子どもギャング団は、時として息を潜める猫のように、時として突風のように、屋敷の中を進んでいった。
部屋の一つ一つを確認し、”幽霊女”を捜しながら突き進んでいく。
やがてアッシュは、一階の北西の奥の部屋、その大きな扉の前についた。
その周りにはほとんど人影も見えず、周りは酷く静かだった。壮麗な飾りのついた窓の外には、ツルバラの蔓がびっしりとはびこって、夏の風情で色とりどりの花を咲かせていた。
何となく、ミラやエマが好きな童話の中の茨姫のお城のイメージだ。
アッシュは、周りに大人がいないか確認した後、目の前の瀟洒な扉にぴったりと長い耳を当てて中の様子を聞いてみた。
するとあろうことか、すすり泣きが聞こえた。
女のすすり泣き。さめざめと泣いている女の子の声。
(誰かいるぞッ!)
アッシュは背後に付いてきたクルトやヴァルターにそう言って目配せをした。
アッシュの言葉に、子ども達は戦慄した。なんと、屋敷を走り回って一階をほぼ真横に突っ切る快挙を彼等は行っていたのだが、いよいよ、幽霊女とのバトルとなるらしい。
(みんな、相手は魔族かもしれないし、そうじゃないかもしれない。どっちにしろ、奇妙キテレツな幽霊女だ、気をつけろッ!)
アッシュが小声でそう指令した。
皆、手に手に棒きれや石ころなど、子どもなりに装備を固めて、固唾を飲んで頷いた。
アッシュは一人一人の顔を見て決意を確かめると、自分も深呼吸をして胸の高鳴りを押さえながら、そっと扉を押した。
思いのほか簡単に、その真っ白で洒落た雰囲気の扉は開いた。
シクシク……
シクシク……
女の子が嗚咽をあげて泣いている声が聞こえる。
薄暗い室内だった。昼間なのにカーテンを閉め切って、燭台の蝋燭の揺れる光だけを頼りにしている。
モノトーン調の寂しい雰囲気の室内には、百科事典をはじめぎっしりと本が積まれ、まるで大人の書斎のようだった。それでいて、白や黒のレースやフリルなどの女性的な小物が積まれ、アンティークの人形やテディベアなどが本棚にも飾られている。
その暗い、シックな部屋の中に響く、寂しげに泣く女の子の声。
子どもギャング団達はぞっとした。アッシュでさえがそれ以上の突入を躊躇ったほどだった。
だが、アッシュは、手下の子ども達の前で勇気と正義を示さない訳にはいかなかった。
彼は父親から貰った木の剣を携えて、まっすぐに部屋の中に進んだ。
部屋の本棚の手前の方に行くと、そこに銀髪が不気味に輝いているのが分かった。
本当に長い髪の毛だった。ふわふわと揺れるその髪の毛は、まるで地上に落ちた灰色の雲の塊のようだった。
銀色の長い髪の下には、びっくりするほど真っ白な肌が続く。顔色も悪く、黒いドレスから続く手は透き通るように白かった。そう、彼女は喪服でもないのに真っ黒なドレスを身につけていた。
髪の毛といい体の小ささといい、泣くときの声といい、女の子で間違いないだろう。アッシュはそう判断した。
彼女こそ、幽霊女、幽霊少女だ。
「おいっ!」
突然、アッシュは声をあげた。誰もがその声の明るさと力強さに、振り返らずにいられないような声だった。
「おいっ、幽霊! お前、なんで泣いているんだよ!」
そう言って、いきなり、アッシュは振り返ろうとする幽霊少女の頭を木の剣で突っついた。
ゴチンっ
ちょうど、振り返ろうとした女の子は、かなり運動神経が鈍い方だった。木の剣をかわすことができず、その真っ白な額にモロに剣をぶつけ、途端に後ろにひっくり返ってすっころんだ。
「!?」
元気に外で飛び回っている子ども達にしてみれば信じられないどんくささであった。
相手は「貴族のお嬢様」という人種であって、自分達のようにそんじょそこらの山猫よりも鋭く素早い動きをする農家の子どもとは違うのだということを知らなかった。
「な、なんだ!?」
「幽霊って、みんなのろいのか!?」
少年達は口々に声を立てて疑問を呈し、少女達は手助けしようと思ったが、幽霊に触っていいのか分からず、その場をうろつき回った。
「のろいっていうか……呪われたらどうしようっ」
だけど可哀相だし……とエマもミラも困っている。
「おいっ!」
そこで、アッシュは触ったら呪われるかもしれないと思いつつ、木の剣でまたペシペシと女の子の銀髪頭を叩いた。
「おい、幽霊、寝ている場合かよ。おいっ、だから、なんで泣いてるんだよ。お前ここで何してるんだ? 何かあったのか?」
それを言うなら。
アッシュが何をしているんだと言われる立場で何をやっているんだということなのだが、そんなの本人にはわからない。幽霊少女だって分からない。
いずれにせよ、幽霊少女にしてみれば、とんだ災難であることには変わりなかった。自室の書斎で昔を思い出して泣いていたら、知らない少年少女がいきなり乱入してきて、オイオイ言いながら木で頭を叩いたり突いたりしてきたのである。
相手は10歳の普通じゃないけど普通の女の子であったため、当然の反応を返したのであった。
つまり、その場でうずくまって、恐怖のあまり、わんわん大声で泣き始めたのである。
「誰……誰か……誰か助けてぇえ!!」
アッシュはそこで、幽霊少女の方に飛びついた。
「騒ぐなよ! 卑怯だぞ! 仲間を呼ぶなんて!」
「いやあっ。離してよっ!!」
口を塞いで黙らせようとするが、そうすると抱きついて首を絞めるような格好になり、女の子は益々パニックを起こす。
「おい、黙れ! 黙れったら。お前、本当に幽霊なのか? 元気じゃねーか!」
「嫌! 嫌だったら!」
確かに鈍くさくて運動神経があるのかないのか分からない、当てずっぽうな体の動かし方をしているが、エネルギーは有り余っているようだった。普通だったらひ弱な女の子などひとひねりのアッシュだったが、押さえ込むのに時間がかかっている。
クルトやエマ達は咄嗟にアッシュに加勢しようとしたが、二人の体が密着しすぎているためそうはいかず、周りを取り囲んで、アッシュを手助けするタイミングをうかがった。
だがそんな瞬間は来る訳がなかった。
「娘」の部屋からとんでもない悲鳴が聞こえたのだ。当然ながら、屋敷の主、ハルデンブルグ伯爵が--この地方の領主、本物の王様が、使用人を引き連れて、娘の部屋に突撃してきたのである。
「エリーゼ! 何かあったのか!!」
「お父様--!」
アッシュに押さえ込まれて、涙目で父親であるクラウス・フォン・ハルデンブルグ伯爵を振り返る「エリーゼ」。
彼女こそが、次のデレリンの領主になるはずの、ハルデンブルグ伯爵家の一人娘。
エリザベート・ルイーゼ・フォン・ハルデンブルグであった。
「な、なんだ……この子達は?」
娘の部屋に帯刀している使用人を連れて飛び込んできたクラウスだったが、そこに、見慣れない農村の子ども達が何人も立ち尽くしているのを見て驚いた。さらに驚いたのは、その中でもやたらに目立つ空気をまとった少年が、自分の娘に抱きついて口を掴んでいることに更に驚いた。
「君は何だ! 娘を離しなさい!」
咄嗟に高圧的な物言いでクラウスは怒鳴った。
その頭一つ上からモノを言うのに慣れた、貴族の自然体がアッシュを怒らせた。偉そうなオッサンだと思ったのだ。
「嫌だ!」
アスランは無意識にエリーゼの締めるようにして抱きしめた。エリーゼは今にも失神しそうな顔になっている。
「!」
クラウスは無言だった。一瞬で、魔法のようにアッシュとエリーゼの方に近付くと、アッシュの脳天にチョップを入れた。一撃でアッシュは倒され、エリーゼは無事に救出された。