蛇も19、ケーキに媚薬

「ばあすでいぷれぜんと?」
 言葉の意味が分からず、那唖挫は当麻から渡された水色のラッピングを見つめる。
「ああ、一応、手作りなんだけど。」
 怪しげな液体の入ったビーカーを片手に当麻は快活に答えた。よれた白衣に無精髭、少し長めになった髪の毛、とむさくるしいことこの上ない。
 ここは当麻が勤める大学の研究室。
 当麻はマッドサイエンティストの父親の血を存分にここで発揮している。
 その独特の研究と、ぶっ飛んだ研究室長の行動のために、近寄る者はほぼいない。
 そこに、ここ一年ばかり頻繁に出入りしているのが那唖挫。
 最初は現代の常識を覆す傍若無人な奇行ぶりにブチギレまくっていた当麻だが、とにかく那唖挫の薬学・医学に関する頭脳に関しては最初から認めざるを得なかった。
 しかも那唖挫が基本的に修めている学問は本草学。動物学・植物学・鉱物学・地質学その他、現代の自然科学の基本を四百年以上に渡って独自に研究していたわけだから、単純に知識の広範さと研究に対する粘り強さ(というかねちっこさ)だけなら当麻も舌を巻く。
 自分と同等か、それ以上に頭のいい人間というのがあまり周りにいなかった当麻は、自分でも知らないうちに那唖挫に気おされて研究室への傍迷惑な出入りを許してしまったのだった。それに、最初の内こそ奇行が目立った那唖挫だが、ちゃんと物事を順序立てて教えさえすれば十分、話の通じる相手だったのである。
そして那唖挫は一方的に当麻の研究所を荒らすだけではなく気まぐれながらも手伝いもするようになり、半年もしないうちに現代に順応した。―――ということになっている。
 その結果は、長着の上に眼鏡白衣サンダルという世にも奇天烈な格好だったが。
「何だ。一体?」
 水色のラッピングのリボンを胡散臭そうに引っ張りながら、那唖挫が聞きなおす。
「誕生祝いだよ。戦国時代でも、あっただろ。生まれた日には贈り物って。」
「ああ。」
 那唖挫はようやく合点が行った。
「よく知っていたな、俺の誕生日などと。もう忘れておったわ。」
「前に、妖邪界と人間界の時間の誤差を計算するとき、魔将全員の生年月日聞いたじゃないか。そのとき、俺と二日しか違わなかったんで、はっきり覚えているんだよ。」
「天空の誕生日と?」
「冷たいな、もう忘れたのか。俺は十月十日生まれ。十月八日の那唖挫と二日しか違わないって。」
「ふうむ…。」
 那唖挫は何故か、困ったような顔をしている。
そんな会話をかわしながら、当麻はビーカーその他を備え付けの流し台で洗い終えると、電気ポットに向かった。
「それケーキだから、コーヒー入れるね。」
「ケーキ?!」
「何、素っ頓狂な声出して。」
「……いや、なんでもない……」
 那唖挫はあまり甘いものは得意ではない。現在でも、甘党の当麻の入れるコーヒーには一種の恐怖を感じている。断じて、顔には出さないが。
 その当麻の手作りケーキとなると、一体どれだけ砂糖がぶちこまれていることか。
(これは、俺への挑戦か……?!)
 そんなことを考えながら、那唖挫は大人しく研究室の隅にあるソファに座り、それほど大きくはないガラステーブルにラッピングを置いて、リボンをほどいた。
 中から出てきたのは焦げ目のついた黄色い小型の長方形の塊二個だった。
 甘い噎せ返るようなにおいがする。
 那唖挫はそれだけで、軽い眩暈を覚えた。勿論、表情に出したりはしないが。
 そこに、コーヒーカップとフォークを持った当麻がやってきた。
「それ、スイートポテト。サツマイモの英語名だよ。実際に、サツマイモが入っている。那唖挫、確か、薩摩藩の出身だろ?」
「……気遣いはありがたいが、唐芋が薩摩に伝来されたのは俺が妖邪界に転生した五十年近く後の事だ。まあでも、故郷を代表するモノを誕生日に食えるというのも、粋なことよな。」
「そうそう、気楽に考えろって。」
 そう言って当麻はスイートポテトの隣に茶色になったコーヒーを置いた。
「天空は食わないのか?甘党であろう?」
 ちょいちょい、と指先で片方のスイートポテトを指し示す。
「いや、いいよ。せっかくの誕生祝なんだしさ。」
「……まあ、そういうのなら。」
 人の好意をむげにする訳にもいかず、那唖挫はフォークを取った。
(南無三……!)
 一口かじる。案の定、口の中全体に広がる甘ったるい味。
 ケーキを食べる事自体は、当麻とつきあえば何度もあったが、今回は微妙に複雑な味がした。
(唐芋?違うな…なんだろう?)
 しかし、市販ではない手作りならば、味が違ってくるのは当たり前だろう。それに、那唖挫はスイートポテトを食べる事は生まれて初めてだった。
「天空、これは何を入れて作るものなのだ?」
「へ?」
「いや、だから、どうやって作るものなのだ?すいーとぽてとというものは。」
「何、那唖挫、お菓子作りになんか興味あるの?!」
「何を驚いている。お前だって作ったのだろうが。俺は、菓子はともかく料理ならある程度は作るぞ。」
「ええええ?!」
「……言ってなかったか?我らの時代では食物で体を整える事と、薬を処方することは一体だ。それを実践しようと思えば、どうしたって自分で料理を作る事になるが。」
「嘘!何それ!ありえねえ!」
「嘘とは何だ嘘とは。失礼な。」
 あからさまに眉間に皺を寄せた那唖挫に、当麻は慌てて顔を撫でて真顔を取り繕おう。
「いや、悪い。戦国時代のお武家様がさ、厨房に立っているところが想像できなくて。」
「人間界にいた頃は作らなかったが、毒魔将になってからは色々作ったぞ。最初は確かに失敗が多かったがな。」
「じゃあさ、今度、何か作ってきてくれよ。妖邪界の薬膳って事だろ。凄い興味ある。」
「興味本位か…。」
「いや、那唖挫だって、スイートポテトのレシピ知りたいのは、興味本位だろ?それと交換って事で。」
「なるほど。それなら分かった。二日後の天空の誕生日に、何か持って来よう。」
「やったー!!」
 何故かはしゃいでバンザイをする当麻に、那唖挫は不気味そうな視線を向けた。
(男の手料理がそんなに嬉しいのかこやつ。)
 まあ、確かに、妖邪が普段何を食べているかなど、考えた事もなかったろうから、ものめずらしさがあるのだろう。
 それに、とにかく自分が何か料理を作って持って来れば、この気がかりな味の正体が分かる。
(とりあえず、今は食べてしまうか。)
 一回口に砂糖が入ってしまえば、後は一気に食べてしまうのが得策だ。
 那唖挫は二個のスイートポテトと当麻の入れたコーヒーを残さず食べた。
「いつも思うんだけど、那唖挫って食べ方が綺麗だよなあ。」
「お前ががっついて食いすぎるだけだ。」
 そんな会話をしながら後片付けをし、元の研究作業にとりかかる。
 そこまでは誕生日というイベントはあったものの、よくある風景だった。
 那唖挫はいつもどおり自分の調合している薬品のデータの打ち込み作業に入り、当麻は当麻で自分の研究に没頭する。
 
 そして、三十分も経った頃だろうか。
 パソコンの画面を見つめながら、那唖挫がため息をつき、眼鏡を何度も掛けなおした。
 心なしかキーボードを叩く手も不規則になっている。
「どうした那唖挫、疲れたのか?」
「ん…。」
「無理するなよ。具合悪そうだぞ。」
 歯切れの悪い那唖挫の返事に、当麻が声をかぶせる。
「すまん、ちょっと熱っぽいかもしれない。」
「ああ、じゃあ、少し休むか?」
「すまんな、さっきも休んだばかりなのに。」
「気にするな。」
 那唖挫はパソコンの前から立ち上がり、ソファへと戻った。
「体温計があったら、貸して欲しいんだが。」
「ああ、熱測るのね。ハイハイ。」
 そう言って、当麻は那唖挫の隣に座った。
「?」
 体温計を探して持ってきたには早すぎる、と那唖挫が怪訝そうな顔をするが早いか。
 当麻は那唖挫の肩を掴んだかと思うと自分の方へ引き寄せ、その唇に吸い付いた。
「?!!」
 あまりのことに抵抗する事すら忘れた那唖挫の口の中に当麻の舌が入ってくる。
 那唖挫が固まっている事に気をよくした当麻は、そのまま舌を舐め上げ絡み取り、薄い唇に歯を立てるようにして吸い上げ思う存分那唖挫の口腔を楽しんだ。
「…な、何を……。」
 当麻が口を離した後も、体に思うように力が入らず、那唖挫はソファの上に座り込んでいた。どうしたわけか、呼吸と動悸がひときわ激しい。熱っぽいことも手伝って、自分の体に不調があることは明らかに分かる。
「何って熱測定?体温計、口に突っ込んでやるだろ?」
 ヘラリと笑って当麻はそう答えた。
「違うだろう!何を言っとるか貴様!」
 掴みかかろうととした那唖挫の手をあっさりといなし、当麻は長着の襟元に手を伸ばす。
「あ~、口で測るのはあまりないよね~、やっぱりこっちが先か~。」
 妙に楽しそうに当麻は那唖挫の着物の襟から手を突っ込み、白い滑らかな皮膚をはだけさせながら腋の下を探った。
「や、やめろ!阿呆!」
 暴れようともがく那唖挫を片方の手で封じ、腋の下を何度も撫でる。
「ひゃっ…」
 どういうわけかいつもよりも過敏に反応してしまい、那唖挫が甘い声を立てる。
「あれ?那唖挫?」
「離せ!何をするかこの小童!」
「ちょっとお前…何?腋毛ないの?」
「どうでもいいだろうがそんなことは!とにかく離せ!」
「何で?肉体年齢十九歳だろ?それで何故腋毛がない?!」
「薄いだけだ阿呆!俺の体毛が少なくて誰かに迷惑掛けたか!!」
 気にしている事を指摘されて、那唖挫は顔を真っ赤にして当麻を怒鳴りつけた。
「へえ。そりゃまた。下が楽しみだな。」
「し、下……。」
 その言葉に那唖挫は絶句する。
 そうしている間にも、当麻は那唖挫の腰に締めている帯に手を伸ばし、解こうと先を引っ張った。
「や、やめろ…!」
 何とか当麻から逃れたいのに、体に力が入らない。
 先ほどから感じていた微熱が高まり、別に運動をしたわけでもないのにひっきりなしに息が切れる。
「さては…貴様、先ほどのケーキに、何か盛ったな!」
 状況から推測すれば、答えはそれしかない。



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