とりあえず、ルーカスがゆっくりと10数える間に、エマ達泥棒チームは木々の間に逃げ込んだのであった。
ヴァルターはミラを連れて屋敷の影の方に走っていき、ヴィルヘルムは楢の大木と大木の間をすり抜けていった。
エマは、エリーゼを連れて小さな花壇を跳び越え、大輪の薔薇の花を咲かせている花壇の影に二人で隠れた。
「あの、このゲームって……どういうものなの?」
エリーゼはやっとのことで、エマにそれを聞く事が出来た。
エマは薔薇の花の影からそっと辺りをうかがって、すぐには見つかりそうもない事を確認してから、エリーゼに向き直った。
「うん。ケイドロって言うんだけど、警察チームと泥棒チームに分かれて、おっかけっこするゲームだよ。あそこが、牢屋」
エマは、アッシュが庭の中央にある小型の噴水の周りに、チョークで丸く線を引いた部分を指さして言った。半径一メートルほどであろうか。
「牢屋?」
「警察チームの子が、泥棒チームの子を捕まえて、あの牢屋の中に入れるの。泥棒チーム、全員を捕まえたら警察チームの勝ち」
「何も悪い事してないのに、牢屋に入れられちゃうの?」
エリーゼはよく理解していないようだった。
「それはそういうものなの。泥棒チームが全員捕まったら、警察の勝ちで役割交代。今度は泥棒チームが警察になって、泥棒になった警察チームを捕まえるの」
「……」
「そして、あの牢屋の周りに見張りがいるでしょ。見張りの看守。今回は、ヨナスだけど……あいつ魔法は使えるんだよな~」
眼鏡をかけて顔色も青白くて、いわゆるもやしと言われるタイプのヨナスだが、動作は機敏だし、本当に初歩的な魔法だったら大体クリア出来ているのだ。それが看守。
「お父様が、魔法を使うなって言ったじゃない」
エリーゼは不思議そうにそう言った。
エマはびっくりしてエリーゼの顔を見直し、思わずため息をついた。
「あのね、お嬢様。アッシュ達が、そんな口約束、守ると思う? ……というより、覚えてると思う?」
「え?」
どういうことだろう、とエリーゼは考えたが意味が分からなかった。
その間に、エマははきはきと説明を続けた。
「牢屋に泥棒を入れるでしょ、それを看守役が見張っている訳。その見張りの目をかいくぐって、牢屋に入れられた泥棒を仲間が助け出すことも出来る」
「それって、どうやって?」
「タッチよ。タッチすればいいだけ」
「タッチ?」
エマはぽんと戸惑うエリーゼの肩に手を置いた。
「これが、タッチ。手で体の一部に触ればいいだけよ。警察にタッチされたら、牢屋に行かなければならないけれど、仲間にタッチされたら、牢屋から逃げる事が出来るの」
「タッチ」
エリーゼは、エマの手を肩に感じながらそう繰り返した。
「そして、泥棒チームの勝ちは、牢屋に置かれている宝物を盗む事。今回の宝物は……そうか、アッシュの剣か」
アッシュが携えていた木の剣が、無造作にヨナスの背後に置かれている。あれを、警察チームの眼をかいくぐって取ってくれば、泥棒チームの勝ちになるらしい。
なるほど、と説明を受けたエリーゼが頷いている間に、エマは花壇の影からしきりに辺りを見回し始めた。
どこに、警察チームが潜んでいるか分からないし、別々の方向に逃げ出した仲間が、どこにいるか確かめるためだろう。
「兄ちゃんはどこだろ……あっ!」
驚きの声をあげそうになって、エマは息を飲んだ。大声を立てては、気づかれてしまう。
屋敷の裏の方にミラを連れて逃げていったヴァルターが、警察チームに多勢に無勢で捕まりかかっているのだ。
ヴァルターとミラの二人相手に、警察チームのヨナス以外の全員が襲いかかっている。
「な、なんで? 兄ちゃんやクルトはどうでもいいの?」
そんなことをしたら、牢屋ががら空きでは……と人ごとながら心配になるエマ。
所がその間に電光石火の動きでアッシュがヴァルターの肩に触り、続いてパウルがミラを捕まえた。
悲鳴を上げたのもつかの間、ヴァルターとミラは警察チームに連れられて牢屋のコーナーに入っていく。
「一気に二人も~?」
エマは小声で抗議の声を上げた。
「凄い、あっという間だったね」
エリーゼはアッシュ達の動きの良さに驚いてそう言った。
「感心している場合じゃないわよ、お嬢様。警察チームに牢屋に入れられたら、酷い事になるんだから」
「酷い事? どんなことになるの」
貴族学院で一年だけお嬢様生活をしただけのエリーゼには何の事か分からない。
「服の背中に毒のない蛇を入れられたりどろんこ入れられたり、手足を縛られてくすぐり倒されたり」
真顔で説明をするエマに、エリーゼは思わず笑ってしまう。
「まさか……そんなことする子ども、いないでしょ」
「……」
それで、エマは無言で、牢屋の中に入れられたヴァルターを指さした。
ヴァルターは力自慢のルーカスに両腕を押さえつけられて地べたに座らせられ、パウルの靴の中の匂いを嗅がされていた。
「!?」
農村の子どもの普段使いの靴の中の匂い……どんなものだろうか。想像を絶する匂いであるらしく、ヴァルターは実に凄い単語を絶叫してもがいている。
隣でミラが真っ青になってパウルを止めようとするが、パウルは完全に調子に乗ってる顔で、兄妹の反応を楽しんでいるようだった。ヨナスも、フランツも。
「あんなの、可愛いもんよ。だって、牢屋なんだもの」
「……そ、そんな……」
貴族の令嬢であるエリーゼは、それなりに社会制度の事は分かっている。農村の子どもの想定する牢屋とは、どういう場所なのだろうか、それが凄く気になった。
「おーい、お前ら、いいのかー!?」
そのとき、アッシュが庭園全体に向かって大声を上げた。
「このままじゃ、ヴァルター、匂いで死んじまうぞ。仲間を見捨てる気か!? 今回も、俺の勝ちだな!!」
アッシュの典型的な挑発台詞である。
ただ叫んでいるだけなら誰も乗らないだろうが、目の前でえげつない拷問を受けているヴァルターに並んでそんなことを言われえると無性に腹が立つ。
「くっそ!」
そのとき、ブナの木陰に隠れていたヴィルヘルムが、挑発に負けて飛び出していった。
「兄ちゃん!?」
ヴァルターとヴィルヘルムは同学年で、同じく同い年の妹を持つ兄という共通点があるせいか、元からかなり仲が良い。その武士は相身互いのヴァルターが妹の前で醜態をさらしているのを見てられなかったらしいのだ。
「食らいやがれっ!!」
真夏に冷風が飛ぶ。冷たい空気の塊の炸裂弾を、風に乗せてヴィルヘルムは放った。
ヴィルヘルムは9歳にして風魔法の中でも冷気攻撃を得意とする稀なタイプだった。だが、何しろこの暑さで冷気の勢いも弱まっている。
「ばっか! まだ速いって!!」
どこかに潜んでいるクルトが慌てて声を上げるのが分かる。エマは兄の喧嘩っ早さにはらはらする。エリーゼはまだ、誰が誰だか分からず、呆然とするばかりだった。
そのとき、ヨナスが呪文を唱えて身振り手振りで印を切った。
途端に空中に一瞬だけ、薄く魔方陣の光が広がった。
「!」
その魔方陣が、全て、ヴィルヘルムの冷気弾を跳ね返した--ようだった。エリーゼはまだその術式を、話でしか聞いた事がない。
(え!? 公立学校の子どもが、あの反射式魔法をもう唱えられるの!?)
貴族学院で、公立よりも早く魔法を習う立場のエリーゼ。相当驚いた。
ヴィルヘルムは、反射式魔法で炸裂弾を跳ね返され、それを自分の胸に受けて吹っ飛んだ。
「ま、魔法使っちゃダメなのにっ」
エリーゼが声をうわずらせる。
「だから、そんな約束覚えてる奴いないってば。……どうしよう、兄ちゃん……」
エマは焦るが、迂闊に、芝生の上に倒れている兄の方に近付いていけば次は自分が餌食になるため、動けない。
そのとき、微かに空気がそよいだような気がした。
風精人は本来、風、大気にまつわる魔法の習熟に特化された種族である。子どもといえど、大気、空気に関する魔法の術式は無意識レベルで使う事が出来た。
そのなかでも、光の屈折率をねじ曲げて自身を透明化させる魔法は、子ども達が悪戯でよく使っていた。
その透明人間の呪文を唱えたクルトが、ヴィルヘルムが注目を浴びている隙に、そっとミラの隣に近付いていた。
ミラは、ヴァルターを何とか助けようとあたふたしているところだったが、ふっと空気が揺らいで、いきなり隣にクルトが現れたので驚いた。
「タッチ! ミラ、こっちだ!!」
クルトは誰にでも分かるようにはっきりとそう宣言し、ミラを牢屋コーナーから助け出した。
ミラはクルトの方に慌てて走り寄る。ここで、兄と一緒に捕まっていても意味がないからだ。
「クルトがミラに触ったー!」
途端に、パウルやフランツ達が大声で騒ぎ始めた。
「触ったー!」
「ミラに触ったー!!」
逃げながら忽ち顔を真っ赤にさせるミラ。
「うるせー! タッチしなきゃ誰も助けられないだろう!!」
走りながら一回振り返ってクルトが叫ぶ。
すると、ピイピイ、ヒュウヒュウとはやし立てる声だけが帰ってきた。何故か誰も追撃しない。
そうこうしているうちにルーカスに押さえ込まれて、ヴァルターは気絶寸前である。