胸の奥がちくりと痛むし、あとで思い出して一人で転げ回りたくなるからだ。
だけど――どうしても、嘘をつかなきゃいけない相手ってのも、この世にはいる。
(よりによって、よりによってさ……)
フィグ・ラーヴは、森の区の門のすぐそばで固まり、目の前の相手を見下ろした。
濃いめのピンクのポニーテールに、ミスラの独自のフェイスペイント。赤いダブレッドは胸を大きく強調していてフリルもたくさん。
ウィンダスでも知らぬ者はいない泥棒ミスラ--ナナー・ミーゴ、その猫じゃらしみたいなしっぽが、ぱたぱたと楽しそうに揺れている。
「あらぁ、しらばっくれるのかしらぁ? あたしの可愛いシッポを追いかけて来た“冒険者さん”の、お名前と出身は?」
にやり、とナナーが笑った。
笑顔なのに、どうしてだろう。背中に冷たい汗がつうっと流れる。
(まずい相手ニャ……! こいつに本当のこと言ったら、明日には森の区中に噂が回るやつニャ……)
フィグ・ラーヴ。
森の区生まれ、森の区育ち。
母は遠い南のガ・ナボ大王国出身のミスラで、そのうえ――王家の血筋。
今はいない母の名前はサラ・ラーヴ。紛れもなく大王国の第三王女だったと聞いている。
本当の出自を並べてしゃべったら、興味本位の視線と好奇心と、よくわからない期待が一気に降ってくる。
それがどれだけ面倒くさいか、フィグは十六年の人生で嫌というほど味わってきた。
(「王女様の娘」だの「姫様」だのって呼ばれるのは、もうたくさんニャ。
あたしはただのフィグで、拳を振るう冒険者で、それ以上でも以下でもないのに)
だからこそ、ナナー・ミーゴの問いに、正直に答えるわけにはいかない。
けれど、まるっきりの嘘をでっち上げるのも下手だ。
フィグは内心で頭を抱えながら、必死に“ちょっとだけ本当で、だいたい安全な嘘”を探す。
ナナーの尻尾が、待ちきれないとばかりにさらに速く揺れた。
「ん~? 黙ってるってことは、なにか“オイシイ事情”があるのかしらねぇ?」
「……っ」
たぶん、この泥棒ミスラは、何もかも見透かして笑っている。
だからフィグも、腹を括った。
(いいニャ。相手は泥棒。嘘のひとつやふたつついたって、神様も見逃してくれるはずニャ……!)
ぐっと拳を握りしめてから、フィグは口を開いた。
「……あたしは、フィグ。
今日、ウィンダスに来たばっかりの――」
その瞬間、自分でもわかるくらい、喉の奥で言葉がつかえる。
森の区でずっと過ごしてきたのに、「今日来た」なんてあからさまな嘘をつくのだ。
胸の真ん中が、ちくり、と痛んだ。
(ごめん、母様。カム。
でも、こいつ相手には……ちょっとぐらい、嘘をついてもいいよね?)
フィグはそう心の中で誰かに言い訳しながら、笑顔を作ってみせた。
言いながら、フィグは胸を張った。
中身は嘘まみれでも、見た目だけは堂々としていればなんとかなる――はずだ。
「ふぅん。“今日”来たばっかり、ねぇ」
ナナー・ミーゴは、細い目をさらに細めて、フィグの頭の先から足の先までをじろじろと眺めた。
「そのわりには、足取りが森の区の路地裏を知り尽くしてる感じだけどぉ? 本当にウィンダスは初めてなのぉ?」
「き、気のせいニャ。あたし、覚えるのが早いから」
「ほほう、“天才方向音痴の逆”ってやつかニャ?」
ナナーの尻尾が、くいっと曲がる。
完全に疑っている顔だ。それでも、追及してこないあたりが、逆に怖い。
(絶対なんか企んでる顔ニャ……!)
案の定、ナナーはぱん、と手を打った。
「よし、決めた。特別に、あたしが“ウィンダス講座”を開いてあげるわぁ」
「……ウィンダス講座?」
「そう。今日が初めてなんでしょ? だったら、この町の歩き方、危ない場所、美味しい店、お得な情報をこおんなにいっぱい教えてあげるわぁ。初心者には必須の授業よぉ」
ナナーはいつの間にか、どこから拾ってきたのか紙切れを取り出し、さらさらとペンを走らせる。
「『ミスラが教えるウィンダス生活のススメ』、第一回は“お財布の守り方”よぉ。
さぁ、聞きたいことはあるかしらぁ? 今なら質疑応答込みよぉ」
(……う、うさんくさいニャ)
フィグはじとっとした目でナナーを見る。
たしかに、ウィンダスで生きていくコツ、みたいなのは知っておいて損はない。
でも、目の前のミスラから買うのは、どう考えても間違いな気がする。
「……い、いくらニャ?」
とりあえず聞いてみると、ナナーは待っていましたと言わんばかりににやりと笑った。
「授業料は、たったの――千ギル!」
「せ、千……!?」
フィグの体がびくっと跳ねる。
(千ギルって言ったら、ララブの尾、何本ぶんニャ!?
東サルタで一日中マンドラ叩いて、ようやく貯まるかどうかの額ニャよ!?)
つい、腰の小さな袋に手が伸びる。
じゃらり、と鳴った音は、情けないくらいささやかだった。
ナナーは、その視線の動きすら見逃さない。
「ほほう、そこに“今日の全財産”が入っていると見た……!」
「……」
「安心していいわよぉ。千ギルなんて安いわぁ。この町で一度でも財布をすられたら、
それだけで何千ギルって飛ぶんだから。今払っておけば、むしろお得よぉ。ね?」
ぐいっと一歩詰められる。
仮面の影に隠れた目が、笑っているのか笑っていないのか、まるで読めない。
(こいつに財布の守り方教わるって、なんか負けた気がするニャ……!)
ぐるぐる考えたあと、フィグはふるふると首を振った。
「……やっぱり、いらないニャ。自分で覚えるから」
「へぇ?」
ナナーの尻尾がぴたりと止まる。
「悪いけど、そんなお金、ないニャ。あたし、その……今日のご飯だって、まともに――」
そこまで言いかけたとき、ナナーの手がすっと伸びてきた。
「じゃ、現物払いでもいいのよぉ。腰のポーチの中身、全部見せて――」
「ちょ、ちょっと待つニャ!」
思わず一歩下がる。
しかし門のすぐそば、背中には石壁。もう下がる場所はない。
ナナーは壁を背にしたフィグの前に立ち、にじり寄る。
「いいじゃないのぉ、別に取って食ったりはしないわぁ。ちょっと触って重さを確かめるだけ――」
「それ泥棒の台詞ニャ――!」
叫んだその瞬間。
「そこまでなのだー!」
甲高い、でもよく通る声が、門の上から降ってきた。
ぱっと視線を上げると、そこには小さな影が三つ、並んでいた。
タルタルの子どもたちだ。
おそろいのマントに、胸元にはタマネギみたいなマーク。
「スターオニオンズ団、ただいま参上なのだ!」
「ナナー・ミーゴ、また初心者いじめしてるー!」
「悪い大人にはオシオキなのだ!」
わらわらと駆け下りてくる三つの影に、ナナーがあからさまに顔をしかめる。
「げっ……あんたたち、またなの……」
「また、なのだ!」
「このお姉さんから手を離すのだー!」
先頭のタルタルが、ちょん、とフィグの前に立ちふさがった。
小さな背中が、びっくりするくらい頼もしく見える。
ナナーはふーっと大きくため息をついた。
「はぁ……今日はこのくらいにしておいてやるニャ。
初心者ちゃん、ウィンダスは甘くないニャよ。財布と情報には、気をつけることニャ」
尻尾を一度だけぱたんと振ると、ナナー・ミーゴはくるりと背を向け、
いつの間にか人混みに紛れて姿を消していた。
(……嵐みたいなミスラだったニャ)
フィグが安堵の息を吐くと、前に立っていたタルタルが振り向いてにかっと笑った。
「大丈夫だったのだ? お金、取られてない?」
「う、うん。助かったニャ。ありがと」
「えっへん、スターオニオンズ団に任せるのだ!」
小さな胸を張る彼らを見て、フィグも思わず笑ってしまう。
(……嘘はついたけど、命と財布は守れたし。今日はこのくらいで勘弁してほしいニャ)
胸の奥に残るちくりとした痛みを、フィグはそっと胸の奥へ押し込んだ。
母と、自分の本当のことを知られたくない気持ちごと。
スターオニオンズ団と別れて、フィグは森の区の路地を歩いていた。
さっきまでナナー相手に張り詰めていた神経が、一気にゆるんでいく。
屋台からは焼いた魚や肉の匂いが漂い、洗濯物の間を子どもたちが駆け抜けていく。
耳に入る声も匂いも、見慣れたものばかりだ。
(……「今日ウィンダスに来たばっかり」ね)
さっきついたばかりの嘘が、舌の上にまだ残っている気がした。
この路地も、角を曲がった先の行き止まりも。
どこに、どの家の犬がいて、どの屋根が一番登りやすいかだって、目をつぶっててもわかる。
ここは、あたしの町だ。
生まれたときからずっと、息をしてきた場所だ。
(ナナーみたいな奴にまで、本当のこと教えてたまるかニャ)
そう自分に言い聞かせて、フィグは気持ちを切り替えるように、わざと大きく伸びをした。
森の区の一番奥、ちょっと高台になったところに、彼女の家はある。
低い屋根に、木の枝を編んだ小さな柵。
窓からは、甘く煮た豆とスープの匂いが漂ってきていた。
扉を開ける前から、賑やかな声が聞こえてくる。
「いやぁああー! スライムがくるのー!」
「だいじょうぶなのだー、ほら、ケアル!」
「それ違うニャ、スライムじゃなくてマンドラゴラニャ!」
小さな子どもたちの叫び声と笑い声。
フィグは思わず口元をゆるませた。
「ただいまニャー」
戸を引き開けて声をかけると、土間の方から、ゆっくりとした足音がした。
「おや、フィグ。おかえり」
現れたのは、年配のミスラ――カム・ラーヴだった。
瞳は薄く白く濁り、右目には布が巻かれている。
けれど耳と鼻は鋭く、フィグが玄関に足を踏み入れた瞬間には、もう笑顔で迎える準備ができている。
産婆であり、乳母であり、今は森の区の子どもたちの“母親”みたいな存在。
フィグにとっては、血は繋がっていなくても、間違いなく「母」と呼べる人だ。
「今日も賑やかニャね」
「慰霊の日の前だからね。親たちが準備で忙しいから、余計に子どもが集まってくるのさ」
カムがくすりと笑う。
家の奥では、まだ誰かが「やられたー!」と元気よく倒れる音を立てていた。
フィグは靴を脱いで上がろうとして、カムの耳がぴくりと動くのを見た。
「……それとね、フィグ。今日はもうひとり、お客さんがいるよ」
「お客さん?」
フィグが首をかしげた瞬間、奥の部屋から、澄んだ、よく通る声がした。
「久しぶりだね、フィグ」
その声を聞いただけで、背筋がしゃんと伸びる。
ぱたぱたと廊下を歩いてくる足音。
そしてふすまがすっと開くと、そこに立っていたのは――
雄々しいたてがみのような銀髪と、シルククロークの守護戦士の鎧を身にまとったミスラの女性だった。
細く切れ長の瞳が、やわらかく細められる。
「セミ様!」
思わず、フィグの声が一段高くなる。
ウィンダス守護戦士、セミ・ラフィーナ。
森の区の子どもたちの憧れであり、フィグにとっては幼い頃から家に出入りしていた“雲の上の人”でもある。