金の雨 銀の雨


 雨が降りしきる惑星、トラロック。
 およそ300年以上前、移民船団が来訪し、そこからトラロック人類の歴史が切り開かれた。
 移民船の中には、植物や動物の蓄えがあり、そこで独自の研究開発もされていたが、ごく普通の酪農、畜産、養殖、そのほか米作り野菜作りなど……とりあえず、移民船に乗っていた移民を喰わせていくだけの、機関があったのである。

 現在も、その移民船の中にある機関は、「農場」とそのまんまの呼称で呼ばれ、絶え間なく、野菜や果物や卵や肉などなどを生み出している。しかし、その後、トラロックで爆発的に増えた人口分の食糧をまかなう事は到底出来なかった。
 現在では、農場で作られた食糧は、一部の大学の研究者が、研究材料として買い取ったり、一部のグルメ気取りの金持ちが購入して料理を作ったりしているだけである。いずれ、農場が現在でも稼働し、細々とながら食糧や動植物を作り出している事は、半ばトラロックの庶民には忘れ去られた事実であった。なぜなら、自分たちの手には届かないからである。

 紫雨が、その農場の事を知り、取引をする事が出来たのは、彼女自身が強化紫陽花で甘味料を作りたいという目標を持つ研究者であり、彼女の両親も同じく研究者の立場にあるからであった。
 紫雨の母は、食材や料理については考えた事がないらしいが、紫陽花の強化植物を作る研究に当たって、農場から紫陽花の株をいくつか分けて貰っていた。その縁を利用して、紫雨は砂糖を取引する事が出来たのである。砂糖の後は、様々な食品の材料を。

「なるほど……俺たちも、スモークツリーの株は、農場から取り寄せるんだ。失敗さえしなければ、トラロックの土壌に根付かせる事が出来るんだがな」
 紫雨の作ったステーキに舌鼓を打ちながら、澄琉はそう答えた。

 澄琉の前のテーブルには白い皿の上にこんがり焼けたチキンステーキが置かれている。付け合わせとして赤と黄のパプリカ。隣の小皿には千切りキャベツと胡瓜、プチトマトのサラダ。後は日本語の人類らしく、炊き上がった白米のご飯と豆腐の味噌汁が、茶碗とお椀によそわれている。
 定番の料理だが、パックの弁当とは全く違う様子の夕飯に、澄琉は最初面食らっていたのだった。

 家庭にもよるだろうが、弁当から食器に食べ物をより分けて食べるように躾けられているトラロック人もいる。だが、澄琉の実家では、母が看護師で忙しかったため、弁当は弁当のまま食べていたのだ。
 食器というものがなんであるのか意味がわからないぐらいである。
 だが、食器に見栄え良く盛り付けられている料理を見ると、何とも言えずに食欲をそそられた。

 最初は恐る恐る、生まれて初めて、目の前で調理されたできたての料理を食べてみたが、それは非常に美味だった。澄琉が食べてきた弁当の味は、まずトラロック人に飽きられたらおしまいなのだろうから、他惑星の工場でもよく考えられて調整された味付けになっているのだが、それと全く遜色のない、上品な味付けになっていた。澄琉は紫雨の料理の腕には問題を感じなかった。

「スモークツリーのお話、うかがいたいです」
 ちまちまと箸を動かしながら、紫雨がやや遠慮がちにそう言った。
 紫雨も、自分が紫陽花の栽培に成功したいと思っている。成功者である澄琉にちょっとぐらい聞き出す事があったっていいはずだと思っていた。

 その様子に、澄琉は苦笑した。
 若い、綺麗な女の子と言って差し支えのない容姿の彼女が、自分の特権に全く無自覚にそういうことを言うのが、無性に可愛らしかったが、同時に面倒にも感じた。
「ダメ……ですか?」
 自然と上目遣いのようになりながら、紫雨は沈黙した澄琉にそう尋ねかけた。

「色々、事故があったからね。話せることが、そんなにないんだ」
「あ、……はい」

 澄琉達の研究チームが、歓迎されたイシュチェルへの移動の最中に、何が起こったのか、紫雨は彼の声で思い出したのだ。
 目に見えてしょんぼりしてしまう紫雨。
 澄琉は、あからさまに自分の研究を狙う人間も多いため、警戒している。
 ひとときの沈黙の間、激しい雨が屋根を叩く音と、遠く、雷鳴が響くのだけが聞こえた。

 シューターである澄琉は、どうしても、スライム達の事が気になった。温かい良い食事を食べながらも、内心では外の事、明日からの事が脳内を支配し始める。

「すみません、私……失礼でしたね」
 紫雨は、黙り込んでしまった澄琉にすまなそうにそう声をかけた。

「いや、違う。そうじゃなくて……」
 紫雨の悲しそうな声を聞いて、澄琉はやや慌てた。
「今夜また、襲撃があるかもしれない。そのことを考えていただけだよ」
「襲撃」
「スライムは、執念深いんだ。本当にね」
 そこで、紫雨は、自分の立場の事を考えていた。
 スライムが、紫雨を狙うのはあと48時間。その間、逃げ切られるだろうか?
 無論、澄琉を頼るしかないのだし、澄琉は信用出来そうだけれど……。

「それで、だ」
 澄琉はそこで軽く咳払いをした。
「はい」
「食べ終わったら、俺は一回自宅に戻る」
「はい」
「装備品を整えて、戻ってくるけれど、その間の君の安全確保が……」

「え、……はい?」
 紫雨は、思わず問い直していた。

「だから」
 澄琉はそこでやや赤面して言いづらそうに紫雨から視線をずらす。微妙に。

「……」
 紫雨も、澄琉のいわんとしていることを察するが、それを、わかったとも言いづらく、わからないとも言いづらく、ただとぼけたような顔で固まっていた。

「二日間、君と行動をともにするから……」
 澄琉はしどろもどろになりかけながら、ようやくこう言い切った。
「当分、君の家に俺を泊めて欲しい」

「……!」
 みるみるうちに、紫雨は、耳まで真っ赤になっていた。
 紫雨だってその意味はわかる。まともな、24歳の女性なのだ。そして相手は少し年上の異性の研究者で。
 そういう視点を取れば、全く、今日初対面なのに、とんでもない話である。
 だが、シューターと返り血の匂いをつけた一般市民と考えれば、事情が事情だけにシューターが護衛に回るのは当然とも言えた。

「信用して欲しい。シューターとして、君の安全を守りたいだけなんだ」
 やたらに真剣な表情で澄琉にそう言われ、紫雨は迷った。

 トラロックでは女性の自由が大幅に認められている。
 男女の経済格差がそれほど大きくないため、”暮らしていくために結婚”する必要がないからだ。
 女性でも管理職や上層部にいる人間は多いし、発明家や研究者も大勢いる。女性は楚々として控えめで、家の中で守られているものという概念は、ほぼない。
 女性の自由が大きいということは、そのぶん、男性の自由も認められている--簡単に言えば、一生、家族を養うために働き続けるという概念が、極めて薄い。
 そのため、”生活のために結婚”、"常識のために結婚”ということは、あまり見かけない。それよりも、自由な恋愛の方が一般的であった。
 中には、紫雨のような年齢の女性で、男性と出会ったその日に自宅に招いて一晩過ごす、というタイプも大勢いるのかもしれない。紫雨はそういうことに全然興味がなかったため、考えた事もなかったけれど。

 親友で同僚の楊芳が、婚約者の自慢をするのは、彼女にとって、愛する彼抜きの人生など考えられないからだ、そうだ。
 お金のためとか世間体とかは考えた事がないと、楊芳は言う。だが、人生を分かち合えるほど愛せる存在なしで、生きていく事はもう出来ない、それほど婚約者を愛している。そういう自分も可愛いと思える、という発言をしている。
 ……ということは、婚前交渉はもうしているのだろう、と紫雨でさえが下世話な事を考えていた。

 咄嗟にそういうことを考えたのは、やはり、紫雨も、自分の事が可愛いため、もしもピンチに陥ったら、この男性はどういう行動を取るんだろうと気にしたからだった。
 だが、次の瞬間に気づく--。

(何考えてるのよ! この人は、仕事なのよ。仕事の延長!)
 紫雨は、必死に理性を保ち、自分の立場を考えて見た。相手は栽培に成功した研究者で、自分は分野は違うが同じ強化植物の研究者なのだ。その自分を守るために、澄琉が出会ったその日に紫雨の部屋に泊まった事が、バレたら、……お互いに、ヤバい。紫雨が、澄琉を寝取って研究を我が物にしようとしている、なんて噂が流れるかもしれない。紫雨にとっては、そちらの方がよっぽど危険だった。
 大学都市で研究者として、この先も一生、紫陽花の研究に身を埋めるつもりでいるのである。
 自分にとっての仕事と、相手の立場。

 紫雨はなるべく何事もなかったような顔をして、ポーカーフェイスに近い笑顔を全身に貼り付けた。
「……本当に、すみません。不便をおかけしますが、よろしくお願いします」

 あくまでビジネスと割り切っているという態度を丸出しにしたのである。

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