向けられた背中

 殺人的に燃え立つ輝きを見せていた太陽。
 その黄金の陽光がいくらか柔らかく穏やかなものになり、阿羅醐城の何重あるかわからない鮮やかな色合いの瓦を照らす。

 九月の風と光は、苛酷な夏の事をまだ間近に感じさせるが、既に季節は変わりつつある事、時は流れている事を、知らせていた。

 悪奴弥守は、ふと、太陽の昇る方角を見た。日が高くなる前に登城したのだが、太陽の位置を確認したくなった--のだ、と本人は自分に言い訳する。
 悪奴弥守の領地は東ではない。彼は北を司り、この世界の北にある三つの国のうち、壱越と平調は既に征服している。それは、彼一人でなしえた事ではない。彼は、少なくとも壱越を滅ぼした時は、先に転生してきた魔将に同道してもらった。同道したのは、幻魔将螺呪羅。
 様々な事があったが、--彼が教えてくれた事があったから、正しい助力をしてくれたから、あの戦は勝てたというのは本当だ。あれから長い時間がたったが、それは本当の事だと悪奴弥守は認める事が出来る。

 自分が一人で呆けている時に限るが。

 何はともあれ、その螺呪羅は、現在東方にいる。東方には東方の三国があり、そのうち下無と双調は螺呪羅の頭脳と静かなる戦闘力で滅ぼし、従えている。現在、戦を行っているのは勝絶の国だ。

 螺呪羅は、外征中だった。

 悪奴弥守は、太陽の位置を確かめるように、その上ってきた方角を見ている。人が見たら、闇神殿--光あるからこそ闇を司る神殿の長が、太陽を見て何やら感じ入る事があるのだろうと、想像するだろう。間違っても、そこで、螺呪羅はどうしているか、などと独り言を言ったりしない悪奴弥守であった。



 実際のところ、悪奴弥守は、帝王阿羅醐に今月の卜占を伝えに来たのであった。
 まだ九月の新月を過ぎたばかりの頃合いである。
 闇神殿の巫女たちが、帝王阿羅醐に、帝国の行く末から王者の健康まで丁寧に占った事を長である悪奴弥守が上奏しに来たのだ。
 悪奴弥守自身も相当なレベルの覡であるから、必要とあらば未来を占う事は出来る。だが彼は、現在の職分は魔将であると言うことで、帝王から命ぜられない限り自分からは卜占はしない。

 悪奴弥守自身がこれと思った巫女が視たものを、神官のスクネに綺麗な字で書き起こさせ、丁寧な巻物にしたものを手にして、阿羅醐城の廊下を進む。その後ろを、やはりスクネ(宿禰)と闇神殿の武闘派一番のカラムシがついてきていた。
 そのわずか先を阿羅醐付きの案内の侍従がおずおずと進んでいく。
 何しろ、悪奴弥守は血気盛んで有名であると同時に、その強さと機動力は申し分がなく、その上、帝国最強の覡であるという事は間違いが無いのだ。恐らくその激しい気性は、冷媒体質で癇が強いのだろうとも言われていた。その彼は、別に怒鳴り散らしたり乱暴な振る舞いをしている訳ではないのだが、妙に気難しい顔で、大股に歩いて行く。
 スクネは気のいい笑顔が似合う優男なのだが、その後ろを歩くカラムシがまた、精悍な熊を思わせる大柄で筋肉質の男で、別に何もしていないのだが、城から出歩く事もなさそうなそこらの小姓から見れば、軽い恐怖を誘う存在であった。


 襖を数回開けては閉め、畳の間を進むと、最後に、空気の張り詰めた空間に出た。

 阿羅醐城、謁見の間。

 明るい光と清浄な空気。そしてピンとした緊張感。それは、中央の奥に控えた阿羅醐が醸し出す空気。

 まずは小姓が。そして続いて悪奴弥守一行が、阿羅醐に対して畳に平服した。折り目正しく行儀のいい仕草。
 それに対して、阿羅醐は軽く手をあげて、体を楽にするように知らせた。

「来たか、悪奴弥守よ--」
「は--」

「まずは、東の螺呪羅のことを教えてもらおうか」
 現在の帝国の命運となったら、当然そのことが出てくる。国中の皆がそれは気になることだろう。
「勝絶と螺呪羅は乱戦中だが、どうだ、悪奴弥守--」
 阿羅醐が、ゆったりとした余裕のある声で問いかけると、悪奴弥守は真っ赤になった。


 あるいはそれ以前から、顔が真っ赤なのかもしれなかった。


「?」
 顔を上げろと言われたも同然なため、素直に顔を上げて正座しているのだが、そのよく日焼けした元気そうな少年の顔が、秋の林檎のように赤くなっている。隣に座っていたスクネもそれに気がついたが、どうしていいかわからなかった。

「……悪奴弥守?」

「あ、……はい」
 悪奴弥守は、やっとのことで返事をした。それから巻物を取り出したが、そこで阿羅醐の方に目配せをした。

「阿羅醐様、卜占の内容はうかつに余人に知られてはなりませぬ。巫女の言葉は本来……」
「ああ、わかった」
 阿羅醐が人払いを行った。

 それから、悪奴弥守は、巻物をその場に広げ、スクネとともに、巫女の言葉を正確に帝王に伝えた。
 この場合の闇神殿の巫女達の役割は、様々あるが、彼女たちのほとんどが、本物の霊媒体質や千里眼である。もしくはずば抜けて知能が高いなどの特徴がある。
 霊媒が見通した未来や、千里眼が知覚したもの、そして、場合によっては一国の軍師になり得たのに女性であるという理由で阻害されたもの--達が出した答えが、悪奴弥守という男の口から伝えられていく。
 そういうことだ。
 どうしても神殿の奥に隠されて精進潔斎の毎日を送っている女たちの言うことで、偏りはあるのだが、かなりの確率で闇神殿の卜占は……当たる。


「ふむ。螺呪羅は勝利するか、勝絶に」
「はい。しかしそれには少々時間が必要と、巫女たちは申しております。螺呪羅の周りに影が見えると」
 筆頭神官のスクネが説明した。
「影?」
 阿羅醐が問いただした。

「私も何度か聞き直したのですが、霊媒達は影が見えるとか、粘り気のある空気が見えるとか、そういう事ばかり繰り返しまして。それで、もう少し現実的な事がわかる者に聞いてみると、恐らく、兵は拙速を尊ぶというが、そこが鍵になるか、あるいはおそらく、風とは……流言飛語のことではないかと」
「ああ」
 それならば、戦の情報戦につきものである。むしろ螺呪羅の得意分野で、流言飛語を流されたらそれを逆手にとって作戦実行、というようなところがあった。
 それを、何を今更巫女達は騒いでいるのだろうと、阿羅醐は不思議だった。
「策士策に溺れるということがあるかもしれぬな」
 そんなふうに相づちを打ってみる。

 まあ、なんにせよ、割に信頼している巫女達から、時間はかかっても勝絶を滅ぼし、壱番目の魔将が凱旋するだろうと聞き、阿羅醐は機嫌が良くなった。一番の気苦労の種の事だったのだ。
 すっかり機嫌のよくなった帝王は話しやすくなり、悪奴弥守達は他の様々な卜占を丁寧に報告して、また平伏してから謁見の間を出た。



 それにしたって、帝王との謁見は緊張するものである。
 小姓に見送られるところまで来て、悪奴弥守とスクネ、カラムシは、ほぼ同時に腹の底から深呼吸をした。
 そして顔を見合わせ笑ってしまった。全員、あの恐ろしい力を持つ帝王の前では、本当は縮み上がっていたのだ。

「早く闇神殿に帰ろう。それから、落ち着こう」
 悪奴弥守がそう言って、次の廊下に渡ろうとした時、謁見の間に続く間に、一人の男が入ってきた。

「……お前は、朱天のところの?」
 鬼顔堂の侍--旗本で、かなり身なりのいい男だった。
 魔将とは当然格が違うのだが、悪奴弥守は元々、小姓がおびえるような性質ではない。結構、気さくで頼れる方である。
「ああ、闇魔将様、その節は……」
 旗本は曖昧な日本語を駆使してそつのない挨拶をした。
「朱天は元気か?」
 悪奴弥守の方はざっくりとそう聞いた。
「……それは……」
 その頃、朱天はまだ、眠りについていた。朱天は転生の時に事故があったとされ、自分が統べるはずの堂の奥で昏々と眠り続け、目を覚ます気配はなかった。
「朱天の事はお前達が頼りだ。帝国最強の軍と、法力を持つお前達で守ってやらなきゃ、どうにもならないだろう」

「はい、それは承知しております」
 旗本は悪奴弥守が元気づけていると分かっているのだが、やはり寂しそうに笑った。末っ子魔将の那唖挫まで転生してきてそろそろ武勲をあげそうだと言うのに、朱天は15歳の体のまま眠っているのである。本来なら最強の鬼であるはずなのに……。

「螺呪羅なんかに負けてるんじゃねえぞ」
 その間に、幻魔将螺呪羅が煩悩京では「一番目の魔将」と呼ばれるようになってしまった。本人のせいではないにせよ、眠り続けている朱天に対して、螺呪羅は責任を代行し、自分に出来る仕事は、戦も内政も取り仕切ってきたのである。悪奴弥守や那唖挫の戦に同道する事もあった。それが、煩悩京の民の心を引きつけたのである。だが、螺呪羅と仲がよいとは決して言えない悪奴弥守は、そう言って旗本を激励した。

「ああ、それが--お聞きしましたか?」
 このタイミングで、螺呪羅の名前を出したからであろう。旗本は自然な流れと思ったのか、とんでもないことを言い出した。

「その一番目の魔将が、花街で豪遊したあげくに踏み倒したとか」




「……何?」
 悪奴弥守は目を瞬いた。旗本は知りませんでしたか、と言った。

「その、一番目の魔将、夢幻の殿が、どうやら煩悩京に秘密裏に帰ってきているらしいんですよ。そして、花街や、大路で派手な遊びを繰り返していると。そして、踏み倒す……」

「踏み倒すって、何をだ」
 悪奴弥守はそこを問いただした。
「当然でしょう……」
 旗本はひらひらと手を振って何かを示した。要するに、金、と言いたいらしい。
 悪奴弥守は、呆れた。
 何を言っているんだこいつは。

「何でそんなことがお前達にわかるんだ。螺呪羅が、借金を踏み倒すなんてことがあると思うのか?」
「それが実際……我々の方にそういう話が……城下の商人達から来てまして……」

「なんだと?」
 本来、螺呪羅は、商人達と仲がよい。衣、ひいては衣食住を司る彼は、そういう民に密接した分野での開発と普及センターを持っている。そしてそういう便利なものや快適なものを用いて、敵国との情報戦を行うのである。

 当然ながら民間とはツーカーな仲な訳で、その商人の方が、敵対する鬼顔堂に密告に走っているとはどういう自体だ。
 さすがに悪奴弥守は気になってきた。

「どういうことでしょうか、もう少し、詳しく教えていただけませんか?」
 スクネが穏やかならぬ表情になりながら、旗本の方に一歩進み出た。
「……俺からも頼む」
 しきりにあごひげをなでつけながら、カラムシは旗本へと向かった。悪奴弥守は、何も言わなかった。
「十日ほど前に商人が、夢幻の殿の事について、内密にという前置きで話していった事がありまして。それがあまりにも酷い乱行の数々で……」
 そういうわけで、旗本は真面目な顔つきでその乱行の例を一つ二つ三つとあげていった。

 闇神殿の兵は、大体が螺呪羅の事が嫌いである。その理由は主に、闇神殿の長である悪奴弥守のためであるのだが。彼らはまさしく忠犬としか言いようのない誠を悪奴弥守に尽くしているため、彼に対して冒涜的な振る舞いをする輩は誰であれ、好きになることはないのだ。

 その彼らの耳に、直接、螺呪羅の信じられないような風聞が語られた。悪奴弥守は眉をひそめた。
 スクネとカラムシは、その話を聞き終わると、憤懣やるかたないという内容を口にした。

「それは魔将のすることではない。いつかやるんじゃないかとは……いえ、なんでもありません」
 それがスクネの言い分だった。
「無粋というのはそのことか」
 カラムシはそう言って不快そうに鼻を鳴らした。

 ところが、悪奴弥守は何も言わなかった。黙っているだけだった。

「……恐らくこの事は、瑠璃の御方の耳にも入っていると……」
 その沈黙に何かを感じたのか、旗本は悪奴弥守に向かい直ってそう告げた。悪奴弥守は特に表情を変えなかった。

「お前、魔将を侮ると、ろくなことにならねえぞ」
「え--はい」
「商いの輩が、ぐるになってないと、分かったもんじゃねえからな。……螺呪羅がそんなことをしたと、決めるのは早い」


 悪奴弥守はそう言って、一人先だって、廊下の方へと歩いて行った。振り返りもせずに。



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