銃声が鳴った。
悪奴弥守は顔を上げた。
螺呪羅が、小次郎を従え、『螺呪羅』を狙撃したように見えた。
蓮華殿と、闇神殿は銃を持つが、瑠璃光殿は持たない。
医薬が専門であると同時に、神仏に仕えると「されている」軍は、本来、刃物ですら嫌い、杖や薬品をもっぱらとする。そのわりに、特殊な魔道を撃ちっぱなしで遠隔攻撃でのぶっぱ最強というのはどういうことなのか、わからないが、彼らには彼らだけの、信仰と合わせる事が出来る理屈があるんだそうだ。
鬼顔堂は、公表している限りでは、銃を持っていないということになっている。こちらも一応、国家宗教との関連性など色々あるんだが、実は、煩悩京において、庶民は武器を持ってはいけないことになっている上に、銃は特に本来禁止なのである。
それが、朱天が寝ている事をいいことに、まずは螺呪羅が勝手に、西で開発された(本来朱天が西方将軍になるはずだった)銃を密輸して、調べて自分の御殿の職人に作らせた。
それを聞いた悪奴弥守が、「むかついたので」、どうやったんだか闇神殿付の鍛冶職人に銃を作らせ、勝手に軍で用いるようになったのだ。
螺呪羅は当然、隠密、暗殺任務にこれ以上ないいいものみっけという気持ちだったんだが、悪奴弥守はそれどころか、朱天、というか鬼顔堂を丸無視して、軍備増強に使って勝手な事やってるんである。
こっそり暗殺の時ぐらいいいよねの螺呪羅と、戦争中にそんなの知ったことかの悪奴弥守。
そして、煩悩京内できちんとルールを守っている賢い末っ子那唖挫というわけだ。
そういうわけで、煩悩栄える煩悩京ではあるのだが、最低限のルールはあり、京内で銃や刀を使ってはならないし、刀を抜いて許されるのは、相当身分が上の妖邪兵や魔将に限られていた。
今回、『螺呪羅』が銃を使わなかったのは、銃を手に入れられなかったのか、あるいは、煩悩京内で目立つ行動を避けたのだろうと思われる。
そう読んだのか、どういうことか……。
闇神殿の塀の上に飛び乗っている螺呪羅と小次郎が、『螺呪羅』を狙撃した。
間髪入れずに『螺呪羅』はその銃弾をかわした。
しかし、螺呪羅は言った。
「次は当てる」
螺呪羅が『螺呪羅』を見下ろしている。寸分たがわぬ美しい顔。妖邪界一と言われる妖美を誇る顔……黒の眼帯で押さえた隻眼も、均整の取れた長身も、月光に銀色に輝く青灰色の髪も……そして桃色の装備でさえも、うり二つだった。
ガチ。
『螺呪羅』の読み通り、螺呪羅がこの局面で選んだのは、桃色の軽装備だった。小次郎の方は、蓮華殿の忍びの制服と言われる、黒の鎖帷子を用いた装備を身につけて、いつでも螺呪羅の指示に従い動けるように控えている。
「ほう?」
『螺呪羅』が言った。煩悩京において、銃は違反であることは上記の通りである。
「魔将でありながら、闇神殿で、銃を撃つ輩が、幻魔将の名を偽るか? 無辜の民に大神と呼ばれる男の前なのだが、堂々と血を流させたいとは無粋なことよの」
悪奴弥守の顔が引きつる。
しかしそれよりも先に螺呪羅が言った。
「大神の前で、ことわりもなく俺の顔と名前を使う虚偽の輩が、舌だけはよく回ることよ。もしもお前が本物の幻魔将だと言うならば、俺が、悪奴弥守を大神などと呼ばぬ事ぐらい知っているはず」
すると『螺呪羅』は笑った。螺呪羅らしく笑った。
「お前は俺よりも嘘に近いからな。……お前は、本心を闇魔将の前では明かせぬのよ。しかし本来、その行動に出るほど思うならば、言葉も呼び名も追いつくはずだ。お前は、闇魔将を、大神と呼べるはず」
「……あ、なんだ??」
螺呪羅と『螺呪羅』のやりとりがさっぱり分からない悪奴弥守は、苛々し始めた。最初から怒っていたのだが、なんだこの持って回った陰湿な言い合いは。しかも、話題の中心は自分であるらしいが、何がなんだかわからない。
「俺は嘘などついておらん。そして、俺は思ったとおりに悪奴弥守の名を呼んでいる」
「嘘をつけ、なんであんな呼び方が出来るのだ」
すると螺呪羅は実にナチュラルに、すらりと、何でもないように言い切った。
「悪奴弥守を犬と思ったら犬と言って何が悪い。それだけでは可哀想だから、わざわざ犬神と、神殿らしく呼んでやっているのだ。それをわざわざ大神とは、おこがましい。お前は確実に俺の偽物だ」
「うるせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッツ!!!」
最初から怒りMAXだった悪奴弥守はいきり立って怒鳴りだした。なんで、自分が犬などと言われなければならんのか。しかも、敵国の忍びの前で。
「分かったか、悪奴弥守よ。向こうは小次郎を連れていようとなんだろうと、俺が本物の幻魔将螺呪羅だ。……可愛い悪奴弥守よ、こちらへ来い」
「一番うるさいのはお前だ! 黙れ!!」
悪奴弥守はキレまくって怒鳴った。
「お前が螺呪羅だと? ありえんわ!!」
「何故だ?」
偽物と思わしき『螺呪羅』は純粋に不思議そうだった。螺呪羅そっくりの綺麗な顔をして、首をかしげている。
それが妙にむかつく悪奴弥守だった。螺呪羅は確かに、そういう表情をすることもある。螺呪羅は女を口説く時、そういうことを言うだろう。だが、俺に向かってそういうことはしない。
してないはずだ。
「とにかく、螺呪羅はそんなことはいわねえんだよッ! 螺呪羅の真似、人の真似ばっかしやがって気持ち悪い、俺を殺しに来たって言うんなら、自分の顔と名前で正面からかかってこい!!」
「そうもいかんだろう」
そのとき、螺呪羅が呆れた顔で銃をしまい、『螺呪羅』のいる闇神殿の庭に飛び降りてきた。小次郎がぎょっとしている。
「嫌な男だな」
当たり前の話だろうが、螺呪羅は機嫌が悪かった。自分そっくりの『螺呪羅』に向かってそう言い放つ。
「奇遇だ。俺も、お前に対してそう思うぞ」
揶揄するように、『螺呪羅』は螺呪羅に対してそう言った。
「……」
螺呪羅は『螺呪羅』を隻眼で見極めようとするような仕草をしたが、不意に、その黒い眼帯を外した。黒い眼帯の下から出てきたのは傷痕。そして、右目の蒼とは反対の色が現れた。螺呪羅が普段、眼帯で隠している左目は……金色(こんじき)であった。
悪奴弥守が驚きの表情を見せる。螺呪羅が、戦闘において眼帯を外す事は、ないわけではない。戦で同道した事がある悪奴弥守はそれを知っている。それで、難しい顔になった。
(どういう敵なんだ、この偽物)
正直な話、相手は銃を持っていないし、妖邪界に名だたる魔剣士である自分だっているのだ。この場で瞬殺するか取り押さえてしまえばいい。
だが、『螺呪羅』は逃げようとしないし、螺呪羅は、本気で偽物とやり合う気になったらしい。
どういうことか分からないが、悪奴弥守は止めようとは思わなかった。
(なんだか知らないが、本気で怒ってやがる……なら、つきあってやるか)
そしてそのあと、自分で自分に「お、俺だって怒っているんだから!!」と言い訳をした。
ちなみに、螺呪羅が本気で怒ったのは、銃殺ですまそうとしなかった理由は、実に単純である。散々自分の顔と名前を騙り、那唖挫を斬るところまでやってくれたわけだが、さらに許しがたいのは、「自分の前で自分の顔をして、悪奴弥守を口説いた」
これに尽きる。
さすがに最近になって、悪奴弥守も那唖挫も自分の所有物ではないということは身にしみて理解出来るようになったのだが、それでも、所有欲とか独占欲は難しい問題で、目の前でそんな事をされたら許しがたい気持ちがわいてくるのだった。精神年齢が何歳ぐらいなのかは不明だが、まだまだ青春、恋する男の王道でいるらしい。
「偽物よ、そんなに俺になりたければ、俺と戦ってみぬか?」
螺呪羅は、いっそ甘やかな声で、『螺呪羅』をそう誘った。
「ほう? 俺に勝てると思うてか?」
『螺呪羅』も螺呪羅そっくりの声でそう答えた。
こういう場面では、マインドフルネス--黙想を使って、正解を出すのが基本であるのだが、途端に、毒を思わせる甘やかな匂いが噴出した。
螺呪羅が舌打ちをした。
幻惑を誘う下無の香を、『螺呪羅』が巻いたのだ。ぶん投げられる破かれたいくつかの香袋。
慌てて小次郎もヤヅカも香りをすうまいとするが、そのときには遅かった。
こうなると、香りが完全に消えるまで、周囲が非常に幻術にかかりやすくなり、黙想など出来なくなる。この香をすって、冷静沈着に相手を見切られるとなると、それこそ鬼顔堂で年中修行に打ち込んでいる高僧レベルだ。瑠璃光殿でも那唖挫とナンバーズ以外はヤバイだろう。
そのため螺呪羅は舌打ちしたのだが、そこは迅速に、忍びの印を切った。
螺呪羅の隣に螺呪羅、その隣にも螺呪羅……忍びの常套手段、分身の術である。それこそ寸分違わぬ螺呪羅のうつし身がその場に複数現れ、『螺呪羅』に向かって一斉に短刀で斬りかかった。
一方、『螺呪羅』も同じ事をやった。常套手段だからなのか、螺呪羅をからかっているのか、『螺呪羅』も分身の術を使い、自分のうつし身をその場に反映させる。そして螺呪羅のうつし身の刃を『螺呪羅』のうつし身が短刀の刃で受け止める。
続いて本体の『螺呪羅』と螺呪羅も、背中の忍び刀を抜き放つと、片手で器用に忍術の印を切りながら暗い庭を走った。
走り回りながら、互いの隙を誘い出すために、乱波の札を投げ合い、斬撃をぶつけ合う。
「え……ちょ……御頭っ!」
焦ったのは小次郎だった。小次郎も、幻惑の香を吸い込んでしまっていた。そもそも、乱波である彼は、薄汚れた任務が多いせいか、純粋にそんな暇はないためか、闇神殿や瑠璃光殿の兵のように、黙想をする習慣がない。そういう聖なるものを感じさせる事は大体が苦手である。--その彼が香を吸ったところに『螺呪羅』と螺呪羅が分身という幻覚を使って衝突を始めたのだ。
(俺にまで本体がわからなくなって、どうするんですか、御頭ーっ!?)
そういう訳で焦ったが、まさかここで、どれが本物の螺呪羅であるかと発言するわけがなかった。見分けがつかないことが御頭にバレたら困るだろうし、第一、どれが本物かと聞いて正解が返ってくる訳がないだろう。
一方、悪奴弥守は機嫌が悪かった。それはもう機嫌が悪かった。悪奴弥守だって、螺呪羅は美形であることは認めている。こんな美しい顔はないと、思った事もある。それはそれとして、なんで、自分の大嫌いな男が自分の庭でこんなに増殖して、派手にやりあっているのか。
嫌いなものが庭いっぱいで、イラつく悪奴弥守だったが、そこはそれ、一応思う存分やらせてやろうと思ったのだった。『このときは』。
そういう訳で動きが止まった小次郎と悪奴弥守よりも、明らかに明確な目的を持ち、行動が早かったのがヤヅカとハズだった。ハギは瑠璃光殿に『螺呪羅』の件で連絡に行ったらしい。
ヤヅカは弓手を構えるとハズに言った。矢の切っ先はどれでもいいから螺呪羅、という風情である。
「ハズ、あれは全員敵だから滅ぼしていい。やれ」
「はいっ!!」
悪奴弥守がいるものだからアイヌ語ではなく日本語でヤヅカが言った。
「ちょっと待て、お前ら、本気を出せば超感覚で御頭の事見切れるんじゃないのか!? やってみもしないで、なんでそんな……」
小次郎が慌てて螺呪羅の事をかばおうとすると、ヤヅカは可愛らしい童顔を彼の方に向けて言い切った。ハズも真似して言い切った。
「「出来ない」」
「嘘つけーっ!!」
物陰に隠れて香を吸わないようにして、3~4分、黙想タイムを持てば、ヤヅカほどの手練れになればやってできないことではない。だが、ヤヅカはしようと思わなかった。
そもそも、この一秒二秒が危機を誘う土壇場で、そんな時間を持っている場合ではない。
ヤヅカはどうやら『螺呪羅』と螺呪羅の見分けがつきませんでしたで乗り切ろうと思ったか、そのまま弓矢で螺呪羅という螺呪羅に攻撃を仕掛け始めた。
ハズも真似して、熱線攻撃を片っ端から当て始める。
しかし、見切りが出来ている訳ではないので、攻撃の当たった分身をかき消すだけで、本体に当たる事はなかった。
そもそも、螺呪羅同等の手練れである『螺呪羅』が、操縦している分身だったらともかく、簡単に妖邪兵の攻撃を受けてくれるはずがないのである。
悪奴弥守は、ヤヅカの動きも見ていた。ヤヅカはまずは螺呪羅、そのあと『螺呪羅』の脳天を射貫こうとしているようだが、見分けがつかなくてかすりもしない。その弟分のハズも、分身達を紙のように燃やし尽くす事は出来ても、本体の見分けが出来ないようだった。
そこで、小次郎が動いた。彼もまるっきりバカではないから、暗がりの中、塀の上から目をこらしつつ螺呪羅の方にそっと接近を開始した。眼帯を解いた方が、螺呪羅であるのだが--夜の闇に紛れると、螺呪羅が長髪である事も相まって、眼帯の確認が出来なくなっていたのである。
そのとき、どちらかが言った。
「バカ、よせっ!!」
螺呪羅の声だった。無言で接近戦をしていたどちらかが、そう怒鳴った。
途端に、その反対の方が、民間の巫呪らしきものをだんだらにかきつけた大きな札を、庭の地面にたたきつけた。
「ヤヅ、引っ込め!!」
廊下から身を乗り出しているヤヅカ。そちらに向かって、悪奴弥守が怒鳴った。そして隣で火炎を駆使しているハズの肩をひったくるように持ち上げ、離れた廊下に放り投げた。
ハズは空中で一回転して着地した。
札--恐らく召喚術を封じられている--は、その場で、五色の煙を噴き上げた。だんだら模様のような呪文が一瞬、赤く照り輝いたかと思うと、爆発音に近い音がして、そこに一人の娘が召喚された。
「な……に……?」
螺呪羅が驚愕に両目を見開く。
それは人間の娘に極限まで似せた、機械人形(カラクリ)であった。
恐らく限界があったのか、まだ子供、ハズ程度の身長である。それぐらいの、おひな様によく似ている女子の人形が、カタカタと動きながら、小次郎とヤヅカの方を振り返り、笑うような仕草をした。
「怖ッ!!」
思わず小次郎はそう言ってしまった。ヤヅカも顔面蒼白になっている。
簡単に描写してしまおう。いかにも、「毎日髪が伸びていそうなおひな様っぽい娘人形さん」が、こっちを向いて、ゆるゆると近づいてくるのである。
それだけで一種の精神攻撃だ。
「兄者、ちょっと厠に行きたいので、俺は……」
ハズにいたっては、顔面蒼白のまま、敵前逃亡しようとした。
「駄目だ。ハズ、あの娘さんと遊んでこい」
「何言ってるのヤヅカ!? 遊んだら呪い殺されるよ!?」
小次郎も最早何を言っているかわからない。
娘人形の方は、カタカタカタカタ動きながら、一丁前に、防御魔法を唱えていた。恐るべきことに、瑠璃光殿の女薬師達が唱える防御魔法と同じだ。それも重ねがけで、怖かった。ハズは半分泣きそうになっていた。こんな機械人形(カラクリ)と遊べって、兄者はガールフレンドにでもしたいのか。そんなわけがないが。
「ヤヅ、ハズ、お前ら、そのカラクリは任せた」
そこで悪奴弥守がそう言った。
「え、あの、犬神さん--」
小次郎が呼び止めようとするよりも早く、悪奴弥守は庭に飛び降りて、螺呪羅の隣に立っていた。
状況が変わった。ヤヅカたちが、攻勢に出たので、カラクリを呼んで相手をさせようとしたのだろう。そして、相手の持ち札で、「何体カラクリが呼べるか分からない」。
つまり、螺呪羅と『螺呪羅』のタイマン勝負にはならない。
それを、悪奴弥守がどう思うかというと、こういうことになるわけだ。
「偽物、螺呪羅も名うての人形遣いだが、お前に対して使ってねえ。どういうことだ?」
「何?」
『螺呪羅』はそれがどういう事か、一瞬、分からなかったらしかった。
「分身を、うちの魔戦士が攻撃したのが気に障ったのか」
「……なるほど、そういうことか」
「これ以上、カラクリを出すっていうなら、俺も考える事はあるぞ」
超一流の獣使いでもある悪奴弥守はそう言った。もちろん、獣をけしかけそうな気配などどこにもない。
『螺呪羅』は笑った。卑劣や卑怯など気にもとめない幻魔将が気に入って、しかも手こずる訳だ。この二人の相性は、最悪にして最高だ。
「悪奴弥守、余計な事をするな」
眼帯を外した目を押さえるような仕草をしながら、螺呪羅が嫌そうに悪奴弥守の方を向いた。
「こいつ一体何者だよ」
悪奴弥守は全く関係ない事を尋ねてきた。
「まだわからん」
螺呪羅はこれもまた嫌そうに言った。
悪奴弥守は難しそうな表情になった。螺呪羅がわざわざ「両目になって」、そういう事を言うのは本当に珍しい。
「随分と余裕だが、そんな悠長な事を言っている場合なのか。幻魔将は名うての人形遣いとお前も言った。俺が、本物の幻魔将だったらどうする?」
くすくすと笑いながら『螺呪羅』がたずねると、悪奴弥守は精悍な顔にはっきりと嫌悪感を示した。
「ここまで来て、挑発するっていうならしようがねえな。俺も殺されかかった人間だ、仕返しさせてもらう」
それを聞いて、『螺呪羅』は、手裏剣を抜き放った。その手業の速さ、数、完全に螺呪羅に迫っている。
飛びかかってくる手裏剣の全てに、忍術の札が貼られていた。
そこがなんともいやらしい。蓮華殿で開発されている札そっくりなのだが、蓮華殿の札という極秘情報が知らずに「コピーされている」のか、この『螺呪羅』の本国にも似たような技があったのか、そういうことになる。
そして、そういう事を考えさせて脅かすのも手管の一つなのだろう。
先ほどから螺呪羅が嫌そうで、本調子にならないのも、恐らくそういう心理戦を持ちかけているからと思われる。
しかし、心理戦が完璧に苦手という訳でもない。螺呪羅は、自分の分身をまた何体か作ると敵の視界を攪乱し、その金色の目で、相手の「意識を見極めた」。
妖邪帝国随一の乱波。御頭。幻魔将螺呪羅の視力。その右の目は、物質界におけるものならば、見極められないものなどないと言われている。鳥の視覚と記憶力を持っていると噂されるほどだ。
そして、恐れを抱かれないように、一般には知られていないのだが--。
螺呪羅の眼帯に隠された左の目。こちらは、「精神を見極める」。具体的に言うと、現代日本で評判の、オーラと言われるものが日常的に見える人間なのだ。そのオーラの色や輝きで、相手の精神状態を見極める事が出来る。
この能力は、いかな妖邪界といえども普通のこととはいえず、螺呪羅が瑠璃光殿や闇神殿の長になれなかった最大の理由とも言われている。信仰心を特に持たないにも関わらず、そういう天性の能力に恵まれすぎていたのだ。そのため、日頃では眼帯で金色の目をかくし、そんな能力などないように振る舞っているわけだ。
悪奴弥守がそれを知ったのは、戦という非日常の世界で、共闘しなければならない局面で説明が必要だったからである。
今、螺呪羅の目に、『螺呪羅』のオーラはシグナルレッドを激しく点滅させていた。当たり前だろう。いくら余裕ぶっていても、本人は自分が絶体絶命の危機にいることなどわかっているのだ。
それよりも、螺呪羅が気になるのは、今の状態で、『螺呪羅』に手の内の技と自分の情報を全て吐かせる事だった。オーラに反映されるものを見ていけば、大体どこの国の人間で、どういう輩であるかはわかる。そして今本人が、どのような苦悩や焦りを抱いているかも。
嫌な、感じがした。自分と同じ顔の人間が、こんな人生を生きてきたということが。
こうでもしなければ、生きてこられなかったということが。
それでも--金。
結局は、金だ。金で自由を手に入れたくて、今、一撃でいいから隙を誘い出して逆転したくて戦っているということが。
螺呪羅はとても嫌な感じだった。
「金で自由は買えるか?」
不意に、螺呪羅が『螺呪羅』に言った。
あまりに唐突な台詞に、『螺呪羅』の呼吸がわずかに乱れた。
「金で買った自由は、金で消えるぞ。金がなくなれば、何も残らない。それでもお前は、ここで我らの怒りを買うか?」
「ふざけるなッ……!」
『螺呪羅』が初めて、螺呪羅の声色と表情を捨てて、怒鳴った。そして、見事--としか言い様のない軌跡を描いて、それはさながら月のような美しい輝きを見せて、忍び刀が閃いた。
三日月のように細い細い斬の攻撃が、螺呪羅の喉笛を狙う。
螺呪羅は無言でその場に立っていた。攻撃をはじき返そうともしていない。
『螺呪羅』は確実に螺呪羅を仕留めた--小次郎でさえが錯覚を起こしそうになる。
そこで、『螺呪羅』の武器が、もの凄い勢いで吹っ飛ばされた。
悪奴弥守だった。いつの間にか漆黒の鎧を武装した悪奴弥守が、力いっぱい、黒狼剣で『螺呪羅』の武器を殴り飛ばし、その両腕の動きを一瞬封じた。
「何ぼーっと突っ立ってやがるんだ、螺呪羅。お前が何を見たんだか知らないが、俺はここで偽物にくれてやるものなんてねえぞ」
悪奴弥守は、赤いマスクを上に上げてそう言い切った。
「くっ……」
『螺呪羅』は、何か言いたそうだったが、さすがに、身を翻して逃げようとした。少なくともそのつもりのようだった。
しかし、その両腕に、攻撃力最強の闇魔将の強打を受けたのである。足がよろめいてそう簡単に逃げられない。
螺呪羅は正気に返ったようで、自分の刀を握り直している。
『螺呪羅』はそのことに気がついた。それでも彼の見事なところは、「命乞いはしなかった」。最後の最後まで、『螺呪羅』は、自分の武器を取り、体に力が入らなくても、螺呪羅に向かって突っ込んでいった。
そこで何故、螺呪羅だったのか。螺呪羅は読み取った。オーラが密かにささやいた。
(悪奴弥守を傷つけたくない)
そんな単純な理由だった。
螺呪羅は、即座に『螺呪羅』に捕縛効果のある札を投げつけた。最早、『螺呪羅』はそれをかわすことも出来なかった。
そこに悪奴弥守が、”闇の安息”を使った。漆黒の鎧の持つ闇のエネルギーが、優しく『螺呪羅』を包み込み、光を奪って眠りに誘う。
『螺呪羅』は札につけられた忍術に縛られ、強烈な眠気と暗闇に襲われた。それでもなんとか立ったまま、口の中で何かを唱えて精神統一をはかる。まだ戦おうとする気力がある--。
螺呪羅が、その『螺呪羅』に、多段攻撃を入れた。それは一般に、『風切り』とあだ名される短刀の技だ。風よりも速く、風さえも斬り捨てられる鋭さで、激烈に敵を切り刻む。
悪奴弥守はその螺呪羅の背後から『螺呪羅』に回り込み、死角をつく位置をとりながら、大きく彼の肩から背中を切りつけた。その最初の一撃の後は、逆方向からもう一撃。最後に、地面を蹴り上げ、高く飛翔すると、脳天をたたき割るように黒狼剣で『螺呪羅』を斬り捨てた。
そのときは、『螺呪羅』は暗闇の中、眠りについていた。全ては眠りの中で……。
ちょうどその頃、小次郎とヤヅカ、ハズも、カラクリ人形娘をなんとか倒し終わり、自分たちの大切な魔将の方に走り寄ってきた。