今、ここに生きる星

「あの大きなお屋敷に、幽霊みたいな女が出るって言うんだ。見に行こうぜ!」
 ある夏の暑い盛りの事であった。
 いつもの通り、村の外れの空き地に集まった仲間の前で、通称アッシュと呼ばれる少年がそう言い出した。

 その村に知らぬ者のない彼、アッシュがそう言い出したのなら、その場にいる、10人足らずの子ども達は、早速「大きなお屋敷」に「幽霊みたいな女」を見に行く事になるのである。大体いつでもそうだった。

 空き地には丈高い草が生えていて、蚊がぶんぶん飛んでいた。村の大人達が捨てていった使わない木材や、石ころや、大きなバケツなどが積み重なっており、子ども達が秘密基地を作るのは必然であった。子どもの頃のアッシュ--村長の息子のアスラン・カッツが毎日のようにここに通い、子ども達を率いて「子どもギャング団」とあだ名されるような大活躍を行うのも全くの必然であったのだ。

 村長のカール・カッツはそろそろ二百五十歳に手の届く老人で、銀髪というより白髪で皺深い顔の風精人ウィンディだ。風精人ウィンディとは、アッシュ達の住む神聖バハムート帝国において、過半数を占める種族であり、美しい容姿と尖った耳、風の魔法を自由自在に操るポテンシャルを持つ。多くは銀髪であり、色素の薄い目を持っていた。例外はあるが。

 アッシュと呼ばれるアスランは、銀髪と真っ青な目を持つ、容姿の優れる風精人ウィンディの中でもさらに目立つ印象を残す少年であった。彼はじっとしていれば、帝国の崇敬するミトラ十二神の中の太陽神や、もしくはその侍童になぞらえられる程度に美しかった事だろう。だが、何しろ、子どもギャング団の団長であるから、多くの周りの人間達は、彼が格別に容姿の秀でた、見目麗しい少年であることに、全く気づいていなかった。大概は、アッシュと言えば、浅黒く日焼けした肌と、それにふさわしいやんちゃな笑顔と、これまた「大人になったらやんちゃですまされねえぞ」と恫喝したくなるような数々の手柄を思い出すのだった。

 そういうわけで、公立学校の長い長い夏休み期間、アッシュは毎日、その廃材置き場にされている原っぱの空き地に通い、毎日毎日、周囲の大人の顔面を真っ赤にしたり蒼白にしたりするような遊びを繰り返していたのだが、このたび、この村の隣の「街」のお屋敷に住む自分と同い年の女の子が幽霊だとかバケモノだとか聞いて、すっかりその話に夢中になってしまったのである。


 神聖バハムート帝国の北方、大雪原にある小都市デレリンの中にあるこの村には、”お屋敷”と呼ばれる大きな別荘がある。
 そもそも、デレリンは大雪原の北東にあるハルデンブルグ伯爵領の中心をさすのだが、「デレリン」と呼ばれるまあ田舎の中では見られた街の周りには小さな村がたくさん密集しており、その一つがアッシュの故郷であった。

 そしてその名もない小さな村ある巨大な屋敷の一人娘が、「幽霊」だというのだ。
 まだ十歳のアッシュは、そのひときわ大きくて立派な屋敷が、ほかならぬデレリンを支配するハルデンブルグ伯爵家の本家であるということは知らなかった。

 いずれ、目を見張るような立派なお屋敷に住んでいる女の子が、聞いた事もないような幽霊だという話に心を惹かれていたのだった。

「幽霊女、幽霊女って、その子は、どんなふうに幽霊みたいなことをするんだよ」
 アッシュと同い年の少年、クルトは不思議そうに尋ねた。クルトも、ハルデンブルグ伯爵家の事はよく知らなかったし、そんなに立派な家ならきっととても偉い人が住んでいるんだろうとしか思わなかった。そして、その偉い人の一人娘が幽霊って、どういうことだ。死んだのか?

「幽霊女は、生きているのか、死んでいるのか、分からないんだよ。だから幽霊なんだ。だから俺が、行って、幽霊女が生きているか死んでいるか確かめてやるんだ。もしも死んでいるのに、生きているふりをしているのなら、インドーを渡してやる」
 カッツ村長に作って貰った木の剣で、「成敗」のポーズを取りながら、アッシュがそう言い切った。

「スゴイ、アッシュ、幽霊を倒すの?」
「インドーって、どうやって渡すんだ? インドーって何?」
 他の子ども達も、幽霊を見に行くとか、幽霊を倒すという発想に魅せられて、わくわくとそういう事を言い出した。
 クルトの他に男子は六人。フランツ、ヴァルター、パウル、ヨナス、ヴィルヘルム、ルーカス。
 女子は二人。どちらもメンバーの男子の妹で、エマとミラだ。
 アッシュは男の誓いや男の世界という言葉が大好きで、日頃から女子を軟弱と言ってはばからなかったが、自分と血の誓いを立てた男児の妹が、やはり勇敢だったり蛮勇だったりした場合にのみ、特別に秘密基地に入れてやり、命令(即ち役割)を与えてやったりするのだった。

「インドー。そうだな、ヴィル。インドーってのは……俺が、幽霊女にインドーを渡すところを見せてやるよ!」
 アッシュは不敵に笑ってそう言った。
 アッシュのそういう笑い方にぞっとする「ライバルグループ」もいるものの、彼に逆らえない子どもギャング団達は一斉に沸き返った。インドーって何の事か分からないけれど、きっと必殺技か魔法のような何かなのだろう。幽霊女を退治してインドーを渡せば、きっとわくわくする楽しいことが起こるのだ。今日も自分たちは大人の作った世界を破壊し、自分たちの世界を推し進めていくのだ。きっとそうに違いない。

 そういうことを言葉ではなく生きている感覚で感じ取りながら、子どもギャング達は歓声をあげつつ、秘密基地をアッシュの後について飛び出していった。

 この頃、彼の事をアスランと呼ぶのはくそ真面目な公立学校の教員で若い担任ぐらいで、他の者は彼の父とされるカールでさえが「アッシュ」と呼び、誰もが彼を慕っていた。
 寿命が300年ほどある風精人ウィンディにとっても、子ども時代はわずかに20年しかない。その短すぎる時間の中で、アッシュは子ども達にとっては、正義のシンボルであった。大人達の嫌みな建前に満ちた、欺瞞と理屈だけの世界ではなく、彼はせいせいするほど馬鹿正直で強く、面白い事が大好きで、誰よりも健康で優しかった。

「なあ、アッシュ。その幽霊女って、どんなとくちょーがあるんだ?」
 ラーシュ街に早足で進みながら、フランツがそう聞いた。

「ああ、そうだな。屋敷に潜入した後、誰が幽霊女か分からなかったら、困るよな」
 アッシュは、殆ど走っているような速度で歩きながらそう答えた。
 屋敷には正面から入っていくのではなく、当然ながら、裏口かもっと聞かれたらまずい場所から潜り込む事は既に決定事項だった。誰もそのことに疑問を持っていなかった。
「幽霊女は、俺たちと同い年ぐらいで、くるぶしまで髪の毛を伸ばしているらしい。真っ白な髪の毛を、こーんな感じで」
「くるぶし!」
 びっくりしてヴィルヘルムの妹エマがそう叫んで自分の足下を見た。
「そんな長い髪で、転ばないのか??」
 フランツがまた尋ねた。
「長い髪でも、幽霊だから平気らしい。それで、幽霊はいつもブツブツ俺たちには分からない呪文を唱えて、夜に起きて、朝に寝るんだそうだ。だから、今の時間なら、幽霊は確実に寝てる。不意打ちが出来るぞ!」
 アッシュは興奮気味にそう言った。

「あと、幽霊女は、家から絶対出ないんだそうだ。俺達と同い年なのに、学校にも来ない。大人達に呪いをかけるといって、学校に来たがらなかったって話だ。それは、俺たちに知られちゃまずいような、何か悪い正体があるからなんだよ」
 悪い正体とは何のことだろうと、ヴィルヘルムとエマ兄妹が顔を見合わせた。
「もしかしたら……魔族かもしれない」
 アッシュは平然とその禁断の名前を言った。

「魔族!」
 子どもギャング団達は、アッシュが恐れ気もなく言った魔族の一言に痺れたように声を引きつらせた。
 アッシュ達の住むアストライアという世界には、ミトラ十二神の統べる世界だけではなく魔界と呼ばれる世界が隣接して存在する。その通じ合った異世界に住む、人間を襲撃する強靭な種族が魔族だった。
 魔族は、恐れられていた。魔族だというだけで。

「ゆ、幽霊女は、魔族なのか?」
 震え上がりながらフランツがそう尋ねてきた。
「魔族かどうかは分からない、だが幽霊ってことは、魔族かもしれない」
 そのへんの区別は、子ども達にはあやふやなのだ。
 だが、尋常な人間ではない外見をして、昼夜逆転した生活をして、学校に来なくって、しかも四六時中ブツブツ意味不明な呪文を唱えている、変な女?? それだけで、子ども達の興味は十分ひいた。
 鬱陶しい学校の授業を受けないで、昼から布団をかぶってお休みしいるヘンな女に不意打ちを一発いれてやる!!

 なんだかすっごく楽しそうだ……。


wavebox


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