向けられた背中


 闇神殿に夜の月は似合う。
 古代を思わせる森の中にある、何千年もの歴史を持つと言われる神宮。

 そのいわれや伝説は数あるが、いつから闇神殿が妖邪大陸に存在し、いつ阿羅醐に掌握されたかについても、諸説あり、悪奴弥守でさえがどれが本当の事かはわからない。だが、その闇神殿のシステムと、心臓部に関しては、悪奴弥守とスクネ、そして高位の巫女と神官達が把握して、あらゆる意味で守りの体制を取っていた。即ち、どこがこの広大な闇神殿の心臓で、この神殿の正体はなんであるのか、外部には絶対知らせないということである。


 悪奴弥守がこの世界に転生してきたのはほんの十数年前の話で、闇神殿にある膨大な資料や口伝については未だに知らぬ事も多い。だからこそ、日々勉強中で忙しい身であった。 その伝説の中には、闇神殿ははるか一万年の昔に生まれたというものもあった。

 人、と呼ばれる生命が、妖邪大陸についた時に、存在したのが闇神殿であり、そこにいた巫女たちが、人間達の導き手になったという口伝が一部に伝わっている。無論、ガセネタであろう……一万年の昔だ……。



 だが、悪奴弥守はそんな荒唐無稽なことを考えながら、手酌で酒を飲み、月を眺めていた。
 自分の部屋で、一人きり。今はそんな気分だった。やけ酒という訳でもないのだが、とにかく飲みたい気分だった。
 といっても、豪快に盃をあおるのとも違い、闇神殿で作っている地酒をちびちび飲みながら、月を肴に一万年前の闇神殿の事を考えている。

 一万年前も、当然ながら月はそこで輝いていた事だろう。初めて、闇神殿に到達した人間の事を、どんなふうに見守ったのだろう。それは、男だか、女だか、わからないのだが。

 だが、その場にいたのが巫女だから、恐らく男ではないかと悪奴弥守は想像していた。、

(その後、人間の数が増えたってことは……そうだよなあ?)
 などと、実にくだらない事を考える。当たり前だが、巫女に不浄な手で触るのは厳禁なのだ。
 だがそもそも下世話な視線を巫女に送る事自体がよくないのだから、悪奴弥守はそれ以上考えるのをやめた。


 闇神殿の主が何を考えているんだ。


 それで思考をそらそうとすると、どうしても先ほどの事が頭に浮かんでしまう。それでまたちびちびと酒をなめて、苛立ちを押さえ込もうとした。

 何に対して苛立つといって、やはり螺呪羅の態度である。無言で消えた訳ではないが、無言と同じだと思う。自分の出したい指示だけ出して、小次郎連れてさっさと帰ってしまうのは。
 しかも、悪奴弥守に許可を取らずに、敵国の忍びを連れていってしまうというのも、何か失礼な感じがする。だが、そこは仕方ない。確かに、螺呪羅の顔と名前を使って煩悩京中荒らし回った男、螺呪羅が尋問しなくてどうするんだ。

 そこは譲ってもいいんだが--。

(一言ぐらいあってもいいよな)
 そういう気持ちにどうしてもなってしまうのだ。
 なんでと言われても、自分でもわからない。

 それでふてくされているのだが、ふてくされている自分をヤヅカはもちろんスヤリにも見せたくないので、人払いをして自分の部屋でひとりぼっちで酒を飲む悪奴弥守。

 時々猛烈に怒りが混み上がってくるのだが、その正体は自分でもよくわからなかった。

 悪奴弥守としては、別に螺呪羅のために働いてやった覚えはない。ちっともない。これっぽっちもない。『螺呪羅』が自分を殺害しようとして襲ってきたので、叩きだしてぶった切ってやっただけである。螺呪羅のためなんて考えてもいない。

 だから、螺呪羅から礼を言われなかったり、ねぎらってもらえなかったりしなくても、別に気にする必要なんて少しもないのだ。みじんもないのだ。そんなことを考える必要はどこにもないのである。

 本人は意識の上ではそう考えているのため、究極的になんに対して腹を立てているかというと、螺呪羅が自分に断りも入れずに敵国の忍び連れて行ったということにした。これってむかついて当然だよね。

 あとは、ぶつぶつと口の中で文句を言い始める。とりあえず、耳のいいヤヅカなんかに聞き取られては困るので、口の中で。

「だからどうしてあいつら、螺呪羅を見破れなかったんだよ。それで仕事がはかどらなかったんだろ、今回は……」

 そこがどうにも釈然としなくてキレまくったのだが、全く誰にも通じなかったので、そこもなんだか腑に落ちないのだった。

 なぜなら、悪奴弥守からみると、螺呪羅と『螺呪羅』は全く別人だったのである。
 一目見て分かった。別人だと。

 確かに匂いの問題もあるのだが、螺呪羅と『螺呪羅』がどうして見分けがつかないのか、本人には分からないレベルだったのである。

 なんでだ??
 それでキレて怒鳴ったのだが、周りが不思議そうにしているので、余計に怒ってしまったのだ。

 しかし、ここで、どこで見破りかけたんですか、と本人に尋ねたところで、ろくなものじゃないのである。

「何言ってるんだ。ただ、同じ顔なだけじゃないか」
 悪奴弥守はこういうしかなかったのだ。

 同じ顔は同じ顔なのである。ナリスマシなのだから。
 だが、悪奴弥守には、螺呪羅とナリスマシはまるっきり別人としか思えず、実際そうだったのだ。
 だが、どこが違うと言ったら「全部違うだろう!」と実に感覚に偏って事を言うしかなかったので、伝わらなかったらしい。

 なんで分かったのか--。

 悪奴弥守は酒を飲みながら、よくよく自分の記憶と感覚を調べ直し、何がそんなに違ったのか考えようとした。また同じ事があったらどうする。

「……」
 結局、悪奴弥守は一人で勝手にこう判断したが、そんなこと墓場の中でも言えないと思った。

(全体的に、螺呪羅の方がナリスマシより綺麗だ。どう綺麗って、全部綺麗なんだから、しょうがない。だが俺はそんなことあいつに言いたくないし誰にも聞かせたくない。破瓜の中まで持っていこう)

 最終的にそう決断し、皆に向かって「綺麗な方が螺呪羅!」と言うのはやめておいた。



 まさにそのときだった。那唖挫がもの凄い勢いで廊下を蹴立てて襲来し、悪奴弥守の自室の障子を勢いよく開いたのは。

「悪奴弥守!」
「……え、何……」

 悪奴弥守が苛々するのとは違うレベルで、那唖挫は激怒しているらしい。
 この末っ子は、瑠璃光殿の部下の前では理知的でクールな所作を決して崩さないだが、兄貴分達の前では随分と態度が違う。喜怒哀楽は激しいし、表情もくるくると変わる。特に、長兄の事は結構怖がっている部分もあり大人しくするが、次男の前では本音もろだし笑いも怒りももろだしという性格であった。

 だから、怒る時は遠慮なく怒り、いきなり悪奴弥守の頭をどついた。

「なんだよっ!」
「こっちの台詞だ!」

 那唖挫は間髪入れずにそう言った。

「悪奴弥守、お前も人にいきなり突き飛ばされたらそう怒鳴るだろう。俺はなんなのかと思ったぞ。さっきのお前の、螺呪羅への態度はなんなんだ! もしも本当のことなら、こんなものではすまさんからな!」

「……え、なんだって?」

 那唖挫にいきなりまくし立てられて、悪奴弥守は思わず聞き直した。怒るより先に呆気にとられてしまったのだ。

「お前は口に出して言わなかったのかもしれないが、態度にあれだけはっきりだしたら言ったも同然だし、それで心ある人間は傷ついた、そういうことだ。心当たりはないか?」

 すると悪奴弥守は真顔で言った。

「まるで、ない」

「……そうか、それなら、もう少しかみ砕くか……」
「最初からそうしてくれ」

 那唖挫は多少、判断に困った。那唖挫にしてみても、一緒に寝るような関係の人間に、迫った瞬間くあしと言われたら、と考える想像力はある。しかもくさいと言って泣き叫んだそうではないか。
 そんな微妙な状況の事を、どういえと。それで、悪奴弥守の方から白状してほしかったのである。

 ところが、悪奴弥守はまるで心当たりがないと言う。

「先ほど、螺呪羅を追いかけたんだがな」
「ああ、うん。どうした? 螺呪羅と何かあったのか?」
 悪奴弥守にもそれぐらいは分かるらしい。

「何故、螺呪羅が傷ついた顔をしていなくなったかというと」
「うん……?」
「お前にくさいと言われたと思ったからだそうだ」

 (゚д゚)
↑今度は悪奴弥守がこうなった。

 そのまま黙っているので、那唖挫は、話を続けた。

「何でも、以前に、螺呪羅がお前と同衾したいと申し込んだ時に、お前がくさいと言って泣き叫んだそうじゃないか」
「は……? え……?」
 次に悪奴弥守はだんだん青くなり始めた。何か思い出す事があったらしい。

 これは、と踏んだ那唖挫は、悪奴弥守の方にたたみかけた。

「それで、今日の事件で、あんなふうな言動を取ったから、螺呪羅は、自分が悪臭がすると皆の前で言われたと思って、傷ついて、それでもお前の事は責めずに帰って行ったんだ。どう思う、悪奴弥守よ。いきなり突き飛ばすようなものだし、考えようによってはそれより酷いぞ」
 那唖挫は知ってる事を洗いざらい話した。

 悪奴弥守は、当時の事を思い出したのか、頬や口の端、目の端をヒクヒクと痙攣させていた。恐怖なのか悲しみなのかはわからない。

 だが、そのあとに、険しい顔つきになってこう言った。

「俺は、螺呪羅にくさいなんて言った覚えがない」

「……何?」

 そうなのである。
 悪奴弥守は、状況が状況だけにパニック起こして”変な匂いするから嫌いだ”と言ったのであって、くさいとは言っていない。
 むしろ、悪奴弥守は、それとは別の事で悩んでいるのだ。螺呪羅からは、常に、誰とも違うとてもよい匂いがするのだ。だが、当時、螺呪羅は無臭の男だった。現在は何故か香りを焚く癖がついたようだが、その頃の螺呪羅は、かなり機械的な乱波だった。それで、匂いなどを完全にさせないように気をつけていたのである。

 それで、誰も、螺呪羅の匂いなど気がついた事がなかった。

 しかし、悪奴弥守だけが、螺呪羅から本当にいい匂いがするので、それをヤヅカに聞いたところ、誰もそんな匂い知らないと言われたのである。

 螺呪羅本人が、乱波として匂いを消しているし、他の人間は誰も匂いに気づいていない。悪奴弥守だけが嗅ぎ取っているいい匂い。これは一体なんなんだ。

 それでいらついていたため、窮地で迫られた時に、うっかり口が滑って”変な匂い~~!!”

 確かに、悪奴弥守からしてみれば、変な匂いは変な匂いなんである。何故、自分だけ嗅ぎ取れるのか、わからなかったんだから。

 だが、螺呪羅にしてみれば、迫っている時に受けの立場から変な匂いと泣き叫ばれたら、当然、くさいと言われたと思い込む。そこからすれ違いが始まっているのだ。


 そして、当然、悪奴弥守は黙ってしまった。自分が螺呪羅に手込めにされたいきさつを弟分に詳しく話すなんて出来ないし、したくない。
 同時に、自分だけが嗅ぎ取れる螺呪羅のいい匂いについては、この情報が螺呪羅の敵に漏れた時が恐ろしい。螺呪羅は華やかなだけに、味方が多いが敵も多い男なのだ。まして乱波だ。

 それで、苦しそうな顔でうつむいて、無言になってしまった。

「本当に、くさいと言った事はないんだな?」

「確かに昔、あいつともめた事はある。だが、そんなことは言ってないし、言う必要がない」
 実際、悪奴弥守の気性とすれば、そうなる。何故かというと、いい匂いをくさいと言ったら嘘だからだ。嘘にも色々あるけれど、つかなくていい嘘はつかない方がいいというのが悪奴弥守の立場である。

「なんでそんなこと言われるんだ?」
 逆に、くさいと言った事がないのに、くさいと言われたと言っている螺呪羅が不思議になってきた。
 同時に妙に傷つく。さみしい気持ちになってくる。

「どういうことだ」
「螺呪羅はくさくなんかない」
 そこは嘘をつかなくていいラインなので悪奴弥守は那唖挫にそう答えた。

 那唖挫は悪奴弥守の事をしげしげと観察した。
 悪奴弥守だって武将であるから、嘘のひとつやふたつ、つくことは出来るし、巧妙に隠蔽などもやれば出来る。
 だが、那唖挫の方もそのへんは心得たもので、悪奴弥守が嘘をついているかどうか、身破りをかけることも出来た。

 だが、どう見ても、悪奴弥守は、嘘をついている様子に見えない。

 那唖挫も訳がわからなくなってきた。

「それなら、何故、螺呪羅はそんなことを言ったんだ」
「わからない」
 悪奴弥守は本当に分からないのでそう言った。
「訳がわからんな」

 那唖挫は、先ほどの螺呪羅も、自分に嘘をついているようには見えなかったので、混乱してきた。
 螺呪羅が懇切丁寧に自分に教えてくれたのは、どういう意味だったのだろう。
 もしや、自分に悪奴弥守を譲るという意味か?
 いや、それは決断するにはまだ早い。恐らく、素直にまっすぐに聞いてきた末っ子に嘘をつかずにまともに答えてくれたという事ではないか。


 そして、悪奴弥守の方は、妙に、過敏になっているように見える。
 自分に嘘をついているとは思わないが、それこそ迫られて泣き叫んだ事を思い出したようだから、その記憶が彼をうわずらせているのかもしれない。

 そういう訳で那唖挫は顎に手を当てて考え込みながら、この始末をどうするか考えようとした。

「俺が分かるのは、螺呪羅が--」
 不意に、悪奴弥守が口を開いたので、那唖挫は目を開いてその話を聞いた。
「俺が陰口言ったって、螺呪羅が那唖挫に陰口言ったということだ。あいつ、滅茶苦茶男らしくねーな!」

「………………」

 その場にある情報だけ揃えると、そういうふうにも聞こえる。
 精神過敏になっていた悪奴弥守は、どういう訳かそういう判断をして真顔で那唖挫に向き直った。

「那唖挫も、駄目だぞ。あんまりあんな奴の影響受けたら。流言飛語だか燎原の火だかしらねーが、嫌みったらしい卑怯な根性がうつったらどうするんだ。お前は、元は薩摩隼人って話じゃねーか。それらしく、竹を割った明敏な武士としてだな……」

 何故に、那唖挫が薩摩隼人と言われているのかというと、彼の剣士としての腕前など色々あるのだが、そこは割愛しておく。要するに、太刀筋に我流である部分はあれど……「真面目にやれ」と言われてから剣を握らせると、本当に綺麗な剣が出てきたのだ。それがどうも、日本における九州方面ではないかと噂された。

 要するに、瑠璃光殿は刀剣を嫌い、持つとして杖までだが、魔将である那唖挫だけは帯刀を許されているというわけで、那唖挫だけは本当に特別な存在ということになる。

 そこはともかく、那唖挫は瞬間的にカチンときて、また悪奴弥守の頭をどついた。

「お前の今の発言だって男らしくない!!」

 今のが陰口じゃなくてなんなんだ、と思う那唖挫であった。

「だって那唖挫、螺呪羅なんか俺の事を犬だの犬神だのと今日だって……」
「本人がいるところで言ってからかうのと、本気であんな嫌なやつはいないと影で言いふらすのは違うだろう。お前も男なら、軟弱なやり方はやめろ!!」

「そ、そりゃそうだけど……」

「なんでお前らは、そんなに仲が悪いんだ!!」

 それに対して悪奴弥守はこう言い切った。

「俺は螺呪羅が嫌いだ。それだけだ」



 好きか嫌いかに関しては、悪口とか陰口ともちょっと違ってくると、那唖挫は承知しているので、なんとも言えないしょっぱいものでも食べたような顔になり、どうやったらいいのか本当にわからなくなってしまった。
 嫌いは嫌いで、それは「事実」なのだから、どうしようもないじゃないか。

 嫌いだから「あいつは何をやっても駄目なんだ」などに持って行ったら悪口になるが、
嫌いなものは「嫌いです」で止まっていたら事実を申告しただけである。

「どこが嫌いなんだ」
「……悪口言うなって言ったじゃねーかよ」
 つまり悪いところしか見当たらないという事か。

「あのな、お前がそのように、事実だけ述べるんだったら、俺も言うが、俺は俺として、お前と螺呪羅が仲が悪いのは困るんだ」
「どうしてだよ」

「聞きたいか?」

 那唖挫が酷く静かな表情になったので、悪奴弥守は何も危険な事はないと思って、何気なくうなずいた。
 那唖挫はにっこりと笑うと、話し始めた。

 数日前の、蓮華殿と闇神殿の黄雲大路での衝突を、ゆっくり丁寧に何の過不足もなく、あらゆる視点から、鬼顔堂との権力関係なども交えつつ、阿羅醐城は当然知ってるだろうという憶測も交えつつ、夜も更け、朝が明けるまで、事実だけを申告し続けた。

 笑いながら、時々敬語になりながら、事実だけを述べ続けた。

 悪奴弥守が半泣きになり、眠くなって涙目になっても、述べ続けた。

 これに懲りたら、頼むから、螺呪羅と仲直りしろと最後に叱りつけて、悪奴弥守はようやく朝食を食べる事が出来た。



 悪奴弥守がそういう一種の軽い拷問を受けている頃、蓮華殿では本格的な拷問が一通り始まっていた--はずだった。

 とりあえず、螺呪羅は、ナリスマシに対して気が済む程度に拷問を行うと、さっさと幻術を使って自白させた。

 その幻術がどんな幻術かについては、側近の小次郎でさえが、「あれは、ない……」と呟くような凄まじいものであったが、こっちはこっちで、恐れられる魔将であるために必要な行いだったのだろう。


 そして--。

 蓮華殿は、ナリスマシの目的を確認した、ということになった。自白の次の裏付けのために、精鋭の間者が他国に飛ぶ事になるだろう。まずは、最新の天馬と地図の調達が必要になってくると、螺呪羅は胸算用をしている。
 何事も、金、金……それは本当の事なのだ。

「金が必要な時に、敵は断金とはちょっと面白いですね」
 源左がそんなことをうそぶいた。

 くすくす、と密やかな笑いが拷問部屋に広がる。

 敵は、北方の断金の国の忍びだったのだ。

「勝絶を攻め滅ぼしたら、次は断金と見切りをつけるのはいいが、自分から口実を作ってどうするのか……全く派手なことをしでかしおって」
 螺呪羅は冗談の方には乗らずにそう呟いた。

 そういうことだった。

 確かに、螺呪羅は阿羅醐の方からそういう青写真を聞いている。恐らく、悪奴弥守達もそんなもんだろうと空気で知っているだろう。

 勝絶の国を滅ぼした後、北方に進路を取り直し、断金を潰す。
 既に、悪奴弥守の壱越と平調は平らげている。残った最後の一国だけ、そこに見逃しておく必要はない。

 それで、勝絶戦で一番目の魔将が煩悩京を鼻荒れているうちに、魔将を暗殺し、国を混乱に陥れようとしたのだ。本命は、なんとも小さい事に、阿羅醐ではなく、医薬の長で宗教を司る那唖挫であった。散々京内を攪乱したあとに、ガードが薄くなった那唖挫を毒蜃の毒で倒し、平調と見せかけた--はずなのだが、悪奴弥守の蘇生の息でよみがえってしまった。


 それで、悪奴弥守にトドメをさして、作戦を仕切り直そうとしたらしい。どうやら、魔将は不老不死に近いということは知らなかったようなのだ。

 確かに--那唖挫がいなかったら、回復が全く出来ない戦という状態に近くなるため、それは全く面白くないだろう。だが……。

 様々な雑念がわいてくるが、螺呪羅は結局笑ってしまう。

「断金は次は自分と見切りをつけて、我々の金を切るついでに、自らの首を切断する気でいるらしい。先に手を出した……まして薬師の鎧を着る那唖挫に手を出した以上、俺たちが黙っている必要はなかろうが」

「どうします?」
 小次郎は肩をすくめている。
 ちなみに、小次郎の名は、螺呪羅が風魔一族の出であるためである。そのため、彼は、自分が「御頭」と呼ばれた時に(小太郎?)と自然に勘違いをした。小太郎のすぐ下だから小次郎、という単純なネーミングである。
 そこだけは、那唖挫の事を笑えない。
 那唖挫の方は頭がまるっきり理系で、人の名付けなど出来なかったため、自然とああいうナンバーズになったそうだ。

「まあ、まずは、阿羅醐城に報告だ。王者の耳に通さない訳にはいくまいよ」
 報告書を作る手はずを……と、螺呪羅は周囲を振り返った。

「全く、働きどうしですね……御身、いたわってください」
 源左が嘘とは言えない表情でそう言った。

「それはお前達も同じだ。お前らも、修行をするのと同じぐらい、体の整備にはこだわれ……そういうわけで、俺は書作りをするから、お前たちは自分の仕事をしろ」


 螺呪羅はそう言って、拷問部屋を後にした。


 螺呪羅は自分の部屋で、阿羅醐城への報告書を数枚書く事になった。
 頭の痛い案件もいくつかあるが、それを完璧にまとめなければならない。
 しかし、彼はそこはどこまでもドライに突き放して、隠すべきは隠し、ありのままはありのままの報告書を書き上げた。



 翌日、螺呪羅はなんとか午前中のうちに、阿羅醐城へと登場した。
 阿羅醐城の門をくぐり抜け、侍従の案内について行くと、途中の廊下に悪奴弥守が立っていた。

 悪奴弥守は、廊下から、庭の方を見ていた。庭には、阿羅醐が作らせた日時計があり、現在の時刻を示していた。

「遅いな」
 悪奴弥守が螺呪羅に向かっていった。

 螺呪羅はそもそも、早起きが苦手である。不規則な生活がたたっているのだ。
 それでも精一杯、早く起きたはずなんだが。

「何をしている、悪奴弥守」

 ただぼんやりと、庭を見ているようにも見える悪奴弥守に、螺呪羅がそう尋ねた。

 悪奴弥守は螺呪羅を振り返った。そのとき、彼の肩口に日時計が見えた。

「あの日時計はいつからあそこにあるか知っているか?」
「日時計……?」

 螺呪羅はそんなことは気にした事がなかったので、言葉に詰まった。そんなことを聞かれると思ったことはなかった。

「帰ってくるのは早かったが、相変わらず、朝は遅いんだな、お前は。お前の時計はどうなってるのかわからねえし、お前の考えることはどうにも分からん」


「……俺の時計は俺だけが知っているし、俺の考えは俺のものだ」
 螺呪羅は悪奴弥守に対して自分の考えをそのまま言った。こういう場合に悪奴弥守に搦め手に出ても意味はないことを知っている。

「そうだ。俺の心も俺の体も俺のものだ。だから、お前に時間はくれてやらん」
 そう言って、悪奴弥守は、日時計の方に手を振って、螺呪羅に背を向け、どこかに立ち去っていった。

「なんなんだ」
 螺呪羅は思わずそう言った。

(日時計……?)
 そこでようやく気がついた。

 今日は、九月十九日。螺呪羅が生まれた日と、阿羅醐が教えてくれた日だと。


 悪奴弥守が何が言いたかったかはわからない。
 だが、嘘と文芸の力も割り振られている彼は、なんとなく理解出来る事もあった。
 少なくとも、理解した気になった。

(知ったような事を言って……)
 螺呪羅は、悪奴弥守が、自分に時間をくれたのだと思った。

 心をつなぐこと、体をつなぐこと。それは、相手に時間を与える事でもある。そんなふうに悩むほどに、悪奴弥守は、螺呪羅の事を考え続けたのだろう。勝絶で、友軍もなく闘い続ける彼を。

 好きか、嫌いか、それとは関係なく、悪奴弥守が、自分の事を考え続けてくれるということ、そのことに、螺呪羅は気がついた。

 だから、いつか言いたいと思った。
(俺のものだ)

 まだ、その段階だった。どうしても、その段階だった。戦国の世、本当に乱波の一族にその美しい顔と才能だけを持って生まれた螺呪羅には、そこがまだわからなかった。

(俺のものだ、悪奴弥守よ……)

Fin



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