下さい。王子」
ハオは藍色の瞳に鋭い光を走らせて詰め寄るようにした。
マオリはハオから顔を背け、背中を向けて答えた。
「会ってない」
そう言うしかなかった。
ハオは苦しそうな息を吐いた。
だが、そのあとは、普段の冷静沈着な無表情に戻り、マオリの背中に向かって手を伸ばした。
物凄い圧力のかかった空気の塊がマオリの背中から直撃される。
気弾。
ハオの空気の弾丸がマオリを背後から吹っ飛ばした。
「!?」
マオリは咄嗟に受け身を取りながら、自分の部屋の床に転がり落ちた。
勿論、マオリも霊圧を用いてガードはしている。だが、日頃の彼ならば、それぐらいの気弾を受けてもびくともしないはずだった。
「やはり……」
呆然として、床から立ち上がれないでいるマオリの側に、ハオは歩み寄った。袴でありながら、雪でも滑らない靴をはいているのは、カイ・マラプアでは常識である。
ハオの後ろからイオも、吹っ飛ばされた衝撃に喘ぐ、マオリの方に近付いてくる。
「呪いを受けましたね」
ハオは簡潔にそう言った。
マオリは無言で唇をかみしめた。何も言う気はないことは、その表情を見れば明白だった。
呪詛ではなく、呪い。
ハオは明確にそう言った。全てが、バレている。
マオリにもそれはわかったのだ。
「神々の呪い……天罰を受けたんですね。王子」
ハオの弟イオがトドメをさすようにそう言った。
機械化されたカイ・マラプアの文明の中にも、神々に対する信仰はある。何しろ、この極寒の天地に、文明の光と暖かさをもたらすためには、壮絶な自然との闘いがあった。その闘いの中に生まれたのが、超常現象、超能力に基づく魔法や呪術の数々と、自然の摂理に神を見る信仰--。
その双方を司るのが、カイ・マラプアを統べる王家と姫宮の役割だ。
そうでありながら。
マオリは、天罰として、呪いを受けた。
マオリは不敵に笑った。
笑いながら上半身を起こし、頬を歪めてまた笑った。
「だったらどうする?」
それが彼の返答だった。
咄嗟に、ハオは言葉に詰まった。
その顔色の変わった様子を楽しむように、マオリは、床の上に座り直しながら言い放った。
「お前らが、ヒナノに本気で惚れている事は知ってるんだよ。要するに、ヒナノが俺のものになったことが許せないんだろう?」
「!」
「ヒナノは確かに俺の妹だ。俺は神々に許されない事は、確かにした。だが、お前らにそれで文句を言われる筋合いはない。ヒナノはお前らには渡さない。あいつは何もかも承知して、俺と一緒に天罰を受けた。この罰さえ乗り越えれば、俺たちは二人で幸せになれる」
「王子……あなたは……」
ハオは顔色を変えて、マオリの言葉を遮ろうとした。
「それを誰にも邪魔はさせない。お前達にもだ。ハオ、イオ!」
眼光鋭く、マオリは言い放つ。
三年前に出会った双子の妹と、禁断の愛が芽生えている事を肯定しつつも、全く恥じ入る様子も怯える様子もない。
マオリの力は、妹と関係を持った事によって大幅に低下している。それこそ、ハオの気弾一つかわせないほどに。それでも彼は強気でいる。
自分は何も間違っていないと思っているからだ。
「いいえ。それは違います。王子」
ハオは、不意に、普段の無表情に……無表情に近い笑顔を取り戻してそう言った。
何を考えているかわからない、と評判の、上品な笑顔。
「なんだと?」
「私が欲しいのは姫宮だというのは間違いだと言う事ですよ」
ハオはそう言って、マオリの纏う着物に手をかけた。
カイ・マラプアにおいては、古代地球の日本に擬した文化がゆえあって流行している。着脱しやすい二部式着物が主で、体を動かしやすいように袖も裾もゆったりしているものが殆どだった。ハオもまた、上質な布地で出来た黒い上下の着物を着ていた--喪中なのだ。
着物の胸の襟のあたりを突如つかまれ、マオリは咄嗟にその手を打ち払おうとした。
呪いを受ける前のマオリだったら、ハオの手ぐらい簡単に叩き落とす事が出来ただろう。だが、今はそうはいかなかった。
ハオはもう片方の手で、マオリの手を掴み上げた。マオリは息をのんだ。
「何を、す--」
マオリの胸襟と右手を掴んだ姿勢で、ハオは彼の体をたぐり寄せるようにした。マオリのすぐ隣に跪いている自分の方へ。
マオリは身をよじって逃げようとする。抵抗しようとしたようだった。
だがハオはその体を強引に抱きすくめた。
「ハオ、お前っ……」
「黙ってください」
ハオは、逃げようとする主君の唇に、自分の唇を重ねていた。
マオリの両目が極限まで見開かれる。マオリは、咄嗟に、ハオの体を跳ね飛ばそうと魔力を使ったが、今の彼に、ハオを封じるほどの力はなかった。
マオリはもがいた。唇を吸われ、ハオの下に嬲られながら、あがいた。何とかその腕から逃げだそうと。
だが、魔力を使おうと、腕力を使おうと、マオリの力がハオにかなうことはなかった。
長いキスが終わると、マオリは脱力してその場に倒れ伏しそうになっていた。
「イオ」
そこでようやく、ハオは、親友よりも何よりも近しい、自分の弟の名を呼んだ。双子よりもわかりあっていると噂の弟、イオは、何も言わずに戸口に向かい、ドアに鍵をかけた。さらに、魔力で結界を張った。
恐らく、この部屋には誰にも突入出来ないような厳しい結界を……。
「お前、らっ……何をする気だ?」
呪いに能力を奪われ、さらにハオから信じられない攻撃を受けた直後である。狼狽するマオリの顔を直視して、ハオは今から自分がすることの覚悟を決めていた。
禁忌を犯した王子を、更に自分が犯せば……どうなるか?
自分も。弟イオも。天罰から免れる事があるかどうか、わからない。もしも天罰が落ちたら恐るべき事だが、罰さえも与えられなかったら、どうしようと思った。
あとがきなど
読んでいただきありがとうございます。
読んでいただきありがとうございます。