それはラブジョイ彗星が、太陽系に戻ってきた年の事だった。
Comet Lovejoy。
天空の鎧を着るためか、相変わらず天文学に並ならぬ興味を持つ羽柴当麻は、年明けから機嫌が良く、フリーランスの仕事の傍ら、ずっと彗星の記録を追っていた。
その間、ずっと、木村由姫の「LOVE&JOY」という曲を聞いていたらしい。多くは、当麻と同居する自宅のマンションの外で働いている征士は、ハードロックしか聞かない事もあり、詳しい事は知らないのだが、当麻が鼻歌などでよく歌っているので、今ではサビの部分は完全に覚えてしまった。
(いい意味の歌らしいな)
征士はそんなことを考えながら、明るく前向きな曲とはまるで逆のイメージの場所に踏み入れた。
しかもかなりの早足で。
--青山霊園。深夜二時。
「伊達さん、お願いします。この通り」
依頼人の男がもみ手で征士にそんなことを言う。
「言われずとも。妖邪退治は我々の仕事だ」
征士は自然と胸を張りながら、退魔師の霊力を注ぎ込んだ木刀を構えて霊園の中を進む。
依頼人の男は、征士の2~3歩ほど後を、恐怖を殺した形相でついてきたので、征士は仕方なく追い払った。
妖邪との戦闘に、一般人が巻き込まれていいことなど何もないからだ。
依頼人の男は、ハンカチで冷や汗を拭いながら小走りに霊園の外に走って逃げた。
征士は軽く息をつき、初めて来る訳では全然ない、青山霊園の中を、一方向に、確信を持って歩き始めた。
退魔師として生活して、22年。
二十歳でデビューしているが、経験に裏打ちされたカンで、今では妖邪が大体どこにいるかわかるようになってしまった。
尤も、彼が初めて妖邪と戦ったのは1988年--未だ14歳の時であるのだが。
そういうふうに数えてみると、28年もの間、ひたすらに妖邪と戦って戦って勝ち続けたのが彼の人生だということになるらしい。
来月の六月で42歳、見事不惑となるのだが、自分の人生のなんと単純だった事かと、本人は呆れてしまうほどだ。
鎧戦士として生まれ、鎧を受け継いだ以上、使命と思って妖邪を狩る。倒す。
それだけのことを磨いてきた。
傍らには常に、羽柴当麻を始めとして仲間がいたから、寂しいと感じた事も、つまらないと思った事もなかったが、これだけの墓--。
墓の中に詰められた多くの冷え切った人生を眺めると、自分は「単純だった」と考えてしまう程度には、仕事に無我夢中に生きてきたようである。
否。
今は、人生観に耽っている場合ではない。
どっちにしろ、何回見ても壮観な、墓の群れを前にして、四十路のため息をつくのはやめ、征士は早足に妖邪を追った。
「クケーッ!!」
どこからともなく、神話に出てくるハーピィのような鳥の化け物の声が聞こえてくる。
征士の姿に気がついたのだろう。
征士はセオリー通りに、ハーピィを追い詰め始めた。
大東京、青山霊園の片隅で、征士は鳥の妖邪と戦っている。
それはノストラダムスの大予言がまだ流行っていた時代。
1999年7の月をさかのぼること十年前。
地球文明は、妖邪帝国に襲われた。文明の利器はまるで役に立たず、妖邪、妖力という力による支配により、何人もの人間が生贄となった。
その一年間、伊達征士、羽柴当麻、真田遼、秀麗黄、毛利伸の五人が自らを犠牲にする戦いにより、はるばる妖邪界まで出かけ、妖邪帝国にトドメをさすことにより、地球文明は守られた。
そして、その「現象」は極秘され、やがて忘れられるーーはずだった。
妖邪界と人間界は、その戦いの際に、様々なポイントで重なり合い、妖力の加減で、妖邪界の妖邪が頻繁に人間界に「落ちてきて」、あるいは「訪れて」、悪さをするようになったのである。
妖邪は人間を襲う。
それは何の故があってのことだかは、確定は出来ないが、妖邪が人間界で生物としての形を整えているためには、どうやら人間の煩悩を食べ物のように使うしかないらしいのだ。
そして、人間の煩悩をより効率よく食べるためには、恐怖や憎悪をもたらして怨念や怨恨を育てた方が速いし、美味であるらしい。
恐らくそのために、妖邪は人間界に来るとすぐに人間を襲撃する。
そのことがはっきりしたのが、征士が高校の時で、そう断定したのは当麻とナスティだった。
自分たちは、妖邪との果てしない闘争のために生きているのかと愕然とした事は覚えている。
だが、何もしていない無辜の人間達が、異世界の妖邪達のために、怨念を育てて育てて苦しんだあげくに、襲われて喰われてしまうという残忍さを見過ごす訳にはいかなかった。
自分も、生まれてきた時から武士を目指してきた以上、悪逆無道な妖邪を黙って放っていく訳にはいかない。
様々な進路を考えた末に、征士は実家のツテを辿って修行をし、退魔師となって妖邪と戦い、死ぬまで人間を守る事を職業とした。
それにびっくりしたのは伊達家総勢だけではなく、当麻も遼も他の仲間も、最初聞いた時は唖然としたが、征士だったらやるだろう、と全員が感心したという話である。
由緒正しい伊達家の嫡男が退魔師というのも珍しい話ではあるが、一心に修行しただけあって征士は非常に腕が良く、すぐに業界ではトップバッターとでも言うポジションになりおおせた。
そのときが二十歳。
独り立ちを決め込んで、日夜、気の抜けない妖邪との戦いに身を投じたが、そのときついてきた男がいた。
羽柴当麻。
「お前一人にいい格好させて、ほっとけるかよ」
という言い分で、その当時はT大の大学生だったが、征士が東京に本拠地を構えたのをいいことに、征士のマンションに転がり込んできて同居を開始した。
我の強い男二人だったので、それこそ様々な事があったものの、同居は概ね成功し、当麻はフリーランスのSEとして稼ぎながら、様々な趣味の学問に打ち込み、征士は、退魔師として次々と悪質な妖邪と戦って勝ち抜き、名をあげていった。
二十二年間。
(楽しかったな……)
何故かそのとき、ふと、戦闘中に。
征士は当麻の事を考えた。
激しい戦闘だった。
一瞬でも一秒でも気が抜けないほどの、ハーピィからの猛攻。
その最中に、何故か、当麻との楽しい生活の事を振り返ったのだ。自分でも、意味がわからない。
追憶に耽るようなターンではないのに。
当然、そんな気の緩みが許される訳がない。
「クエエエエッ!!」
ハーピィは耳障りな奇声をあげながら、両足の鋭い爪で征士の顔面を引き裂こうとする。
並大抵の男だったら、頭が破裂しているだろう。そんな攻撃だ。
「破ァ!」
征士はそんな気合いを発し、木刀を構え直すと霊力でハーピィの攻撃を受け止めた。
ぎりぎりと、不思議なつばぜり合いが行われる。
最終的に、ハーピィの攻撃を跳ね返したのは征士だった。
霊力の爆発--光輪の力の輝きに吹っ飛ばされるハーピィ。
だが、体勢を立て直すと、ハーピィは空中高い舞い戻り、そこから翼を鳴らすようにしてはためかせ、暴風を起こし始めた。妖力に煽られた風が征士に襲いかかる。
「……そうか」
そんなこと、と、当麻なら笑ってしまうだろう。
天空、風の攻撃は当麻が一番得意とするところだ。彼の戦闘を隣で見てきた征士には、ハーピィの荒っぽい風など、児戯の沙汰だ。
ハーピィは暴風をさらに煽り続け、風の隙間にかまいたちを仕込んで征士にぶち当てる。
だが、その風の刃の軌跡は、征士はたやすく見て取れた。
風をくぐり抜け、征士は、武装する。
「武装!!」
その瞬間に、決着はついたようなものだった。
輝く緑の美しい鎧が彼の体を覆う。
「雷光斬!!」
きらめく雷の破壊力。その光の輝きの中、ほんの一瞬で消滅していく妖邪--。
伊達征士、42歳。まだまだ武装し、必殺技を繰り出す年齢である。